第十七話 この力はみんなの為に
イリーナ達が歓迎会の相談をしていた頃、司祭様の元へ二人の男性が訪れており、徒ならぬ空気を漂わせていた。
どうやらこの男達は中央都市の意思を伝える為に使者として派遣されて来たようだ。
「以前より幾度となく書簡で伝えておいた件についてだが、どのように考えておられるのか貴殿の意見をお聞かせ願おう」
「それについては何度もお断りしていた筈ですが……」
「その方も魔族が今どのような立場に置かれているか知らぬ訳ではあるまい」
「それは十分理解しております……ですが……」
使者の話は魔族にとって重要な内容だった。
ここ数十年の間、中央都市が人族との戦いの為に送り込んでいる兵士の力が徐々に低迷しているらしい。
それに加え、最近になって人族の中に今までよりも強大な力を持つ者が現れ、魔族と人族との間にあった均衡は崩れ、人族の勢力が魔族の世界を脅かしつつあるのだと言う。
それに対抗する為に中央都市は魔界全土から優秀な者を集い、特別な訓練を施す事により優秀な兵士を育て上げる計画を進めていたのだ。
司祭様は街の平和を望み、子供たちが戦いに巻き込まれないように申し出を断り続けてきたのだが、事態は先延ばしが出来ないほど圧迫しているのだと言う。
「人材はいくらあっても足りぬのだ、早急にこの街からも優れた素質を持つ者を送り出せ、分かったな」
「しかし、いつも申し上げておりますが、この街の魔族はみな平和な暮らししか知りません……戦闘に秀でた魔術を扱える者は……」
司祭様が話している最中に一人の男が使者の傍へと近づき、何やら耳打ちをした。
「何! それは真実なのか!」
使者は司祭様を睨みつけるように見据えた。
「私の部下が先日森の奥で奇妙な魔族を見かけたと言うのだが」
「奇妙……と申されますと?」
「見た事もない威力の剣を使い森の木々を容易く切り刻む者と、原理の分からぬ水の魔術を使いあらゆる物を切断する者が居たとか」
司祭様はすぐにイリーナとアリフィアの両名を思い浮かべたが、その事について何かを話すつもりはなかった。
「その者達は他にも見た事もない凄まじい威力の魔術を使っていたと言うが、貴殿に心当たりはないか」
「さぁ、わたくしには全く心当たりが御座いません……おそらくは流浪の者を偶然目にされたのではないかと」
「ふん、あくまでも惚けるつもりか……まあよい、いずれ分かる事だ」
これ以上はいくら議論しあっても話は平行線を辿るだけである。
使者は席を立ち部屋を後にした。
後日イリーナとアリフィアが司祭様の元へと呼び出された。
部屋の中では司祭様とラウラが険しい表情で座っている。
その表情に何か徒ならぬ気配を感じ、イリーナ達は恐る恐る近づいて行った。
「イリーナさん、アリフィアさん、まずはこちらに来て座ってください」
「は、はい」
二人は司祭様とラウラの前にある椅子に腰かけた。
「あなた達は最近森の奥へと出かけ、魔術の練習をした事はありますか?」
「え? あ、はい……教会のお手伝いが始まったら練習する時間が減ると思って、先日アリフィアと一緒に行きましたけど、それが何か問題になってるんですか?」
ラウラは大きな溜息をついた後に静かに話し始めた。
「やはりそうでしたか……実はその様子を中央都市の者が見ていたようなんです」
イリーナ達は驚きと同時に、言いようのない不安に襲われていた。
「ラウラ先生、私達はどうしたら……」
「大丈夫ですよ、話によると遠くから見ていただけで個人の特定は出来ていないようですし」
「……そうなんですか?」
「はい、だから司祭様も流浪の者を見たのではないかと誤魔化して下さいましたし」
ラウラはイリーナ達が不安に押し潰されないように気を使っていた。
しかし、もし人族との戦いが劣勢を極め、早急にも優秀な魔族を欲してるのだとしたら、使者が簡単に諦めるとは考えにくい。
魔族の平和を守る為……その信念が強い者ほど手段を選ばず事を進めるのではないだろうか。
「とにかく暫くは森へ出かけるのは止めて、強力な魔術を使うのも控えた方が良さそうですね」
ラウラはどこに第三者の目があるか分からない現状では、文字の魔術や手指の魔術の使用を止め、子供達に言葉の魔術を教える事だけを考えた方が良いと助言をした。
それでもイリーナの心の中から完全に不安を取り除く事は出来なかったのだが、その不安は後日最悪な形で実現される事となる。
…………。
…………。
その日は早朝から非常事態を知らせる鐘の音と、大人たちの叫び声で始まった。
「みんな家の扉を閉めろ! 絶対に外に出るんじゃないぞ!」
原因は不明だったが街を囲んでいる柵の何か所かが破壊されており、森の中に住む凶暴な獣が群れを成して街へと流れ込んで来ているのだと言う。
普段でも逸れた獣が数匹単位で街に近づく事はあった。
だが今回は柵が壊れているとは言え、異常な数の獣が侵入してきている。
その様子は誰かが故意に獣を街に集めているようでもあった……。
攻撃魔術で必死に喰い止めようとする者も居たが、実戦としての攻撃魔術を使える者は数が少なかった。
警備を職としている者や教会で魔術を教えている者だけでは数が限られてくる。
それだけの人数ではとてもではないが街全体を守る事など出来はしない。
時間の経過と共に、抵抗できない弱者から次々と凶悪な牙の餌食となっていく。
力の無い者達は森から一番離れている教会へ逃げ込む事で難を逃れようとしていた。
イリーナとアリフィアも子供を守る為に教会へと足を運び、ラウラや他の教員と相談している。
獣を恐れ大声で泣いている子供の前にイリーナが膝をつき、優しく話しかけた。
「あなた達の事は絶対に守ってあげるから安心して」
「本当に?」
「うん、私に任せて」
イリーナは温かい笑みを浮かべ、そのまま教会の外へ行こうとする。
「イリーナさん何をするつもりなんですか! 森には私たち教員でも倒せない獣がいっぱい居るんですよ! そんな獣が何十頭、何百頭と入り込んで来てると言うのに」
「分かってます……でもラウラ先生は前に言ってくれましたよね、私のこの力はきっと魔王様が与えてくれたものなんだって……だから私はこの手でみんなを救いたいんです」
イリーナの決意は固く、そのまま教会の外へと歩いて行ってしまった。
「待ってイリーナちゃん! イリーナちゃんが戦うなら私も行く!」
アリファは引き止めるラウラの手を振りほどき、慌ててイリーナの後を追いかけた。
扉の外ではイリーナが街の様子を見つめて立っている。
「イリーナちゃん一人だけで行くなんてずる~い」
「アリフィア! 何で出てきたのよ! 早く教会に中に入っ……」
アリフィアは言葉を遮るようにイリーナの唇に人差し指を押し当てた。
「出てきちゃったものはしょうがないでしょ、それよりもほら、早くしないと」
「もう……」
イリーナは呆れた表情で溜息をつく。
「ふぅ~……もう後戻りは出来ないわよ!」
「分かってるって」
イリーナはまず手指の魔術で教会を守る城壁を作った。
【大気の中に隠れし水よ、氷の壁となり教会を囲み、獣の侵入を阻止しろ】
魔術の威力は凄まじく、一瞬にして厚さ数メートルの氷の壁が教会を取り囲むように聳え立った。
「イリーナちゃんすっご~い! よし! 私も頑張らなきゃね……大地に潜む砂鉄よ、剣の形で木の棒を覆い、小さな刃を高速移動する事で触れるもの全てを切り刻め」
アリフィアは得意としている剣を作る魔術を使い、獣の群れの中へと駆けて行った。
獣は牙を剥き、爪を振り下ろす事でイリーナの命を奪おうとするが、体術を極めたアリフィアにはかすりもしない。
逆にアリフィアが剣を一振りする度に、目の前に居た獣は見事なまでに切断されていった。
「こっちの方角はアリフィアに任せておけば大丈夫そうね……」
イリーナはアリフィアとは逆の方角に進み、獣の群れの中へと身を投じた。




