第十話 気付いてはいけない事
次の日からイリーナは、通常の授業が終わるとラウラの所へと立ち寄り、疑問に思った事を全部聞くようにしていた。
「えっと……魔術には、それを正確に思い描ける知識が大切なのは理解しましたけど、イメージがしっかり出来ていればそれだけで魔術は使えるんですか?」
「それはないですね、頭の中で考えただけでは魔術を使う事は出来ませんよ、もし考えただけで魔術が発動してしまったら、それはとても危険な事ですから……もしそんな事が起きてしまえば、日常のほんの些細な事も迂闊に考える事が出来なくなってしまいますからね」
小説などでは無詠唱で魔術が使える描写が度々出てくるが、どうやらそう言った事は出来ないらしい。
しかしラウラの説明は当然の事のように思える。
人は何かを考える時には必ず頭の中で言葉や情景を思い描いている。
誰かに嫌な事をされ、激怒しながら頭の中で残酷な仕返しを想像していたとしても、実際にはその考えを行動に起こしていないから問題にはならないのだ。
なのに行動を起こさなくとも考えただけで残酷な情景が実際に起きてしまうのだとしたら、それはとても恐ろしい事ではないだろうか。
「魔術を使うには正しいイメージを思い浮かべ、その魔力を込める依り代として『言葉』を使う必要があります」
「言葉? それって『清き水の精霊たちよ、蒼き湖の結界を解き放ち、我の存在する常世に命の源となる潤いを齎せ……』みたいな呪文を詠唱するって事ですか?」
「…………」
杖を振るような仕草をしながら言い放ったイリーナの言葉に、ラウラは思わず吹き出してしまった。
「ご、ごめんなさい……予想もしなかった言葉が出てきたから」
「いえ……忘れてください……すみません」
イリーナは恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ってしまった。
何とも言えない微妙な空気が流れてしまったが、ラウラが気を取り直して話を続けた。
「そんなに難しく考える必要はないんですよ、頭の中に思い描いたイメージを普段使っている言葉に変えて、誰かに伝える事が出来ると認識していればいいんです」
ラウラから詳しい説明を聞くと『魔力を乗せるのは普段の言葉で構わない』と言うよりも、『普段の会話をしている言葉以外には魔力を乗せられない』が正しい意味のようだ。
つまり前世での日本人を例にすると、普段話している日本語で魔術を使う事は出来ても、学校で習った英語や中国語など他の国の言語では使えないらしい。
別の言語を何の問題もなく流暢に話せたとしても『頭の中では日本語で考えている』……これが一番の理由らしい。
なので魔族も生まれて初めて覚えた言語以外には魔力を乗せられないようだ。
次にイリーナは言葉以外に魔力を乗せる依り代があるのか質問をしてみた。
ラウラは暫く間を置いてから答えた。
「言葉以外を使った魔術ですか? それは大昔には存在していて使える者が居た、けれど今は誰も使う事が出来ず存在していない……それが答えになりますね、もちろん私も使う事は出来ませんよ」
過去に言葉以外の魔術を使えた唯一無二の存在……それは魔王であった。
魔王は他の魔物が知らない言葉以外の魔術で人族からこの世界を救った。
それが『文字を使った魔術』と『手指の動きを使った魔術』の二つだった。
「文字を使うって『水よコップに集まれ』って書くんですか?」
イリーナの問いに対しラウラが首を横に振った。
「今の言葉の中の『コップ』と言う文字だけで説明しますけど、それは器の名前を声にして発した時の、その音を記号化して書き記しているだけであって『コ』も『ッ』も『プ』も、文字そのものが『ガラスの器』を意味している訳ではありませんよね? それに比べて魔王様のお使いになってた文字は誰も見た事がない形だったそうですけど、それには『一つの文字に対して一つの意味』が込められていたそうです」
「魔界の文字とは全く別の文字だったんですね……」
「そうですね、今となっては古文書が数冊残されているだけで研究もまだまだ途中ですけど、魔王様は文字だけではなく、手や指の動きにも私達が普段話している言葉と同じ意味を持たせ、魔力を乗せる事が出来たのだと伝えられています」
魔王だけが使える魔術……司祭様の話でも出てきたが、その威力は凄まじいものだったと伝えられている。
言葉を使った魔術でさえ他の魔物の数倍の威力があったのだが、文字を使った魔術は言葉の魔術の十倍程の威力があり、更に手指の動きを使った魔術は文字の魔術の十倍程の威力があったと言う。
この先も魔族の平和を守る為には魔王の魔術は絶対に必要なものである。
しかし研究者が必死に古文書を調べてみたが、今まで誰一人として魔王と同じ魔術を再現出来る者は居なかった。
文字のいくつかは解読され、その文字が何の単語を表しているのかは分かった……。
手の動きもいくつかは解読され、その動きが何の単語を表しているのかは分かった……。
ただ、それを繋ぎ合わせ、想いを伝える文章にする方法が分からない……。
解読された文字や手の単語を単純に並べてみたとしても、それが意思を伝えられる言葉だとは到底思えない。
魔族にとっての言葉や文字は今現在も使っているもの一つだけであり、魔王の使っていたものは『別の何か』としか認識できない。
それが魔王の魔術が誰にも使えない理由の一つだった。
「なので言葉を使わない魔術の事は一旦置いて、イリーナさんは多くの知識を得る為の努力をしましょうね、基本である言葉の魔術をしっかりと練習するのはとても大切な事ですから」
「は……はい……」
この時イリーナは嫌な予感に襲われていた。
それは決して触れてはいけない事に触れてしまったような……気づいてはいけない事に気づいてしまったような……そんな漠然としたものだったが、イリーナはその恐怖を拭い去る事が出来なかった。
(一つの文字に一つの意味を持たせる……それって漢字の象形文字や形声文字の事なんじゃないの?……それに手指の動きで言葉を表すって、それは前世で毎日使ってた手話の事じゃ……もちろん魔王様が使ってた文字や手話とは違うと思うけど、私にも魔王様の魔術が使える条件が揃ってしまうんじゃ……)
魔王が現れ世界を救ったのは三千年前の事である。
当然の事だがその時代の日本には手話などは存在していない……。
しかし、魔王がイリーナと同じように前世の記憶を持った転生者だとしたら……。
魔王の前世が日本と似た環境や文化の世界だったとしたらどうだろうか……。
イリーナにとって最初に意思を伝えられると認識した言葉、それは前世で使っていた『手話』だった。
しかし手話とは文字を持たない言語な為、最初に意思を伝えられると認識した文字は『日本語の文字』である。
そして、音として最初に覚えた言語……それはこの世界に生まれ変わってから初めて聞いた『魔界の音声言語』だった。
つまりイリーナは魔王と同じ威力の『言葉の魔術』『文字の魔術』そして『手指の魔術』が使えるかもしれないのだ。
人族の残虐な兵士にも対抗でき、世界の半分を取り戻す事さえ簡単に出来てしまう力……もしそれが本当に使えるのだとしたら……
今も続いている魔族と人族の争いに巻き込まれ、利用されるのは火を見るよりも明らかである……。
考えてはいけない不吉な運命だけが頭に溢れてくる。
イリーナは目の前が真っ暗になる感覚に襲われ、体の震えを止める事が出来なくなっていた。




