2.
里子もそんなような仕事をしている。これから、ある福祉関係の非営利団体(NPO)の人に話を聞き、それをまとめることになっているのだ。
里子は坂田リマというその人よりも、今話を聞きに来ている若い女性の方に興味を持った。
それで入口へと戻った。
老婆に話を聞いている女性は高校生くらいだった。その二人の話に割って入るのも気が引けて、里子は中を見ているような、見ていないような感じで、その二人にアンテナを合わせていた。
「この間おっしゃっていた、虫というのは、どういう虫なのでしょうか? 少し調べてみたのですが、おっしゃっていたような虫は見つけられませんでした」
と女学生が聞いた。
「それ、録音できているの? ステキね」
と老婆は言い、二人の話がかみ合っていないのが気になった。
「ねえ、そこのお客様、あなたもこちらにいらして下さい」
と、思いがけず里子の方に老婆が声をかけてくれたので、里子はドギマギしながらその二人の話に加わることになった。
「ごめんなさいね」
とあいさつしながら、里子は自分の名刺を二人に差し出した。名前とメールアドレス、携帯電話番号だけが記されている、自分でプリントした簡単な名刺だ。
「ああ、どうも。わたしは、ムラカミ リマと言います」
と女学生が言ったので、
「あら、あなたもリマさんなのね」
と里子が言い、老婆が
「そうそう、そうだった、そうだった」
と言った。
「この道を通学で使うようになって、同じ名前だからずっと気になっていました。でも、坂田リマさんはカタカナが本名なんですよね。なんだか、私より年上の方なのにすごく不思議に思いました。ちなみに…、わたしはナシの梨とアサの麻と書きます」
「そう」
「今の人は皆外国のような名前をつけるのね。あたしゃ、梅にこういう『乃』のウメノだから、古めかしいと若いころから思っていたけれど、だから、リマというような名前はすごく新しく思えたものでね」
梅乃は手で、『乃』という文字を廊下になぞった。
「失礼ですけれど、その坂田リマさんとウメノさんのご関係は?」
と里子が聞いた。
「リマはあたしの娘です」
と老婆がきっぱりと答えた。そして、「ふふふ」と笑った。
「でも、ウメノさんは結婚されていないんですよね。弟さんが残されたお子さんなのですよね」
と梨麻が確認した。
「そうなのそうなの。赤ちゃんだけがね、弟のところに残されてね、それをあたしが引き取ったというわけ」
急に話に入ろうとしても、さっぱりわからなかった。それから梨麻がいくつか質問するのを聞いていたが、もう約束の時間がせまってきていたので、里子は、「用事があるもので、失礼します」と言って、その記念館を出た。
何か消化しきれないような変なものが心の中に残った。
仕事を終えて帰る間も、女学生が確認していた妙な話が切れ切れに頭の中に残っていて、その切れ端が頭の中で何回も繰り返された。特に虫のやりとりのところだ。
「これくらいの虫だったのですよね」
と女学生の梨麻が五センチくらいの大きさを指で示すと、梅乃が、
「そうそう。それくらい」
と言い、
「それが耳の中に入るとなると、大きすぎませんか?」
と梨麻が確認すると
「だって見たんですから。本当なのよ。リマの耳の中に入ってしまってね、それからずっと病気になってしまったの」
「歩くこともできなくなってしまったのですよね?」
「そうなの」
梅乃のうつろな笑いを見ていると、なにか、梅乃の話を信じてはいけないのではないか、という気がしてきていた。梨麻は、梅乃のその妙な話のとりこになってしまったのか? それが心配になってきて、それを忠告してあげた方がいいのではないか、と胸がうずうずしたのだ。
「じゃあ、ここを出て行ってしまった時は、歩いて出ていらしたのではないんですか?」
「その時はね、歩いていたのよ。急に歩けるようになったみたいなの」
里子の頭の中で話のつじつまが見えないまま、その場所を去り、梨麻にも声をかけそこねてしまったことが、心残りだった。
それから家に帰って、『坂田リマ記念館』、『坂田リマ』というキーワードでネット検索してみたけれど、思い当たるような情報には行きつかなかった。梨麻はまだホームページを立ち上げていないのかもしれない。
パソコンからその情報にたどりつけないことがわかると、急に自分のやっていることが無駄なことに思えてきた。
里子はとりあえずその日、仕事でまとめたインタビューをまとめてしまうことにした。
それから数日の間は、家事と仕事に追われて過ごした。夫が海外出張になり、その旅行に持って行くために、日本からの簡単なみやげなどが欲しいと言い、里子がその買い出しに行ったり、一人娘の澄見が大学の夏休み中に海外旅行に出かけると言い出し、その用意もあり、バタバタしたのだ。
そのバタバタが去った。
家族二人が同時期にそれぞれに海外に行ってしまい、里子は一人家に取り残された。
夫の出張は多い方だったが、一人家で一週間以上留守番をするのは久しぶりのことだった。