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記念館  作者: 辰野ぱふ
1/5

1.

日傘をさして歩いていたのだけれど、暑すぎた。

その坂道を上りながら、やけに蝉の声をうるさく感じていた。


ふと街路樹のくちなしに目が留まった。

ところどころ残っている花は、白い花びらの中に茶色が混じってきていて、勢いのなくなっている花びらは、まるで使い捨てのティッシュみたいに、くて~っとしていて不快だった。

どこかに逃げ込みたい。

坂を少し上った所にある建物のわきにかろうじてできていた日陰に入り、持っていたペットボトルの水を一口飲んだ。


ただ立っているだけでも背中に汗が流れているのを感じる。顔面からも汗が噴き出してくる。もう坂をだいぶ上がってきた。そこは坂の頂点に近かった。


少し先に目をやると、「坂田リマ記念館」と看板が出ていた。

ベニヤ板に手書き文字の紙が貼ってある雑な看板で、門扉に立てかけてあるだけだ。

記念館とはいっても、コンクリートの塀に囲まれた、ただの古い家のようだった。

坂田リマというその名前には全く覚えがなかった。でも、たぶん、その家がその人の生活した場所なのだろうということだけは想像できた。

この坂を上がるのは初めてではなかったのに、今まで気が付かなかった。


里子は、時間を確かめた。

一時になったところだ。

約束の時間まではまだ一時間半ある。目的地はこの先を下った道を右に入った所にあるはず。あと数分でたどり着くだろう。

早めに出てきたのは、カフェでまったりしようと思っていたからだったのだけれど、目的地の近くにカフェがあるかどうか、確かめていたわけでもなかった。

よく考えてみれば、住宅が多いからそんなものは見つかりそうもない。


あと数歩、その記念館の入り口までやって来ると、記念館の中と自分の立っている場所との間に温度差があることを感じた。そこに入れば、きっと暑さを忘れられる。一瞬だったとしても。

その家は屋敷というほどは大きくなく、平屋だった。背部の塀が目に入るところを見ると、庭もそんなに広くないようだ。一時間あればざっと中を見ることができるだろう。ここで立ち止まったのも何かの縁なのだ。そう思い、里子は記念館の中に入った。


門を入ると家の入り口の開き戸は開かれていた。昔の日本家屋という造りで、家全体の割合からすると少し広めと思われる三和土があり、そこに座布団を置いて、老婆が玄関に足を投げ出す形で座ってうつらうつらしていた。

里子が老婆を見つめると、老婆はそれに気が付いたのか? ふっと目を開けて「いらっしゃい」と言った。

「えっと…」

 と里子が戸惑っていると、

「靴を脱いでください。スリッパがありますから、それをはいてね…」

 と老婆が言った。

 その老婆の顔を見て、まるで墨絵のようだな、と思った。うすい炭ですっと眉を細く引いて、それよりは少し濃い炭で眉と同じ長さの目を細く引いてある。髪は白髪が多く、首の後ろでくるりと小さいおだんごに結っている。作務衣風のものを着ている。


 スリッパをはきながら周りを見回して見たけれど、パンフレットのようなものは何も置いていないし、ポスターのようなものも何も飾られていない。無料ともなんとも書かれていないのだけれど、老婆が料金を請求しないのだからきっと無料なのだろう。

「ふふふ」と老婆が口をすぼめて笑った。

「いいの、いいの、リマさんのこと知らないのでしょ? いいのよ。知っている人が少ないから記念館にしたんですから」

 と老婆が言った。


 中に入るとつやつやとした廊下に沿って、畳の部屋が二部屋並んでいて、そこに、タンスとか机とか、そのリマという人が使ったと思われる、そのままの物が並んでいる。見ることのできる部屋はその二つしかなかった。

続きの畳部屋にイーゼルが置かれ、五枚の油絵が飾られている。全部バラの絵だった。画家だったのだろうか? その絵にも何も説明はなく、何もわからない。

エアコンは入っていなかったが、網戸にしてある戸から風が入って来ているし、里子が思っていたとおり外の暑さからは逃れることができた。


「あら、前にも来て下さったことあるの?」

 と入り口の方から老婆の声が聞こえた。

「続きを取材しに来ました」

 と若い女性の声がした。

「そう」

「前にお話ししましたが、リマさんのホームページを作ろうと思っていますので」

 とその若い人が言っている。その二人のやりとりを聞いていれば何かわかるかもしれないと思い、里子は耳をそばだてた。

どのみち、もう見ることのできる部分はなく、わけがわからないまま帰るか、入り口の老婆に何か聞くしかないかな、と思い始めていたところだった。

「お亡くなりになったのは三十三歳ということでしたが、原因は何ですか?」

「それはわからないのよ。ふっといなくなってしまったから」

「いなくなった?」

「そう。家をね、出て行ってしまったの」

 その口調からすると…? そのリマという人は老婆より年下ということなのだろうか?

そして、知り合いかなにか?

「それで…?」

 と若い声が質問を続けようとしている。

 と、

「ねえ、そんなことより、そのホームページって何なのかしら?」

 と老婆が聞き、

「インターネット上に、坂田リマさんの情報を掲載しようと思っています」

 と若い女性が答えた。

「本ではないのね?」

「違います」

「でも何か載せるというのは、何かを書くということなのかしら?」

「そうです。坂田リマさんのことを書きます」

「まあ。じゃあ、それを読むと、ここに来なくてもリマさんのことがわかってしまうのね」

「え? ……、まあ、そうですけど」

「じゃあ、ここに人が来てくれなくなってしまうのかしら?」

「ううううん…。それは違うと思います。そのホームページを読んで、興味を持った人は来てくれるようになると思いますが…」

「そう…」

 それから、いくつか質問をしているその女性は、ボイスレコーダーか何かで会話を録音しているのかもしれなかった。

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