俺は本気を出す
俺は親友とともに自分の家に帰る。
誰にも迷惑をかけないように、俺達だけで死ねるようにと遠出をする準備のためだ。
うちはマンションのためエレベータで自分家の階まで上がる。
親友を下で待たせているのだから急がなくちゃいけない。
部屋にかけ入り、自分のバックに今ある全財産と毛布、カイロ、地図、懐中電灯、腕時計など必要なものを詰め込む。
リビングへ行くと母親はパソコンで仕事をしており、俺のことすら見ない。
兄貴は部屋だろう。
チャンスと思い、キッチンへと入り包丁を抜き取る。
刃に映る自分の顔が一段とはっきり見えるのは気のせいだろう。
その包丁はトイレにあるトイレットペーパーで刃を隠し、バックへ詰めタンスの中からベンチコートを掴み取り、すぐに外へと出た。
親には・・・挨拶なんて大層なものしたくはなかった。
俺はエレベーターを待つのを苦痛に感じ、階段で下に降りる。
もしかしたらいなくなってかもしれない親友のことを思えば、腹の痛みなんか感じはしなかった。
俺はドアを蹴り開ける。
「・・・何を焦っているのかなぁ〜?」
からかうような笑みを向ける親友を見て、俺は安堵する。
「はいこれ。・・・俺のだけど。」
俺は握っていたベンチコートを渡す。
彼女は嬉しそうな表情をして受け取る。
「温かい・・・。」
彼女の言葉は俺の心をチクッとさせる。
なぜ彼女はこんなことで幸せを感じるなきゃいけないのだろうか。
普通なら当たり前の温もりじゃないか。
わかってる。
こんなのは詭弁だ。
温もりなんて当たり前じゃない。
幸せなんて当たり前じゃない。
それは運で、運命によって決まっているものなんだ。
ただの人間が・・・俺たちみたいな人間が幸せを願うなんておこがましいことだってのは・・・俺達が一番理解している。
だからそれに従い・・・惨めな人生を・・・送る。
これを言われたら俺達は迷いなくこう答える。
『そんなの嫌だ!』
今から行う俺達の逃避行は、世界に対する否力な唯一の反抗手段だ。
避けられない運命から逃れる為の俺たちに残された最後の道だ。
俺と彼女は今まで一言も嫌だと言わず、自分を騙し、いい子を演じてきたんだ。
最後は嫌なものを嫌と言ってやる。
最後ぐらい、続けて来たものを全て辞めてやる。
「行こう、愁。」
「分かったよ、茜。」
俺たちはこの日、初めて互いの名を呼びあった。
電車に乗ろうといった俺に茜は言った。
「歩きで行こう。」
なぜこんなことを言ったのか。
その理由はすぐに分かった。
茜は最後に見ておきたいんだろう。
自分が生きてきた街を。
関わってきたものすべてを。
俺は迷った。
俺達は今はまだ追われる身ではない。
だから、今だからこそ、使える交通手段が増えている。
後、最高で一日でも経てば、もう電車なんて使えない。
徘徊する警察だって増える。
外を歩くこと自体が危険な可能性がある。
でも、彼女の頼みだ。
彼女の願ったことだ。
俺の唯一の親友である彼女の頼みだ。
俺は一度深呼吸して言う。
「分かった。」
人は生まれながらにして天才だ。
考える脳がある。
その脳で、思いを伝えられる言葉を、すべての情報を手に入れられる音を、何もかもを見通す視界を、大切なものを掴む手を、人は生み出した。
しかし天才だからこそ、人は人間の力が恐ろしいものだと理解し、自分を抑制し始めた。
しかしその抑制がいつの間にか、現代に無意識に行われるように根付いてしまった。
やってやる。
・・、俺の中にある力を抑制する鎖を引きちぎろうと思う。
今の俺にはその力が俺には必要だから。
その力で、俺の願いと彼女の願いを叶えるために。
その力で、間違いと言われ続けたことを正解なんだと言い切ってやる為に。
・・・初めての世界との勝負に勝つために。
俺は初めて・・・
本気を出す。