一日目
トゥルルルルルルル・・・・
トゥルルルルルルル・・・・
小4の冬、部屋にベル音が響く。
机の上にあるガラケーが振動し、音を鳴らしていた。
俺はそれを止めるため、手に取り、ポチッと電話ボタンを押し耳に当てた。
「・・・人・・・殺しちゃった。」
聞こえてきたのは震える声。
聞き慣れた親友の・・・怯えているような声。
その声音が何より真実味を強調していたから・・・嘘だなんて、冗談なんて思いもしなかった。
(とうとう・・・君は・・・間違えてしまったんだね。)
分かっていたことだった。
この世界で必要とされない俺達は、変わらない限りいつかきっと間違える。
世のルールに反して、人としての大事なものを失って・・・生きるんだと思っていた。
でも俺はまだ間違えていない。
悲しさの狭間にいる俺は親友のその震えを抑えたくなる。
引き返せなくなる前に連れ戻さなくてはならない。
いつもの無邪気な俺の闇を振り払う元気な声を聞きたくなる。
しかしそんなこと、辛い目にあった今の親友に言えるわけがなかった。
携帯の向こうに住む親友は言う。
「最後に・・・君に・・・会いたいな。
会ってお礼を・・・言いたい。」
違うだろ。
礼は言うべきは俺だ。
助けられてきたのは俺の方なんだ。
「公園で・・・待ってる・・・来てね。」
電話はすぐに切られた。
すぐさま外に出る準備をする。
レンチコートを着て家から飛び出た。
階段はジャンプして飛ばす。
足が痛くなったって構わない。
走る。一秒でも早く親友に会うために。
心臓は締まり苦しくはなった。腹に鈍い痛みが走る、
しかし今の俺などどうでもいい。大事なのは泣いているであろう親友だけ。
無心に走って無人の公園についた。
子供の騒ぐ声すらない公園はどこか俺だけが孤立したようだった。
公園を見渡すが親友の姿はない。
いつも広く感じていた背中が見当たらない。
心臓がキュと苦しくなる。
息がしづらくなり、体から力が抜けそうになり、耐えられずその場に膝を付いてしまった。
しかし手をつくことだけはしない。
まだ諦められないからだ。
まだ来てないだけかも知れない。
俺が早く来すぎただけかも、と綻びそうな涙腺の意識を呼吸を整えることで集中させる。
そうしていると・・・
「早いね、心配してくれたのかな?」
声のしたほうを振り返る。
そこに目元が赤くなっている親友ががそこにいた。
冬には似つかない肌寒そうな服装、服から見せる傷だらけの体、見慣れた整っている顔立ち、長い黒髪。
俺の最初で最後の、最大の親友の、彼女が・・・そこにいた。
にへっと、嬉しそうに笑う彼女。
俺は安堵する。
抱えていた不安が消し飛ぶ。
親友も失うという恐怖が流れ落ちた。
俺は彼女を抱きしめる。
自分の短い腕で彼女を失わないように捕まえた。
「・・・ははっ、どうしたの?」
彼女は震えた声で笑う。
抱きつく俺を離そうとせず、肩をぎゅっと掴む。
「心配してくれてるの?・・・大丈夫だよ。
・・・私は・・・大丈夫・・・だから・・・。」
俺は抱きしめる力を強くする。
彼女の体の震えは止まらない。
「・・・あぁ・・・」
肩を掴む力が強くなる。
同時に声にならない嗚咽が聞こえてくる。
『なんでお前はそんなに強いんだ・・・。』
『なんで俺の前でも・・・そんなに強くあろうとするんだ。』
『我慢なんて・・・我慢するなんて・・・おかしいじゃん。』
『君は今まで誰かの為にと命を削って来たのに・・・。』
『いいんだ、泣いてくれ。
お前の全ては俺が許す。
神が許さなくても・・・俺は受け入れるから。』
俺は彼女が落ち着くまで抱きしめ続けた。
孤独な僕達はお互いを暖め合う。
凍えるような寒さなんか感じさせないために、溜め込んできたものを、今一度、全て吐き出すために、無心に俺達はお互いの傷を舐めあった。
小さな体を引き寄せ、落ち着かせる。
彼女は泣き止んだ。
落ち着いたから俺の中から外へ出る。
「ありがとう・・・やっぱり、君は優しいね。」
彼女の赤くなった瞳に溜まった涙を取る。
彼女は深呼吸して、俺の手を取り・・・
「・・・座ろう。ちょっとだけ君の時間をちょうだい。」
彼女は初めて、俺にお願いをした。
俺達は車の音すらない、人の足音すら聞こえない中、二人ベンチに座る。
「・・・あの電話・・・どういうことなんだ・・・?」
俺は問いかける。
今、彼女を苦しめる正体について。
彼女は雲で覆われる真っ白な空を見上げて言う。
「人を・・・殺しちゃったんだ。」
その時の少女の声と体は震えてはいなかった。
もうどうでもいいと踏ん切りが付いたように清々しいほど透き通った声で言った。
彼女の家庭は狂っていた。
父親と母親は仕事が終わりには、彼女が家に帰ってくると必ずと言っていいほど彼女を苦しめた。
暴言暴力は当たり前で、食事なんて食えたほうが運がいい人生。
彼女の命はただの玩具としか見られていなかった。
・・・でも狂っている家庭なだけあって彼女も・・・狂っていた。
彼女は笑えるほど呆れるほど馬鹿なほど・・・人のためになる事に躊躇をしなかった。
学校でもそうだ。いじめられてるくせに、最低限の所持品しか持っていないくせに、自分の物を他人に躊躇なく与えた。
街なかでだって辛そうにしている婆さんの手伝いをした。
晩御飯を買うお金なのに、泣いている子供にそのお金でお菓子を買ってあげた。
彼女は優しすぎた。
・・・可笑しいだろ。
世の中は平等を謳っているんだろ?
なのになんでこいつは、多くの人間が感じる必要のない苦しみを、痛みを味わっているんだ?
全員の一分一秒を救ってきたのに・・・なんで誰も助けようとしないんだ?
救われるべきはこいつだろう?
誰よりも救われなきゃいけないのはこいつだろう・・・!
他人に興味がない俺ですら気づけるほど傷ついてズタボロなのに・・・誰も、誰一人として恩を返そうとはしなかった。
「この前、話したよね。
お母さん、変な宗教にハマったって。」
彼女の声からは我慢してる風にも悲しさがある風にも聞こえなかった。
もう何も背負わなくなったからか、清々しさが感じられた。
「今日、その関係者なのかな?・・・男の人が来たの。」
彼女の表情は変わらない。
思い出すことすら辛い出来事を眉一つ動かさず僕に話してくれる。
「その人は突然私の体を抑えてきたんだ。
ほら見て、この跡がその時ついたものだよ。」
左腕を捲って見せてくれる。
そこには青くなった手形の痣があった。
それを見た途端、無性に怒りが湧いてくる。
絶え間なく多くの感情が心の中で渦巻き続ける。
あぁ・・・これが・・・怒りか・・・。
俺は初めて怒りというものをはっきりと自覚した。
「私ね、その時、君の顔が思い浮かんだんだ。
そしたらね・・・急に怖くなったの。
だからね、近くにあったフォークで・・・その人の腕を刺したんだ。」
彼女はから元気に右手を前に出して刺す行動のマネをした。
表情は子供のように笑っていても、その表情は一番歪んでいた。
「離した隙にね、走って逃げようとしたんだ。
けど・・・母さんが足をかけて私を転ばした。」
駄目だ、叫ぶな。
どんなにムカつくからって叫ぶな。
俺に、助けられなかった俺に、彼女の代わりに怒れる資格なんてない。
「男は凄い形相で、今度は・・・首を締めてきた。
その時のお父さんとお母さんの顔は・・・鮮明だったなぁ〜。」
首に手形の跡が見える。
・・・冷静になれ。
自分に言い聞かせ、早くなる鼓動を抑える。
握る力が無意識に強くなっており、血が滲み出始めていた。
彼女はそんな俺を見て、手を開いき優しく握ってくれた。
俺は驚いて彼女を見る。
彼女はさっきまで上を向いていたのに、今度は俯いていた。
安心したいのか俺の手を握る力は女子としてはとても強かった。
「・・・流石に大人の男性となると私も怖くてね・・・いや、違うや。
生きたくて・・・・君といっしょにいたくて・・・近くにあった包丁でその人・・・刺しちゃった。」
この時の俺は何も言えず、彼女の手を強く握りしめることしかできなかった。
俺は無力だ。
一人の、唯一信頼できる、何回も救ってくれた人に、救える言葉を言うことも出来ない。
周りのアホ共と何一つ変わらない。
本当に・・・情けなくて、弱い。
「・・・ありがとう。そんなに悩んでくれて。」
彼女は俺を抱きしめる。
駄目だ、君はもう・・・人を救っちゃいけない。
こんな俺を、君の親友であるのに助けられない俺を・・・君は救ってはいけない。
「なんでだよ・・・お前は・・・そんなにやさしくあれるんだ!
俺なんか助けるなよ!お前になんの言葉もかけてやれない俺なんかに・・・!」
「自分を攻めないで。」
俺は彼女の抱擁を外そうとする。
けどそれは彼女の温もりに阻まれた。
「私ね、実は君に何度も救われてるんだよ?
いつもいつも君が私の隣にいたから笑う事も苦痛に感じなかったし、辛かったことも忘れられた。
だからね、これは恩返しなんだ。
・・・最初で、最後のね。」
彼女は俺を離し、立ち上がる。
そして数歩、俺から離れる。
そして俺の目と、彼女の黒い瞳は直線に交わる。
彼女は笑って言った。
「・・・私、行くよ。
最後に、君と行ったあの最後の場所に行ってくる。」
彼女は太陽に照らされる。
雲に覆われてた空から一筋の光が彼女を照らす。
今、俺は理解した。
彼女は俺にとって太陽だ。
俺の光なんだ。
それが失われるなら俺に生きている意味はあるか?
・・・答えは簡単だ。
あるわけがない。
彼女のいない世界に生きがいなんて感じない。
ならこれは最後のチャンスだ。
俺のしたい事ができるラストチャンスだ。
「・・・俺も行く。俺の時間は・・・君のものだ。」
俺は彼女の手をとった。
彼女を抱き寄せた。
彼女は驚いたように目を見開く。
俺の言葉の意味を理解すればもう彼女に悲しみはいなかった。
泣きながら言葉を紡ぐ。
「ありがとう。」
この日、俺達は本当の自由を手に入れた。