第八話 晩餐
前回のあらすじ
高高度をゆうゆうと飛ぶレオポルドに、全力で突撃するモリーゴ。
一度はかわされたものの、返す刀で一撃必殺を狙ったのだが……
背中に直撃したトマトは物理的な痛みよりも深い傷を残した。
私はすっかり意気消沈してモリーゴに洞窟の前線基地に戻るように言った。
大型翼竜の方が高いところまで行けるのは確かだけど、飛竜の機動力をもってすれば、一撃必殺で仕留められるはずだった。
飛竜は小回りも効くし、何より静かで早いので、死角の多い大型翼竜に負けるはずがなかった。私はギュッと唇を噛んだ。
モリーゴも私の気持ちを察したのか、ふわりと洞窟の砂地に降りると、そのまま伏せてじっとしている。
「Amelio…ォルメポゴオゥコガヱョポルリデノォメヮドオヂゾゴ。ポァ、ドヲタ、ォダゲヲテメザオゾドィゴ。ジゲザャジメゥ。」
相変わらず私にはモリーゴが何を言っているのかわからないが、私の名前を呼びかけてくれたのはわかった。きっと慰めてくれているんだろう。
私はモリーゴから鞍を外して手ぬぐいを取ってくると、泣き顔を見せないようにそっぽを向きながらモリーゴにあたったトマトを拭き取る。
洞窟の上の方でドシンと重たい音がした。レオポルドが上の草地に着陸したんだろう。
「アメリーオ、大丈夫か?」
ジョセーフォが洞窟の上から滑り下りてくる。
私はモリーゴのお腹にもたれかかりながら、俯いて脱いだ鎧を磨いていたが、隊長の声を耳にすると、ゆっくりと立ち上がると力なく敬礼する。
ジョセーフォは金モールと肩章のついた上着を脱ぎすてると、何も言わずに私を抱きしめた。
「アメリーオ、今日の動きはすごく良かった。だが、無理をするな。これはあくまで訓練だ」
「…………」
「お前が飛竜騎士を目指して来る日も来る日も、飛竜の動きを観察したり、空中戦理論を勉強したりして、今日のこの訓練に備えていたのは、私が一番良く知っている」
「……しかし隊長……負けは負けです……戦場での負けは死を意味します……」
ジョセーフォは抱きしめていた手を離すと、私の手を握り、腰を落として視線を合わせてくる。
「アメリーオ、よく見てくれ。階級章をつけていないだろう。私は上官としてお前を叱責してるんじゃない。古くからの友人として心配しているんだ」
「…………」
「お前が負けず嫌いなのも、努力家なのも、昔からよく知ってる。負けたときにどうなるかも含めてだ」
悔しいくらいにジョセーフォの言うとおりだ。私は昔からこいつには勝てない。小さいときから、何万回とこいつに戦いを挑んでは負けてきた。
「戦場では必ずしも勝てるとは限らないし、負けたからと言って死ぬとは限らない。むしろ生き残ることが大事なんだ。諦めず、自分を責めず、したたかに生き延びて次につなぐことだ」
分かっている。勝てなかったときのメンタルの弱さは、私の課題だ。
「今はいつもみたいに、気が済むまで思いっきり泣けばいい。これからどうするかを考えるのは、その後でいい」
ジョセーフォは私の頭を優しく抱える。このイケメン女は私の扱いを実によく知っている。私は彼女の胸に顔を埋めて、涙腺が干上がるまで悔し涙を流し続けた。
日差しが傾いて午後の風が吹き始めた頃、私は洞窟内の川の水で泣きはらした顔を洗っていた。
今朝レオポルドからおろしたコンテナを開けて荷解きをする。昼寝をしていたモリーゴも起きてきて手伝ってくれる。言葉は通じなくても、こういう気遣いができる子なのは幸いだ。
昨日までの鍋の三倍はある大きな寸胴鍋や鋳物の鉄鍋。組み立て式の大きな竈付き調理台と大量の薪。大袋に入った野菜と干し肉に燻製肉、乾酪、いわゆるチーズなど。黒麦の麺麭や堅麺麭などのパン。そして林檎酒と麦酒の酒樽。見慣れた食材が次々と並ぶ。
私は洞窟の奥の小さな袋小路を毛布をカーテン代わりにして仕切り、生野菜や大きな鳥のもも肉、燻製肉や乾酪を運び込み、氷精晶を設置して冷蔵庫にする。氷精晶というのは冷気を放つ水晶だ。大きいものだと部屋一つを氷室にすることもできる。
ジョセーフォと私は早速調理台の前で料理の準備を始める。大きな寸胴鍋にモリーゴが水を汲んできてくれた。私が燻製肉、玉ねぎ、人参、洋芹を切っては鍋に放り込んでいく間に、ジョセーフォは薪に火を付け、モリーゴが息を吹き込み最大火力で鍋の水を沸かしていく。二人と一匹のコンビネーションで、これまでにないくらい料理が捗る。
外の空が微かに茜色に染まり始める頃にはすっかり料理が出来上がっていた。
コンテナから大きな折りたたみのテーブルを出してくると、テーブルクロスを広げる。小さな木箱から真っ白な皿と磨き上げた銀食器を取り出して並べる。別の木箱から何十にも紙に包まれた透明なクリスタルグラスを四つ取り出して、林檎酒の樽をあけて注ぐ。
大きな寸胴鍋からスープ皿二つと小さな鍋に野菜と燻製肉のスープが注がれる。モリーゴが鋳物の鉄鍋をテーブルの中央に置くと、ジョセーフォが、そこから大きな鳥もも肉のソテーと、蒸したパンを取り分ける。
すべて整った。ジョセーフォと私が林檎酒の入ったクリスタルグラスを手に取る。ジョセーフォが指笛を吹くと、洞窟の入り口からレオポルドが首を突っ込んできた。
「アメリーオ、レオポルド、モリーゴ。今日から我軍に飛竜騎士が加わった。アメリーオ、モリーゴ、よろしく頼むぞ!では、竜王と我ら竜騎士団に、乾杯!!」
「乾杯!!」
ジョセーフォと私は、残り二つのクリスタルグラスを、それぞれレオポルドとモリーゴの鼻先に近づける。彼らにしてみれば、ほんの一滴だろうが、こうして私達と、同じ酒樽の酒を酌み交わすことに意味があるのだ。
そして私達は辺りがすっかり暗くなるまで、食べて、飲んで、そして笑った。大きな寸胴鍋いっぱいに作ったスープはモリーゴが半分以上平らげ、麦酒の酒樽はレオポルドが咥えて離さなかった。
「レオポルドは見張ってないと、酒蔵の麦酒の酒樽を片っ端から酒樽ごと食べちゃうんだ」
「ジョセーフォだって林檎酒の酒樽の下に潜り込んで、一晩中飲み続けてたことがあるじゃない!」
「アメリーオなんか小さい頃、かくれんぼで林檎酒の空き樽に隠れちゃって酔っ払ってたよね!」
私達は肩を叩きあって目一杯笑った。この幸せな時が続くことを願って。
用語解説
・晩餐の献立
アメリーオとモリーゴが、竜騎士団に飛竜騎士として正式に加わった特別な晩餐だけに、なかなか豪華な献立になっています。本文では省略されていますが、こんな感じでした。
前菜 : 乾酪 と 角猪の生ハム 松の実を添えて
サラダ : 松葉独活と菊苦菜のサラダ
スープ : 野菜と燻製肉のスープ
主菜 : 鹿雉のもも肉のソテー 胡椒ソース添え
パン : 黒麦の麺麭
デザート: 干し林檎の林檎酒漬け入りクイックブレッド
乾酪ですが、この地方では熟成中に、林檎酒の搾りかすから蒸留した林檎蒸留酒で、何度も丁寧に表面を洗い、独特の風味を持ったものがポピュラーです。エポワスチーズを想像すればよいでしょう。
角猪は巨大なイノシシです。山脈を越えた辺境の森ではよく見かけるようです。脂の乗ったバラ肉を煮込むと美味しいそうなのですが、この地方では脂身を燻製にした燻製肉か、もも肉を熟成させながら乾燥させた生ハムが贅沢品としてたまに出回る程度です。
松葉独活と菊苦菜はそのままアスパラガスとチコリ(エンダイブ)を想像すればよいでしょう。松葉独活は軽く茹でててあります。
スープは燻製肉、玉ねぎ、人参、洋芹が入っています。サイコロ切りにした野菜の甘味と燻製肉の香りがマッチしたミネストローネのようなスープです。
メインは鹿雉のもも肉のソテー。鹿雉はエゾシカほどの大きさがある大きな四足の鳥類です。もも肉はやや硬めの七面鳥と言った味わいです。胡椒はコショウなのですが、このソースに使われたのは胡椒の原種に近いヒハツと呼ばれるものです。沖縄などでピパーチと言われている種類です。
黒麦の麺麭はライ麦の黒パンです。やや酸味がありどっしりとした食感です。
デザートの干し林檎の林檎酒漬け入りクイックブレッドですが、フルーツケーキです。鋳物の鉄鍋、つまりダッチオーブンを使って作るケーキです。卵とバターと砂糖をふんだんに使う保存の効くケーキです。
・ワンポイント・エスペラント語
今回はアメリーオ視点でしたので、お休み……のつもりでしたが、食材のスペルだけ書いておきます。
乾酪 = Fromagxo
角猪 = Korn-apro
松葉独活 = Aspago
菊苦菜 = Sxikorio
燻製肉 = Lardo
鹿雉 = Cervo-fazano
胡椒 = Pipro
黒麦の麺麭 = Sekalo pano
堅麺麭 = Biskvitoj
林檎酒 = Pomovino
麦酒 = Elo