第五話 夕食
前回のあらすじ
知る限りの曲芸飛行はこの体一つでできてしまう俺もなかなかだが、
それに振り落とされもせず涼しい顔をしてる彼女も大したものだ。
午後になると風が強くなり、すぐ裏の山にも大きな積乱雲がモクモクと育っていた。
「Via muskolo estas malforta nun, ni evitas sxtormon. Vi havas bonan ripozon.」
彼女は俺の背中から鞍を外してながらそう言うと、陽の高いうちから夕食の準備を始めた。この不器用な手では大した事はできないが、なにか手伝えないか考えた。すると彼女が大きな鍋を難儀そうに洞窟の奥の川に運んでいるのが目に入る。流石に見た目より力持ちな彼女でも、あの大きな鍋は大変そうだ。
俺は鼻先でつついて、鍋を口に咥えて運ぶと水を汲んだ。
そうこうしているうちに曲芸飛行が祟ったのか、俺はまだ治りきってない身体が軽い痛みを訴えて来ているのに気づいた。
「Dankon. Mi estas bona. Vi devas ripozi.」
彼女が私の寝床を指差す。俺はありがたく食事が出来るまで休ませてもらうことにした。
焚き火の爆ぜる音と美味そうなスープの香りで目覚めた。昨日と同じようなセロリの香りもするが、今日はそれよりもトマトのような酸味のある香りが鼻孔をくすぐる。
この飛竜の体になってから色々な感覚が鋭くなって、数キロ先の風の動きが見えたり、遠くの雨の匂いが分かったりするようになっていた。匂いについてはものすごく解像度が上がった感じはするものの、流石に知識不足で今日のスープの材料を言い当てるのは難しい。そもそも異世界なんだから、俺の知っている食材を使っている保証なんかどこにもないが。
「Gxi estas sekigita viando kaj tomato-supo.」
トマトスーポと言ったような気がする。トマトスープってことか。
「Mi pensas, kiam vi ricevos plenan reakiron, vi povus akiri iom da viando por ni. 」
彼女は空中で何かを掴むような仕草をしてみせる。何かを捕まえるってことか?
「Sed hodiaux, Cxi tio estas cxio, kion mi havas.」
そういって肩をすくめる。
「まあ、なんだ、何かを捕まえないとこれしか出来ないってことか。気にするなよ。十分美味そうだ」
自分の顔がどうなっているのか、鏡がないからわからないが、精一杯口角を上げて笑顔を作ってみたつもりだ。
彼女が昨日と同じように寸胴鍋にスープを移し替えて、俺の前に持ってきてくれた。俺はスープの香りを吸い込む。トマトの酸味のある香りに隠れて鶏肉のような香りがする。滋味あふれる香りだ。
舌を出して少し味わってみる。熟成したハムのような旨味と塩味、野菜の甘みも感じられる。胡椒のピリッとした辛味もある。これは美味い。翼の鉤爪で押さえるようにして一気にすする。
彼女は俺がスープを飲み干したのみて、パッと顔が明るくなる。
「Bone. Mangxu iom pli.」
おれは鍋を咥えて彼女のところに運ぶ。彼女は片手鍋を柄杓代わりにして、なみなみとスープを注いでくれる。
体に染み渡る味だ。何杯かおかわりをしたら、すっかりお腹も満ちて幸せな気分になった。
彼女が鍋の残りに乾パンを浸して食べている間に、俺は寸胴鍋を咥えて水場に運び、軽く洗いでおいた。
「Dankon!」
口にパンを頬張ったまま彼女が大声で叫ぶ。多分ありがとうみたいな意味だろう。
「どういたしまして」
食事の片付けが終わると、彼女は大きな蓋つきレンズのついたカンテラのようなものを取り出した。
ぼんやりと光る水晶をその中に置くと、それを持って洞窟の外に向かっていた。俺は興味津々で彼女について行く。
彼女はカンテラを背負い直して、器用に片手で入り口辺りの岩を掴み、洞窟の上に昇っていった。
おそらくは誰かと通信するために使うんだろう。外に飛び出すのも面倒だったので、俺は首だけ伸ばして上を覗くと、案の定、彼女は崖の上でカンテラの蓋を開け閉めして、誰かと通信しているようだ。カンテラを向けている方角に目を凝らすと、遠く地平線の先にチカチカと光る明かりが見えた。
「Morgaux vi trejnos kun miaj amikoj. Estos amuza.」
相変わらずなんと言ってるかわからないけど、楽しそうだ。
彼女が戻ってきて寝床を用意している。俺も横になって、首を下ろす。
腹いっぱいだったし、昼間の疲れもあってか、急に眠気が襲ってきた。明日のリハビリに備えてしっかり寝ておこう。
用語解説
・夕食の献立
この日の夕食は彼女のセリフ「sekigita 乾いた viando 肉 kaj と tomato トマト - supo スープ」にある通り、干し肉とトマトのスープです。
ここで言われるセロリの香りは芹の一種によるものです。芹の仲間はセロリに限らず茴香、ディル、クミン、フェネグリークなど、いずれも爽やかな芳香があるので、肉や魚の臭みを消すのによく使われます。茎や葉などを束ねてスープに入れたり、種を炒ったりすり潰したりして使います。
塩分濃度が十パーセント以上の干し肉はかなりの長期保存に向いていて、保存中にも少しずつアミノ酸分解されることから、旨味成分が増えてスープのベースに使うのにはもってこいの食材です。この世界では食肉の保存方法として干し肉はポピュラーで、特にこうした長期の旅行や冒険には必ずアイテムに加えて置くべき食材です。
特に山脈を越えた辺境地方では、Stango Cervo(鹿節)と呼ばれる熟成された乾燥鹿雉肉が出回っており、これを使うと他に何も要らないと言われるほどの素晴らしい出汁が出るとのこと。
肉が手に入らない場合は、トマトを塩漬けにして干した干しトマトも使われます。トマトは野菜の中でも旨味成分のグルタミン酸が非常に多く、これを脱水乾燥させることで保存性と運搬性を向上させた干しトマトも旅行には必須のアイテムの一つ。ただし、この物語の舞台は割と高緯度の地域で、むしろこの地域ではよく育たない、トマトのほうが貴重品なのです。
・エスペラント語
エスペラント語はルドヴィコ・ザメンホフが1880年代に考案した人工言語で、ヨーロッパの言語をベースにしており、その語彙の7割がロマンス語(ラテン語系の言葉)、2割がゲルマン語(ドイツ語、英語など)と言われています。単語の数が限定される代わりに、語尾だけを変化させるという活用法が明確で、例外がないという特徴があります。
アルファベットはラテン文字のアルファベットに加えてc/g/h/j/sについてはサーカムフレックス^がつくもの、uについては^を下向きにしたブレーヴェが付くものがあり、合計28文字で表記されます。
普通のラテン文字だけで表記する場合は、サーカムフレックス付きなどの特殊文字は元の文字の後ろににhやxや^をつけて表します。この小説ではややマイナーな後ろにxをつける表記を使っています。
Coがツォー、Cxoがチョー、Gxoがヂョー、Joがヨー、Jxoがジョー、Sxoがショー、Uxoがウォーと読むくらいで、それ以外は読み方はほぼローマ字です。アクセントは後ろから二番目の母音で、ここを伸ばす事でアクセントを表します。
動詞も現在形の-as、過去形の-is、未来系の-os位を覚えておけば良いので楽です。例えばiri=行くですが、irasとすれば現在形の行く、irisは過去形の行った、irosは未来形の行くです。
全世界で200万人程エスペラント語話者がいるようなので、ご興味のある方は調べてみてはいかがでしょう。
・長すぎる用語解説
すみません




