第三話 竜騎士
前回のあらすじ
俺は飛竜だった。
俺は一体……どうなっちまったんだ……。
どのくらい眠っていたのかわからない。
焚き火の爆ぜる音で目を覚ますと、外はすっかり暗くなっていた。
痛みは随分と減って、むしろ運動不足で身体が鈍ったかのような痺れを感じていた。
長い首を起こすと、彼女は焚き火に鍋を掛けてなにか食事を作っていた。いい香りだ。
「Vi vekigxis. Cxu vi malsatas?」
言葉のニュアンスから多分何かを聞かれてるんだろう。俺は静かに首を縦に降る。通じるだろうか。
「Mi kuiris raguon por vespermangxo. Cxu vi povas mangxi?」
彼女は紙コップくらいに見える寸胴鍋に大鍋から何かを掬って眼の前に置いた。
俺は不器用に震える手でその鍋をつまむと口元に置いて一口すすった。セロリと魚の匂いがふわっと香りが鼻の奥をくすぐる。
ゆっくりと熱いスープが喉元を流れていくのがわかる。そして全身に染み渡っていく。
「美味い……」
俺は残りを一気に飲み干した。粟粒ほどの玉ねぎと、楊枝の先くらいの人参と、煮干しのようなサイズだが丸ごとの鮭が入っている。
「Cxu gxi gustas bone?」
多分美味いか?と聞いたんだろう。俺は首を縦にふる。彼女がパッと笑顔になる。
「Bone! Mangxi pli.」
彼女がせっせと片手鍋で掬っては運んできて継ぎ足してくる。俺は目を細めながら、一口ずつ味わう。
全身に力がみなぎってくるとまでは言わないが、息もできないほどの痛みと突然の変身で意気消沈していた俺を励ますには十分すぎる幸福だった。
彼女の背丈ほどあった鍋も底をついてきたので、俺はコップ代わりの鍋を手で塞ぎ、小さく首を横に降った。
爪で大鍋と彼女を交互に指差す。
「Dankon. Mi ankaux estas laca kaj malsata nun.」
彼女はにっこり笑って額の汗を拭うと、焚き火のそばに座り、残ったスープに鞄から取り出した乾パンのようなものを浸して食べ始めた。俺はそれをずっと眺めていた。
焚き火の明かりが俺たちを照らし、洞窟の壁に大きな彼女の影と同じくらいの大きさの俺の影が揺れている。
俺の影は大きな竜だ。コウモリのような羽があり、くるくるとよじれた角も、腕ほどの太さのしっぽもある。腕や手はそれほど大きくはないが、それでも彼女の脚ぐらいの長さはあるし、手だって彼女の3倍はある。
彼女は俺の知らない言語を話し、俺の言葉は彼女にはわからないようだ。でもこうして美味いものを食べて、幸せにゆっくりした時間を過ごすのに言葉はいらなかった。
トンネルの取材をしていたあの日、俺は多分雷に打たれて死んだんだ。だからこうして別の世界で竜に転生した。
こっちの世界でも瀕死だった俺を、彼女は助けてくれた。どんな魔法を使ったのかわからないが、流れていた血も止まり、痛みもだいぶなくなっている。
「ありがとうな……どこの誰かわからないチビ騎士さん」
彼女が小さいんじゃなく、俺が大きすぎるんだ。多分ダンプカーぐらいの大きさはある。
「Mi ne komprenas kion vi diras sed vi ne bezonas danki min. Mi faras tion por mia plezuro.」
何を言っているかわからないが、彼女の笑顔が眩しかった。
「Morgaux, Vi laboras pri rehabilitacioxn. Enlitigxu frue. Bonan dormon.」
翌朝、朝日が洞窟の外を照らす頃には、痛みもすっかり消え、俺はもう今にも飛べるんじゃないかと思うほどに元気になっていた。
もっとも、自力で空を飛ぶことなんて経験がないから、どうするのかと言われれば困るが、なんとなく背中の翼を広げられそうな気がして、ムズムズと動かしてみていた。
「Bonan matenon. Cxu vi havis bonan dormon?」
なにか聞かれているんだろう。よくはわからないが、俺は首を縦にふる。
「Bone. Hodiaux, Vi praktikos flugi.」
彼女が洞窟の入り口の方に向かって歩き出す。俺は慌てて尻尾でバランスを取りながら立ち上がる。天井に頭が引っかかりそうだ。
入り口に近づくと滝のような音が聞こえてきた。洞窟の中を流れていた川が滝になって流れ落ちているのだ。
高さにして五十メートルほどだろうか。眼下にはどこまでも樹海が広がっていた。
遥か彼方の山の稜線が赤く染まり、陽が顔を出し始めた。さぁっと風が足元から吹き上げてくる。
俺は目を瞑り、肩を回すように軽くほぐすと、肩甲骨のあたりから広がる翼をイメージした。
「Bone! Nun iru!」 後ろから彼女が叫ぶ。
行け!と言うことなんだろう。
俺は眼を開き、地面を蹴り出した。
ごぅと音がして、身体が宙に舞った。
まるで手のひらで空気を掴むかのように翼に風を受けているのを感じる。
尻尾や頭で前後のバランスを取りながら、翼を上げ下げすると、びゅーっと大きな風切り音とともに加速した。
上を向いてどんどん加速してみた。まだ朝日に照らされていない消えかけの星空がぐんぐん迫ってくる。頬に当たる風が冷たい。
息が上がってきた辺りで下を見ると、自分が飛び立った滝が小さな銀の糸のようにキラリと朝日を反射していた。
かつて感じたことのないほどの気持ちさだった。
「俺はー生まれ変わってー竜になってー空を飛んでるぞー!やっほー!」
錐揉み急降下でも宙返りでも、おおよそ飛行機の曲芸飛行で見たことがある動きは、全て自由にできた。
俺は鳶のように大きく旋回しながら、ゆっくりと飛び立った滝の上に降りていった。彼女が手を振っている。
翼を広げて空気を包み込むようにスピードを殺しながら洞窟の入り口に近づく。尻尾を下げ、足の裏を広げるようにして脚を前に出し、首をすぼめて洞窟の入り口をくぐる。
ザザーッと砂を巻き上げて着地した。砂煙の中を彼女が走ってきて俺の首に飛びついた。
「Vi faris gxin!」
なんだか嬉しかった。すごく嬉しかった。
「ありがとうな。こんなに楽しい思いができると思わなかったよ」
彼女に通じたかどうかわからないが、少なくとも彼女も嬉しそうに頬ずりしてる。
こういうのも、悪くないな。
用語解説
・異世界の食事
セロリ(Celerio)、人参(Karotoj)、玉ねぎ(Cepo)、トマト(Tomato)などは普通に存在するようです。
魚や肉も普通にあるのだけれども、いかんせんココは異世界。現実世界のそれと同じかどうかは何一つ保証されないのです。
・ワンポイント竜騎士語
今回ポイントとなる単語をおさらいしておきましょう。
Vekigxis=起きた、目が覚めた
Malsatas=お腹が空く
Vespermangxo=夕食
Mangxi=食べる
Bone=良い
Dankon=ありがとう
Morgaux=明日
Faris=出来た、成し遂げた
そのうち文法についても少し触れますが、今の所はこのくらいで。




