第二話 覚醒
前回のあらすじ
俺は県境のトンネルで噂の正体に出くわした。
必死にシャッターを切っていたはずなんだが……。
俺は眠かった。とにかく泥のように眠っていた。
日没後の山の上で凄まじい雷に見舞われながら、必死で写真を撮っていたのは覚えている。
そして落雷とともに弾き飛ばされて、気づいたらここで眠っていた。
なんとか薄目を開けて見ると、洞窟のようなところだった。少し離れたところで川の流れるような水音はするけど、辺りは砂地で乾いている。
多分かなりの高さから落ちたんだろう。身体中が痛みで痺れていて、とにかく指一つ動かせない。息をするのもやっとだ。
ただ、すぐに死にそうな感じではない。これは動けるようになるまでここで休むしかないだろう。そうしたら助けを呼ぶ方法を考えよう。
俺は再び眠りに落ちた。
……近くで人の声がする……。
ゆっくり肩で息をするが、まだ身体中が痛んで動けそうにない。声もまるで出せそうにない。
俺はうつ伏せのまま、微かな呻き声で答えて、重いまぶたを開いた。
遠く洞窟の入り口に群青色の空が見えていた。
松明を持った人がこちらに向かってくるのが見える。
助かった。
俺は力尽きて再びまぶたを閉じた。
間もなくすると、鈍い痛みとともに身体中から何かを引き抜かれる感覚が走った。どうやら全身にトゲのようなものが刺さっていたようだ。
ズルリと引き抜かれては傷の周りを拭われる。少しずつ身体が楽になる。
不意に耳元で声がする。
「Gxi povus esti iom da doloro, sed estu pacienca...」
多分外国語かなにかだろう。この地方の方言でもないし、聞いたことのない響きだったが、とにかく助けてくれていることに感謝したい。
「ありがとう……」掠れた低い声が洞窟に響く。
鋭い痛みとともに首の付け根辺りから竹串ほどの長い枝のようなものが引き抜かれた。俺は歯を食いしばり耐えた。
傷口から温かい血が流れ出ているのがわかる。首筋を伝い砂地にボタボタとこぼれた。傷の周りを小さな布で軽く押さえてくれているようだ。
しばらくすると、身体の痺れが引いてきてどうにか目を開けられるようになった。洞窟の外の空はもう茜色になっていた。
顔を上げて焦点の合わない眼で辺りを見回そうとすると、耳元でテナーサックスのような張りのある美しい声が聞こえた。
「Ne movigxu. Denove sangos.」
「……どなたかわかりませんが、ありがとうございます」
えらくしわがれた声だった。そういえば喉も少しヒリヒリと痛い。
相変わらず痛みはあったが、誰かが側にいてくれることに安堵したのか、ものすごい疲れが襲ってきて再び眼を閉じるとすぐさま眠りに落ちていた。
小鳥のさえずりと微かな消し炭の匂いで目を覚ました。ここで一晩寝てしまったのだろう。
洞窟の外は微かにピンクがかった薄い水色だった。俺は小さなあくびをすると身体を起こそうとした。
「...Gxi estas tro frue por vekigxi...」 小さなあくびとともにまたあの声がした。
冷たい砂地の上に腹ばいになって寝ていた俺は、首だけを持ち上げて声の主を探した。
洞窟の中を見回してなんとなく景色に違和感を感じた。微妙にサイズ感が変なのだ。
首だけ持ち上げたはずなのに、視線が一メートル程高くなったような感じだ。
顎についていた砂が落ちると、玉砂利をふるい落としたかのような音が洞窟に響く。
ミニチュアに囲まれていると言うよりは、自分の身体が異様に大きくなっている気がした。
「……なにが起きてるんだ?……」
「Kio okazis? Cxu vi sentas doloron?」
落ち着いた優しい声だ。腹の辺りから声がする。俺は声のした方を振り返って驚いた。
蛇のように鱗に覆われた大きな腹を枕にして、俺の身長の三分の一もない中世の騎士みたいなのが横たわってる。
しかも、俺はそれを身体を起こすことなく、うつ伏せの姿勢から振り返っているんだ。首がもげているのかと思って驚いていると、そいつは起き上がってこっちに向かって歩いてきた。
「Trankviligxu. Mi ne vundos vin. 」
まるでスラリとした八頭身の人形が歩いているようだ。再び優しく凛とした声が響く。
「Ne timu. Mi estas unu el drakoj. Mi scias la praktikojn por kuraci vin.」
俺は呆気にとられていた。
ヘーゼルの瞳、短く刈り上げたアッシュブロンドの髪に色白の磁器のような透き通った肌の女だ。
キリッとした目鼻立ちで、姿勢良く立って俺を見てにこやかに微笑んでいる。
鈍く光る鎧は薄く軽く作られているがとても硬そうだった。
辺りには血まみれの竹串ほどの金属の槍と、俺の傷口を拭いた布が、沢山積み上がっていた。
手をついて立ち上がろうとして、失敗した。腕は奇妙に折れ曲がっていて、手はうまく開かない。
改めて己の姿をまじまじと見る。
腕や手と思っていた部分はコウモリのような大きな翼になっていた。鎖骨は大きく後ろにひしゃげ、肩甲骨が後ろに引っ張られているかのように、腕は前に回せない。親指は翼の中ほどの小さな鉤爪となり、それ以外の指の間には膜が張り、翼の大半を形作っていた。
あちこちに包帯を巻かれた身体は青紫に輝く玉虫色の鱗に覆われたトカゲのようで、後ろの方で腰から上と同じくらいの長さの尻尾がとぐろを巻いている。脚は太く短く折り曲がって鋭い爪がついていた。
俺は飛竜だった。
「……俺は一体……どうなっちまったんだ……」
「Vi eble sentas doloron. Vi devas dormi.」
彼女は俺の頭に近づくと、優しく瞼に手を載せた。もう少し寝ておけと言うことだろうか。
夢か現かわからない。しかし、なってしまったものはどうしようもない。再び全身に軋むような痛みが走る。
俺は目を瞑ると静かに長い首を下ろした。
彼女が静かに何かを歌いだした。聞いたこともない音階のそれは子守唄のように何故か懐かしい響きに聞こえた。
そして全身の力が抜けて行くのを感じていた。
用語解説
・飛竜
竜の頭、蝙蝠の翼、鳥のような脚、蛇の尾を持つ空を飛ぶ竜。頭の先から尻尾の先までの全長は五メートルから七メートル程。翼を広げるた全幅も五メートル程。おおよそ4トンダンプカー程度の大きさ。
人間で言うところの腕の部分が翼になっているため、手はない。翼の上部に小さな鉤爪がついているが、あまり器用ではない。角はあったりなかったり。全身は尻尾の先まで硬い鱗に覆われていて、鱗一つはだいたい手のひらサイズ。尻尾は全体重の二割程度の重さがあり、すばやく動く筋肉で出来ているので、主に空中での姿勢制御に使われる。尻尾を木の枝などに巻き付ければ全身を支えてぶら下がる事もできる。
脚は鷲や鷹のような猛禽類の形で、前に三本、後ろに一本の鋭い爪がある。握力は強く、大型バイク程度なら掴んで持ち上げられる。脚力もあり、地上を走れば自転車程度の速度は出せるうえに、垂直にも四、五メートル程度はジャンプできる。平地でも脚力に加えて尻尾を地面に叩きつけてジャンプすることで、静止状態からすばやく離陸できる。
・竜騎士の言語
お気づきの方もいらっしゃるかもしれないですが、女竜騎士が使っている言葉はとある人工言語です。
簡単に単語を解説しておくと、Mi=私、Vi=あなた、Vundos=傷つける、Drakoj=竜騎士、Doloron=痛み、Dormi=眠りと言った感じです。
グーグル先生に聞くと答えが分かってしまうのですが、言葉が通じないというのが本作のポイントの一つでもありますので、なるべく通じないまま読み進められるようにがんばります。