相手は死ぬ
Attention!
グロ表現あります
恐怖を煽る表現あります
『今すぐ逃げろ!』
頭の中に声が響いた。少年の声だ。ああ、俺はついにおかしくなってしまったのかもしれない。いや、この状況が全て幻覚だとしたら、幻聴が聞こえるのも不思議じゃないんじゃないか?
『つべこべ言わずに逃げろって言ってんだよ!』
つべもこべも言っていない。
『うるさい! 言葉のアヤだ』
ふむ、幻聴と会話しているこの状態はなかなか不思議だな。ただ後から考えると、この時俺は「つべこべ言わずに」さっさと逃げるべきだったんだ。俺って、ほんとバカ。
「ひぃっ!」
近くにいたグラマラスなお姉さんが挙げた悲鳴で、俺は我に返った。眼前にはやはりアレがいる。しかし様子が変だ。
猫が毛を逆立てるように、形容しがたい生物のようなものが無数の首を伸ばしている。カメラのような目が見開かれ、その表面に奇妙な色が映る。あれは……なんだ? 目を凝らして見ていると、その中の一つの顔と目があった。
「え……」
顔がにいっと笑った気がした。ぐぅんと首がのび、俺の眼前15cmくらいのところにやってくる。近い。それはケタケタと笑っている。
《r※mem◆er!》
《r慚me※be☆.》
《r@m?mb鏈r?》
何度も繰り返しながら目を合わせてくる。
目の中に映像が見える。いや違う、映像が俺の頭に流し込まれている。
白いあひるがにやりと笑った。
縛られた少女の体が腐り落ちる。
大きな卵から病が飛び出す。
生きた赤薔薇が人形を砕く。
フィルムが巻き戻るようにくるくるとかわり、最後に黒髪の少女がこちらを見た。
普段ならここで、美人だけど好みじゃないな、とか言えるんだけど、今の俺にそんな余裕はなかった。
その顔がどうしようもなく怖かった。死そのもののように思えた。指が冷たい。目の前がチラチラする。
俺は映像を写す目からむりやり目をそらし、どこかへ逃げようとした。俺はここで、転移物のセオリーについてもっと深く考えるべきだった。ここまでセオリーに則って来たのだから、心の準備をするべきだった。
振り返って、周りを見ると、一面赤く染まっていた。
首のない屍体がゴロゴロ転がっていて、首からは鮮血が吹き出していた。無数の顔が、無数の首を咀嚼していた。脳髄が唇から垂れている。血管を、神経を、スパゲティを食べるように啜っている。骨を噛み砕く音、目玉の潰れる音、いろんな音が聞こえる。エグさ五割増の某考古学者の映画(二作目)みたいだ。
まるで悪夢を見ているようだった。
《u亜kn※wn f縺?t……》
《繝ウkn��� unknown》
《䑯⁹潵 kn0w 湩杨瑭mates?》
《乯⁎ No……?nkn※w煉ble ��� him》
《eat e※t e?? 撞�畭》
《cous ※※※※ !齟�s he #@ fo?l》
後ろから声が聞こえる。ガサガサとした壊れたテープのような音が俺に囁いてくる。首に垂れるこれは誰の血だろう。
俺は持っていた剣を見た。俺はどうして、後生大事に剣なんて持っているんだろう。盾はもう手放してしまったのに。ああ、脂汗で柄がぬめる。俺はこの期に及んで戦うつもりか? 剣なんて使えるのか?
無理だ。
足が震えて、逃げることもできない。クスクスクスと、何のものかしれない声がする。
近づいてくる。
近づいてくる。
近づいてくる。
業務用冷蔵庫に入ったときのような寒気が体中を包む。頼むから、頼むからもうひと思いに殺してくれ。井戸から出てくる美女みたいな真似はやめてくれ。
『あぁ、もう、馬鹿、だから逃げろって言ったのに』
今更言っても遅い。俺はもう死ぬんだから。
『過ぎたことを恨んでるわけじゃない。歌え』
は?
『マザーグースがいいな。一つくらい歌えるだろ?』
はあ。
『歌えば相手は死ぬ。歌え』
いや、エターナルフォースブリザードか。
そう言われても納得できるものじゃないし、子守唄といってパッと出るもんじゃない。ただ、背中のアレは相変わらず怖い。
よし、歌おう。
『よぅし、その粋だ』
《繝ウkn��� f■?l》
うるさいうるさい。
マザーグースといえば外国の子守唄だろ。外国の子守唄といえばあれだろ、あのミステリーに出てくるやつだろ、インディアンが死ぬやつ。いやあれは違ったか? あ、あれだ、ロンドン橋が落ちる!
今の俺は相当間抜けだなと思いながら、歌う。
『なかなかいい選曲じゃないか』
脳裏の声がやけに大人びたと思ったら、俺の足が勝手に引かれて、体が反転する。
「なっ」
化物に向き直る。ぐちゃぐちゃにされた小麦粉粘土みたいな顔を歪めてソイツは笑っている。口の端に茶色の髪の毛が見える。戻りかけていた平常心が一気に消えた。SAN値直葬とはまさにこのことだ。
『止めるな、歌え』
その声の冷たさに気圧されて、歌を続ける。声が震える。俺の右手の剣が振られ、一番近い頭が切り落とされる。消しゴムをカッターの背で切ったときみたいな、変な手応えだ。噴き出した虹色の血が俺を濡らす。口の中に入る。不味い。それを吐き出して、また歌う。
無数の頭が黒板を引っ掻くような悲鳴をあげて、後じさりした。俺の体はそれを追って強く踏み込む。うう、足が痛い。俺を取り囲もうとする首を切りながら、ソレの中へ中へと入っていく。俺の中の少年は何かを探しているようだった。
振るった剣が何か固いものに当たって弾かれる。あの、腕が痛いです。
『僕も痛い。あった』
目の前にあったのは、極彩色のミミズの塊である。そこから手や足や顔が生えているらしい。30cmくらいの球体で、表面はうねうね動き、脈打ち、なんというかとにかく気色悪い。お前こんなん探してたのか。
『核を叩けば死ぬ。定番だろ?』
確かに。じゃあこれが核なんだな?
『いや、これは心臓だ』
あ、そう。重要な部分ってことで『核』って言葉を使ったんだろ、わかってるよ。
『……簡単に言うと』
そう言って俺は剣を振りかぶり、
『心臓は心臓で核は脊髄だ』
その心臓に、剣を突き立てた。
お使いの端末は正常です。
2018/03/03 改稿しました