第3章13 【棒球の意地】
パーン、パーンと一定のリズムで破裂音が球場に響く。三塁側、内野と外野の中間あたりのファールゾーンにブルペンがある。そこでいつものように1球入魂で投げているのはジーウェイだ。
試合前、調整の意味を込めて俺は外野ポール間をランニングしていた。ジーウェイから最も離れた右翼ポール付近にいても、ボールがミットに収まる音がはっきりと聞こえる。常に全力投球。アップなどお構いなしと言わんばかりにボールを放る若き右腕が頼もしく見える。
この異常な投球練習を見て、徐々に観客もざわつき始めた。
「なんだあのピッチャーめちゃくちゃ速くない?」
「ブルペンであんなに力入れてたら、試合始まる前に疲れちゃうんじゃないの」
ランニングを続けていると、そんなファンの声がフェンス越しに聞こえてくる。確かに体力が力尽きてしまうように見えるが、ジーウェイは投げて体力を養ってきた。
「投げて疲れたことなんてないよ」
と以前ジーウェイが胸を張っていた。実際、昨季のデータを調べてみると登板した試合のほとんどは完投をしていた。しかも体力的に1番辛いはずの8回や9回でも150キロを超える速球をバンバン投げていた。無尽蔵のスタミナ。投げきる体力が課題の俺にとってはうらやましい限りだが、決して真似できるものではない。
何往復しただろうか、埼玉とベアーズのスターティングメンバーの発表のアナウンスが流れてきたのを合図に引き上げることにした。
「先攻、桃園ベアーズ。1番センター、チェン・ジェンフ。背番号1」
アナウンスに一瞬目を丸くした。ベアーズ不動の4番打者であるジェンフを先頭打者に持ってきた。より打席に立たせてコンディションを上げさせようというリン監督の考えなのだろうが、思い切った采配だ。開幕前だからできることなのだろうか。
ベンチへ戻る途中、ブルペンの脇を通った。試合が近づき、集中力が高まってきたのか、より真剣な表情をしている。下手に邪魔をしないように何も声をかけずに通り過ぎる。
「お疲れ様です。ジェンフたちが相手投手の特徴を聞きたいみたいですよ」
ベンチに入るやいなや、ミーリンが歩み寄ってきた。彼女の背後にはジェンフを始め、3人の野手が立っていた。マウンドに目をやると、埼玉で長らく先発ローテーションを守り抜いている投手であったため、どんな投手であるかは把握していた」
「球速は平均140キロ前後。速くて145キロぐらい。決め球はフォークだけど、追い込むまではスライダーと真っ直ぐでカウントを稼いでいくタイプかな。他にもカーブとシュートも投げるけど、試合の後半までは捨てるぐらいの気持ちで良いと思う」
俺の助言をミーリンが訳す。3人とも頷きながら聞いている。ミーリンが一通り話したところで、ジェンフが口を開いた。
「広瀬さんが彼だったら、先頭打者に対してまずは何を投げる?」
うーんと、1度間を置く。これまで投げ合った試合や、見た映像などの記憶を呼び戻す。だが、ワンパターンで配球を決めるはずはない。練習試合、まだ開幕前ということを考えて、「スライダー」と答える。
「Why?」
「あの投手はスライダーが1番の武器だ。ジェンフが台湾有数の打者だっていうことは試合前に確認済みだと思う。ジェンフがどういうタイプか様子見で入るはずだ。外角低めのスライダー、バッターが初球から手を出しづらいコースに投げるっていう予想かな」
ミーリンがペラペラとジェンフに伝える。25歳の若きスラッガーは腕組みをしながら聞いていた。
「OK」
ジェンフが手を叩き、なにやら俺に話しかけてきた。
中国語で聞き取れなかったので、ミーリンに助けを求める。当のミーリンは「広瀬さんに乗ったって言ってます」とにっこり笑った。
「外れても恨むなよ」
「外れたら寿司をおごってもらうよ。ミーリンの分もね」
ミーリンを介して軽口をたたき合う。
「私はお寿司食べたいから外れてもいいですよ」
「そんな呑気なこと言わないでくださいよ」
眉を下げると、ミーリンは右手を口元に当てて「ふふふ」と微笑んだ。
各選手のウォーミングアップが終わり、試合開始目前となり、埼玉の選手たちが守備位置についた。先頭打者のジェンフがバッターボックス付近で素振りをしている。
「今日は広瀬さんお休みですけど、仲間の姿きっちり見ておいてくださいね。ジーウェイとジェンフは特にやる気満々ですから。頼もしい味方たちですよ」
三塁ベンチの後方、1番隅の場所に俺は陣取っていた。そこにミーリンが歩み寄り、腰を下ろした。
「しっかり見学します。文字通り見て学ぶ、って感じです」
「広瀬さんは勉強熱心だからなあ」
「活躍しないといけないですからね」
キャンプ中、今後対戦するであろう台湾打者たちの動画や、自分の投球フォームを見続けている。体を動かしていない時のほぼすべての時間を研究に当てている。そんな宿舎での姿をミーリンは見ていないはずはなかった。
「1番、センター、チェン・ジェンフ。背番号1」
「さあ、始まりますよ」
打席に入るジェンフに対するアナウンスがされ、ミーリンが手を叩いた。審判の右手が挙がり、試合が始まる。
「スライダースライダースライダースライダー」
ミーリンが呪文を唱えるように呟く。両手の手の平を相手投手へ向け、念を送っているような動作を取る。
相手投手がノーワインドアップから、足を上げる。力感のないフォームから腕を振り抜く。
「あ」
「あ」
投手がリリースをした瞬間、軌道から直球ではないことが分かった。俺とミーリンは同時に言葉にならない声を発した。
「あー!」
「あー!」
間髪を入れずに再び声を上げる。俺の予想通りのスライダーが投じられた。それをジェンフが鋭く振り抜き、打球がライト方向へ高々と飛んでいった。
ライトスタンド後方に張られた防球ネットに打球が突き刺さった。それほど広くない球場ではあるが、日本の広い球場でも中段まで届くような大きなホームランだ。
「さすがだな」
ダイヤモンドを回るジェンフを見て、頬を緩める。狙った球は確実に仕留める。投手としてこれほど頼もしい仲間はいない。日下部に対しても同じことを思ったが、絶対的な信頼をおける打者がいるのといないとでは、心の持ちようがかなり変わる。と、同時につくづく敵でなくてよかったと胸をなで下ろす。




