第3章11 【見知った相手】
「いってらっしゃい」
ミーリンからの言葉を背に、マウンドへ駆け出す。
キャンプが始まってもう1カ月が経とうとしている。練習や調整重視のメニューが終わり、実践形式のものが増えてきている。
我が桃園ベアーズの1軍はいまだ沖縄に残り、3日前から練習試合を行っているところだ。初戦は韓国の、2戦目は四国の独立リーグのチームと対戦した。どちらも若手主体で臨んでいて、今日から主力が試合に出始める。
主力からすれば、プレシーズンマッチの開幕戦となる。そんな試合の先発マウンドを託されたのは俺だった。
相手は埼玉。昨年6度も対戦をし、5勝1敗と相性がいい。リン監督もそれを踏まえた上で、気持ちよく投げさせようと考えているのかもしれない。
しかし、まだ開幕投手の座をジーウェイと争っている。そんな中、事実上のオープン戦の「開幕」を言い渡されたのはただの日程上や相手の相性の都合だと言い切れないだろう。普段の調整登板とは違って、シーズン中のような緊張感がある。結果を出さなければ、開幕投手を任せてはくれない。
今日は3イニングの予定だ。全力で打者に立ち向かっていく。
「桃園ベアーズの先発ピッチャーは広瀬豪也。背番号17」
温かい拍手に体が包まれる。相変わらず注目度は高い。例年のオープン戦よりも観客が入っているように思える。
投球練習を終え、打者が左打席に入る。埼玉のラインナップを見ると、まだベストメンバーとは言えない顔ぶれだった。強打を誇るチームだが、このメンツであれば普通に投げれば問題はない。だが、ただ単に抑えるだけではアピールではない。
3イニング圧倒しなければ。それでジーウェイからやっと1歩先に立てる。
捕手のサインに頷き、振りかぶる。スムーズに体重移動をして、腕を振りぬく。
「ストライーク」
審判の右手が上がる。外角低めに直球が決まった。高さもコースもストライクゾーンぎりぎり。最高の球だ。バットも出なかった・
捕手がよしよし、と首を縦に振って、返球をする。それを捕って、プレート後方に置かれたロージンバックに手を伸ばす。
時間を置き、自分のタイミングで投げる。打者のペースに持ち込ませないことはピッチングの基本だ。
一息入れ、プレートに右足をつける。再びサインに頷き、ゆっくり構える。大きく息を吸って、吐いて、また足を上げる。
直前と同じコースに直球を投げ込む。打者はピクリともせず、2ストライク。追い込んだ。
今度は返されたボールを受け取ると、すぐに構え、投げる。虚を突かれた打者は直球に中途半端なスイングをして三振。まず1人打ち取った。
間を支配する。今年のテーマはそれだ。単純に良い球を投げても打たれることはある。相手もプロなのだから当たり前だ。だが、自分のペースに持ち込んだり、逆に相手が考える隙を与えずにポンポンと放ったりすれば、打ち返される確率はどんどん減っていく。
続く2番打者初球を打ち上げ、サードフライ。あっという間に2アウトまで来た。
「3番、ショート、西郷。背番号7」
見知った相手ではあるが、この打者だけ見覚えがなかった。いや、埼玉打線の中で見たことがないだけで、西郷という名はもともと知っていた。
その男は大きな拍手とシャッター音を一身に受け、堂々と左打席へと歩を進めている。まったく新人らしくない態度だ。
西郷明宜。埼玉のドラフト1位ルーキーだ。高校3年生の夏、甲子園の本塁打と打点記録を塗り替え、優勝。その段階から全国区の知名度であったが、プロ入りをせず、父親が指揮を執る社会人チームに入団した。そこで3年間技術を磨き、昨年の都市対抗野球でも本塁打と打点の記録を更新して、優勝。父親を日本一の監督にしたところで、プロの世界と舞台を変えた。
大卒ルーキーよりもまだ若い21歳。オリオンズでは高宮と白石と同い年。当然プロ入りを表明したときから注目の的だった。打者では西郷、投手は荻窪、と昨年のドラフトの目玉とされていた。
荻窪と同様に4球団の競合を経て埼玉に入団。まさかこんなにも早く対戦するとは思っていなかった。
日下部から始まり、台湾ではチェン・ジェンフ。そして西郷。次から次へと強打者が現れてくる。
とは言っても相手はルーキー。社会人とプロではレベルが違う。これまで通りで投げれば大丈夫だ。
捕手も、観客のただならぬ声援に警戒したのか、初球はスライダーを要求してきた。それに対して俺は首を横に振って拒否する。一瞬目を丸くした捕手は、俺の意図を察知したのか、直球のサインを出してきた。
それだよ、と捕手にアイコンタクトを取る。体の底から湧き出る高揚感を必死に抑えながら構える。
「打てるものなら打ってみろ」
誰にも聞こえないようにつぶやき、投球動作に入る。全力で腕を振る。
真ん中高めの直球。打者にとって最も手を出したくなるコースだ。そこにあえて投げ込む。西郷も例外ではない。右足で踏み込み、ボールを捉えようとスイングをする。
「ブンッ」
バットが風を切る音がマウンドまで届いた。ホームから18.44メートル離れた場所まで、ここまではっきりと聞こえるのは稀だ。プロでもトップレベルのすさまじいスイングスピードだ。しかし、ボールはキャッチャーミットの中。空振りだ。
西郷のスイングにどよめきが起こる。相手ベンチや観客はもちろん、ベアーズ陣営からも驚きの表情を見せているものが多い。
「ワーオ」
「ナイススイング」
ベアーズのベンチと背後から楽しげな声が聞こえる。俺以外にもこの打者に対して、ワクワクしている者が2人いる。ジーウェイとチェン・ジェンフだ。
捕手はやはりスイングに恐れを抱き、スライダーを要求してくる。しかし俺はそれを拒否する。
ならばと次はカーブのサイン。それも断ると、半ばあきれ顔で直球のサインを出した。
先頭打者に対して投げた初球や2球目と同じ球を狙って投げる。そこに思い通りに球がいくと、西郷は再び空振りした。
「広瀬さん、いい球ね」
ミーリンがポンポンと手を叩く。彼女は単なる通訳ではなく、投手コーチのような風格がある。
2ストライク。ここまでくると捕手は最初から直球を要求してきた。好きにやれよ、とこちらに乗ってくれた。
「やるなら力でねじ伏せろ」と捕手が構えたのは真ん中高め。台湾人と日本人ということで、日常生活ではコミュニケーションを簡単に取れるわけではないが、グラウンドではそうではない。なんとなく相手の考えや心情が分かる。
「当たり前じゃないか」
捕手に再びアイコンタクト。それを理解したのか向こうもうなずいた。
これまでで1番速い球。それを狙う。
ゆっくりと足を上げる。グッと体を低く、かつ勢いよく右足でプレートを蹴る。肩甲骨から指先まで、1本のムチだと想像する。腰を回し、遠心力を使ってそのムチをしならせる。
「ブンッ」
西郷は三度空振り。しかしどれも素晴らしいスイングだった。三振に倒れた西郷は悔しがるどころか、こちらへ白い歯を見せてきた。
「次は負けませんよ。ナイスボールでした」
まったくふてぶてしい奴が入ってきたものだ。
「それまでにしっかり練習しておけよ。俺もまだまだレベルアップするからな」
軽口に対し、軽口で返す。




