第3章番外編2 【それぞれの夏・準決勝】
タイムがかかり、捕手と内野手陣が自分のところに集まる。ベンチからは伝令役の小林が全力疾走で飛び出してきた。
「ピンチの時こそ平常心で。勝ってるのは俺たちだから弱気になるなって監督が。いいか、あとアウト1つだ。あんなに厳しい神奈川大会を勝ち抜いてきたんだ。甲子園でもここまで来られたんだから。絶対大丈夫だ。落ち着いていくぞ」
小林が喝を入れる。皆、お互いの顔を見合いながら、真剣に首を縦に振る。背番号15をつけた小林は自分たちの頼れる主将だ。残念ながらレギュラーにはなれなかったが、チームで一番声を出し、チームを励まし、時には叱責してきた小林を誰もが信頼している。彼が大丈夫だと言えば大丈夫なのだ、と妙に安心感がある。
「白石、自分を信じて投げろ。お前が一番練習してきたのは俺が知ってるから。3年間のすべてをぶつけてこい」
小林が俺の背中を叩く。内野手陣から「打たれたら俺らに任せろ」と頼りになる言葉をかけられ、各々の守備位置へ散っていった。
夏の甲子園準決勝。学校的には3年ぶりの10度目の出場で初のベスト4入りだった。そのまま初優勝へ。勢いに乗っての準決勝だった。
3対2で9回裏まで来た。準決勝ということもあり、今まで以上に観客が入った試合だった。先頭打者をレフト前ヒットで出すと、劇的な試合展開を望んでか、自分たちは完全アウェーの状態になった。
超満員の観客が敵になったような気がした。
相手高校の応援に合わせて手拍子をする人が増え、自分が投げ、ボールになると、歓声が沸いた。
今まで自分たちは文字通り死ぬほど練習をしてきたが、アウェーで野球をする練習なんかしたことはない。
平常心でいられるはずはなかった。途端にストライクが入らなくなり、四球で走者を出したが、後続を打ち取り、なんのかんので2死までたどり着いた。
あと1人のところで、相手の応援がさらに大きくなっていった。プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、必死に投げ、内野ゴロに打ち取った。なんの変哲もない内野ゴロ。普段なら簡単に捌ける打球を、三塁を守る森下が処理し損ねた。
9回裏2死満塁。そこで守備のタイムが取られ、小林が駆けつけた。
小林の登場で浮き足立っていた自分たちが地に足がついた気がした。そうだ、いつも通りだ。小林ありがとう。
「4番、ショート、西郷くん」
大きな声援が左打席に降り注ぐ。360度、敵だ。自分たちは嫌われているのだろうか。同じ高校生同士の対戦なのに、なぜここまで差がつくのだろうか。理不尽すぎる。そう考えると、ボールを握る手に力が入る。
外野手陣は二塁走者が一気に本塁まで来るのを阻止するため、前進守備を敷きたいところだが、相手は大会屈指の強打者。うかつに前に出られない。
セットポジションの構えから直球を投げる。外角高めに球が浮いてしまい、バットに当てられるが、打ち損じたのか、高々と上がった打球が三塁側スタンドに消えていった。
「集中、集中」
自分に言い聞かせる。失投が命取りになる。気を引き締めないといけない。
2球目は外角低めに外れてボール。3球目は内角真ん中にスライダーが決まって追い込んだ。
追い込まれた瞬間、相手打者が白い歯を見せた。ストライクゾーンギリギリにスライダーを投げ込んだため、こちらとしては完ぺきなボールだった。「良い球だなあ」と感心して笑ったように見えた。
「なんでそんなに余裕があるんだ」
相手にとって後がない状況だ。それなのに笑える余裕がある。全国にはこんなバッターもいるのか。とんでもないバケモノを相手にしているのかもしれない。
長打警戒。外角の低い球を徹底的に攻めて、強い打球を打たれないようにしなければならない。何度も自分に言い聞かせるが甘い球を投げたら持っていかれる。
「うっせーな」
やかましいぐらい大きなアゲアゲホイホイが聞こえてくる。球場が一体となった大応援を止めるためには、この打者を抑えるしかない。
苛立ちで力んでしまった。4球目は外角高めに抜けてしまった。2ボール2ストライク。
「あれだけ言い聞かせたのに」
自分に喝を入れるために心臓の辺りを2度拳で叩く。
帽子を取り、額の汗を拭う。ここまで来たらもう気持ちの勝負だ。
セットポジションで構え、静止する。足を上げ、全力で投げ込む。
外角低めに、キャッチャーが構えたところドンピシャにボールがいった。バッターはバットを出さず。勝ったと思った。
「ボール」
主審が首を横に振った。キャッチャーの中野はうなだれ、球場はどよめきに包まれた。自分も思わず肩を落とした。
中野が主審に何か尋ね、審判が一言返した。その後中野がタイムをかけ、こちらに駆け寄ってきた。
「若干低かったらしい。でも今のは最高の球だった。バットがピクリともしなかったのが不気味だけど、今のでいいぞ」
中野がそう言いながらボールを手渡し、再びホームへ戻っていった。
とは言われても、カウントは3ボール2ストライク、フルカウントだ。次ボール球を投げれば、押し出し同点。相手に流れが行きかけているこの状況でそれは最も防がなければならない。
もう自分が一番自信を持っている球、直球で押し切るしかない。ストライクゾーンの中で勝負をする。
「ファール」
6球目。直前よりもボール1個分高い、最高のコースに球がいったが、バットがかすめ、バックネットに打球が突き刺さった。
再びどよめきが起こる。息の詰まる展開。相手バッターは再び表情を緩めた。
中野のサインを見る。向こうも自分の気持ちと同じだった。直球のサインを迷うことなく出した。
汗が右腕から手首の方に流れる。ジリジリと突き刺す真夏の日差し。小学生の頃、憧れたあの投手もこんな暑さの中投げていたのだろう。
あれだけ憧れていた場所に自分が立っている。本当に夢のようだ。
しかしアゲアゲホイホイが自分を現実に引き戻す。このバッターを抑えて、決勝に進む。そこでも勝って、あの投手と同じ優勝投手になってやる。
左足を上げる。右手が地面につくぐらい右肩を下げてテイクバックを取る。
まさかりを担いで投げるように、腕を振り抜く。コースは多少真ん中に入ってしまったが、高さは低めギリギリ。悪くない。
「キンッ」
金属バットにボールが当たり、甲高い音がした。低く鋭い打球が一、二塁間に転がった。
セカンドが横っ飛びをしてグラブを伸ばす。しかし無情にも打球はそのグラブをかすめていった。
「おおお!」
割れんばかりの大歓声がわき起こる。内野を抜けた。反射的に急いでホーム後方に周り、ボールカバーに入る。よく考えれば、二塁走者が帰れば、サヨナラ負けのため、カバーの意味などないのだが、 身体が勝手に動いた。
三塁コーチャーが右腕をぐるぐる回していた。二塁走者が三塁を蹴り、ホームへ向かった。
転がった打球をライトが前進しながら捕球する。そのまま素早くステップをして、バックホームする。
「刺してくれ!」
懸命に叫ぶ。
「頼む!」
「刺せ!」
自分だけじゃない。小林が、ナイン全員が皆心の底から叫んでいた。
「ノー!」
中野が指示を出し、カットマンの一塁手が送球を見送る。ワンバウンドで中野のミットにボールが収まった。そのタイミングで二塁走者が滑り込んできた。クロスプレーだ。
「セーフ! セーフ!」
審判が勢いよく両手を広げた。逆転サヨナラ負け。球場全体が劇的勝利の相手校をねぎらった。
思わずその場で崩れる。負けた。終わった。そう考えると涙が溢れた。そのすぐ隣で、生還した二塁走者を中心に歓喜の輪ができていた。




