第3章番外編1 【それぞれの夏・準々決勝】
「ピッチャー、広瀬くん」
守りに入る俺たちの守備の紹介がアナウンスされる。俺の名前がコールされた瞬間、拍手が巻き起こった。
夏の甲子園準々決勝の第2試合。11時試合開始ということで、これから気温が上がってくる時間帯だ。夏の日差しが体力を奪っていく。優勝まで今日を入れて3試合。1人で投げきるためには省エネ投球を心がけていく。
いつもより力を抜いて投球練習をする。得点圏に走者が出てから本気を出せばいい。それで十分だ。
「意外と大したことないな」
世間的にはお盆開けではあるが、甲子園球場は超満員だ。何度投げても甲子園のマウンドは別格だ。こんなに気持ちよく投げられる場所はない。だが、相手はどこも弱すぎる。もう少し手応えのある相手と勝負をしたい。
「プレイボール」
主審が右手を挙げる。サイレンが響く。
「今日は変化球主体で打たせて取る投球な」
試合前、捕手の高橋と打ち合わせした通り、初球からスライダーのサインだった。頷き、振りかぶる。なぜ甲子園大会にはコールド勝ちはないのか。球児たちの体調の心配をするなら、そこから始めてほしい。俺らのチームだって、まともにやれる投手は俺しかいない。2番手以降など何点リードしていても油断できない。投球制限よりも、そういうチームに取ってはコールド勝ちしてさっさと試合を終わらせてくれた方がよっぽどありがたい。
「ストライーク!」
審判の右手が挙がる。相手左打者の内角低めに決まる。相手打者はバットをピクリとも動かさなかった。
「今日も余裕だな」
もう一度、スライダーを投げる。今度は相手の外角ボール球からストライクゾーンに入る球を投げる。これも決まって2ストライク。早くも追い込んだ。
「見せ球なんか投げる必要ないな」
最初ぐらいは力を込めてもいいか。真ん中高めに思いっきり直球を投げ込む。ミットにボールが収まってから、相手のバットが回るほどの振り遅れていた。
観客が三振に大きく沸く。普段よりもそのボリュームが大きい。ボールを返され、それとなくバックスクリーンを見ると、155キロの表示がされていた。
西東京の予選決勝以来の自己最速タイ。人生で2度目の球速だった。甲子園での最速はノーヒットノーランを達成した2回戦時の153キロ。ここに来て状態は上がってきている。
それでも今日は我慢だ。俺たちは優勝するために甲子園に来たのだ。計画的に投げていかなくては水の泡だ。
続く2番打者は3球すべてスライダーで空振りを取った。やっぱりこのチームも大したことない。
3番打者も初球のチェンジアップを引っかけあっさりサードゴロ。わずか7球で初回の守りが終わった。
「ナイスサード」
三塁手とハイタッチをして一塁側ベンチへ駆ける。拍手が俺を温かく包む。
ふと、ベンチ上一番前の席に座っている少年が目に入った。野球少年だろうか、こちらに向かって目をキラキラと輝かせ、力一杯手を叩いている。
「ごめんな少年、今日はあまり本気で投げないんだ。せっかく甲子園に来たと思うけど、許してくれ」
誰にも聞こえないように小さく呟く。
大会ナンバーワン投手と言われる俺を観に来ている観客も大勢いるだろう。嬉しいことだが、だがらと言って力むのは良くない。抜くところは抜かないといけない。
「7球か。最高の立ち上がりだ。打線でしっかり援護していけよ」
ベンチ前に円陣を組み、監督が発破をかける。ナインが一斉に「はい」と短く返事をする。
ベンチに入り、一番奥の列に座る。控え選手たちがスポーツドリンクの入ったコップや、冷たいタオルを差し出してくる。「ありがとう」とそれらを受け取り、体力消耗を防ぐ。
「高校生らしくないかな」
さっきの少年が脳裏から離れない。彼も投手なのかな。俺を手本にして練習しているのかな。彼も甲子園に辿り着くのかな。と試合に関係ないことが頭に浮かぶ。
「なあわがままいいか?」
隣に並んだ高橋に話しかける。
「次の回は全力で投げてもいい?」
「監督にどやされるぞ」
「調子悪くないし、1イニングぐらい変わらねえって」
「仕方ねえなあ」
高橋が坊主頭を掻く。
「俺の高校3年間はな。お前に振り回されっぱなしだよ。それについて行って女房役ってもんだろ。でも次の回だけだからな、わがままは」
「ありがとう」
両手を合わせて高橋に感謝する。
そうこうしている内に攻守交代となった。こちらも初回は無得点。だが先制するのも時間の問題だろう。俺が打たれなければ負けることはない。
駆け足でマウンドに向かう。淡々と投球練習をし、4番打者が打席に入る。
次の回はあの少年のために投げよう。名前も知らない少年。彼が俺に憧れて、後を追って甲子園で投げて、そしてお互いプロの世界で再会できたらこれ以上ない幸せだろう。
高橋は直球のサインを出した。「ありがとう」と再び感謝をする。
「ストライーック」
バットが空を切り、ミットに球が収まる。初回の先頭打者の時以上の歓声が沸く。
156キロの表示を見て、思わず笑みがこぼれた。




