第3章8 【エースのプライド】
良い投手の条件とは何か。速い球を投げることか、切れ味抜群の変化球を投げることか。それとも正確無比なコントロールを持つことか。
100人に聞けば100通りの答えが出てくるだろう。誰が何を思おうが、どれも正解だ。
ではもしそういった質問が俺にされたらなんと答えるか。
投手としての誇りを持っている投手が良い投手だと思う。
野球というスポーツは団体競技であるがマウンドは孤独だ。球場にいるすべての視線が集まる場所でもあり、すべてのプレーが始まる原点でもある。
その場所に1人だけ立てるのが投手だ。
そんな神聖な場所に立つことを任されるためにはチーム全体の信頼があってこそだ。マウンドを託された意味を考えずに立っている投手が最近多い気がする。
誇りを大切にするからこそ、練習にも熱が入るのだ。だから速い球も鋭い変化球も投げられるようになっていくし、コントロールだって良くなる。そうやって投手というものは成長していくのだと思う。俺も普段からそれを戒めながら練習してきている。
そんなプライド全面に出して投げる人物が目の前にいた。打撃練習であるのに、本気で打者を打ち取ろうとしている。さっきの俺もそんなことを考えてはいたが、まだまだシーズン開幕前で頭の中には「あくまで調整」と言い聞かせてはいた。しかし、目の前で投げるジーウェイにはそんなことを一切考えていないようだ。
空振りを取れば派手にガッツポーズを取り、打たれれば膝を叩いて悔しがる。
「ジーウェイはいつもあんな感じなんですか?」
俺の隣に座って投球を見届けているミーリンに尋ねる。
「彼はかなりの負けず嫌いですからね。普段からよく見かける光景です。でも今日ぐらい気合いが入っているのは珍しいですね。やっぱり広瀬さんのせいですよ」
右手を口元に持っていき、ふふふと目尻を下げる。表情が豊かで愛嬌のある人だなと惹かれそうになる。
「俺のせいって、さっきのチェンとの対決ですか。確かに俺も打たせたくないって気持ちで投げましたけど」
「ジーウェイは今までベアーズの絶対的エースだったんですよ。ずば抜けていいピッチャーです。でも広瀬さんが来てその立場が揺らいできた。だからベアーズのエースとして負けないって思ってますよ。台湾一のバッターのジェンフさんと力勝負してバットを折っちゃうんですもん。目の前でそんなことされたら力が入って当然です」
「切磋琢磨ってやつですね」
「ここだけの話、ジーウェイは将来日本とかアメリカとかもっと高いレベルで野球がしたいって言ってます。自分の憧れる世界からピッチャーが来て、まともに張り合える相手ができて喜んでましたよ。彼の成長にはライバルが必要だって、球団が思ったんですかね。広瀬さんのベアーズ入りの理由の1つだと思いますよ」
「こう言っちゃあれですけど、1人の投手を育てるためにそこまでするんですか?」
日本では考えられないことではあった。いくら有望な選手がいたとしても、その選手を特別扱いしないのが当たり前だ。だがベアーズは戦力補強という大義名分はあるが、1人の若手投手のライバルをわざわざ海外から引っ張ってきた。
「そこまでしますよ」
ミーリンは投球するジーウェイを見つめている。
「ジーウェイは台湾野球の宝なんです」
元気に遊ぶ子供を見守る母親のように目を細めるミーリンの言葉に全身の毛が逆立った。
まだ20代半ばの若い投手にとんでもなく大きな期待がのしかかっているのだ。高校時代の俺の比ではない。単にファンや野球関係者の期待だけではない。台湾野球という歴史を切り開いていくことを義務づけられている。
リン監督のように長く日本野球で活躍した選手は数名いる。が、日本球界でMVPを取ったり、沢村賞を受賞したりと、日本で一番の投手になった例はない。メジャーリーグにいたっては長年戦力として定着した選手がほとんどいない。
そんな壁を乗り越える可能性がジーウェイにはある。
ブルペンや今の打撃練習を見て、彼の投球は本物だということは分かる。まだまだ荒削りだが、磨けば磨くほど輝くダイヤの原石だ。
これからパイオニアとして、これからの台湾野球の先駆けにならなければいけない。責任感とプライドがジーウェイの原動力なのだろう。
今日の投球ノルマである10球×3人の2人目まで終わった。まともなヒットは1本のみ。それ以外は打球を前に転がせることすら許していない。
目測ではあるが球速も150キロに迫っているところだろう。いや、もしかすると超えているかもしれない。それほど直球に威力があり、手元でかなり伸びている印象だ。
もしかしたら。余計なことを妄想する。
俺はジーウェイを育てることも台湾行きに課せられた使命なのではないか。ジーウェイを将来獲得するためにベアーズに恩を売ったのではないか。
またビジネスの匂いが、と眉間に皺を寄せるが俺の推測に過ぎない。
だが単純にまだまだ伸びしろがある、ホープがどれだけ伸びるのか見ていたい。彼に負けられないが、質問を受ければ丁寧に答え、俺の技術も吸収していってほしい。
ミーリンがおもむろに立ち上がった。ベンチを出て打撃ゲージの方へ向かう。打撃練習を見守っているスタッフの1人と一言二言やり取りをすると、小走りでこちらへ戻ってきた。
「広瀬さん聞いてください。さっきの広瀬さんの最高球速は147キロだったみたいです」
「意外と出ましたね」
ミーリンが話しかけたスタッフをよく見ると、スピードガンを持っていた。1球1球球速を測り、また球種はコース、結果をバインダーに挟めた紙にメモをしている。
「でも本当の目的はそれじゃないんですよね?」
「あは、バレちゃってますか」
ミーリンは後頭部を掻いた。あからさまに分かりやすいカモフラージュだったが、本来の目的の方は俺も気になる
「で、ジーウェイは何キロだったんですか?」
気合いが入りすぎている投球が気にならない訳がない。
「158キロだそうです。ちなみにジーウェイの最高球速は158キロなので、キャンプ中のこの時期にで並んじゃいました」
「はい?」
一瞬ミーリンが何を言っているのか理解できなかった。
シーズンへ向け調整をするキャンプのまだ4日目。その段階で158キロは異常すぎる。ましてや自己ベスト台湾。明らかに飛ばしすぎだ。これでは1年保たない。それともここからさらに仕上がっていくのだろうか。
「スピードガン壊れてないですよね?」
「今年新調したものなのでそんなはずないです。日本製で初期不良も考えられないですし、さっき聞きにいったとき、150キロオーバー連発してましたし、158キロというのは間違いないでしょう」
「とんだバケモノですね」
こんな逸材がいたとは。チェン・ジェンフにも同じことを思ったが、こんなにわくわくする選手が台湾にいるとは思わなかった。
投打の柱がしっかりすれば、台湾一も現実味を帯びてくる。台湾リーグは前期後期制だ。完全優勝も狙える。




