第3章5 【ニアミス】
つい先日台湾入りをしたのだが、その数日後にまた日本にいる。なんだか不思議な感覚だ。
ベアーズのキャンプ地が沖縄ということを知ったのはほんの1カ月前のことだった。台湾のチームは台湾でキャンプをすると思いこんでいたが、球団から送られてきた書類には「沖縄」の文字があった。
オリオンズもこの沖縄でキャンプを行っている。直接会う機会はないが、同じ県で野球をしていると思うと、感慨深くなると同時に若干寂しくも思う。
ミーリンいわく、今年からキャンプ地を変更したらしい。同じく沖縄や、宮崎にキャンプを置く、日本や韓国プロ球団や、独立リーグ球団と練習試合が組みやすいからというのが理由だと聞いた 。確かに台湾は4チームの1リーグ制。シーズン前から手の内はあまり見せたくないということなのだろう。
「ヒトガ、イッパイ、イマスネ」
ジーウェイが片言の日本語で話しかけてきた。彼は俺のことを気に入っているようで、コミュニケーションをよく取ってくる。普段はお互い拙い英語でやり取りをしているが、ミーリンから日本語を教えてもらっているらしく、このように日本語を使ってくるときもある。その一方で、俺もベアーズの一員としてチームに解け込めるよう、ミーリンから中国語を習っている。仕事以外に日本語と中国語をそれぞれ教えているミーリンの負担の大きさに申し訳なくなってしまうが、頼る人が他にいないので仕方ない。ミーリンも語学を教えるのが楽しいようで、いつもニコニコして丁寧に接してくれる。
「ヒロセサン、ベリーフェイマス、ダネ」
再び、ジーウェイがイタズラっぽく指を指してくるが、「いいからさっさと投げろ」と中国語で返す。
俺とジーウェイはブルペンで投球練習をしていた。キャンプ中はグラウンドだけではなく、ブルペンも一般に解放されている。誰もがその様子を見学できるのだが、キャンプ初日の今日は、人で溢れていた。マスコミもそれなりに多いが、野球ファンが圧倒的に多い。しかも、男女比が半々という珍しい光景だ。
ベアーズの沖縄キャンプ。俺が加入した球団ということもあり、注目度は高いというのは分かる。しかしそれだけでは俺とジーウェイが投球練習をしているブルペンのギャラリーが満員になるはずがない。
ジーウェイが中国語で何かを話すと、投球モーションに入り、ボールを投げた。心地良い捕球音がブルペンに響く。
「見てる人が多いっていうのは良いことだね。投げてて気持ちが良い。台湾ももっとお客さんが来てくれればいいのに、言ってますよ」
マウンド後方に佇んでいたミーリンが訳してくれた。球団の帽子を被り、Tシャツを着ている。女性がブルペン内にいるのは珍しいことだが、この日からミーリンが正式に通訳就任したのだ。常に俺に付き添ってくれるらしく、試合中もベンチに入ると聞いた。
「俺たちが活躍して、観に行きたいって思わせるしかないな」
俺はそう呟き、ボールを投げ込む。回転の良い直球が捕手のミットに収まる。一昨年の冬に変えたフォームが安定してきた。昨シーズンは足の踏み位置や身体を開くタイミングなど多少のばらつきがあったが、その誤差がなくなってきた。去年以上のボールを投げられそうな手応えがある。
その時、ブルペンが大きな声援と拍手に沸いた。一体何事かと思ったが、笑顔で右手を挙げて応えるリン監督の姿が見えた。
「そういうことか」
思わず頬が緩む。一方、ギャラリーの大半が俺目当てではないことを悟ったジーウェイが再びこちらに視線を寄越す。「ドント ウォーリー」と笑うのを尻目に投球練習を続ける。
精悍な顔立ちに球史に残る活躍。リン監督の人気は日本でもすさまじいものだった。そんな人物が引退以来初来日、しかもチームを率いて。野球ファンが黙っているはずがなかった。
ベアーズの開幕投手が俺かジーウェイに絞られた状況でその2人が同時に投げるということで、リン監督が姿を現すと、大方のギャラリーは予想をしていたのだろう。グラウンド内を動き回るよりどっしりと投球練習を見守っている姿の方が、リン監督を見物しやすいのは事実だ。
「さあアピールの時間よ。気合い入れていきましょう」
ミーリンが日本語と中国語で声を上げ、パンパンと手を叩いた。その姿は単なる通訳ではなく、もはや投手コーチの風格がある。
「言われなくても力は入ります」
これまではキャンプ初日ということもあり、5割ぐらいで流してきた。ノルマの50球まであと15球ほど。調子も悪くないので、最後は8割ぐらいまで上げていってもいいだろう。
「パンッ」
「おおー」
ギャラリーの声が漏れる。「意外と良い球放るじゃないか」とファンの驚きが聞こえてくるが、「意外と」とは失礼な。バッチリ聞こえてますよ、と伝えたくなる。
これまでのボールと明らかに異なる質のものを投げたのに気づいたのか、ジーウェイも力のある直球を投げる。俺以上の感嘆の声が響く。
「やっぱすごいな」
最初空港で対面したときは、単に背が高くて細い、投手だと思いこんでいた。しかし動画サイトで彼の投球を見たとき、度肝を抜かれた。
「なんでこんな投手が台湾にいるんだ」
この若き台湾右腕に抱いた率直な感想だった。
まず第一に平均的に球が速い。先発投手だというのに、直球の球速のほとんどが150キロを超えている。そんな投手は日本にもあまりいない。
そして第二にジーウェイの投げるチェンジアップが魔球と言っても過言ではない球だった。腕の振りが直球の時と全く同じで、120キロほど。ブレーキがかかっていて、落差も大きかった。
真っ直ぐが速いから、チェンジアップが生きる。チェンジアップが良いから真っ直ぐが生きる。その絶妙なコンビネーションは見事だ。
「でも絶対負けないからな」
心の中で呟く。溢れそうな闘志をボールに込めて、投げる。
正直、退屈なシーズンになると思っていた。成績を残さなくてはいけないというプレッシャーが、日本に劣るレベルの中で1年間過ごすということは、はっきり言ってしまえばぬるま湯に浸かるということだ。しかし、目の前にライバルがいた。台湾一の投手になるということはジーウェイにも勝たなくてはいけない。今年で30歳になるがまだまだ衰え知らずだ。
「チームでナンバーワンの投手を開幕で使う。ギリギリまでどちらが上か見極めるつもりだ」
キャンプが始まる直前、今日の練習前に俺とジーウェイを呼び出したリン監督はそう告げた。
まずは開幕投手。譲るわけにはいかない。




