第3章4 【お留守番】
「あーなんでもう広瀬さんが台湾行っちゃったのかねえ?」
ベッドに横たわる成田さんが足をじたばたさせている。ここは寮の僕の部屋であるのだが、風呂から上がると、なぜかウーロン茶片手に成田さんが居座っていた。2人でゲームをすることも多々あり、「来客」は慣れているが、いないと思いこんでいる部屋に人がいると驚く。カギをかけない僕も悪いが、寮に住む選手たちは家族のようなものであり、カギをかけていない人がほとんどだ。
「そりゃあ僕だって聞いたときはびっくりしましたよ。でも荻窪が入ったし、FAで吉織さんも獲ったし、メジャーからフィリップも来たし。白石が抜けたとはいえ、投手層は厚くなりましたもんね」
「そりゃそうだけどなー。先発ローテはキャンプ前っていうのに固まりつつあるよな」
「そう言う成田さんは今年開幕投手なんですよね?」
並みならぬ補強を行ったが、今年の開幕は生え抜きに託すというのが磯島監督の考えらしい。それも、大卒2年目の成田さんを抜擢するだろうとの噂がかねてから報道されていた。
ルーキーイヤーの昨季の成田さんはシーズン途中から1軍に定着し、8勝を挙げた。後半戦チームが低迷していたが、成田さんが気を吐いていた。間違いなく今季の先発投手陣を引っ張っていかなくてはならない存在だ。
「まだ明言はされてないけどな。そのつもりで準備はしていくよ。俺も逆に聞くけどな、高宮。お前だって守護神候補だろ?」
「そうは聞きますけど、現実的には厳しいです。後ろ投げる左投手が少ないですからね。僕が最後に固定されると、他に投げる左がいませんから。8回逢隈さんで9回浦和さんは変わらないんじゃないですかね」
「開幕投手に成田抜擢」と同様にマスコミが期待していたのは「守護神高宮」だ。僕は去年チーム最多の52試合に登板して、防御率は2.01。自分でも文句ない成績だった。
そしてオリオンズが悩まされているのが絶対的ストッパーの不在。去年の前半は逢隈さん、そして後半は浦和さんが担ってきた。だが、2人とも、年齢的に現役生活の先が短い。ならば若い僕を起用すれば、しばらくは安泰だろうとの見方だった。
「それこそ広瀬さんとかが後ろやっても面白かったんじゃないかな」
成田さんがペットボトルを口につける。そういえば、なぜさっきから広瀬さんの名を出しているのだろうか
「成田さんなに見てるんですか?」
入り口付近から部屋の中へ入り、テレビを覗き込む。画面には見慣れぬユニホームを身に纏った広瀬さんの姿があった。
「そっか、広瀬さん今日が入団会見だったんですね」
ニュース番組のスポーツコーナーらしく、会見の模様が断片的に紹介されていた。笑顔も少なく、落ち着いて質問に淡々と答えているようだ。
「今年台湾で一番勝ち星を積み重ねる」と堂々と宣言している広瀬さんの目は、何か覚悟を決めたように見えた。無理矢理ハードルを上げているわけでも、はったりをかましている訳でもない。野球の神様からの預言を受けている、と言えば大げさだろうか。でもこの人ならやりかねないと思う。
「そういえば、今年のドラ1の荻窪の球見たか?」
広瀬さんの報道が終わったところで、成田さんが話しかけてきた。依然として僕のベッドに胡座をかき、出て行く素振りが全く見えない。
「時間が合わなくてブルペンでは会えてないんですよね」
ドラフトで指名された今年の新入団選手たちは年明けから仙台の室内練習場で合同練習が行われていた。キャンプ直前のこの1週間ほどは、僕や成田さんのような若手投手も同じ場所で自主トレーニングを行っていた。ウォーミングアップやノックを荻窪と一緒にこなしたことはあるが、たまたまブルペンでは入れ違いばかりだった。
「あれは本物だわ。開幕1軍もあるぞ。1年間投げきる体力があれば2ケタ勝つのも夢じゃない」
「そんなにいいんですか?」
荻窪の投球を映像で見たことはある。確かに良い球を投げていたが、すぐプロの世界で通用するものなのだろうか。
「甲子園の時とフォームが若干変わったみたいなんだけどな、それが広瀬さんに似てきてるんだよ。本人に聞いたら参考にしてますだって。手元でグイッて伸びる真っ直ぐも広瀬さんそっくりだ。あとは変化球次第だな」
「そこも広瀬さんそっくりなんですね」
広瀬さんの直球は間違いなく本物だ。だが、決め球となる変化球がない。となると、長期的に抑えることは難しい。実際、去年も1軍昇格直後は良い投球を続けていたが、打者の目が慣れるとバットに当てられることが多くなった。また、調子のムラがあることも不安要素ではある。
「まあ直接聞きたいこともいろいろあったんだろうけどな。荻窪だいぶふて腐れてたぞ。『なんで台湾行っちゃったんですかー』ってさっきの俺みたいなこと言ってた」
成田さんが笑う。「なぜ台湾に」。オリオンズの選手なら誰もが思うことだ。補強したから? それは皆がそう思いこんで自分を納得させようとしているだけだ。背後に選手ではどうにもできない力が働いているのだ。ならば、首を突っ込まないで野球に集中するしかない。
「広瀬さんが入ったのは桃園だっけ? そのチームもキャンプは沖縄らしいぞ。うちと練習試合の予定はないけど、俺らのオフと向こうの練習試合の日がうまくかみ合えば、行こうと思えば見に行けるかもな」
「そうなんですか? まあキャンプに入れば、実際問題他人の選手を気にできるほどの余裕はないんですけどね」
「そりゃそうだよな」
僕らだって勝負の世界に身を置いている。今年活躍できなかったり、白石のようにケガをすれば、来年同じようにキャンプを迎えられるか分からない。僕らは僕らがやるべきことをやるだけだ。移籍の背景だとか、オフの期間だから考えてしまっていたことだ。シーズンが始まれば、そういったことを考える余裕もなくなってくる。
広瀬さんなら放っておいても大丈夫だ。来年気持ちよく戻ってもらうためにオリオンズの留守は僕たちでしっかり守っていかなくては。




