第3章3 【助っ人外国人】
思わぬ歓迎に口元が緩む。俺がここまで注目されているのか。さすがにやりすぎではないか。
報道陣はカメラやマイクを俺に向け、その数メートル先には規制線が張られ、ファンが手を振っている。ざっと見ても200人以上はいるのではないか。
「ヒロセサン、ヨウコソ」
「ベアーズデノ、イキゴミハ?」
不慣れな日本語で話しかけてくる報道陣に、ミーリンは両手を広げながら、俺と彼らの間に割って入る。中国語で何やら声を張り上げ、俺を建物の中へ誘導する。
「今はマスコミの質問に答えなくていいです。すぐに記者会見を行うので、そこで自由に答えてください。ファンサービスの時間もその後に設けているので気にせず進んでください」
ミーリンが後ろを振り返る。俺はそれにうなずき、手を上げて声援に応えたり、笑顔を見せてその場をやり過ごそうとする。しかし、一度囲まれてしまうと中々抜け出せない。
すると、俺の背後についていたジーウェイが突然ファンの方へ歩み寄った。さすがはチームのエースと言ったところだろうか。ジーウェイがサインを書いたり、ファンと写真を撮ったりしていると、あっという間に人だかりができた。
「ジーウェイが時間稼ぎしてくれているので、広瀬さん早く」
あまりの混乱ぶりに眉間にしわを寄せたミーリンが俺の手を引っ張り、建物内へ入る。
ミーリンがふーっと息を吐いた。彼女にとっても想像以上の人出だったのだろう。ほんの少しの移動であったが、顔に疲労の色が垣間見える。
「会見の前に、リン監督とワンマネジャーとあいさつしてもらいますね。その後3人で会見場に入ってもらう形になります」
入り口から1番近くにあるドアをミーリンがコンコンとノックをした。ドアの向こうから声が聞こえると、ミーリンがドアを開ける。
中を覗くと恰幅のいい男性と、細身の男性が2人立ち上がった。
「広瀬くん初めまして」
恰幅がいい方の男性が右手を差し伸べてきた。俺はガッチリと握手をする。
このリン監督とは初対面ではあったが、俺もよく知っている人物だった。長年日本のプロ野球で外野手として活躍していた名選手だからだ。台湾球界で多くのシーズン記録を塗り替え、20代前半で日本球界に挑戦。不動の1番センターとして長く北海道の切り込み隊長を担っていた。
さらに台湾出身選手として、初の、また現時点で唯一の2000安打達成者でもある。台湾の野球ファンのみならず、日本人の間でも「レジェンド」と評される選手だ。
5年ほど前に現役を引退し、ベアーズの指揮官として第2の野球人生を送っている。
「君のベアーズ入りを心強く思うよ。入団にもいろいろと裏事情があったと隣のワンさんから聞いてるよ。でもそんなことはグラウンド上では関係ない。優勝のために力を貸してほしい」
長年日本に滞在していたこともあり、日本語は堪能だ。監督とコミュニケーションを取ることが難しくないことが、とてつもなく大きい。
「もちろんです。自分がやるべきことをやります。先発でも中継ぎでも抑えでも、与えられた役割を全うするだけです。よろしくお願いします」
「頼もしいな」
リン監督から白い歯が見える。俺の決意表明をしっかり受け取ったのだろう。背中をポンポンと叩かれた。
「さあ会見に行こう。外の人だかりもすごかっただろう? 君にかかっている期待は相当なものだよ。大型助っ人だからね」
「助っ人」
その言葉を呟く。そして頭の中で何度も反復させる。
そうか、ベアーズにとって俺は助っ人外国人なんだ。
オリオンズではモーリスが何年にも渡って活躍してきている。もちろん、毎年モーリス以外の選手を獲得しているが、単年で構想外になるパターンが多かった。
もちろん、すべての選手がからっきしだった訳ではない。そこそこの成績を残した選手でも容赦なく切られた。
なぜか。助っ人外国人は常に即戦力が求められるからだ。
外国人選手には1軍登録に制限がある。日本だと4人だ。その貴重な枠を育成に回すほどの余裕はほとんどの球団にはない。むしろ、外国人と日本人で、ほぼ同じ能力の選手がいたとすると、優先されるのは日本人の方だ。
こういったことは日本だけに留まった話ではない。隣の韓国野球でも、そして台湾野球でも自国の選手が優先だ。
ということは俺に求められるのは結果のみ。半端な成績ではバッサリと切られる。そして、よりレベルの劣る台湾で結果を出せないということは、日本での活躍は見込まれない。オリオンズが俺を再び獲得することは考えにくいだろう。
活躍して当たり前。そうでなければ失業。これまでにないプレッシャーが背中にのしかかっていることに気づいた。悠長にチームの優勝に貢献したいと言っている場合なのだろうか。例え優勝したとしても、俺が不甲斐なかったら、来年以降どうなるのだろうか。
「顔が強ばっているよ。緊張してきたのかな」
廊下を並んで歩いていると、リン監督が微笑んだ。俺たちの一歩後ろに、ワンマネジャーもついてきている。
「自分にかかっているプレッシャーについて考えてました」
正直に話す。リン監督も現役時代同じ悩みに苛まれたこともあったはずだ。
「ようやく事の重大さに気づいてきたのかな」
リン監督が声を上げて笑う。笑い事ではないのだ。
「君は考えすぎることが欠点だよ」
リン監督が続ける。
「君の球は本物だ。正直台湾で打てる選手はそうそういない。君の本気の球ならね」
以前南雲さんにも言われたことがあった。ベンチ裏で胸ぐらを掴まれ、「考えるな」と怒鳴られた。
「自分を信じて投げるだけだよ。野球はシンプルイズベストね」
「監督も現役時代はそう考えていたんですか?」
「僕は正直背負っている物が大きすぎた。台湾国民の期待、台湾野球の意地。そして自分が日本野球にどこまで通用できるかという好奇心。そういうのを感じれば感じるほど、バットって振れなくなっていったんだ。応援されることはありがたいことだし、自分の何倍もの力を引き出してくれる。でも僕は打席に入った瞬間、バットを振る瞬間、すべてをシャットアウトしてみたんだ。何も聞かず、何も考えず、ただ目の前のボールだけを意識する。そうしたら、ボカスカ打てたよ」
「ボカスカですか」
今日日聞かない表現に思わず笑みがこぼれる。
確かにその通りだ。国も、誰かの思惑も、将来も関係ない。グラウンドにあるのは白球だけだ。それを打者に向かって思いっきり投げ込むだけだ。毎回考え込んで、同じ結論へ達する。学習能力のなさを反省する。
「でも、これだけは聞いて欲しいんだけどね」
リン監督が立ち止まり、人差し指を立てた。
「君には、最多勝と奪三振王に最優秀防御率、あとMVP。この4つ全部取らないと強制引退だからね」
「そんな無茶な」
リン監督の冗談にも取れない要求に顔が青ざめる。それを見たリン監督は再び笑い声を上げた。
「まあそれぐらいのポテンシャルは持ってるよ。本気で狙いに行けば、秋に良いことあるかもよ。さて、楽しい会話の時間はここまでだ。久しぶりに日本語を話せて楽しかったよ」
リン監督がサムズアップをすると、目の前のドアを開けた。会見場に到着していたらしい。さっきリン監督が立ち止まったのもそういうことだったのか。
ドアが開かれると一斉にカメラのシャッターが切られた。フラッシュで目が眩む。
先にワンマネジャーが入り、席に座った。
「さあ行こう」
リン監督に背中を押され、俺は会見場に入った。




