第1章3 【フラッシュの前で】
「それでは広瀬豪也選手の入団会見を行います。始めに広瀬選手から一言お願いします」
岡部さんの声がマイクを通して会場に響く。球場に隣接したイベントホールに俺はいる。シーズン中は球団主催のイベントを行ったり、また俺のように新入団選手の会見を行ったりするのに使うらしい。最大で500人は入ると岡部さんは言っていた。
そのイベントホールのステージ上に長机と椅子が2つが置かれ、俺と磯島監督が座っている。
「仙台オリオンズの広瀬です」
俺が一言発すると、目の前が真っ白になり、カメラのシャッター音が響いた。パッと見るとテレビカメラは10台。記者は30人ほど。新聞や雑誌のカメラマンを含めると、100人弱の報道陣が集まっていた。確かにトレードで来た、プロで鳴かず飛ばずの選手にしては注目度が高いのが分かる。
「高校時代に仙台の高校と対戦し、またこういう形で入団することになり、仙台とは不思議な縁があるのかなと思っています。広瀬川の広瀬ですしね」
会場から笑い声が漏れた。岡部さんの受け売りだが、つかみは良いぞと、取るに足らないことを考える。
「仙台の土地で、投げさせていただく機会を与えてくれたことに感謝しています。自分の持てる力を出し切って、優勝に貢献したいと思っています」
心の底から思っていることだ。野球選手としてもう一花咲かせたい。1軍のマウンドで、たくさんのお客さんに囲まれながら投げたい。しかし、球界での俺の期待度は低いだろう。今は単なる話題性だけだ。見返してやりたいという気持ちが強い。
「広瀬くんは非常にいい直球を持っています。先発ローテの一角も担えると私は思います。シーズン開幕に向けてしっかり調整してもらって、チームを引っ張ってもらいたい」
磯島監督が穏やかな口調でそう語る。プロ野球の監督というと威圧感があるようなイメージだが、磯島監督はそれに反する。好々爺という言葉がぴったりだ。
磯島監督は球団職員から渡された帽子を俺に被せた。カシャカシャとシャッターを切る音が再び響いた。磯島監督は球団職員から今度はユニホームを受け取り、広げた。
「これからよろしく頼むよ」
俺は磯島監督に背を向け、広げられたユニホームを右腕から袖に通した。シャッター音が途切れることはない。左腕にも通し終わり、自分でボタンを留める。濃い緑色の帽子。白を基調とし、胸のあたりに”Orions”と濃い緑字と金色の縁でプリントされたロゴ。背中の51の数字。黒とオレンジ色のユニホームに慣れていた俺にとってはとても新鮮だった。ユニホームを着てみて、移籍したんだと実感した。
前球団の2軍監督から突然トレード宣告を受けてからちょうど1週間が経った。打ち合わせでオリオンズの職員や、磯島監督と話はしてきたが、夢の中にいるような、ふわふわとした感覚だった。しかし、多くの報道陣の前で、入団会見を行って、一気に地に足がついた。そして冷たい水をかけられたようだ。ここで活躍をしなければ、野球人生が終わる。ラストチャンスだ。軽い素材のユニホームが重くのしかかる。
「それでは質疑応答に入ります」
岡部さんがスタンドマイクの前に立ち、進行をする。記者たちが一斉に手を挙げ、その1人を岡部さんが指す。
「まず最初に仙台オリオンズの印象を教えてください」
俺と磯島監督は席に座った。机に置かれたマイクを手に取り、口元に持って行く。
「若い選手が多いなという印象です。逆に言うと私ぐらいの中堅、ベテランの選手が少ないので、兄貴分的な存在として引っ張っていけたらと思います」
オリオンズは近年高卒選手をドラフト上位で指名している。即戦力選手が少ない分、ここ数年は低迷している。目先の順位にとらわれすぎず、将来有望な選手をじっくり育てようという方針のようだ。活きのいい選手が多そうだ。
チームの印象や、仙台の土地について、今後の意気込みなど、こんなもので記事が書けるのだろうかという質問が続いた。こういうことを聞かれるだろうと事前に予想をしてきて、回答も用意してきたが、想像通りすぎた。しかし、これは必ず質問が来ると考えていた質問がまだきていない。
「では最後の質問になります」
岡部さんが指したスポーツ紙の記者が口を開いた。
「日下部選手と同じチームで戦うことになりますが、そのことについてどうお考えですか?」
俺はああ、やっぱり来たかと、思わず表情を緩めてしまった。その瞬間を逃さまいとフラッシュの嵐が俺を襲った。
「同い年で、球界を代表するスラッガーが仲間にいることがかなり心強いです」
教科書に書いてあるような返しをするが、皆物足りないような表情をしている。「そんなんじゃ書けないよ」と無言の圧力をかけられる。
「日下部選手は、甲子園の決勝で対戦をしたイメージが強いです。あのときは私が4打席4三振でしたが、今では本当に味方になってよかったと思います。正直、対戦はしたくなかったです」
日下部祐太の存在が、俺が仙台に来ることに注目される要因だ。
10年前の甲子園決勝、最後の打者となった4番が日下部だった。当時は何とも感じない選手だった。たかが田舎の公立校の主砲。それまで戦ってきた中で日下部以上の打者なんかいくらでもいた。名前すら忘れていた。
俺はそのままプロへ、日下部は大学へ進んだ。紫紺のユニホームを身にまとい、東京6大学野球で活躍をし、神宮のスターになった。
2年秋から4番の座に就くとホームランを量産した。リーグ戦では本塁打王4度、打点王には3度輝いた。
卒業後は地元球団に入団し、ここでも主砲として打ち続けた。今では日本代表の常連となるほど、球界を代表する選手となった。
完全に俺と差がついてしまった。いや俺が傲慢だったのだ。たった1度日本一になっただけで天狗になっていた。俺に敗れた者は、敗戦を糧にして努力をする。次は負けない、と。
俺も努力を怠っていたわけではない。だが、努力の量が違いすぎた。
日下部はプロで初めて本塁打王を獲得したとき、テレビのインタビューで「甲子園の敗戦が人生を変えた」と発言していた。
「あの試合で本物の天才はこの投手なんだと思った。こいつは魔物だって。才能では敵わないが、努力で絶対超えてみせると、最後の打席で三振をして、バッターボックスで泣きながら誓いました。対戦する機会があればホームランを打ちたいです」
この言葉はもちろん俺の耳に届いた。それはそうだ。かたや球界を代表する打者。かたや2軍の投手。落ちぶれた魔物。マスコミが喜びそうだ。
当然「対戦する機会」などなかった。リーグが違うということもあるが、1番は同じ土俵に俺が立てなかったのだ。
会見が終わり、俺は磯島監督と事務所の応接室にいた。岡部さんがタクシーを用意してくると、部屋を出てから15分ほど経っただろうか。オリオンズの若手投手について、磯島監督と話していた。「この子はあと一伸びしてくれれば10勝はできる」とか「あの子はできれば抑えじゃなくて先発で試してみたい」とか、磯島監督が思い思いに話すことに相づちを打つ程度だった。
「とりあえず、広瀬が先発ローテを守ってくれれば、うちとしては大助かりだよ。投手陣に余裕ができるし、いろいろ試すことができるよ。期待しているよ」
その時、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。「監督、タクシーが来ました」と岡部さんが呼びかけた。
「おおそうか、では広瀬また」
磯島監督が席を立ち、部屋を出た。「ありがとうございました。よろしくお願いします」と俺はお辞儀をし、玄関口まで見送った。
「じゃあ広瀬さん、引っ越しの手続きがあるので、先に応接室に戻っていてください。私は資料を持ってきてから行くので、少し待っていてください」
岡部さんはそう言うと、小走りで階段を駆け上がっていった。球団職員も忙しいのだなと思いながら、廊下を歩く。
廊下の突き当たりにあるドアが開き、スーツ姿の人が出てきた。背が高く、肩幅も大きい。おそらく選手の誰かだろう。スーツの男がこちら側に向かって歩いてくる。遠目から見ても大きかったが、さらにその姿が一段と大きくなる。
黒髪の短髪に目鼻立ちが整ったその顔はよくテレビで見かける例の男だった。どこかに隠れたかったが、廊下は一本道だった。
「おっ」
スーツの男が俺に気づいたようで、驚いた表情をした。驚いたのはこっちも同じだ。
「なんでこんなところにいるんだよ」
俺の顔が引きつった。別に今日じゃなくていいだろう。よりによって今日出会ってしまった。チームメートとの初対面がこいつだとは。
「なんでって今日契約更改だったんだよ。広瀬これからよろしくな」
日下部は笑顔で右手を差し出してきた。