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ブルペンから鐘が鳴る  作者: 宮瀬勝成
第3章  棒球の国より
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第3章1  【野球から棒球へ】

「なんでわざわざお前が見送りに来るんだよ」


 立体駐車場で車を降りて、エレベーターに乗り込む。羽田空港の国際線ターミナルへ続く連絡通路がある階のボタンを押す。のそのそと体格の良い男が後を付いてきて、苦笑せずにはいられない。


「いいじゃないか、こっちは暇なんだよ」


 日下部が照れくさそうに後頭部を掻く。出国日を日下部に伝えたところ「偶然にもそのあたり東京にいるからお前の実家から空港まで送ってやるよ」と返ってきたのだった。暇なんかじゃないことぐらい分かっている。この俺に気遣って、仙台から羽田まで見送りに来たのだ。


 気づけばもう1月の下旬。日本でも来週からキャンプイン。球春到来だ。あの日から3カ月も経ったのかと、時の流れの速さに驚くが、1日1日を大切にしていかないといけない時期でもある。


 俺が森塚部長から戦力外通告を受けた翌日、公に報道がなされた。オリオンズの選手たちはマスコミからの報道によって、初めて聞かされた「広瀬退団」だった。そしてその当日中に選手を集め、森塚部長が内々に、1年のいわば「期限付き移籍」だと説明をした。しかし、納得がいかない者が多数だった。


 このフロントビジネス主導の選手編成に1番声を荒げて批判をしたのが日下部であった。


 説明を受けて、誰もが釈然といかない表情を浮かべているときに、「選手をたかが商売道具としてしか見られないのか」と机を叩いたのは日下部だった。


 森塚部長が宥めようとしたが、1度火がついた日下部は勢いが止まらなかった。球団に対する不満を延々と怒鳴りつけた挙げ句、「こんな球団出て行ってやる。金だけは残してやるから今すぐポスティング移籍をさせろ」と森塚部長に掴みかかったところで、他の選手たちに止められた。俺はその様子をただ見つめることしかできなかった。


「なあ、よりによってなんでお前なんだよ」


 エレベーターが開き、駐車場とターミナルビルの連絡通路を歩く。ふと日下部が悲しげに呟いた。


「異国で揉まれてこいということなんじゃないか? 片道切符という訳でもないし、俺は球団に拾われた身としては文句言えないよ」


「だとしてもお前良い奴すぎるだろ。お前が内心怒ってるのは分かってるんだよ。まだ今からでも遅くはないから、もうオリオンズ辞めちまおうぜ。お前が辞めるなら俺も辞める」


「そもそも俺はもう辞めたことになってるんだけどな。それに日下部が辞めるって言い出したら大変だぞ。この前だって大問題になったじゃないか」


「あー、あれはやりすぎた」


 目元を手で覆い、あからさまに声のトーンが下がった。


 日下部が球団の幹部の胸ぐらを掴んだことは、一企業としては処罰案件だ。しかし、実際は「それだけは勘弁してくれ」と逆に部長が頭を下げた。日下部自身も傲慢な人間ではなく、むしろ常識の持ち主であるので、自分の感情任せの言動に深く反省しているのは周知の事実だ。


「にしてもよー」


 日下部がその件にはもう触れるなと言わんばかりに話題を変える。


「ぶっちゃけ台湾野球ってレベル低いだろ。お前ぐらいだったら無双できて当たり前の世界じゃないか? 俺つえええええって天狗になんなよ」


「俺よりも日下部の方が、日本で敵無しでつまらなそうだけどな」


 日下部に毒を吐くと「おいおい俺をいじめるな」と背中を突かれた。


 確かに国際大会において台湾代表は日本代表とそれなりに良い試合をするレベルにある。だが、リーグのレベルとなると話は変わってくる。台湾リーグで活躍した選手が日本球界に挑戦することは多々あるが、日本でもスター選手まで上り詰めるのは稀だ。その一方で、日本で成績を残せなくなった高齢選手が現役にこだわって台湾球界入りし、一花咲かせたという話はよく聞く。


 確かに日下部の言うとおり、活躍して当たり前の世界ではある。だが、周囲の期待に応えることがどれだけ難しいか、俺はすでに理解している。


 まずは1年を通して投げ続けること。タイトルを取ること。この2つが個人としての目標だ。そして、森塚部長から渡された使命はチームを優勝させることだ。


 台湾リーグは4チームで争われている。前期と後期に分かれていて、それぞれの優勝チームが台湾一を決める「台湾シリーズ」に出場する。チーム数が少ない分、球団の戦力差はほとんどないらしい。ということは、どこが優勝してもおかしくないということだ。単純な確率的には4分の1。だが、俺が勝ち続ければ、その確率はどんどん上がっていく。


「俺も台湾についていろいろ調べて見たんだけどな。野球のこと棒球って表すらしいぞ。確かにバットは棒みたいだしな。分かりやすい」


「なんで日下部がそんなこと調べるんだよ。親か? 彼女なのか?」


「まあ身近な奴が行くんだ。いいだろそれぐらい。人気もかなりあるみたいだな。日本のプロ野球も向こうで放送してるみたいだし。俺らでいうメジャーみたいな立場なのかな。日本にいる台湾人選手の試合結果とかも毎日扱われるらしいし、広瀬の知名度もかなり高いみたいだぞ。甲子園の投球は向こうでも有名らしい。あと応援スタイルも独特でチアガールがめっちゃかわいい。っていうかめっちゃエロい」


「お前調べすぎだろ」


 棒球が人気だということまでは知っていたが、それにしても日下部の情報収集能力に空いた口が塞がらない。少し気味が悪いが、そこまで俺のことを心配しているのだと思うことにする。


「空港着いてからの段取りは大丈夫なのか?」


 日下部はもはや1人息子が実家を離れる時の母親のように顔をのぞき込んでくる。


「向こうの球団の人が日本語に堪能らしくて、その人が俺のマネジャーみたいなことをしてくれるみたい。生活面は任せてるからバッチリよ」


「さすが。選手を借りるということもあって手厚い扱いだな」


 日下部が1人で納得したようだった。


 ふと時計に目をやると、空港の到着が意外と遅れていたようで、すでに搭乗手続きが始まっていた。急いで窓口に向かう。


「日下部ここまででいいよ。わざわざありがとな。お前の車初めて乗ったけどやっぱ最高だな」


「ああ。お前も活躍してがっつり稼いで良い車買えよ。向こうでの試合もネットでチェックするからな。お前もオリオンズをちゃんと見守っててくれ」


「次会うときは日台野球の試合でな。俺も代表入りできるように頑張るよ」


 立ち止まり、日下部に正対する。おそらく野球人生で最初で最後になるだろう。試合で日下部相手に投げる。1年前の自主トレでやった対戦とはまた違う真剣勝負。その舞台に立つためには台湾リーグ代表に、その前に勝ちまくるしかない。


「おう。しかもその日台野球の3試合の内、1試合は甲子園でやるらしいぜ。絶対リベンジしてやるからな。ちゃんとマウンドに上がってこい」


 日下部が右手を差し出す。その手を力強く握る。


 再び対戦ができる。しかもあの甲子園で。身体の底から熱い何かがこみ上げてくるのを感じる。


「じゃあ元気でな」


「日下部も不振で代表に呼ばれなかったら承知しないからな」


 互いに笑みを浮かべながら、日下部は来た道を戻り、俺は搭乗カウンターへ向かった。


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