第2章27 【後追う者】
ほんの30分ほど走っただけだが、肌寒く感じる。もう秋なのだなと思う。
ペナントレースやクライマックスシリーズも終わり、残すは日本シリーズのみとなった。野球のシーズンも最終盤に差しかかった。
しかしオリオンズのシーズンは一足早く終わった。夏場に失速をしたまま、巻き返すことができず4位。3位とは1.5ゲーム差で、ポストシーズン進出へあと一歩届かなかった。
俺はなんとか先発ローテーションを守りきり、プロ入り後初めて規定投球回数に到達した。しかし、7勝7敗で防御率は3.31。なんともパッとしない成績だった。
試合が毎日行われなくなり、移籍や引退、戦力外に関する報道が活発になってきた。先週には第1次の戦力外通告がなされたが、俺の名前はなかった。とりあえずは最低限戦力として見てもらえたということか。
オフシーズンになっても、やることはさほど変わらない。来シーズンに向けて身体を作る期間だ。
いつもと変わらぬ森林公園をいつも通り走る。ただ1つ変わったことと言えば、今日の俺は1時間ほど早くこの場所にいるということだ。
それも彼に会うためだ。以前1度だけ会って、ここで話をした少年。初夏だったあの日は彼が普段より遅い時間に走っていたため、偶然出会うことができた。
彼も野球部を引退している時期で、休息を取っているかもしれない。だが、俺は彼ならここに必ず来ると思っていた。彼のことは1度しか会っていないがそんな気がした。
森林公園を軽く1周したあと、入り口付近でストレッチしながら時間を潰していた。15分ほど経った頃だろうか。細見の少年がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「遅くなったけど、全国制覇おめでとう」
そう声をかけると、彼は屈託もない笑顔を見せた。
「今日はなんとなく広瀬さんと会える気がしてました」
荻窪と並んで走る。以前よりも身長が高くなったように思える。そして身体の線も太くなっている。トレーニングをかかさずにやっているようだ。
「俺もまた君と話してみたくなったんだよ。今日じゃなきゃダメだったんだ」
荻窪は甲子園に出場すると一躍全国区になった。力強い速球と、打者の司会から消えるようなスライダーを武器に三振の山を築いた。結果、甲子園の決勝戦までたどり着いた。
宮城県勢としては、俺が日下部をねじ伏せて優勝した時以来の決勝進出だった。そして、深紅の優勝旗が東北の地に渡ることは今まで1度もなかった。
東北勢悲願の初優勝。そんな大きな期待を背負って荻窪は甲子園のマウンドに立った訳だが、冷静さを欠くことはなかった。いつものように淡々と打者を打ち取り、完封で日本一に輝いた。
それほどの投手をプロも注目しないはずがない。12球団全てが獲得に興味を示した。あとは実際に何球団が指名するか。
そして今日は、荻窪がどこの球団でプロのスタートするかが決まる。ドラフト会議当日だ。
もちろん地元のスター選手をオリオンズが見逃すはずはない。早い段階から1位指名を明言していた。地元出身だから譲ってくれよ、と他球団に暗に牽制をしているのは明白だが、指名が重複した場合は抽選。完全に運任せだ。
「表向きには12球団すべてOKとは言ってますけど、やっぱり1番嬉しいのはオリオンズです。小さい頃から憧れてた球団ですし、広瀬さんもいますし」
荻窪が恥ずかしさを見せながら笑う。
「でもこればっかりは運だからねえ。緊張するよね」
「もちろん、他球団でもプロになるという夢は叶います。そこで一生懸命やるだけです。仙台で広瀬さんと投げ合って、日下部さんと対戦するのも最高ですね」
「それはそれで厄介だな」
順調に行けば荻窪は球界を代表するエースに成長するだろう。それぐらいの素質はある。それを逃すとなるとオリオンズとしてはかなりの痛手だ。
「あとは野球の神様に任せて見守ることにします。神頼みってやつです」
荻窪がパンパンと手を叩き、両手を合わせた。
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「第1巡選択希望選手、千葉、荻窪賢治。投手、仙台青葉学園高校」
各球団のドラフト1位指名が発表される。最初に今シーズン最下位だった千葉から獲得したい選手を読み上げられた。いきなり荻窪の名が挙がり、会場が湧いた。今季の1番の目玉選手ということもあり、注目度が高い。
俺は自宅のテレビでその様子を見ていた。名前が呼ばれた瞬間、高校で待機する荻窪が画面に映し出される。制服姿が新鮮だが、ホッと表情を緩ませた表情は見覚えがある。
「第1巡選択希望選手、名古屋、荻窪賢治」
続く名古屋も荻窪を指名。早くも抽選確実となり、会場がさらに盛り上がる。
そこから2球団が1位指名をするも、他の選手だった。抽選を避けて、一本釣りを狙ったのだろう。
そしていよいよ5番目がオリオンズだ。
「第1巡選択希望選手、仙台」
一瞬会場が静まりかえる。司会も一度間を開ける。静寂の時間がとても長く感じる。
「荻窪賢治」
ゆっくりとその名前が読み上げられ、歓声が響く。画面には荻窪の名前が映し出され、再び待機する荻窪に切り替わる。じっと顔を強ばらせながら書面を見つめていた。
12球団のドラフト1位指名が出揃った。オリオンズの他には千葉、名古屋、北海道、横浜、福岡が荻窪を指名した。6球団競合。ドラフトの歴史を見ても、かなり珍しい多さだ。
会場に抽選箱が置かれる。その前に各球団の代表が1列に横並ぶ。オリオンズの代表は磯島監督だった。
指名順に抽選箱に手を取り、封筒を取り出す。3番目に磯島監督が右手でくじを引く。係員がはさみを入れ、受け取ると、磯島監督は両手で大事そうに封筒を握った。目を瞑り、俯いている。「当たれ」と念じているようだ。
全球団がくじを手にする。
「それでは、お開け下さい」
司会がそう呼びかけると、会場にいるそれぞれの球団のファンの叫び声が聞こえる。
「来い!」
「当たれ!」
そんな心からの叫びを受けながら、代表者たちは封筒から折りたたまれた紙を取り出し、開く。
「来い来い来い」
俺も思わずテレビに向かって念じる。
「おおー」
もはや地鳴りのように響く声援を背に、磯島監督が満遍の笑みを浮かべながら、右手を大きく掲げた。




