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ブルペンから鐘が鳴る  作者: 宮瀬勝成
第2章  杜の都のニューカマー
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第2章24  【王の帰還】

 異常事態の球場を収めるのに、若き左腕では役不足だった。もちろんこんシーズンの実績は申し分ないが、経験がなさすぎる。


 白石を見送ったあと、ベンチへ戻ると、マウンドの高宮がこれまで顔を強張らせて立ち尽くしていた。


何かに取り憑かれたように投げ、転がった打球をショートの浪川さんがエラーをする。


スコアボードを見る。2点失って、なお1死一塁。高宮は1アウトも取れていないことになる。


 白石が退場してからも球場はざわざわと騒がしかった。観客の多くが試合に集中していない。誰もが白石の容態を心配しているようだった。


 それは自陣も一緒だった。打球が転がり、なんてことのない打球を浪川さんがエラーした。守備の名手とうたわれている彼がミスをするのは珍しい。


 まだ2点のリードはあるが、ひっくり返されてもおかしくはない。


 マウンドに守備陣が集まる。俺は2日前に登板したばかり。形式的にベンチ入りメンバーに登録されているだけの休養日だった。普段はベンチ裏で観戦をしているのだが、白石の登板ということもあり、ベンチで見守っていた。緊急事態に備えて、自分も肩を作るべきだろうか。


「何も今日じゃなくても」


 佐々木コーチが驚く声が響いた。それに対峙していた磯島監督が微笑みながらコーチに耳打ちをする。


「分かりました」

「ありがとう。助かるよ」


 佐々木コーチが渋々了承する。コーチと監督の立場的に強く否定することはできない。会社の上司と部下のような関係と同じことだ。しかし、磯島監督は独断専行というタイプではない。提案をすることがあっても、1度コーチと相談する、というのが磯島監督だった。コーチを説得する今のような光景は初めて見た。


「どうなっても知りませんよ」


 佐々木コーチがブルペンに一言電話を入れると、すぐにマウンドへ向かった。


 佐々木コーチが審判からボールを受け取り、磯島監督が審判に交代を告げた。


「復帰登板がこれで申し訳ないけど、緊急事態だな」


 ベンチへ戻った磯島監督が呟いた。確かにこの状況を収められるのは百戦錬磨の投手しかいないだろう。


「ピッチャー高宮に代わりまして、背番号22!うらわー! のりひろ!」


 スタジアムDJの声に球場がさらに騒然とした。


 日米通算200勝超えの名投手がゆっくりとマウンドに向かう。堂々とした足取りになぜだか安心感を得る。この人なら大丈夫だ。そう思わせる貫禄がある。


 一方で白石の緊急事態に続いて、浦和さんの日本復帰後初登板が続いたことで球場はさらに収拾がつかなくなっていた。


 浦和さんは、そんな周りの状態など一切気にせず、黙々と投球練習をする。その淡々とした佇まいは、耳栓でもしているのかと思うほどだ。


「1アウトな。1個ずつ取っていこうや」


 浦和さんが内野手陣に人差し指を立て、皆が応える。浪川さんもエラーの動揺を引きずっていない。日下部やセカンドを守る橋本も強ばった表情からいつも通りに戻った。モーリスは最初から顔色1つ変えず、明るく振る舞い続けている。その精神力の強さに感服する。


「さあ、切り替えていきましょう」


 藤島が身体のあちこちを触って守備のサインを出した後、守備に気合いを再注入した。


 浦和さんが構える。一体どんな球を投げるのか。映像で何百回、何千回と見てはいるが、生では初めてだ。ごくりと唾を飲み込む。


 観客も同じなのだろうか。球場全体が一気に静かになった。マウンドに立つだけで雰囲気を一変できるほどの存在感。やはり並大抵の投手ではない。


 初球は外角低めの直球だった。144㌔とそれほど速くはなかったがコースがよかった。そして浦和さんが投げるのを初めて直接見て再認識したことは、やはり打ちにくそうなフォームだということだ。


 浦和さんは右腕と身体の使い方が独特だ。投球動作の時は右腕が、投げる直前まで身体に隠れる。また、ギリギリまで投げる方向へ身体を開かない。「身体を開くな」と野球経験者は必ず言われたことがあるだろう。それほど基本的なことではあるのだが、浦和さんはその開かない時間が圧倒的に長い。


 ギリギリまで見えない右腕と、開かない身体は打者にとってタイミング取りづらいのだ。


 打者は投手の動作で、打撃の準備に入る。投手が球を投げてから、本塁に到達するまで0.5秒もない。投手の仕草で球種とコースとリズムをある程度読むのだが、浦和さんはそれを悟られないよう徹底している。打者からしてもれば、急に球が向かってくるという印象だろう。


「さすがだな」


 南雲さんの感嘆の声がして、左右を見渡すと、右隣に南雲さんが座っていた。いつから隣にいたのだろうか。


「アメリカでも通用したというのはこういうことなんでしょうね」


 南雲さんに同意する。


 2球目はカーブを選択した。惜しくもボールとはなったが、ブレーキのかかり、縦に大きく割れるスローカーブだった。


「広瀬にもあのカーブがあれば今頃エースなんだけどなあ」

「ションベンカーブで悪かったですね。まともに打ち取れる変化球なんてスライダーぐらいしかないですよ」

「まあストレートだけなら、今の浦和よりは上か」

「褒めてるんだか、けなしてるんだか。はっきりさせてください」


 南雲さんとくだらない言い争いをする。そんなことができるほど、ムードがいつものように戻ってきたということか。浦和さんは魔法使いのようであるが、あの体格と風貌からして魔王と言った方が正しい。


 3球目。浦和さんの真髄を見た。141㌔とけして速くない球が、打者のバットをへし折った。


 勢いが強くない打球が二遊間へ飛んだ。高宮の降板直前と同じような打球だった。浪川さんが左側へ動き、そのまま捕球。グラブトスをして二塁へ送った。それを橋本が素手で受け取り、ベースを踏みながら、一塁へ投げた。鮮やかなダブルプレーだった。


 ドッと球場が沸いた。観客たちも「野球」に戻ってきた。歓声がナインを包む。


「今の球すごかったですね」


 思わず息が漏れる。南雲さんも「そうだな」とうんうん頷いた。


 右打者を詰まらせる。浦和さんの伝家の宝刀のシュートボールだ。直球とほぼ同じ速度で浦和さんの利き腕方向にグッと曲がる。


 往年の名投手の中にこのショートを武器にする投手は何人かいる。シュートがあまりにも切れ味が鋭かったので、カミソリシュートと呼ばれていた。浦和さんも彼らに遜色はなく、もしかすると上回っているかもしれない。


 事実、このシュートで打者のバットを折り続けていたところから「サムライシュート」と呼ばれ、恐れられていた。その球をこの目で見ることができて、気持ちが高ぶる。


 この投球でチームが救われた。白石の降板でショックを受け、失点したが何とか持ちこたえた。白石がつなげた勝利への道を守り切れた。


「さあ取られた分は取り返すぞ」


 日下部が手を叩きながら声を張った。


 もう心配することはない。いつものように賑やかにベンチにいるすべての選手が応えた。


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