第1章2 【仙台の車窓から】
「冬の仙台は寒いでしょう?」
ハンドルを握る岡部さんが話しかけてきた。仙台駅に迎えにきてくれた仙台オリオンズの広報担当者だ。
「イースタンの試合では来たことはありますが、冬は初めてですね。思っていたよりも寒いです」
「そうでしょう、そうでしょう」と岡部と眼鏡のフレームも左手で上げながら笑った。俺は進行方向から左側の後部座席に座っているが、そこから岡部さんの腹から出た贅肉がシードベルトに食い込んでいるが見える。それでも元プロ野球選手だというのだから驚いた。
「4月でも雪が降ったりすることがあるんです。シーズンが始まっても寒さは続くので、ケガには用心してください」
俺は後部座席の窓から見える街並みを眺めていた。そういえば、この町の景色をまじまじと見るのは初めてだ。これまでは駅からバスに乗り、球場まで向かっていたが、車内では外を観察する余裕などなかった。
意外と都会だな、と思った。東北の地方都市という響きだけで勝手に田舎扱いをしていた。正直、トレードが決まったときも、よりによって東北かと思った。片田舎にある弱小チーム。今の俺にとってはぴったりだな、と自嘲したが、住むには良さそうな土地だ。人口も100万人を越えているらしく、駅前はそれなりに開発されていた。
「仙台って意外と都会なんですね」
運転している岡部さんに話しかけた。
「そうなんですよ。東北以外から来る方はみなさんそう言いますね。でも、都会っぽいのは駅周辺だけですよ。車で20分も走ったら田んぼもありますし、広瀬川を渡ると熊も出ます」
岡部さんがそこまで話したところで、「あっ」と何か気づいたような声を上げた。
「そういえば広瀬さんって、広瀬川と同じ字ですね。広瀬さんが甲子園で優勝したときの決勝戦の相手も仙台の高校でしたし、何か縁がありそうですね」
俺は思わぬ言葉に感心した。決勝の相手が東北ということまでは覚えていたが、仙台の高校だとはすっかり忘れていた。それ以上に、岡部さんが言う「縁」というものにピンときた。言われてみればそうかもしれない。野球の神様がいるのだとしたら、俺がトレードに出され、それが仙台だったというのも必然なのだろうか。
そんなことを考えている内に、窓から球場が見えてきた。オフシーズンともあり、人はそれほどいなかった。隣接する陸上競技場で練習をしているのか、ジャージ姿の高校生らしき集団がたむろしていた。運動公園の一角に球場があるようだ。
公園の入り口には大きくチーム名が書かれたゲートがあり、その奥にはグッズ売り場と見られる建物があった。球場につき、まずグッズを買い、球場に向かうという動線なのだろう。
車は関係者入り口から敷地内に入り、停まった。
「着きました。今日の流れですが、これから事務所で諸々の説明をしますね。住まいとか、日常生活のサポートもさせていただきます。あとは来週監督と入団会見を行うのでその打ち合わせも。今晩の宿は取ってあるので、ゆっくりなさってください」
車から降り、岡部さんが「どうぞこちらへ」と案内をした。俺はその隣をついて歩く。
岡部さんに球団事務所の応接室に通され、そこには部長と、もう1人男性が座っていた。その1人が立ち上がった。
「広瀬君ようこそ仙台オリオンズへ。編成部長の森塚です。よろしく」
森塚部長が右手を差し出し、俺は握手をした。60歳間近なのだろうが、白髪が目立つが前髪を上げてオールバックにした髪型が似合っている。顔の彫りが深く、体格もがっちりしていて、威厳を漂わせている。
テーブルを挟み、ソファが2つずつ置かれ、上座に俺と岡部さんが座らされた。岡部さんが「私は立ってます」と自重したが、森塚部長が「いいから、いいから」と笑ってたしなめた。
「ではいきなり本題だが、このトレード、うちからオファーさせてもらった。本来なら、こういうことは選手に言うべきではないのかもしれないが、分かってもらいたいのは、君を戦力として必要としたためのトレードだっていうことだ。当面は先発が主になると思うから、開幕に向けてしっかり準備をしてほしい」
まさかと思った。てっきり前にいた球団が金欲しさに俺を出したのかと思ったが、逆だったとは。しかし、数ある選手の中でなぜ俺に白羽の矢を立てたのか。不思議に思うが、期待されての獲得だという以上、細かいことは詮索せず応えるしかない。俺は拾ってもらった身なのだから。
「次に入団会見についてですが、4日後の13時に球場の隣のイベントホールで行います。前日に仙台入りしてください。新幹線やホテルの手配はこっちでやっておきます。会見は磯島監督も出席します。監督から帽子とユニホームを着せてもらったあと、写真撮影と質疑応答という流れです。全部で1時間ぐらいを予定しています」
森塚部長との会話が一区切りしたところで、岡部さんが口を開いた。
「多分思っている以上にマスコミが集まるだろうから、びっくりしないでよ」
森塚部長がコーヒーを口にしながら笑った。
「自分で言うのもあれなのですが、プロで実績があまりない投手の入団がそんなに注目されるものなんですか?」
「そりゃあ、広瀬君の高校時代を知らない宮城県民はいないよ。甲子園の決勝で君に派手にやられたからねえ」
「確かにそれはそうですが」
「まあ、あとはあれだな。岡部君」
「そうですね」
岡部さんも納得しているかのように頷いた。「あれ」を指すものが何か分からなかったが、頭に何かがつっかえている。記憶の糸を辿る。ゆっくり、ゆっくりと糸をたぐり寄せる。高校時代、甲子園、決勝戦、相手は仙台の学校。そこまで来たところで、つっかえが取れた。
「なるほど、そういうことなんですね」