第2章22 【戦友】
一瞬何が起こったのか分からなかった。ブルペンで肩を作っていたところ、突然驚嘆の声が上がった。テレビを見ていた人たち皆が立ち上がり、画面をのぞき込んでいる。普段は椅子に座り、リラックスして観戦をしている人ばかりなので、かなり珍しい光景だ。僕も思わず投球練習を止め、画面へ足を進める。
「え?」
目の前に映ったのはうずくまる白石だった。打球が当たったのだろうか。これは僕の出番かなとすぐにマウンドに戻り、キャッチボールを続けようとする。
「とりあえず高宮、行けるか」
ブルペン担当の投手コーチが受話器に手をかけ、声を上げた。「はい」と短く返すと、コーチがベンチと話し始めた。
「高宮は行けます。ですが少しでも時間を稼いでいただけるとありがたいです」
ベンチとの電話のやりとりなど、いつもはブルペン待機の選手たちに聞こえないよう小声でやり取りをしているのだが、今日は丸聞こえだ。それほどコーチも動揺をしているのかもしれない。
「これひょっとしてまずいんじゃないの」
誰かの声が聞こえてくる。
「大ごとだぞ。白石が抜けるの痛いな」
誰かが答える。そこまで白石の状態が悪いのか。あいつの身に何が起こったのか。もちろん良いことではないのは明白だ。分かるのはそれだけだ。
「もう投げられないんじゃないか」
そんなはずはない。あいつは僕と約束したんだ。あいつがエースになって試合を作って、僕が終わらせる。2人でたくさん勝とうって毎日のように励まし合っていた。約束を破るような男ではない。
それよりも、まずこれから投げることに集中すべきだ。この異常事態で試合をひっくり返されて勝利を逃すことは避けなくてはいけない。
「ひじ曲がらないんじゃないか」
「可哀想だけど引退だな」
呑気に会話をする先輩たち。ブルペン内で僕が最年少だが、さすがに苛立ってきた。あんたたちも同じ立場だろう。来年、いや明日1軍にいられる保証はどこにもない。今日投げて、打たれてそのまま戦力外という可能性もあるのだ。危機感が足りなさすぎる。
「ちょっと黙っててください」
僕は声を荒げないよう精一杯腹の力を入れ、声を押し殺した。それでも「え?」と誰かが聞き返したので、一気に爆発してしまった。
「だから黙れって言ってんでしょ! 仲間があんな状態でなんでそんな他人事なんですか」
苛立ちをボールに込めて思い切り投げる。ブルペン捕手が捕球する音が響いた。その破裂音が緊張感のないブルペンに喝を入れた。
「すまん、あまりにも無神経すぎた。白石はお前の相棒だったのにな」
誰かが謝罪を口にしたが、僕は一瞥もせずそのまま投球練習を続けた。無言となったブルペン。シューっとボールが回転し、パンっと捕球される。その音が一定のリズムで響き続ける。
それから10球ほど投げたころだろうか。電話が鳴り、コーチが受け1つ2つ返事をした後、電話を切った。
「高宮時間だ。スクランブル登板だが、何とか凌いでくれ」
「もちろんです」
最後に1球投げ込む。急な登板だが、準備はしていないことはなかった。全く問題ない。
「今の若いやつも肝座ってんじゃねえか。見直したぞ」
タオルと紙コップを差し出してきたのは浦和さんだった。
「ありがとうございます」
タオルで顔を拭き、スポーツドリンクを一気飲みする。
「いいか。球場はお前が体験したことのない雰囲気になってると思う。飲まれんじゃねえぞ」
浦和さんに背中を叩かれ、ブルペンを後にする。
もちろん白石のことは心配だ。しかし今は試合に集中する。戦友の後始末は僕に任せておけ。こっちのことは気にしないで自分のことを気にしてほしい。
元々そういう約束だったのだから。お前の勝ち投手の権利は絶対に失わせない。




