第2章20 【コウソクストレート】
藤島からボールを受け取る。バックスクリーン方向へ体を向け、かがんでロージンバックを手に取る。口元が緩むのを止められず、相手やテレビカメラに気づかれないよう顔を隠す。
「バカだろ」
誰にも聞こえない声量で小さく呟く。7回表1死、俺にとって2イニング目の先頭を左フライで打ち取ったが、打者に投じた4球すべてど真ん中の直球だった。
藤島は表情を変えず、淡々とサインを出した。もちろん藤島は真ん中には構えなかったが、指で真ん中と要求し続けていた。
打者も4球続けて直球、その上真ん中だったということもあり、完全に裏をかかれた形になる。
プレートを踏み、一呼吸置いて藤島を見る。まさかと思ったが、いっそのこと清々しい。直球の要求だった。
なるほど。南雲さんが首を横に振るなと言ってきた理由が分かってきた。藤島はこの回直球しかサインを出さないつもりだ。それを予見していた南雲さんが釘を刺したということか。
深く考えない。そう決めた。ならば藤島の大胆なリードについていくしかない。抑えたら投手の手柄、打たれたら捕手のせい、とよく言われる。
「藤島どうなっても知らないぞ」
両手を挙げ、ワインドアップの体勢をとる。左足を大きく上げ、低く体重移動をする。左足を藤島目がけて真っすぐ出して、思いっきり体を捻る。
148㌔。まずまずの直球が決まった。相手は見逃した。うんうんと打者が頷き、直球しかないと確信したようだった。それを藤島が見逃したはずがない。藤島が打者を一瞥し、ボールを返してきた。
それでもだろ。投げるのは1つだ。首を縦に振り、テンポよく投球動作に入る。
投げた瞬間打者は「来た」と思っただろう。手ぐすねを引いて待ちわびた球だ。だが、俺も簡単に負ける気はない。
黒いバットが球に当たる。球威はある。このまま押し切れる。カンッと乾いた音が上がり、俺の右脇を打球が転がる。勢いはない。力勝ちだ。ショートの浪川さんが難なく捕球、一塁へ送りこれで2死となった。
一塁を駆け抜けた相手は手を軽く叩いた。顔を引きつらせながらベンチへ戻る。悔しさを隠し切れずにいた。
「ツーアウトな」
藤島が合図を出す。再び、ロージンバックを手に取る。思わずつかみすぎてしまい、手が真っ白に染まった。ふーっと軽く息を吹く。ロージンが白い煙となって飛んでいき、適量が手に残った。
新しいボールを審判から受け取る。帽子のつばを触ってお礼をする。藤島のおかげか、南雲さんのおかげか。さっきよりもだいぶ落ち着いてマウンドに立っている。やっている投球は破天荒そのものだが、打たれる気がしない。
打席に入った次の打者は明らかに目が泳いでいた。何が来るのか分からないという表情だ。いや、何が来るかは分かっているはずだ。しかし、そんなはずがないと自ら否定している。
投球動作に入りながら、俺は思わず口角が上がった。こんな後ろ向きの打者に打たれるほど、落ちぶれてはいない。打てるものなら打ってみろ。
力いっぱい腕を振る。顔がぶれ、帽子がずれ、目元が隠される。
「ストライク」
審判の声が聞こえる。見逃したということか。右手で帽子を外し、そのまま返球を受ける。スピードガンを見ていなかったので、球速は分からなかったが、今日で1番速い球がいった手ごたえがある。
今の球を続ければいい。それでこの打者は抑えられる。
2球目も全身を大きく使う。力を溜めて、溜めて。投げる瞬間の指先に全神経と全力を使う。
ノビのある直球が藤島のミットに収まった。ど真ん中であるはずなのに、打者の手が出なかった。思わずスコアボードの球速表示に目をやる。155㌔。十分すぎる。
3球目。やることは相変わらず1つだ。負けない。もう誰にも負けない。頭を真っ白にして打者を睨む。
俺の前から消えろ。あと1球投げればそれで終わりだ。ピッチャー広瀬豪也、大きく振りかぶって、投げる。
バットが空を切り、「ズドン」という音が響いた。今日最高の球がついさっき更新されたばかりだが、それをさらに上回った球だった。思わず「よし」と吠え、グラブを叩く。
そのままベンチへ堂々の帰還。歓声に迎えられながら、藤島や日下部、モーリスなど野手陣とグラブでタッチをする。
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「まったく6回とそれ以降で別人だったな」
ロッカールームで着替えをしていると、南雲さんに声をかけられた。
「南雲さんと藤島のおかげですよ」
アンダーシャツを脱ぎ、右を向く。右隣のロッカーは南雲さんだ。椅子に座り、タブレットで今日の動画をチェックしている。
「特に7回の最後のバッターを三振にした球。あれは痺れたねえ。155㌔。全盛期に近づいてきているな」
「高校時代が全盛期なんていやですよ。俺の全盛期はまだまだこれからです。高校時代を超えますよ」
少し言い過ぎで生意気な発言だったかと思ったが、南雲さんは「それもそうだ」と笑った。
6回から登板をして出足はつまづいた。南雲さんの発破や藤島のリードに助けられ、立ち直れた。そのまま9回まで投げ抜くことができた。7回以降は1安打無失点無四死球。三振は4つ取った。さすがに8回以降は直球だけではなく、変化球も多少交えた配球だったが、それでも直球主体で攻め続けた。その副賞として手に入れたのが、プロ初セーブだった。
セーブといえば、僅差で勝っているときに最終回に投げて勝利を決定づけた投手に与えられるイメージが一般的には強いが、点差関係なく勝っている場面で3イニング以上投げて試合を終わらせた投手にも与えられる。
セーブ数1。今の俺にとってこの「1」が自分自身を立ち直らせてくれた証だ。単なる数字だと言ってしまえばそれまでだが、大切な1セーブだ。




