第2章18 【連投】
「ねえお前バカなの」
日下部が笑った。日下部はモーリスが転がしたボールを三塁付近で捕球し、モーリスに投げ返した。
「俺が志願した訳じゃないよ」
歩幅に合わせて地面を掘る。
「監督も粋なことするよなあ。プレシーズンになったら、奇策で案外勝ち上がるかもしれないぜ。1番日下部2番モーリスの超攻撃型打線とか、広瀬抑えとか」
「試合中の妄想はほどほどにしとけよ」
「広瀬分かったよ。まあプレシーズンも試合するためには、1個1個勝ちを積み重ねないとな」
投球練習をする。ブルぺンで投げたときのような球をここでも投げられている。
1イニングとは言わず、最終回まで投げきってやる。もうすぐオールスターゲームが行われるため、選ばれない俺にとってはまとまった休みがある。多少無理をしても大丈夫だろう。
そしてなにより、リリーフ陣の負担を減らしたい。今回救援を初めてやったことで、その大変さがよく分かった。毎日投げて当たり前の日々。極力登板数を減らして、今後の重要な局面で万全の態勢で出てもらいたい。
「プレイ」
審判が右手を挙げる。6回表が始まった。
捕手の藤島が打者の動きを観察し、股の間でサインを出す。初球はスライダーを要求してきた。
大きく振りかぶる。左打者の外角ボールからストライクに入るように投げ込む。初球では、打者は絶対に手を出さない。
外角低めに決まり、案の定打者が見送った。しかし審判の手は挙がらず。1ボールとなった。
「今のでいいぞ」
日下部がグラブをこちらへ向ける。点差はある。落ち着いて投げなくては。
2球目は外角低めのストレートのサイン。さっきはボール2個ほどずれてしまったが、同じようにイメージをして投げる。
鈍い打球音がして、俺の右方向にボールが転がる。ちょうど三遊間のど真ん中。勢いがないので内野を抜けないだろう。
ショートを守る浪川さんが腰を低く保ったまま、右へ移動をする。身体を進行方向へ向けたまま、グラブを出す。逆シングルの体勢で捕球をする。右足で踏ん張り、一塁へボールを投げる。ワンバウンドの低い送球であったが、打者走者が一塁へ到達す方が早かった。内野安打。無死一塁となった。
「これはしゃーない。気にしなくていいぞ」
藤島がマスク越しに声をかける。右手を挙げてそれに応える。
打ち取ってはいたが、不運にも走者を出してしまった。割り切って投げるしかない。
セットポジションの構えでサインを見る。点差が開いているが、相手打者はバントの体勢を取っている。
背中越しに一塁走者に目をやる。それほどリードを取っていなく、打者もバントをしようとしているので、特に気にしない。
ボールを投げ、マウンドを駆け下りる。打者はバットを両手で持ったまま変わらず、ボールを当てる。
ホームベースから3㍍ほど、1塁側へコロコロと転がる。ラインギリギリで敵ながら良いバントだと思う。
俺が捕球をし、素早く身体を反転させる。二塁で走者を殺すことを考えるが、明らかに間に合わない。仕方がないので、一塁へ送球をする。
モーリスも打球処理のため前進していたため、ベースカバーに入ったセカンドの橋本が俺の送球を受け取る。1アウト。とりあえずアウト1つ取れた。
「ワンナウト、ワンナウト」
藤島が人差し指を立て、ナインも同様にする。俺も内野陣を1人1人見て、合図をする。
1死二塁。得点圏に走者を進めてしまったが打者に集中だ。
マウンドで1度目を瞑る。息を大きく吸って、吐く。そして目を開く。
相手の左打者を睨む。サインはカーブだった。内角低めを狙って、ボールを抜く。しかし思い通りのコースにはいかなかった。
若干高かった。膝元をイメージして投げたが、大きく弧を描いたボールが実際にはベルトの高さへ落ちていった。
コンパクトに鋭く振られたバットがボールを捉える。打球が勢いよく一、二塁間を抜けていく。
「やばい」
打球を目で追いながら、ホームベース後方へベースカバーに向かう。二塁走者が一気にホームへ戻る可能性がある。
しかし外野が前進守備をしていたため、ライトが捕球するのが普段より早く、しかもチーム内でも強肩の選手だった。
三塁コーチャーが両手を広げて走者を止める。ライトから糸を引くようなレーザービームが藤島のミットへ届く。
ライトを称える歓声と拍手に包まれるが、俺の表情は変わらない。
「1点は上げるつもりいいぞ。切り替えていけ」
藤島が俺の背中を叩く。自分の顔を叩いて気合いを入れ直す。
マウンドに戻り、額の汗を拭う。意識を打者に集中させるが、気が緩んだのかストライクが入らない。
「ボール、フォア」
審判が一塁を指す。1死満塁となった。4球連続のボール球。アウトが欲しいだけに投げ急いでしまったか。
「落ち着いていけよ」
日下部が声を張る。それに応える余裕がなかった。
藤島からは直球を要求された。ストライクが入らない今、直球が最もカウントを稼げる可能性がある。
もちろん相手も承知のことだろう。だからこそ生半可な投球だと打たれてしまう。
これではダメだ。こんなんじゃダメだ。自分に言い聞かせる。お前の球はそんなんじゃないだろ。自分自身を鼓舞させる。
再び深呼吸をする。満塁であるが、セットポジションから足をゆっくり上げ、投げる。
しかし現実は甘くない。直球を予測していた打者がボールを芯で捉える。鋭い打球が俺の顔面目がけて飛んでくる。
咄嗟にグラブを出す。顔を背け、打球から身を守ることを心がける。無意識に目を閉じてしまった。
左手に衝撃が走った。グラブに打球が当たったのかと目を開くが、野球の神様が微笑んだのか、グラブの中にボールが収まっていた。
そのまま一塁へ送球をする。飛び出していた走者が戻り切れず、ダブルプレーとなった。
「マグレダネ」
モーリスが笑顔で駆け寄ってきた。グラブでタッチをしながら、ベンチへ戻る。
心地良いものではない。結果的に0点に抑えられたが、バントによるものと、たまたま打球がグラブに入ってのものだった。自分で取ったものではなかった。
「浮かない表情してんなあ」
ベンチに座っていた南雲さんが立ち上がった。今まで見たことのない表情をしている。眉間にしわを寄せて、俺をじっと見つめている。
「そりゃあ、この結果だとうれしくもなんともないですよ」
「だろうな」
南雲さんは表情を硬くしたままだった。
「ちょっとベンチ裏へ来い」
左腕をつかまれ、そのままベンチ裏へと引っ張られる。




