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ブルペンから鐘が鳴る  作者: 宮瀬勝成
第2章  杜の都のニューカマー
23/61

第2章16  【恵みの雨】

「うーん」


 捕手の藤島からボールを受け取り、首を捻る。思うように球が行かない。


 浦和さんの電撃入団会見から2日後、俺はホームの千葉戦のマウンドに立っていた。2日前から雨が降り続いているが、これまで試合が中止になるような強さではなかった。


 しかしこの3日間では今日が最も雨量がある。普段はマウンド付近においてある滑り止めのロージンバックを右の尻ポケットに入れ、1球投げるたびにズボンで濡れた手を拭う。


 気温も高くなく、長袖のアンダーシャツを身にまとっているが、回が終了するたびに着替えている始末だ。


 正直言って、野球をするのに適した環境でないのは間違いない。そういった点から今日は調子が悪いのだろうか。


 3回表2死二、三塁。初回と2回で1点ずつ取られた。この回は先頭をレフト前ヒットで出塁を許すと、三振、ライトオーバーの二塁打、サードゴロの結果だった。これまでの球速の最高は144㌔。前回の登板と比べると、圧倒的に威力が足りない。


 ここ3試合、浦和さんは球場で観戦しているらしい。今のオリオンズがどんな状況なのか見極めるためだという。この不甲斐ない投球も見られているということか。


 スパイクでプレート付近の土を掘る。マウンド上にはうっすらと水が浮かび上がってきた。投球動作に入ると若干滑る感覚がある。投げづらい。


 藤島からのサインに頷き、セットポジションの構えから足を上げる。いつも以上に丁寧に体重移動をして投げる。


「あっ」


 リリースの瞬間思わず声が出た。指が滑り思うように回転をかけられなかった。


 この湿りきった球場に乾いた打球音が上がった。高々と上がった打球はレフトスタンドの中段まで飛んでいった。


「今日は散々だな」


 藤島が肩を叩いた。打者がダイヤモンドを1周し、マウンド上に野手陣が集まってきた。投手コーチが審判からボールを受け取り、マウンドへ駆けてくる。磯島監督もベンチへ出て、審判に交代を告げた。


 2回3分の2を投げて6安打5失点。最悪の結果だ。前回の1軍初登板でいい投球ができた。だからこそ今日が大事な試合だったが、チャンスを生かし切れなかった。


「まあこんな日もあるさ。気にするな。まあ広瀬をうまく料理できるのは藤島よりもこの俺だな」


 なんとなく南雲さんの隣に座ったが、南雲さんは暢気に笑った。


「今日は全くボールがいきませんでした」

「まあこの雨なら仕方ないだろうよ。それでもなんとか試合を作るというのがプロの仕事でもあるけどな」


 南雲さんの言葉に俯く。その通りだ。環境のせいにしてはいけない。どんな状況でも、安定した投球をしないと、チームとしては計算しにくい投手だ。いっちょ使ってみるかと博打的は選手起用もなくはないが、それもチームに余裕があるとき若手に対してするもので、30歳間近の俺はそういう扱いをされない。


 腹の底から沸々と怒りが沸いてくる。なんでこんなに情けないのだろうか。自分自身に失望をした。


 このまま2軍送りにされるのだろうか。1軍登板1試合だけで逆戻り。世間からは「やっぱりな」と思われるのだろうか。


「とりあえずマッサージでも受けてこい」


 次の打者が凡退し、チェンジになったタイミングで南雲さんに促された。二つ返事でベンチ裏へ引き上げる。


「お疲れ様です」


 部屋に入るとトレーナーが挨拶をしてきた。そのままうつ伏せに寝かされ、マッサージを受ける。投球については何も触れてこないのがありがたい。気を遣ってくれているのだろうか。テレビから試合の中継が流れている。さっきまで投げていたグラウンドが映っている。それがテレビ越しに見えると、あの投球が夢だったのではないかと思う。


「あー、出てこないですね」


 トレーナーが口を開いた。ふとテレビが目に入ったのだろう。守備に就くはずの千葉の選手たちがそのままベンチで待機をしている。「雨により試合を一時中断しています」とテロップが流れている。


 両軍のベンチの様子を映したあと、今日のハイライトが流された。俺が打たれた場面ばかりだが、目を背けずにそれを眺める。映像で見て分かったのだが、肩の位置が普段より下がっていた。足下に気を取られすぎていて、それ以外が疎かになっていた。


 中断されてから10分ほど経ったぐらいだろうか。俺はマッサージの途中だったが、グラウンドへ出てきた審判がホームベースの前に立ち、右手を挙げた。試合終了。5回まで進まなかったので試合は不成立。ノーゲームとなった。


「割と早い決断でしたね」


 トレーナーの手が休まることなく、俺の身体をほぐす。だいぶ身体が軽くなってきた。


 天候なのでどうしようもないことではあるが、相手にとっては勝利を1つ損した形になる。こちらとしては命を救われた。まさに恵みの雨だ。


「お疲れ様」


 部屋にはトレーナーと俺しかいなかったが、突然第3の声が聞こえ、顔を上げる。磯島監督だ。入り口に立っていて、こちらも立ち上がり「お疲れ様です」と背筋を伸ばす。


「そんなにかしこまらなくていいのに。座ってよ」


 磯島監督が笑いながら椅子に腰掛ける。俺はマッサージを受けていた診察台に座る。


「席外しましょうか?」


 トレーナーが気を使うが、磯島監督が「大丈夫、それより作業を続けて」と促し、トレーナーはアイシングの準備を始めた。


 磯島監督がわざわざ俺に話しかけにきた。嫌な予感がした。2軍行きを告げられるのだろうか。


「今日はどうしようもないピッチングだったね。悔しいでしょ」

「もちろんです。不甲斐ない投球をしてしまい、申し訳ありません」


 心から頭を下げる。ノーゲームとはいえチームに迷惑をかけた。


「別に叱りにきたわけじゃないんだから」


 磯島監督がたしなめる。穏やかで気の良いおじさんと思われるような人柄だ。


「肩とか肘は大丈夫?」

「はい、トレーナーさんにだいぶ軽くしてもらいました」

「よし、ここから次の登板まで1週間悔しい気持ちを引きずるのもあれでしょ。だから思い切った話をするよ」


 磯島監督の言葉の意味がよく理解できない。頭に?マークが浮かんだままだが磯島監督は言葉を続ける。


「明日の試合、広瀬に投げてもらう。中継ぎでだけども、そのつもりで」


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