第1章1 【あの人は今】
気がつくと、俺は新幹線の車内にいた。そうか、夢だったのか。窓の外を見る。いつの間にか眠っていた。時計に目をやる。ほんの1時間寝ただけであるのに景色は一変していた。
東京では建物が自分の背を競い合うように立ち並んでいた。しかし今窓の外にあるのはまっ白の平地だけだ。他には何もない。
どういうわけかコンクリートジャングルの中で暮らしているよりも、何もないところで伸び伸びしているのも悪くなさそうだと最近になって思うようになった。都会での、これまでのことをすべて忘れ去ってしまいたい。
目を凝らして見ると雪がちらついていた。遠征で何度か東北を訪れたことがあるが、冬の東北は経験したことがない。想像もつかないほど寒いのだろう。
これからの東北生活は不安でしかない。寒さも厳しいだろうが、私自身も厳しい状況にある。冬という季節はあと数ケ月もすれば過ぎ去り、代わりに春がやってくる。しかし俺は人生における冬を越すことができるのだろうか。
来シーズンで結果を残さなければ解雇が現実的になるだろう。かといって、他の業界で仕事をこなせるだけの能力はない。あとがないという言葉がぴったりである。
昔の夢を見たのは何年ぶりだろうか。なぜこのタイミングで。今の俺からしてみれば、なぜあんな自信を持っていたのか分からない。なんでもできるという若気の至りだったのか、それとも本当に実力を伴っていたからなのか。
俺は東京の中心で生まれ育った。小学2年生の時、地元の少年野球団に入った。小学4年にはレギュラーの座を得ることができ、上級生に混ざって試合に出るようになった。当初は外野手だったが、翌年から投手を務めるようになった。
小学校最後の大会では全国大会のベスト4まで進んだ。直球には誰にも負けない自信があったので、細かいコントロールを気にせず、ただ真ん中にめがけて投げるだけだった。が、少年野球はそれで充分だった。速い球がストライクゾーンに決まればなかなか打たれない。
中学生になると、中学校の野球部には入部しなかった。硬球を使うシニアリーグの強豪チームから誘いを受け、そちらの方に入団したからだ。
規則上、部活とシニアリーグのどちらかしか選手登録できない。より高いレベルで野球をやりたかったため、野球部に入部する必要がなかった。
俺が入団したチームは関東の有望な選手を集めて構成されていた。確かに競争があり、やり応えがあったが、最終的にはエースの座に上り、全国準優勝に輝いた。
その頃には東京、いや関東の野球界で俺の名前がある程度知られ始めていた。あいつは怪物だ。どこの高校に進学するのか。そういった話題がシニアリーグ内で噂されていたらしい。
関東以外にも関西、東北など、全国の名門高校からスカウトをされた。しかし、俺はシニア時代の監督の級友が指導する都内の高校に進学した。俺が慕った監督が勧めた学校であれば、もっとうまくなると思ったし、都内であれば、注目も浴びやすいだろうとも考えたからだ。
とはいえ、進学した高校は、野球部員は100人を超す大所帯で全寮制。全国から選手を集める名門校だった。ここでもそれなりの競争があったが、そこでも実力で俺に敵う者はいなかった。
1年生の秋からエースナンバーである背番号「1」を背負い、甲子園には合計で4回出場した。高校3年の夏の甲子園では、1回戦で1人もランナーを出さずに勝利するという、完全試合を達成した。
決勝戦では完封で優勝し、最後の投球で158㌔を計測した。18歳で初めて日本一の栄光を掴んだ。
ここから俺の生活はがらりと変わった。マスコミに連日取り上げられるようになった。街を歩いていてもたくさんの人から声を掛けられた。当時交際していた恋人と出かけることもできなくなる程である。
行動を制約されるようになったが、俺は悪い気が全くしなかった。世間が自分に注目している、そう考えると有頂天になった。当時の俺は自分でも驚くほどプライドが高く、自己中心的な行動も目立っていた。
最速158㌔の豪腕という肩書きがつき、当然、プロ野球界からも注目されていた。実際、12球団すべてのスカウトから挨拶はされていた。
アメリカのメジャーリーグのチームから声がかかったのにはさすがに驚いた。まずは日本で最高の投手になってからアメリカに渡ろうと考えていたので、丁重にお断りをした。
ドラフト会議では4球団競合の結果、東京に本拠地を置く球団に入団した。「球界の盟主」と呼ばれる球団ということで、とても嬉しかった。世間には12球団どこでもいいと言ってはいたが、強い球団に入りたかった。もう一度日本一になりたかったからだ。全国で1番という気持ち良さはその場に立った者にしか分からない。
傍から見れば順調すぎる野球人生である。俺もプロの世界でも活躍できると確信していた。
入団会見では堂々と「新人王、そして球界を代表選手になる」と宣言をした。
しかしそんなに甘いものではなかった。野球を深いところでなめていた。
プロになって10年目のシーズンを終えたころには世間の目が向かなくなり、影の薄い選手になっていた。
俺の名前を聞くとプロ野球ファンは「そんな奴もいたな」と口を揃えるようになった。10年前の甲子園優勝投手。あの怪物はどこいった、とネット上でたまに話題が出るくらいだった。
3日前、突然2軍監督から電話があった。
「広瀬、お前はトレードに出された。仙台に行け」。
翌日の朝刊では、小さく掲載されていた。俺に関する久しぶりの記事だ。
マスコミもいつの間にか俺のことを取り上げることがなくなっていった。スポーツ新聞の1面に私の写真がでかでかと載っていた頃が懐かしい。
当たり前のことだ。活躍しない選手を記事にしても意味がない。
活躍している選手はプロの中でもごく一部で、なかなか日の目の当たらない選手が大半だ。
車内にメロディが鳴り、「まもなく仙台、仙台です」というアナウンスが流れた。建物が増えてきた。外の景色も街らしくなってきた。
荷物をまとめ、席を立った。進行方向側に歩いていき、降りようとする乗客の列に並んだ。
俺の後ろには30代半ばぐらいの男性が2人いた。会社の同僚同士が出張で仙台へ来たのか、それともどこかに出張をした帰りなのか分からないが、2人ともトレンチコートの下にスーツが見える。どちらも短髪で、すらっとした体型だ。俺より少し小さい位だから180㌢はあるだろう。一般的には背が高い。
2人はこそこそと話をしているが、その内容が聞こえてくる。
「おい、前にいるのってプロ野球の広瀬じゃないのか?」
「本当だ。広瀬って、何年か前に甲子園で大活躍した奴だよな。懐かしいな。やっぱプロって背でかいなあ。でもなんでこんなところにいるんだ?」
「お前知らないのかよ。金銭トレードでうちにくることになったんだよ」。
「本当かよ。でも活躍できるのかよ。なんか高校時代がピークだったよな。こっち来ても変わらないんじゃないか」
「でもまだ20代後半だろ。若いのに手放す球団の方が理解不能だと思うけど。移籍で吹っ切れるんじゃないの。俺は応援するぜ」。
「なおさら若くて出されたならよほど見切りをつけられたか、素行が悪くてフロントと揉めて首を切られたとか。なんか裏があるんじゃねえの。活躍してくれるならいいんだけどな。裏切られるのも嫌だし、俺は期待はしないでおくよ」。
地元球団のことを「うち」と呼んだり、そもそも俺の顔を知っていたり、広瀬と聞いてすぐピンときたからして、あの2人はかなりの野球好きなのだろう。
言いたい放題言うなと思いはしたが、こんなことは慣れている。というより、俺が移籍した理由の考えはなかなか鋭く、感心しそうになった。さすがにフロントと揉めはしなかった。正確には移籍の理由を聞かされていないが、恐らく金だろう。
昨シーズンやってきた助っ人の外国人が大当たりだった。ベネズエラ出身の長距離打者で、打点王に輝いた。
チームからすれば残留して、来シーズンもプレーしてもらいたい。契約更改では年俸を大幅に上げて提示したが、助っ人外国人にとっては不満だった。結果、交渉が縺れてしまった。自分たちより高い年俸を払われ、他球団に取られることはなんとしても避けたい。球団側が折れることになった。
球団の経営状況ではそう簡単に給料をさらに上げることは厳しい。なんとかやりくりしたがどうしても足りない。そこで打った手が金銭トレードである。選手を他球団に差し出すことで、金を得るのである。その標的が俺だったという訳だ。
プロになってからの10年間は試行錯誤の日々だった。初めてのキャンプでは先輩たちに圧倒され、自分の力不足を痛感した。なんとかしようと焦って練習に励んだ。結果としてそれがダメだった。オーバーワークで右肩を痛めた。
怪我をして出遅れたことで、さらに焦った。怪我が治ったら別に箇所を痛め、それが続いた。
フォームも何度も変えたが、しっくりくるものがなかった。2軍の試合でも結果が残せず、10年間で一軍で投げた試合は9試合。通算成績は2勝6敗。その末路がトレードだ。
トレードが成立したということは、少なくとも自分を必要としてくれたということである。率直に嬉しいことであり、ありがたいことであるが、期待に応えることができるのだろうか。
移籍を機にもう一度表舞台に立ちたいという気持ちはある。しかし自信が全くない。現状を打破するのにはどうすればいいのだろうか。
新幹線が停まった。ドアが開いたようで列が前に進み始めた。
新幹線から出ると、冷たい空気が顔を撫でた。痛みにも感じるような冷たさだ。同時に心地よい空気が体内に入っていった。空気がとてもきれいで、おいしいように感じた。
そのとき風が吹いた。俺は無意識に体を丸めた。東北の冬はこんなにも寒いのかと首を引っ込めながら、俺はエスカレーターを下った。
球団職員が改札まで迎えにきている。メールで知らされた電話番号を入力し、耳に当てる。