第2章4 【緑の彗星】
「オリオンズの先発ピッチャーは白石大和。背番号13」
ベンチから勢いよく駆け出す。大歓声が俺を包む。日曜日のデーゲーム。球場は満員だ。去年の後半から1軍で投げ始めたが、やはり1軍の試合は別格だ。高校野球とは違って、お客さんの数や注目度が桁違いだ。高校最後の夏に投げた甲子園のマウンドで感じたものと同じだ。毎日が甲子園。そう考えるとプロってやばいなと思う。
待ちに待ったシーズン。試合前はその3戦目に抜擢されてうれしさとプレッシャーが半々だったが、まっさらなマウンドに立つと一気に落ち着いた気がする。
投球練習を終えると、始球式が始まった。小柄な女性がペコペコ頭を下げながら、マウンドへ向かってきた。白のパンツに黒のソックスを膝下まであげている。野球のユニホームを着ているのかと思ったが、上半身は白と赤の元禄模様のスポーツウェアのようなものを着ている。バックスクリーンには「桜庭希望騎手」と紹介されていて、なるほど勝負服かと納得した。
「よろしくお願いします」
桜庭騎手が微笑んできた。そういえば美人騎手が活躍していて、巷で大人気だと聞いたことがある。
マウンド上で一呼吸つくと、振りかぶって足を上げた。その瞬間「おっ」と思った。桜庭騎手はそのまま流れるように、ボールを投げ、きれいな放物線を描いて捕手の藤島さんのミットに収まった。ど真ん中のストライクだ。
「野球やられてたんですか?」
「はい、中学までやってました。女子プロ目指してたんでけど、肩壊しちゃって。でもプロ野球のマウンドで投げられてよかったです。夢叶いました」
桜庭騎手が照れ笑いをしながら、右手を差し出した。「ナイスピッチングです」と握手をすると、「ありがとう」とマウンドを去っていった。
審判からボールを受け取り、両手でこねる。ふーっと深呼吸をした。大丈夫、大丈夫だ。自分に言い聞かせ、集中する。
「よっしゃ」
右手で胸を強く叩き、吠える。それに反応して観客も沸いた。自分では気合いを入れるためのルーティーンが、気づいたらそれが代名詞となってしまった。恥ずかしくなって止めようかとも思ったが、日下部さんに「それもファンサービスだし、それをやって落ち着くならいいじゃないか」と諭された。
「よっしゃ大和、いっちょ頼むぞ」
サードのポジションから、いつもそう言って真似をする日下部さんを見ると、日下部さんがやりたいだけなんじゃないかと思う。
この人がいてくれて本当に心強い。点を取ってくれるし、いつもチームを盛り上げている。精神的にも戦術敵にも引っ張る大黒柱だ。
「ヤマトダマシイ、ミセツケタレ。ジャナキャ、セップクダ」
ファーストを守るモーリスが同じように胸を叩いた。そんなの日本語を誰から教わったのか分からないが、片言で一生懸命励ましてくれ、思わず笑ってしまった。
「プレイボール」審判の手が上がった。
捕手の藤島さんを見る。サインはストレートだった。頷いて左足をゆっくり上げる。藤島さんのミットから目を放さず投げる。左打者の外角低め。構えたコースに決まった。
2球目のサインはツーシームだった。相手打者からは逃げるように少し沈む。ファールやゴロを打たせるのには適している。藤島さんは初球と同じとことに構えたが、ボールが2個分甘くなってしまった。
バットに当てられはしたが、芯では捉えられなかった。勢いのない打球が転がり、「オッケー」と日下部さんが前に出た。打球を難なく処理し、一塁へ送球した。
「先頭とったぞ」
藤島さんが人差し指を立てた。先頭打者を打ち取ったことで、より肩の力が抜けた。
その後も三振は取れなかったが、内野ゴロ2つで初回を0点で抑えられた。ナインとハイタッチをしながらマウンドから引き上げ、ベンチの隅に座った。
「よし、上々だ。空振りを取ろうとして力むなよ。この調子で打たせて取ろう」
藤島さんが隣に座ってきた。
「3点で抑えれば大丈夫だ。今日の相手のピッチャーとうちの打線なら、援護期待できるぞ」
「頑張ります」
それは同意見だ。4番の日下部さんと5番のモーリスは去年どちらも本塁打を30本以上打った。打線9人のうち3割打者が3人もいる。得点力はリーグ屈指だ。しかしそんな武器を持ちながらも昨年は4位、ここ5年間優勝戦線から遠ざかっているのは投手陣が足を引っ張っているとしか思えない。自分も3勝はしたものの防御率は4点代。打線の援護のおかげだ。それなのにファンの間では「期待の若手」だととか「彗星のごとくやってきたホープ」などと言われるのだから申し訳ない。
そうこうしていると、気づいたら1死一、二塁となり、打席には日下部さんが入った。イギリスのスパイ機関を舞台にした某映画のテーマ曲が流れ、意気揚々と素振りをしている。
「そういえば、日下部がなんでこの登場曲を選んだか知ってるか?」
「スパイみたいに敵を仕留める的な理由ですか」
「正解。相手ピッチャーを1発で打ち負かしたいからだって。単純だよな」
藤島さんが間延びした口調で笑った。
「有言実行で本当にやっちゃうからすごいんだよな」
日下部さんはバットを鋭く振り抜くと、乾いた打球音と共にボールが勢いよく飛んでいった。身体をベンチから乗り出し、レフト方向を見る。スタンド上段で打球が消えた。
「初球だぜ。なんであそこまで自信持ってバットを振れてあんなに飛ばせんだよ」
藤島さんが興奮しながら手を叩いた。
地響きのような大歓声を背に、日下部さんはゆっくりとダイヤモンドを回る。
すごいとしか言いようがない。天才というのはこういう人のことを言うのだろう。球場が完全に「日下部一色」だ。一振りで流れを引き寄せる。まさにゲームの支配者だ。こんな選手に自分もなりたい。
まずは、と思った。この試合負ける訳にはいかない。絶対に抑えて勝つ。その積み重ねだ。




