6. あ、やっぱ魔法ってあるんですね
幹都は服が汚れるのも気にせず神獣に抱きついていた。両手は傷を刺激しないようそっと毛並みを撫でる。
神獣も目を瞑りじっとされるがままになっている。
どのくらいの時が経ったのであろうか。ふと、神獣が口を開いた。
「……ミキト、そなたの父親は、いつもあんなに疑り深いのかの?」
幹都は眉を寄せ少し考えるようなそぶりを見せたが、首を横に振った。
「うーん、良くわかりません。たまに怖いですけど、やさしかったり一緒に遊んでくれたり。あ、でも父のお友達が来た時とかは、父はいつも突っ込まれてました。ふらふらしてるとか空気読まないとか慣れ慣れしいのか踏み込んでくるのが上手いのか紙一重だとか、発想がおかしい、とか」
気をつけよう。子供はしっかりと大人達の会話を聞いている。
「……でも、疑り深いとか聞いたことないです。どっちかというとすぐ信じちゃうタイプかな?」
気をつけよう。子供はしっかりと親を見ている。
「……今の我は、そこまで信用出来んということなのか?」
「そっ、んなことないです! 僕は好きです。だから、父が何であんな態度なのかわかりません」
小さく呟く神獣を慌てて幹都が撫でまくる。
一匹と一人はまた無言に戻り、静寂が訪れる。
「……なんじゃ? この音は」
神獣が何かに気付いたようだ。幹都には聞こえなかったので首を傾げる。
しばらくすると、幹都にもエンジン音が聞こえてきた。
「あ、あれが車の音です。父達が来たんだと思います」
がたん、ばたん、と派手な音と共にゆっくりと車の気配が近づいてきた。
幹都からは目視出来ないところで車は止まったらしい。多分、近づくことが出来なかったのだろう。
神獣の近くは戦いが激しかったようだ。かなり森が荒れており、木々や地面が荒れ、車が入って来れる状態では無い。
向こうから、何か驚いているような声が聞こえてきた。
しばらくすると、片山一家が木々の陰から姿を現した。
「くまさんっ! おっきい! あれ? くまさんけがしてるの?」
文葉が駆け寄ろうとしたが雅花が手を離さなかったので近寄ることは出来なかった。その状態で神獣を見て、血がついていることに気付き顔を歪める。
「うん、怪我してるからね、触るとポノサマ痛いだろうから触っちゃダメよ。ポノサマー、お待たせしました」
「うん、じゃ、ふみは、いたいいたいとんでけ、してあげる」
いや、だから触っちゃダメよ、と言いながら近づいてくる。
ちなみにポノサマの発音は殿様と同じである。
「……もしかして、ポノサマとは我のことか?」
「はい、好きに呼べと言ってましたので。一応、私達の国で昔のえらい人を指す『殿様』とポノレー大森林を掛けてみました」
「ポレノー大森林じゃ。好きに呼べとは言うたが、それは神獣かポレノー大森林の主とかそういう意味でなんじゃが。あまり敬われている気もせんぞ」
「あ、ポレノーか、失礼。でも、ポノサマで行きましょう。一応、先ほどまでの無礼のお詫びの親しみやすい名づけなのですが」
「何故、無礼の侘びで親しみやすさがいるのじゃ?」
「夫がすいません。神獣様、幹都の母の登志枝です」
「ふみはです、こんにちは、ポノサマ! このこはぷー子とぷースケです!」
神獣の前に回り、登志枝と文葉が頭を下げて挨拶した。文葉は抱いていたぷーすけとぷー子のぬいぐるみを見せてぺこりとお辞儀させる。
神獣は少し驚いたような目で、じっと2人を見つめていた。
「……ん、すまぬ。ポレノー大森林の守護者たる神獣じゃ。ミキトには世話になっておる。……トッスエとフミハじゃったか? 重ねて迷惑をかけて申し訳ないが、そなたら、回復魔法を掛けてくれぬであろうか? 出来るところまでで構わぬのじゃ……」
神獣の申し出に、登志枝たちは目を丸くした後、家族で見つめあった。
魔法あるんだ、と登志枝がつぶやいた。
「ポノサマも本当に話してるし、○ルニアみたい」
「クローゼットじゃなくて崖から落ちたけどね」
「……なんの話じゃ?」
登志枝と雅花が小声で話していると神獣がいぶかしげに口を挟んできた。
2人は慌てて、すいませんちょっと驚いて、と誤魔化した。
「えーっと、魔法でしたっけ。すいません、出来るのなら喜んで使いますが、私魔法なんて使ったことなくてやり方が……」
「……ポノサマ、そもそもなんでとしえさんとおふみに頼んだですか? 私と幹都には頼みませんでしたよね?」
おふみ? と神獣が聞き返したので、文葉の愛称です、と雅花は答えた。
「質問の答えじゃが、トッシェとフミハからは今の我でもわかるほどの濃い魔力を感じるからじゃ。しかし、それだけの魔力を持っていて魔法を使ったことがないというのも些か信じられないのじゃが…… もしや、まだ疑っておるのか?」
あ、違います違います、と雅花が慌てて否定する。登志枝が訝しげな顔をする。
「え? 何の話ですか?」
「としえさん、ドンマイ。それよりポノサマ、今回は本当に私達魔法について知らないんです。私達の国には魔法という文化や手法は伝わってなくて、本気でわからないんですよ。逆に使い方さえわかれば。あ、あとトッシェじゃなくてトシエです」
「あ、難しかったらトッシェで構いません」
トシエも難しいんだねー、と雅花。もちろん、ア行だけの雅花の名前は日本人以外には大不評である。
「なるほど…… 確かにトッシェやフミハも不思議な格好をしておる。そういう国もあるのかもしれんの。我は聞いたことも無いがな」
少しの間だけじっと二人を見つめたあと、軽くうなずきながら神獣が静かにそうつぶやいた。
「わかった。では、我の体に触れてくれ。我は今も呪いに抗うために魔力を我の体にめぐらせておる。それを感じ取ってもらえれば、感覚はつかめるじゃろうて」
「……え? そんな簡単なことでいけるんですか?」
「我が弱っているのは呪いを止めるのに魔力から生命力から全てを尽くして抵抗しておるからじゃ。それでも抗いきれておらぬがな。これでも神獣ぞ。魔力は普通ではない、すぐ感じられるじゃろうて」
「え? じゃ、幹都もなんか感じてるの?」
「うーん、僕にはよくわからないけど、なんか暖かいものが神獣様の中でぐるぐるしてるこれのことかなー? でも、なんか嫌な感じなのもぐるぐる、というかぐつぐつ? してる。今はそれをもみほぐしたり、ちらしたりしてる感じ」
おー、と言いながら片山一家が神獣に近づき背中側に回り、そっと手を神獣の背中に添える。
イタそう、だいじょうぶ? と文葉が少し泣きそうな顔で神獣の背中を撫でる。
「……ん? なんか変じゃの? フミハよ、こちらに来てくれぬか?」
ハイ、っと文葉が再び前に向かう。雅花も一緒に前に回る。
登志枝は真剣な顔で背中を撫でている。
「……あぁ、やはり。すまぬ、フミハよ。そなたが持つ小さき我が同胞も我の背中に触れさえてくれぬか。そなたも魔力があるが、そちらの小さき同胞の方もトッシェに劣らぬ程魔力を感じる」
ピンクの方じゃ、と神獣が言う。ちなみに、ぷー子はうっすらピンクの毛色、ぷースケは薄茶色である。
ハイ、と素直に返事をすると、ぷースケを胸ポケットにしまい、ぷー子を左手に持ち右手と一緒に神獣のおなか辺りの血に濡れていないところに押し当てる。
それと同時に、雅花は静かに涙をこぼしていた。
口調は元気だが、やはりもう長くは無いのだな、と。人形から魔力を感じるといい、人形を同胞と呼ぶ。確かにぷー子もぷースケもクマの人形ではあるが……
目もすでによく見えなくなり、判断もつかなくなっているのだ。極わずかの期間だった。出会いはお互い良いものではなかっただろう。雅花は大分失礼なことも言ったので決して好かれてはいないだろう。しかし、雅花はこれでもこの神獣の事が嫌いではなかったのだ。
だから、死に行く神獣のことを想い、静かに涙した。決して声は漏らさずに。