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春を待つ人  作者: 楠木千歳
秋、想う人
19/26

兄との確執

「ももさん、その……」


 隣を歩く秋仁が言いずらそうに目を落とす。

 

「なんですか?」

「やー、その、服」


 これの事か。


「似合わない、ですよね。私、こんな格好するの初めてでちょっと浮かれ――」

「違います! その」


 食い気味に否定される。驚いて彼を見つめると、眉根を寄せて何か考え込むような顔つきの彼と目が合った。



「可愛いな、と」

「……へっ」

「よく似合ってます! 可愛いなと思って!!」


 先日同様、真っ赤になる秋仁とつられた桃花。いつにもまして忙しい心臓だ、苦しくなったり早くなったり、あったかくなったり途端に冷えたり。理由は分からないが、どうもそれは秋仁に関係することだとなるようだ。


「それ、瑠衣さんとひかるさんが選んだんですよね」

「そうですが……なぜそれを?」


 会ってからの短い時間に話してはいないはず。秋仁は一瞬目を見開いたが「スカート、ももさんは自分で選ばなさそうかなと思って」と言われて納得した。確かに自分では選ばない。


「合格祝いで、買っていただいて」

「良かったですね。ていうかいつも私服でそういうの着たらいいのに」

「特別だからいいんですよ、たぶん」

「それってももさんの場合めんどくさいを言い換えただけですよね」

「バレました?」


 いつものテンポが戻ってきて、桃花はどこかほっとした。


「今日は学校だったんですよね」

「はい。文化祭の準備で忙しくて。ももさんたちも誘いたいんですけど……うちの学校、関係者だけなので、すみません」

「それは全然構いませんけど……何をやるんですか?」

「うちは模擬店で。あ、そうだ、メニュー将弥さんたちに相談してみようかな」

「それがいいですよ、楽しんで協力してくれますよきっと」

「ももさんは去年どんなことしたんですか?」

「何をしたかな……ちょうど今くらいの時期だったんですけど」


 たわいもない会話が楽しかった。

 あっという間にハルコへ到着する。




「ただいま帰りました」


 いつものように扉を開けた。



 パン、と乾いた音がいくつも炸裂した。



「わっ……」


 デジャヴ。


 こんな事が前にもあった。まだここへ来て間もない頃、落ち込んで泣きはらした顔をした自分。

 思えばあの頃は、毎日ここへ入るのが怖かった。怒られるのではないかと常に萎縮して、暗い顔ばかりをしていた。


 それが今は、こんなにも嬉しい。




「モモちゃん合格おめでとう、そして秋仁くんお誕生日おめでとう!!!」




 瑠衣が、将弥が、マスターが。ひかるが、敦が。

 手に手にクラッカーを持って笑っていた。









「頑張ってみんなで作ったから残さず食べてね。はいこれあたしが作ったやつー」

「わわ、ちょっと、瑠衣さん! 盛りすぎです、そんなにグラタンばっかり食べられませんって!!」

「アキくんポテトは? ほらポテトポテト、ポテトだよぉ」

「だから将弥さん、俺をからかって遊ぶのやめてください! 犬じゃないんだから置いといて! つまんでぶら下げんな!!」


 豪華な料理の数々。とにかく目の前のお皿に盛られた分を消費しようと、あつあつのグラタンを口に運ぶ。手作りのホワイトソースが舌の上で蕩ける。

 火傷しそう。だけど、美味しい。



「カレーもあるよ?」

「うそ?!」

「あと俺が手作りしたケーキ」


 どうやら昼間に感じた匂いは間違っていなかったようだ。リクエストを遂行してくれたのは嬉しいが、この贅沢ごはんの後で入るのだろうか。冷蔵庫からチラ見せされたケーキの大きさを見て桃花も秋仁もその立派さに絶句した。


 ひかるも敦も食べなきゃ損、とばかりに勢いよく食べている。「家のご飯も美味しいし好きだけど、ハルコのは別ー」とは、以前ひかるがハルコで食事をしていた時の談である。


 


「あ、そうだ忘れるところでした。俺からも、ももさんに合格祝いがあるんですけど」

「え、何でしょう」



 ごそごそとカバンを探る秋仁。また心臓が煩くなった。静かにして欲しいのだが、そうさせる術を桃花は知らない。


「喜んでもらえるかは分からないんですけど」


 そう言って取り出したのは、一枚の絵だった。


 

「私……?」

「すみません、俺に出来ることって、それくらいしか思いつかなくて……気の利いたプレゼントとか出来ないし、好きなマンガぐらいしかももさんの事知らないし。だから、あの」


 そのまま秋仁は口ごもってしまった。


 ハルコの黒いエプロンをして、ブラウスを来て、片手にケーキを持った自分の姿。

 

「私……こんなに可愛くないですけど」

「可愛いです」


 勢い込んで即答した秋仁に目を見開く。


「って、うわ、ごめんなさい引きますよねそんな……いや、えっと、でも俺は……ももさん、十分可愛いです、から……」


 続いた秋仁の言葉はもう耳に入っていなかった。体が熱い。破裂しそうなくらい苦しい。なのに、何が原因でどこが悪いのか分からない。静まらない心拍に、今日だけは冷水をぶっかけたい。


「ありがとう。大事にしますね」


 耐えきれずに目を逸らす。絵の入ったファイルをぎゅっと抱きしめて、桃花は小さく呟いた。


 考えて込んだ末、自分の為に時間を割いてくれた。それだけでも涙が出そうなくらい嬉しいのに。

 だけじゃない、と心の奥が叫んでいる。だが頭が追いつかない。


 こんな気持ちは、初めてで。




 


「あ、そ、そうだ、私も、アキくんに誕生日プレゼントが」

「え?!」



 逃げ出すようにして自室へとんで帰る。バタン、と派手に扉をしめて、桃花は肩で息をした。




 なんだこれ。


 知らない。知らない。知りたくない。












 少し呼吸を整えて精神の異常事態を回復した後、桃花は先ほど書き終えた手紙の束たちとプレゼントを持って降りてきた。

 もう大丈夫。不意打ちに面食らっただけ。免疫はついた。



「これは、アキくんに。おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 感触からノートだと察しただろうか。秋仁の頬が緩む。


「それからこれは……皆さんからはもらってばかりなので、何かお返し出来たらと思ったのですが、すぐ出来るものが思いつかなかったのでとりあえずお手紙を書いてみました。後で読んでいただけると」


 しん、とハルコが静まりかえった。

 ……あれ?




「あの……何か、変なことを言いましたでしょうか?」

「いや、えっ……と、私たちに?」


 瑠衣が遠慮がちに尋ねた。

 それ以外に誰がいるというのだろう。頷いた桃花に一拍遅れてどよめきが伝わる。「モモちゃんから手紙とか貰える日が来るなんて思わなかった!」という将弥に失礼なと思いつつも、仕方が無いかと諦める。なにせ桃花自身が、人生において感謝の手紙を書くことなど初めてなのだから。




「うわ、ちょっと。今はダメです! わわわ、ダメですってば!!」


 開けようとした面々を慌てて止めて回る。目の前で読まれるなんてとてもじゃないが身がもたない。晒し首同然だ。


 あまりに動揺する桃花に、一同はにやけながらも我慢して大事にそれをしまったのだった。








 楽しい食事会は続いた。



 

“んんん、桃花さんも可愛いけど、アキくんもなかなか美味しそ”

「あっちゃん、それ以上書くと通報するけどいい?」

“分かった。いっそ両方美味しく頂く”

「成敗!」

「どうしたー、そっち騒がしい……ってあっちゃん?! 死にかけた顔してどうした?!」

「将くんは気にしなくて大丈夫、あたしがちょっと魔法をかけてお兄ちゃんを再起不能にしただけ」

「何したの……」



 呆れ顔の将弥に瑠衣が囁く。


「ねえ、もう一人来るんだっけ?」

「そうだね、そろそろ来てもおかしくないんだけど」


 言っているそばで控えめなチャイムの音がした。


「お、来たきた」


 瑠衣よりも先に将弥が走り寄って扉を開ける。その向こうに浮かび上がった人影を見つけて、桃花が素っ頓狂な声を上げる。




「兄さん?!?!」




 紺のスーツを着て、その姿は見るからに会社帰りの格好だ。

 不機嫌極まりなく見える眉間のしわ、ネクタイをほんの少し緩める仕草、どれもが新鮮に見える。スーツマジックとでも言うべきか。




「はいはーい、俺が呼んじゃいました。せっかくのお祝いだからね。もうひとりの妹ちゃんは?」

「来ない。学校の文化祭の打ち上げだ」

「あらそう。あそこ打ち上げこそ本命みたいなとこあるからね。舞踏会用のドレスは選んであげたの?」

「誰が選ぶか。あんなくっそ派手なバラのドレスなんか」

「可愛かったんだね、よしよし」



 いいようにあしらわれる兄を見るのは新鮮だ。思わず目をぱちくりさせていると、割り込むようにして隣に座っていた秋仁との間に座られる。


「初めまして……榛名秋仁です」

「本条拓梅です。妹がいつもお世話になっています」


 言葉は先ほどと打って変わって丁寧なくせに、目が冷たい。全員が寒気を覚えるほど冷たい。


 はらはらしている周りをよそに、桃花は違う意味で背筋が凍った。


「えっと……兄さん、久しぶり」

「ひと月ぶりだ。その前を思えば大して久しくもないだろう」


 うっ。


 馬鹿兄貴、会話を続けさせる気は無いんですかそうですか。


 前回帰った時は殆ど話せなかったから勇気を持って自分から声をかけてみた。こっちは多少譲歩しているというのにあんまりである。

 膨れそうになったが、めげてはいけない。今までハルコの人々へ取ってきた自分の冷たい対応を思えば……。


「将弥さんに呼ばれてたなら教えてくれれば」

「口止めされていた」

「えっと、桜は」

「言っただろう。学園の打ち上げだ」

「あー、楽しんでるかな」

「さあ」


 ダメだ、話題を変えよう。

 折れそうになるメンタルを励まし次の話を探す。



「あ、将弥さん、は知り合いだったんだよね、えっと、奥にいらっしゃるのがマスター」

「ああ……ご挨拶もせず失礼致しました。いつも妹がお世話になっております」

「いえいえこちらこそ」


 拓梅は立ち上がってお辞儀した。そのあたりはやはり社会人、礼儀をわきまえているようである。先程まで完全に空気と化していたマスターは鷹揚に頷くだけだ。



「それで、いつも面倒を見てもらってる瑠衣さん、そっちの二人が下の雑貨屋の及川敦さんとひかるさん。そして、お友達の榛名秋仁くん」


 軽く全員分紹介を終えると、また話のネタに困ってしまった。




「あー、兄さん、スーツ似合うね」

「見慣れないだけだろ」



 会話をぶっち切る天才と呼んでもいいでしょうか。

 でかかった悪態をなんとか飲み込んで深呼吸した。


 次の話題、次の話題。


 そうだ、まだちゃんと兄には報告していなかった。メールは送ったけれども自分の口からは報告していない。



「兄さん、私、専門学校」

「合格したんだろ、良かったな」




 ぷちん。


 とうとう桃花の中で理性が切れる音がした。



「あのさあ」



 兄が今日初めて桃花の瞳を捉えた。その中に自分の苛立つ顔が見えた。


「いつもそうやって会話を全部シャットアウトしないでよ。高校の時も大学受験の時も馬鹿にしたように人の話も聞かないで。昔から」




 言葉を切る。それ以上は言うなと脳が告げている。無駄に傷つけてしまったらきっと後悔してしまう。


 本当は、もっと私は。


 兄さんと話がしたかった。


 大好きな兄に否定されるのが辛かった。






「尊敬してたんですよ、兄さんのこと。憧れてたし、好きだった」


 深呼吸。冷静さを取り戻して出来るだけ言葉を選ぶ。細心の注意を払い、口から想いを紡いでいく。

 

 


 今なら間に合う。




 それはきっと母に対してだけではない。家族に対して握りつぶしてきた言葉や気持ちを、きちんと形にすべきなのだ、きっと。

 自分が。


「だから、いっぱい……話をしてください。私も兄さんの話を聞くから、私の話も聞いて欲しい。これからは、ちゃんと、キャッチボールをしましょう、ね?」


 桃花は彼の目を見て言った。偽りのない桃花の気持ちだった。





「悪かった」





 しばらくして、ぽつりと謝罪の言葉が落ちた。それは他ならぬ彼のものだった。




「少々、いや、かなり、か。俺はどうやら妹を甘やかしすぎる傾向があるらしい」

「お、認めた」


 茶化す将弥を瑠衣が叩く。


「悪気は、ないから」

「うん」




 それだけ本人の口から聞ければ、十分だ。

 本当はちゃんと知っているから。





「さあ、美味しく頂きましょう。せっかくみなさんが用意してくださったのが勿体ないから」

「そうだな」





 くだらないことも大事なことも、話したいことがたくさんある。もう嫌いだなんて言わない。背中を向ける前に、やれる事を見つけたから。

 もう一度目をしっかり合わせると同時に、桃花は笑った。

 拓梅もぎこちなく、だがはっきりとその口元に笑みを浮かべた。








「何だあの、仏頂面兄弟のダブル笑顔の破壊力。持ってかれるわ」

「え、将弥さん止めて。俺あなたには本当に勝てる気がしないから止めて」

「どうしよう瑠衣ちゃん、あたしもやられちゃったかも……」

「止めとけとだけ言っとくわ」

“どうしよう、みんな可愛すぎて選べない”

『お前は黙れ』





 マスターはやはり一人で食事を楽しんでいた。

 だから誰も、おそらく本人でさえ気づいていないのだった。その横顔が誰よりも幸せそうで、満ち足りた表情を浮かべていることに。










# # #








「兄さんは……跡を継ぐこと、嫌だと思わないの?」


 それはいつか聞いてみようと思っていた問いだった。

 夏の残暑がすっかり影を潜める夜道。明日も仕事の彼が一足先に帰るとあって、見送りに出た。気を利かせてくれたのか、他のメンバーは部屋に入ったままである。


 都会の空に星は少ない。数えるほどしか見えない煌めきを数えながら、桃花は兄の答えを待つ。


「そう、だな。面倒だなと思ったことは何回かあるけど」

「あるんだ」


 ちょっとおかしかった。

 几帳面な兄からは面倒臭いというセリフを生まれてこのかた聞いたことがない。

 

「モモも良く分かると思うけど、長男への期待値ってやっぱり半端ないからさ。でも嫌だとは思わなかったかな」

「なんで?」

「なんで……?」


 眉根を寄せて難しい顔をする。父と顔の造りがそっくりだ。

 しばらくそうして顔をしかめていたが、振り絞った言葉を繋ぎ合わせて、たどたどしく彼は説明をし始めた。


「俺にとっては、父さんが誇りだから」

「うん」

「やっぱり、父さんみたいになりたいと思うし……父さんが未来に残すために、一生懸命体を張って残してくれた会社、継ぎたいと思うのは、おかしい事じゃないだろ」


 桃花は頷いた。


「後世に自分のやってきた軌跡を残すっていうのも、大事な務めだと思うんだよ。だから、自分の仕事に誇りもある。父さんの仕事を継ぐのが、俺の役目だ」


 静かだった。だがその言葉には、決意がこもっていた。



「良かった」

「何が」


 思わず口をついて出た言葉に、拓梅が怪訝そうな顔をする。桃花は笑って首を振った。

 


「なんでもない。私も、そうやって頑張ってる兄さんやお父さんを誇りに思います」

「……ありがとう」


 それは今まで聞いた中で、一番素直な兄の返事だった。

 桃花の心にまたひとつ、消えない明かりが灯った。


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