二人の姉
「モモちゃん、次の定休日って何かある?」
「……空いてます、けど」
人気のだいぶはけた夕方五時。オレンジの太陽が斜めに差し込んでいる。日が短くなったと感じるこの頃だ。
桃花は脳内予定を確認した。記憶の限り、そこに予定は無い。
「じゃあさじゃあさ、デートしない?」
「……でえと?」
「そう。ひかると三人で女子会」
デート。女子会。
桃花にはついぞ縁のなかった言葉である。
「十時にここ集合ね。出かけられる格好してきて」
出かけられる格好、と言われても、何度も言うようであるが桃花の持っている洋服のレパートリーなどたかが知れている。適当にジーパンと何かを合わせるか、と考えて、肝心な部分をを聞きそびれていることに気がついた。
「どこへ行くんですか?」
「ナ、イ、ショ。まあ、メインは夏恋とハルコの市場調査だけど。あ、そうだ、ちゃんとお金持ってきといてね。散財するかも知れないから」
何故だろう。嫌な予感しかしない。
難しい顔をした桃花に来客を知らせるベルの音が届いた。
# # #
一応十分前には身支度を整えて降りたのだが、既に年長組二人は準備万端だった。
そして同時に――ため息をつかれた。
「モモちゃんってさ、期待を裏切らないよね」
「言われると思ってました……」
紺と白、細かいチェックの長袖シャツ。その下にジーパン。
もちろん、どちらもモノが良いのはファッションに疎い人でも一目瞭然のブランドである。
「悪くは無い。だがしかし」
ひかるがカッ、と目を見開いた。
「センスが悪い!」
バッサリ斬られた。
「せめてネックレスくらいなんとかならないの?」
「持っていませんよ、そんなお洒落なもの……」
対する『準備万端』第一号、ひかるは白地のニットに淡いブルーのスカートである。 ふんわりした形のそれからは華奢な足が伸び、可愛いヒールに収まっていた。 フロントリボン、同じ色のカチューシャと要素は可愛い系なのだが、割と色使いがシンプルな為か大人っぽく見える。胸元のネックレスもそれに華を添える一因だろう。
二号の瑠衣は上と小物を黒で合わせ、グレーのガウチョパンツでシックに決めている。三次元でベレー帽がここまで似合う人というのも珍しくないか。ゆるふわカールの髪の毛が甘さを足し、絶妙なバランスを保っている。
「ま、いいけど。そのための女子会だし」
「そのため?」
企み顔を通り越しいっそ清々しいほどの笑顔を浮かべられ、桃花は二人に軽く戦慄を覚えた。
「いざ行かん、『モモちゃん着せ替え人形の旅』へ!!」
「タイトルが既に不安しかないんですが?!」
かくて予感は的中し、それを避ける術もなく桃花は二人に引きずられてハルコを後にしたのであった。
どこへ行くかも告げられないまま、桃花は二人の後ろをついて歩く。
「モモちゃんってオシャレ好きな妹がいるんだよね?」
「はい」
「モモちゃんは全然興味無かったんだ?」
「あー……」
ひかるの問に答えようと、言葉を探す。
「そうですね、無頓着でした」
「なんでー? 可愛くなりたいとか思わなかったの?」
それは女の子の誰もが多かれ少なかれ持つ純粋な欲求だろう。
「昔はあったかも知れません、結構ぬいぐるみの着せ替えとか好きでしたから」
「幼いモモちゃんがぬいぐるみの着せ替えして遊ぶの? やだかわいい、食べちゃいたい」
反応に困る返事である。三秒迷った末、スルーすることに決める。
「……で、妹が生まれてからはじめのうちはお人形さんみたいに可愛い妹と遊んでいたりしたんですけど……誰からも猫かわいがりされる妹を見てて、なんていうか」
面白くない。
うん、それが一番ぴったりくる。
「面白くないって思っちゃって。その当たりからですかね、可愛いものに興味が無くなったのは」
今なら少しわかる。妹が人に可愛がられたのは、天性の「愛嬌」があったからだ。
いつから僻み性が身についたものか、それは多分、自分を守る言い訳をしていただけ。
「可愛いものなんて興味が無い」と言っていれば、比べられることも自ら比べることも少なくて済む。
土俵が違うのだと。
言ってしまえば、納得も出来る。
「今度さあ、妹ちゃんとも行ったらいいよ、買い物とか。お母さんも好きなんじゃない?」
前を歩く瑠衣が振り返って笑った。
桜は母親似である。「イケメン先生発言」を見ても、それはなんとなく想像がついた。着ているものもセンスがいい。
「あたしも時々後悔したなあ、もうちょっとお母さんと買い物とか楽しいことすればよかったって」
遠くを見つめながら。
それは桃花の心に深々と突き刺さって。
「ああ、ごめん、リアクションに困るよね、こういうの」
桃花は笑って誤魔化そうとして……出来なかった。その傷を黙って見過ごしてしまうほど、クールにはなれない自分がいた。
唇を噛んで俯いた桃花に、瑠衣は笑って背中を叩く。
「昔は死ぬほど後悔したこと、いっぱいあったけど。今はもう、周りの人たちのおかげでなんとか立ち直ったよ。十年近くになるし」
親が生きてるうちに孝行するのって難しいものだよねえ、と他人事のように彼女は言った。だから絶対に、大事にした方がいいよ、と。
「大事に、って、どうやってですか」
「ううん、上手くいえないけど……」
瑠衣は考え込む顔つきになった。
ひかるも桃花も、静かに彼女を見守った。
「たくさん思い出をつくること、かな? 楽しかった思い出とか、嬉しかったこととか。傷つけ合うだけの思い出しかなかったら、きっと後悔するし悲しいと思うの」
「楽しいこと……」
母の顔を思い出す。
面倒だと思って避けてきたコミュニケーションの数々を、今なら取り戻せるだろうか。
「大丈夫だよ。モモちゃんがその気になって心を開けば、きっと」
ひかるが明るくそう言ってくれた。
少し救われた気がした。
「さーて、着きましたわよー」
連れてこられたのは歩いて十五分のショッピングセンターである。
日課の散歩のおかげで桃花はさほど距離を感じなかったが、確実に一キロはあるとのことだった。
「立つのと歩くのって全然使う筋肉が違うってことがよく分かるよね」
瑠衣の言葉にひかるも頷く。立ち仕事にいくら慣れているとはいえ負担のかかる筋肉の場所がまるで違うのである。
そういいながらもおしゃべりをしているとあっという間に目的地へはついてしまうものだ。所せましと並ぶ店、セールを打ち出す店員の声。あまりの人の多さに某大佐の名言を思い出していると、いきなりはぐれそうになる。
「モモちゃんってこういう所来るの初めて?」
「はい」
家族で出かけたことなど、数えるほどしか記憶に無い。専ら服の調達は母と妹の管轄だった。
「あ、あっちに本屋……」
「今日は本屋ナシ!!」
全力で阻止されて桃花は内心舌打ちをした。その様子を見て深く頷きあった瑠衣とひかるは、桃花の両脇を固めると素早くエスカレーターに乗り込んでお目当ての洋服店へ引っ張り込んだ。
ちょうど桃花世代の女の子たちでごった返している店である。派手すぎず甘すぎない、ナチュラルな雰囲気が売りの店だ。値段も彼女達のお財布に優しい価格帯である。
「なんでそんなに私に洋服を買わせたいんですか?」
「あたしたちの沽券に関わるからよ!」
鬼気迫る表情で瑠衣が言ったがまるで意味が分からない。
「んー、これとか、あ、これ可愛い」
その横では既にひかるが商品の物色を始めており、さっさと瑠衣も試着室を抑えてしまう。
諦めのため息をついて、桃花は大人しく数点の洋服とともに試着室へ押し込まれることにした。
疑問は晴れないが、誰かに世話を焼かれるというのも案外面白いものである。それを「鬱陶しい」ではなく「嬉しい」と思えるようになったあたり、少しは成長しているのかもしれない。
成長というよりは、人に対しての関心度が高まったのかも。
自分にそっくりと父と兄を思い出して少し苦笑してから、桃花は一つ目の試着に取り掛かった。
「はぅっっっ……!」
文字通りのきせかえ人形になりながら何度も着脱を繰り返し、カーテンを開けること六度目。その桃花を見てひかるが奇声を発し心臓を抑えてうずくまった。
「……え? ひかるさん? 大丈夫ですか……?」
「我ながら最高のセンスしてると思うの、瑠衣ちゃん。もうあたし死んでもいい」
「ダメだまだ死ぬな。誕生日プレゼントを遂行してからにしなさい」
「はっ! そうだった!」
不穏な会話が聞こえたのは気のせいか。
しゃきっと立ち直ったひかるが写メを取る。さっきからこの流れをずっと繰り返していた。
桃花が今着ているのは、水色のシャツワンピースである。袖は巻き上げられるような仕組みのリボンがついていて、涼しくなった今頃から秋深くまで着られそうなデザインだ。
白抜きの花柄は主張しすぎず、それでいて可愛い。茶色のベルトもアクセントになっていて、背伸びはないがきちんと大人の装いである。
だが、いつもの制服よりほんの少し短い膝上丈に、桃花は心もとなくなった。
「ひかるさん、これ、落ち着かない……」
「いやいや、今どきこのくらい平気でしょ。むしろ長いくらい……あ、切っちゃう?」
「これより短いのとか無理ですから!!!」
衝撃的告白をされ、桃花の頭はショート寸前だ。
「んんん、でも、これが一番よく似合ってる気がするなあ……」
瑠衣が顎に手を当てて唸った。
「白ニットワンピにブーツも萌えでしてよ、奥様。上目遣いでもしようものなら大量殺人兵器に早変わりですわ」
「いや、上目遣いは出来ないよブーツ履いちゃったら」
「あ、そっか。低いから」
「何の話ですか?」
『何でもない。こっちの話』
そこまで見事にシンクロされてしまうと何も言えない。
「丈が気になるようならレギンスを合わせちゃえばいいんじゃないかな」
「うわあ、ラインがそそるわあ」
「……今日のひかる、だいぶ変態チックだけど大丈夫?」
「おーるおーけーもんだいなっしんぐ。ファッションに関しては通常運転だよ」
「ならいいけど」
着替えていいよ、と元に戻るお許しが出て、ようやくほっと一息をつく。もそもそと気慣れないシャツワンピの袖を脱いでいてふと気がついた。
もしかしてこれ、他の店でも散々やる感じ……?
それはちょっと勘弁願いたい。
「脱げた?」
外から聞こえたのはひかるの声。ジーパンをきちんと履きなおして返事をする。
「なーんだ、脱がしてあげようかと思ったのに」
カーテンの外に出るとにい、と唇のはしをあげてひかるが笑っていた。
「冗談でも外でそういう言い方しないでください!」
どうしてしまったのかと思うほどひかるが変態である。結果論ではあるがやはり彼女がファッション系の店員にならなかったのは正解だと思う。
「お待たせ。じゃあモモちゃん、そのシャツワンピかして?」
「はい……?」
言われるがままに洋服を差し出す。それを持って、瑠衣がレジに並んだ。
……そう、なんの躊躇いもなく。
「瑠衣さん? ちょっと」
「はいはーい、モモちゃんはこっちー」
ひかるがぐいぐいと店の外へ引っ張っていった。
「え……どういう、こと?」
「合格祝い、だよ」
「……はい?」
間の抜けた、声が出た。
時間が止まった。しばらく惚けてひかるを見ていると、彼女が勢いよく吹き出す。
「なによー、そんなに変?」
「変、ていうか、なんていうか」
もらう筋合いがない、とごにょごにょ言うと、「もーーっ!」という声とともに頭上へ鉄拳制裁を食らった。
「い、痛い……」
「そこは素直に『いいんですか、うれしー!』とか言っておけばいいのー、人の気持ちに筋合いとか理由なんて必要ないでしょ」
そうか、と桃花は臍をかんだ。こういう所にまで自分のひねくれ根性が出てしまうのだった、大分直ってきたと思っていたのだがつくづく根は深い。
「あたしたちはモモちゃんが頑張って自分に向き合ってきたのをよく知ってる。だからそれを、祝福したいだけだよ?」
「はい、おめでとう」
タイミングよく帰ってきた瑠衣が紙袋を突き出した。
「ありがとう、ございます」
胸の奥がじん、と暖かくなった。
本当にこの先輩達には、いつになっても頭が上がる気がしない。
「帰ったらすぐ着てね。ていうか今着ちゃう?」
「今ですか?」
「だってかわゆいんだもの。折角だから自慢のモモちゃんをみんなに見せびらかして歩きたいし」
「見せびらかすって……」
多目的トイレで着替えてくれば、とまたしても強引に連れていかれ、放り込まれる。
「強制ですか……」
呟いてため息をついても、何故か心にずっとぬくもりは灯ったままだった。




