表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春を待つ人  作者: 楠木千歳
第2章 夏、変わる人
13/26

新作、ジンジャーティーソーダ

「お待たせいたしました」


 空になったアールグレイのグラスが下げられ、代わりに頼んでもいない飲み物が置かれる。

 えっ、と声を出しかけてすんでのところで留まった。カウンターの向こうで人差し指を口に当てウインクした青年と目が合ったからだ。


 あの人は『将弥さん』っていうんだっけ。


 一礼して去っていった女性に声をかけることも出来ないまま、榛名秋仁はじっとそれを見つめた。


 目の前には、炭酸の気泡の立つ紅茶色の飲み物。グラスの縁には半月のレモンがおしゃれにひっかかっている。

 そしてコースターの下からはメモ用紙のようなものが覗いていた。


 引っ張り出した。



“あなたから新作案を頂いた、と聞きまして、メニューブックに載せる前に是非、飲んで頂きたかったので。感想をお待ちしております。”




 秋仁はもう一度目線を上げる。今度は桃花と目が合った。慌てて逸らされ、挙句目の届かない流し場エリアに逃げ込まれる。一瞬見えたその顔はしかめっ面だったように見えて、密かに彼はため息をついた。

 日ごろ交わすとりとめないメールではそこそこ親しくなったような気がしていたのに、会えばいつもこの調子である。

 



 今日空いているなら来て欲しいです。もし出来たら、閉店間際に。

 




 朝そのメールで目を覚まし、舞い上がっていそいそと来てしまった自分が情けない。そのメールのお陰で今朝は嫌われていないと確信していたが、こういう理由があったなら話は別である。いや、お店の人に俺の存在を言ってくれただけまだまし? 嫌われてはいない?

 恥ずかしくて逃げているならまだしも、嫌で避けられているなら立つ瀬がない。なによりくるくると変わる彼女の表情を見られなくなったのが残念で、秋仁は出していたノートのとある一ページを開いて再びため息をつく。



 そこには貴重な彼女の笑顔が描かれていた。


 後にも先にも、ちゃんと笑った桃花の顔を見たのはマンガについて語り合ったあの時だけだ。


 頭を振って気持ちを切り替えた。

 味見という名のサービス自体はとても嬉しい。険しい顔をしていれば誤解されてしまうかもしれない。



 ささっていたストローで一口目を吸い込む。



 口の中にガツンと炭酸と生姜の味が当たった。

 痛い、辛い味覚が鼻まで刺激する。後から追いかけるのは爽やかなレモンの風味。そして最後に、しつこくないすっきりとした紅茶の渋み。



 あ、これは、美味しい。



 ベタベタしない甘さも好ましい。続けて二口、三口と吸い上げる。底から上がる泡と飾りのレモン、見たそのままの爽やかさを詰め込んだような味。

 



 さらさらとペンが落書きノートの上を踊った。

 現れたのは先ほどウインクを投げてきた『彼』のイラストである。



 何やっても絵になるなあ、この人。


 書き上がったイラストの襟を消し、胸元まで大きく開けた。首元にネックレスを足せば大量女性悩殺兵器の完成である。

 その笑顔で一体何人を誑かしてきたのだろう。いえ、全部妄想ですが。

 どうあがいてもこうはならない自分の童顔を少々恨んだ。

 


 時間をつぶしながら新作ドリンクをちまちま飲み進めること数分。

 ちょうど最後の一口を飲み終わる頃、帰らない秋仁を少し訝しんでいた最後の客が席を立った。丁寧な所作で頭を垂れる一同につられ、秋仁もその後ろ姿へ会釈する。そのまま『将弥さん』が店の看板をクローズに置き換えて……くるり、とこちらに顔を向けた。








「いーやーこんにちは! いつもご利用いただきましてありがとうございます!!」






 あれ?




 なんか、思ってたキャラと……違う?




「ど、どうも……?」


 戸惑ったのも仕方がない。

 その軽々しい口調は秋仁が知る『将弥さん』のそれではなかった。

 

 

「その無駄にハイテンションなのなんなの、静かにしなさい」

「いって! 止めなさいよ瑠衣、お客様の前で暴力なんて言語道断だわ!」


 騒ぎを聞きつけ、桃花が奥の厨房から顔を出した。

 

「将弥さんのオネエ言葉、予想以上にダメージ大きいです……」

「あらそう? じゃあ今度からこれで行こうかしら」

「抜けなくなったら嫌ですキモイですマジでやめろください」


 混じった荒い言葉遣いに思わずぎょっとする。育ちが良さそうな顔をして、実は意外と乱雑な性格だったりするのだろうか。それはそれで美味しいギャップ……ってああもう、この会う人全部キャラクター化したくなる創作脳をどうにかしてくれ。


 秋仁が脳内でそんな葛藤をしているとはつゆ知らず、将弥が秋仁に声をかける。


「騒がしくてごめんね。普段はもうちょっと大人しいんだけど、いっつも来てくれる常連さんとせっかくお話できる機会ってことでついテンション上がっちゃってるみたい」

「それはあんたでしょ」


 鋭いツッコミを入れられて将弥が膨れた。『瑠衣』と呼ばれていたこの女性は接客時より砕けた感じの印象を受けた。プライベートだから当たり前か。


 

「それで、どうだった? 新作」



 ちゃっかり自分の分のコーヒーを淹れ、横に座る将弥。慌ててノートをカバンにしまう。ひょいと取り上げられてしまえば死刑は確定である。何となくそういった侮れなさを秋仁は感じていた。


 瑠衣も同様に向かいの席へ腰掛けた。が、桃花は一向にこちらへ来る気配がない。

 避けられている疑惑がやっぱり拭いきれない秋仁だったが、とりあえずそれは置いておく。まずは質問に答えなくては。



「凄く、美味しかったです。これが本当にジンジャエールと紅茶? って感じで。びっくりしました」

「だってよー、モモちゃん」


 将弥が言い終わらないうちに食器が派手な音を立てて崩れ落ちる音がした。


「うわっ! 大丈夫?!」


 慌てて走り寄る彼。秋仁も腰を浮かしかけたが部外者が中に入るわけにはいかない。


『怪我は?!』

『無いです無いです、取り落としただけ』

『それならいいけど……気をつけてよ?』

『はい。食器割ったら弁償ですよね』

『そこじゃない! 女の子なんだからもっと怪我とかに気をつかえってこと!!』


 カーテン越しから聞こえる会話。姿の見えない二人。

 地面が揺れた錯覚に陥った。黒いモヤが胸に立ちこめる。


 何だ、この感覚は……




「アキくーん、顔怖いよー」


 ぱたぱたと目の前で手を振られ、我に帰った。

 

「将弥は女の子にはみーんなあんな感じで過保護だから、気にすることないよ」

「あ、そうなんですか……って、別に」

「隠さなくてもいいって。モモちゃんは全然、これっぽっちも気づいてないけどあたし達にはバレバレだから、あなたの視線が追っかけてる先くらい」


 呑気に同じティーソーダを飲む瑠衣の言葉。秋仁は思わず真っ赤になった。



「分かりやすい、ですか」

「まあねえ。接客業って観察業だから」


 悪びれる様子もない。


「大丈夫。ああ見えて彼含めあたし達は口堅いよ」

「信じますよ?」

「ぜひぜひ。それとついでだからもう一個。モモちゃんのあれ、別にあなたの事が嫌いな訳では無いから」

「……ホントですか」

「うん。友達っていう存在が彼女、昔は薄かったみたいだから。知り合いが職場を覗きに来てるみたいな感覚でちょっと気恥ずかしいだけよたぶん」


 恋愛対象としては見てなさそうだけど、という都合の悪い部分は聞き流した。別にいい、嫌われてさえいなければ。

 少し秋仁のヒットポイントが回復した。



 そういえば自己紹介してなかったね、と『瑠衣さん』が名刺を取り出した。


「斎藤瑠衣です。よろしく」

「ありがとうございます。榛名秋仁です」

「春なんだか秋なんだかわからない名前ね」

「よく言われます」

「欲張りだわあ」


 マイペースな会話に巻き込まれていると桃花を伴って将弥も戻ってくる。



「俺も俺も自己紹介! 初めまして、黒木将弥です」

「榛名秋仁です」

「名前かっこいいよね。可愛いお顔とギャップ萌って言われない?」

「言われません!」


 嘘だ。時々言われる。

 だが桃花の前で「可愛い」とは言われたくなかった。少々ながらそこは男の意地である。

 


「じゃあ俺が代わりに言ってあげよう。カ・ワ・イ・イっ」


 その目が完全におもちゃを手に入れた子供のソレだったので、秋仁は早々に抵抗を諦めた。


「おや、鋭い子だねえ。そういうの嫌いじゃないよ」

「遊ばないでください……ッ」


 拒否は初めのうちにしておかないと取り返しのつかないことになる。




「ええと、お久しぶりですアキくん」

「お久しぶりです。一昨日も会ってますけど」


 そしてこの桃花の固まり具合。彼女がこんな調子なので結局あまり「モモさん」と呼ぶ機会もない。


「今回の試作、初めてモモちゃんが作ったやつなの」

「ちょっ、瑠衣さん!」


 慌てた様子の桃花などまるで歯牙にもかけず、瑠衣は飄々と言ってのけた。


「めっちゃ美味しかったですよ」

「え、ああ、うん……ありがとうございます」

「紅茶の渋さが程よくて、生姜とレモンと炭酸とのバランスも良くて。あと甘さ控え目なのも俺的には嬉しかったです」


 言葉を重ねる度に顔をしかめる桃花。心が折れそうになる。


 だけど瑠衣が教えてくれたのが本当なら……ここでめげるな、俺。



「モモさんならやってくれるって俺信じてました!」

「うおうっ」


 くぐもった声が彼女の喉の奥から響いた。



「そ、それはどうも。良かったです」

「まさか本気で作ってくれるなんて思ってなかったんですけど」

「冗談だったんですか?!」

「半分は」


 本当のことを告げると一層深く眉間にシワが刻まれた。だがよく見てみると、彼女の耳がほんの少し、赤い。


「もしかして、照れてます?」


 その赤がぶわっと耳まで広がった。


「はっ恥ずかしいのでその、見ないで下さいお願いします」




 ……神様仏様瑠衣様。

 いい事を教えてくれてありがとうございます。破壊力ヤバイ。昇天しそうです。




「せっかくアキくんに教えていただきましたし……それに、私も『キミうた』に因んだ商品ができるなら、嬉しかったので」


 顔を逸らした桃花をしっかりと見つめた。

 帰ったらコレクションに足さなきゃ……って、ちょっと変態すぎるか。




 一度だけ見たことのあるベストショット「笑顔」に続き、「照れた顔」が秋仁の落書き帳に描き加えられたのはわずか数時間後の事である。








# # #









 流れで晩御飯まで一緒にどうか、となった秋仁だったが「今日は父の誕生日なので、帰ります」という彼を引き止めるわけにもいかず、結局いつもの四人で晩餐となった。


 今夜はさっぱりと冷やし中華である。

 生野菜と麺をハルコの特製ゴマダレでいただく。優しいピンク色をした紅生姜はなんとマスターが自分で漬けたものだ。焼きそばに付属でついてくるようなものとはまるで別物の美味しさに、思わず「美味しい」と声が出る。


「言えるようになったねえ」

「はい」


 実際のところ、今日秋仁に「美味しい」と言ってもらうまでその言葉の効力をいまいち分かっていなかった。だが、さっきの数十分で痛感した。それが作り手にとってどんなに嬉しく、ありがたい一言であるか。

 出し惜しみするべきではない。言った人も言われた人も嬉しくなる魔法の言葉だ。


 食べることは、そのまま命をつなぐことである。美味しいものは人の心も体も満たし、幸せにする。

 そこに作る人の笑顔と誠意がある限り。


「美味しいです」


 もう一度言って桃花は続きを口に運んだ。






「でさあ、モモちゃん。そろそろ笑顔の代わりにしかめっ面するのやめない?」


 将弥が水をみんなに注ぎながら言った。


「む、無理です……」

「接客中は大分ましになったけど……アキくん来る度にその顔じゃあ流石に彼も傷つくんじゃない?」



 はた、と箸を止める。



「傷、つく」

「だってしかめっ面って何にも知らない人から見たらただの嫌悪感丸出し顔だよ? いい加減俺らは慣れたけど」


「……別に、そんなつもりは」

「なくてもそう見えるってこと。それって損だと思わない?」


 しばらく固まっていた桃花はこくり、と頷いた。



「んでもって出来れば俺らもモモちゃんの笑顔見たいしさ。ねえ瑠衣」

「そりゃあねえ。女の子は笑った方がカワイイに決まってるんだし」


 瑠衣も同意を示す。ますます桃花の顔が険しくなった。


 こりゃダメかな。

 二人が諦めかけた、その時だった。

 


「髪の毛でも、切ってみますかね……」



 将弥と瑠衣は顔を見合わせた。




「どう思いますか。外見からでも何かひとつ変えてみれば、こう、一歩踏み出せるかと……って、そんな引きつった顔をしてお二人ともどうしたんです?」



 桃花が顔を上げると、ちょうど二人がスローモーションのようにゆっくりとお互いの表情を確認しているところだった。

 



(あのモモちゃんが?)

(今まで色々なことにあんなに頑なだったモモちゃんが?)


((成長した?!?!))





「モモちゃんごめんね」

「は? え? 何が?」

「お兄ちゃん、モモちゃんのことバカにしてたかも」


「……はい?」

「お姉ちゃんも謝るわ。何にも分からないいいとこのお嬢様扱いしてごめん」


 それは来た当初ことある事に「お嬢様だもんね」と揶揄されていたことを指すのだろうか。どうして今それが関係あるのかは桃花には分からなかったが、とりあえず「気にしていません」とだけ言う。



「やばいわ、お兄ちゃん涙出そう」

「お姉ちゃんも号泣しそう」




 言うそばから瑠衣の目から大粒の涙が零れ出す。桃花は慌てた。



「わ、わ、ごめんなさい」

「なんでモモちゃんまで泣いてるのよう」

「ほ、ほんとだ……何ででしょう?!」


 最近、涙腺がゆるくなってしまって困る。


 ウケを狙ってか真面目なのかまるで区別をつけられないトーンでマスターが

 

「じいちゃんも泣きそうです」


 と真顔のままティッシュケースを差し出すまで、二人の涙は止まることを知らなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ