二つ目の依頼
日が天へと上りつつある青空の下、ルークは町を駆け抜けて郊外へと向かっていた。
病み上がりも相まって普段よりも早く息が切れる、しかし止まる訳にはいかない。
(二人とも……無事でいてくれ!)
ロビンを心配するルークに、空が不安を煽る。
澄み切った空の中、嫌でも目に付く黒点の群れ。
それは規律の取れた軍隊の様に横に広がって飛ぶ鳥の集まり。
いつから居たのか、ルークの向かう先を飛び続けている。
視力の良い彼にはそれが何なのかすぐに分かった。
この地域では見たことも無い鳥――禿鷲だ。
ドレッドが言っていた事が本当なら、あれは奴らが後始末に呼ぶものだ。
嫌な予感がルークの胸をよぎる。
林道の角を曲がりロビンの祖母アシュリーの邸宅へとたどり着く。
そこで待っていたものは地に落ちたイモータルコートとナティの姿。
口にはイモータルコートの襟元を加え、引きずりながら駆け寄ってきた。
「ナティ、無事だったのか!」
「ごめんルーク……おれロビンまもれなかった」
ナティはアガートとシルクレイの襲撃に遭った事をルークに伝える。
がっくりと頭を下げるナティ、尻尾は元気をなくしたように垂れ下がっている。
「暗殺者を相手に生き延びたんだ、お前は頑張ったよ」
しょげるナティを労わりながら、イモータルコートに袖を通すルーク。
「ここからはオレの仕事だ」
ルークは何かを探すように空を見上げる。
先ほどまでいた禿鷲の姿がない。
「ここに向かう途中、気味の悪い鳥を見た。多分……こっちの方角だ」
「においはあっちのほうからするよ?」
ナティはシルクレイが連れていた白狼シルバの匂いを嗅ぎとっていた。
「どういうことだ?鳥は確かに――」
二人の会話を遮って、何かが倒れるような音が獣道の方から響く。
遅れてやってきた地面の揺れにルークとナティは足を取られ、よろめいた。
「……間違いなくあっちだな。ナティ、お前は家に帰るんだ」
「おれもみつけるの、てつだうよ」
「情けないけど、オレじゃお前を守れるか分からない」
ルークは自分の力量を踏まえた上で告げた。
殺される前に殺す戦い方をする彼に、何かを守りながら戦うことは難しい。
仮にナティが襲われた場合に自分が盾になれると彼は思えなかった。
ルークの頭の中ではアルフレッドとした問答が脳裏にちらついていた……
ナティは残念そうな仕草を見せ、渋々と承諾した。
「わかった……あいつらコバルトにいくってはなしてた」
「コバルト領……?ロビンが逃げてきた所か」
ルークはナティの頭をぽんと軽くなでると別れを告げ、獣道の中へと飛び込んだ。
ルーク達が轟音を耳にするまでの数十分前……
鬱蒼とした木々の中でアガート・グレゴリーは道なき道を歩んでいた。
一際大きな彼が通った後は、草花が潰れて大きな足跡が残る。
この巨体と森の中で会った者は、間違いなく彼を熊と見間違うだろう。
右腕の肘から指先まで包む銀色の籠手に木漏れ日が反射して余計に目立つ。
彼に“銀腕の熊”という異名が付いたのは想像に容易い。
「ったく……ポールの野郎が女をさらって来なきゃ俺も乗れたのによ……」
アガートはぶつくさと独り言を呟く。
馬車は確かに用意されていたが、彼が乗れる状況ではなかったようだ。
「どっか道に出て馬車をかっぱらうとするか」
旅路の足を確保しようと画策し始めていた時だった。
静かな森の中で風を切る音がアガートの耳に入った。
「あぁ?」
彼は巨体とは裏腹に俊敏な動きで振り返り、音の正体と思えるそれを巨大な右手で掴み取る。
音は途端に止まり、握った手を開くと中に入っていたのは一本の矢だった。
……正確には矢だった物が、鉄の矢じりもろとも粉々になり、ぱらぱらと地面に落ちる。
「こんな玩具じゃ俺は殺せねえぞ」
彼はドスの利いた声で矢を放った主に向けて脅しを掛ける。
「……っ!」
諦めたように離れた木陰から一人の傭兵が姿を現す。
彼は強張った表情で弓と矢を構えたまま、攻撃の姿勢を保っている。
「なんだ金でもせびりに来たのか?前金はやったよな?」
傭兵の脅しにアガートは怯む様子もない。
「一つ問う事がある、旧市街で死んだ仲間は……お前がやったのか?」
「ガハハ!そんなどうでもいい事を聞きに来やがったのか!馬鹿かテメェ」
辺りの空気が震えるほどの大声で笑うアガート。
「そうだと言ったら?テメェに俺が殺せるか?」
「このろくでなしが!!」
傭兵はアガートの舐め切った態度に煮えを切らし、構えていた矢を放つ。
アガートは怒り狂う傭兵を見て笑いながらその銀腕で矢を防ぐ。
「しょうもねえ、当てても意味ねえんじゃこっちのほうがいいんじゃねえか?」
彼は辺りに落ちていた手ごろな岩を手に持ち、傭兵へと放り投げる。
矢に劣らぬ剛速の岩が傭兵の膝に当たり、骨の砕ける音と共に傭兵は倒れ込む。
「おのれ……私は必ず仇を……」
地面に伏した傭兵の体に、どすん、どすんと歩み寄るアガートの足音と振動が伝わる。
「金が欲しくて来たのはテメェらだろうが、裏の世界じゃ失敗した奴はみーんな死ぬんだよ」
アガートはしゃがんで上から覗き込み、見下して語り掛ける。
「弱い奴が甘えてんじゃねえよ」
彼の言葉にカッとした傭兵は痛みをこらえ、ナイフと取り出し飛びかかろうとする。
しかし突き出したナイフはまるで赤子の手を捻る様に簡単に叩き落とされた。
「おいおい、女みたいに細い腕だな!これなら素手でもいけそうだな」
アガートは抑えた傭兵の手をすさまじい握力で潰しに掛かる。
「ぐっ……ああああああああ!!!!」
痛みのあまり叫ぶ傭兵、アガートはそれをまるで楽しむように聴き入っていた。
「良い声で鳴くじゃねえか!……おっといけねえ」
次にアガートは立ち上がると銀腕を大木に打ち付ける。
支えを失った大木が傾き、凄まじい轟音が辺りに鳴り響く……
「こう見えても急いでてな、後は掃除屋に相手してもらえ」
傾いた大木が覆いかぶさるように傭兵へと倒れ込み、身動きが取れなくなる。
「あばよ」
指笛で何かを呼ぶ仕草をすると、暗い獣道へと姿を消していった。
涙で滲む傭兵の眼には澄み切った大空と、舞い散る黒い羽が映っていた……
時は現在に至り……
ルークは轟音がしたと思われる場所にたどり着き、辺りの惨状を目にする。
(なんだこれは……)
横なぎに倒された一本の大木の付近に、何羽もの巨大な怪鳥がひしめくように何かを突いて貪っている。
頭部は毛が抜け落ちたように桃色の肌を晒し、足には鋭いかぎ爪。
大きく羽を広げ、何かに覆いかぶさって食事に夢中のようだ。
一羽がこちらに気が付き、餌を横取りされると思ったのか襲い掛かってくる。
「邪魔だ!」
ルークは腰に携えた剣を抜き、怪鳥を斬り伏せる。
すると身の危険を感じたのか周囲の怪鳥達はすぐさま飛び立っていった。
黒い羽の木枯らしが通り過ぎ、怪鳥が大木の下で喰らっていた正体が目に入る。
体格や服装からして、どうやら傭兵だったと思われる。
ルークは一瞬ロビンではなくてよかったと安堵したが、目の前の男の惨状に胸が痛む。
木の下敷きで潰れた左半身、嘴で破かれた頬からは歯が見える。
(これは助かりそうもないな……)
「……た……のむ!」
「……!」
まだ息があった事に驚くルーク。
焦点が定まらない眼が、こちらを捉えている気がした。
傭兵は震える手で胸から鎖にぶら下がった何か取り出してルークに見せる。
「これは傭兵章……?二人分……まさか」
ルークは銀腕の熊が殺した傭兵を思い出す。
「ジョンと……ヨゼフの仇を……熊を……殺してくれ」
彼に余裕はなく、どこの誰かもわからないルークに最後の望みを託す。
それが件の幽霊だとは知るはずもなく。
差し出しされた血塗れの傭兵章を受け取り、ルークは頷く。
「分かった」
その言葉が伝わったのか、男は力尽き息絶える。
「あんたの依頼、この幽霊が引き受けた」
「なんだ……?」
獣道を押し通りながら歩いていたアガートが不穏な気配を感じ取る。
木陰からわずかに見える空に、逃げるように飛び去って行く禿鷲が見えたからだ。
老婆の叫び声と似た耳障りな鳴き声が頭上で響いている。
懸念を抱く間もなくアガートの予感は的中した。
太陽が雲に隠れて辺りが陰るようにあっという間の出来事だった。
木漏れ日が消え、周囲の空気がわずかに冷えていく……
黒い霧が辺りに立ち込める。
「忘れもしねえ、こいつは――」
幽霊に敗北したあの日の光景がアガートの頭の中によぎった。
しかし現実は思い出に浸る間もなく、背後からアガートの右肩に重い衝撃が走る。
「ぐっ……危ねェ……」
右腕の義手が、背後から切り裂こうとしていた剣を握りしめていた。
しかし無傷とはいかず、浅く裂けた傷口から僅かに血が流れる。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
アガートは雄たけびを上げながら剣先を掴んだまま、背負う要領で地へと叩きつける。
しかし捉えた感触はせず、銀色の手の中は虚空を掴んだままを地面割っていた……
霧が晴れ、目の前にぽつんと人影が現れる。
記憶に残る光景と目の前の現実が今、重なる。
「また会ったな、銀腕の熊」
憶えている男はしゃがれた老人の声、この男の声は明らかに若い。
アガートはそれが別人と分かっていた筈なのに、自然とその名を呟いてしまう。
「幽霊……」
「あんたに用事だ」
幽霊は血濡れた傭兵章をアガートに見せると、一言だけ告げる。
「死んでくれ」
文章に変な点、荒い所を見つけ次第
添削・修正しております。




