心を打ち捨てた廃世にて。廃墟の一瞬
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終わりは始まりに繋がる。出会ったことが別れへと繋がるように。だから始まりを求めて旅をしよう。別れを無駄にしないために。
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彼女と出会ったのは、旅の途中で寄った廃墟の中。
取り残された空間の中にポツンと置かれたモニターに、彼女は映されていた。
「貴方はなぁに?」
箱の中から彼女は訪ねた。その声は透き通っていて。スピーカーを通した様には聴こえなかった。
「僕は…旅人かな」
そう答えると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「旅人…?」
「そう。旅人。僕は今まで旅をしていたんだ」
そう。宛のない旅だ。最も、こんな世界の中で宛に出来る場所もないだろうけど。
「何で貴方は…旅?をするの?」
「何で…?そうだなぁ…」
そういえば何でだったのか。いや、考える程のことでも無かった。
「誰か…話相手でも見つかれば、そう思ったんだよ」
結局は寂しかったんだ。そう言う事だ。
「そうなんだ…じゃあ、もう旅はおしまい?」
「…?何でだい?」
答えは分かっていたけど、彼女の口から聞きたかった。
「何でって…私が話相手になってあげるわ。だから、貴方の旅もお終い、でしょ?」
それを聞いて…とても安心した。彼女はモニターの中の存在だけど…温もりを確かに感じた。
「そうだ、ね…ありがとう」
「どういたしまして。私も、お話相手が欲しかったから丁度いいタイミングだったわ」
「そうかい…じゃあ、これから暫く宜しく」
「ええ。末永く宜しくお願いするわ」
彼女との最初の会話はこんなものだった。鮮明にこびりついた記憶だ。
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幸い、打ち捨てられた廃墟の周りは平地になっていた。耕してみると、まぁ何とか作物ぐらいは作れそうだった。
ここで旅を止めるのなら、ここに腰を落ち着ける為の準備が必要だ。商店なんてものは何処にもない。この世界の中で、僕が知っている店は2店程だが、どちらもここから通うには程遠い場所にある。だから…畑を作ったのだ。
「何を作っているの?」
ある日畑を耕し終わり、育てる作物の選別をしていると、彼女が訊ねた。彼女はあらゆる事に興味を持つ。
「畑だよ。食物を作らなければならないからね」
そういうと、彼女は画面の奥で首を傾げた。
「はたけ、って何?しょくもつ…?」
不思議そうに呟いている。
どうやら、彼女には知識というものが欠けているらしかった。まぁ、こんな寂れ切った場所に置き去りだったのだ。知識の供給など出来るはずもないのだが。
「畑っていうのは…」
✱
こうして僕は彼女に知識を与えた。彼女には言葉ぐらいの知識しかなかった。だからあらゆる事が初めての事だった。全てに興味津々なのも頷ける話だった。
まるで無知な子供に知識を与える先生のように、僕は彼女に色々な事を教えた。最初は理解に苦しんでいるような彼女も、段々と物事を覚え色々な事を自分から考えて理解するようになっていた。やはり彼女は機械なのだろう。一旦物事を覚えるとそれを扱うのがとても上手であった。
色々な事を教え、教えられ。こんな孤独な世界で得た話し相手とのコミュニケーションは、砂漠の中で得た水のように僕の心を潤した。
教える度に賢くなっていく彼女を見る度に僕はとても嬉しくなった。
でもそれと同時に、これ以上賢くならないで欲しい。そう思う自分を何処かに見つけていた。
段々とたくさんの事を覚え知識を増やす彼女。それにつれて段々と教えられる知識を減らしていく僕。
僕から知識が減る度に、彼女との時間が無くなっていってる気がして仕方がなかった。
だから僕は、ある日突然彼女に
「暫くここを離れることになる。少ししたら戻るよ」
とだけ告げたのだ。
別に彼女といるのが嫌になってきた訳ではなく。唯唯、この世界の知識が詰まったある図書館に行きたかっただけだったのだが。それを彼女に言うのは何だか恥ずかしくて、矛盾した言葉だけを残したのだった。
結局のところ、僕は彼女といる理由を増やしたいと、知識の供給を行いたかったのだ。でも、結果としてこれは彼女と居られる時間を減らすことになる訳だった。
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彼女から離れ、最果てにある図書館から帰ってきた時。僕はそれに気づいた。
大体、2ヶ月くらい経った頃だった。
仄暗い廃墟で静かに光るモニターに映る彼女は。小さくノイズを吐き出していた。
「あ……おかえりなさい」
ザリザリガリガリとノイズ混じりの声で彼女は微笑んだ。機械のことなんて分からない僕にも、彼女が良くない状態にあることが理解できた。
「ただいま……大丈夫なのかい?」
何が?と言って彼女は笑顔を崩さない。彼女を映す画面にもノイズがかかっており、その笑顔は苦しそうに歪んで見えた。
「何って……身体とか」
「私に身体は無いわ」
「いや、まぁ、そうだけど…」
そういう事を言いたかったワケじゃないんだけども。なんて言ったら良いか分からない。僕は最果ての図書館で何を学んできたのだろう。
「冗談よ…大丈夫。私には何もおかしいことなんて起きてないわ」
「…そうなのかい?でも」
「大丈夫よ。何もおかしいことなんて無いわ」
ハッキリと強く彼女に言われ僕は言葉を紡げなくなる。何もおかしいことなんて無い、と言われてしまえば僕にはどうすることもできない。いや、おかしくなってしまっていても僕には何もできないのだ。
自分の無力さが嫌になった。
「それで?貴方は大事な話相手を放置して今まで何をしていたのかしら?」
「え?あぁいや…ちょっと足りないものを補いに行ってたんだ」
「ふーん…それは補えたの?」
「うん…多分、ね」
「そう…それは良かったわ」
ニコリと微笑んだ彼女に僕はドキリとする。どうやら僕は彼女の笑顔が好きらしい。それは嬉しいことだった。
この後、僕は早速補ってきた知識を彼女に小出しにしながら教えた。久しぶりの勉強会は彼女も楽しんでくれたようで嬉しかった。
終始響くノイズは気にしないことにした。
✱
「貴方って、笑わないのね」
ある日彼女は寂しそうにそう言った。自覚がなかったことを指摘され面食らう。
「僕は笑っていないのかい?」
自分では結構笑っているつもりなんだが。彼女と話している時はいつでも笑顔でいるはずだ。
「ええ。貴方はいつも無表情よ」
どうやら僕は笑えていないらしい。自分の顔をしっかり見たことが無いから実感は湧かなかった。
「ふむ…気をつけてみるよ」
「笑顔って気をつけることではないと思うのだけれど…頑張ってね」
何処か寂しそうに彼女はそう言った。笑顔も哀しそうだった。彼女はとても表情豊かだ。感情も溢れている。
そういえば僕に感情が芽生えたのは何時の事だったか。
✱
ザリザリザリザリ。
そんな音で目が覚めた。彼女のノイズは日に日に大きくなっていく。彼女の顔も一層辛そうに歪んで見えた。
最近は彼女自身も不調を訴える様になった。今日も具合が悪く、勉強会を早々に切り上げ眠りについていたのだった。
辺りを見渡すとまだ外は暗く、星が瞬いている。ノイズを吐き出すモニターの彼女も、苦しそうに顔を歪めながら眠りについていた。その顔に触れたかったが、伸ばした手はコツンとモニターに阻まれるだけで、彼女には届いてくれない。
相変わらず自分の無力さを噛み締めるしか出来ない僕だ。
「…どう、したの…?」
突然の声にびっくりしながら顔を上げると、眠そうな顔をしながら彼女がこちらを見ていた。どうやら起こしてしまったらしい。
「いや…ちょっと目が冴えちゃって。起こしてごめんね」
「うう、ん。大、丈夫。私も嫌、な夢を、見ちゃっただけ、だから」
「嫌な夢……?」
「昔の…貴方と、出会う前、の長、い孤独、の時の事…」
「……」
長い孤独。僕がここに来るまでの話。
そういえば彼女は一体何時から此処にいるんだろう。
僕は彼女の事を何も知らないのかもしれない。これを期に、聞くのも有りだろうか…
そんなことを考えて、彼女に声をかけようとしたが、再び眠りについている様子を見て、言葉を飲み込んだ。
せめて彼女の夢では僕が助けになっていれば、なんて考えて僕も眠る。
僕の夢には彼女が出ないことはなかった。
✱
前に耕していた畑は2ヶ月近くの放置で、雑草たちの社交場になっていた。植えていた植物も全て枯れてしまっている。
大事な食料が無くなってしまったことが悲しかったが、別段食べなきゃ死ぬわけでもないし、今は彼女の側に少しでも居たかったから、此処はこのまま雑草たちに貸してあげることにした。いずれは返してもらう。
いずれは何時だろう。多分彼女が治った時だろう。
あるいは、
✱
最近彼女は殆どの時間、眠りについている。その間僕は暇になってしまうので、彼女のそばで最果ての図書館から拾ってきた書物を読むことにしていた。
読む本の殆どは技術系の話だ。彼女が一体、どんな存在なのか知りたくて本に頼ってみたわけだ。
だけどどの本にも彼女の正体は載っておらず、ただただ彼女の正体不明だということを再認識しただけに終わった。
でも全く得るものが無かったわけではない。
僕が一体どんな存在なのかは理解することができた。
人工的に創られた機械人間アンドロイド。それが僕の正体らしい。その第三世代に該当する。
この世界の殆どがアンドロイドだとは知っていたけど、僕もその一部だとは知らなかった。
僕もこの世界の一部。紛い物な存在だったのか。
まだまだ僕も知らないことの方が多い。
彼女のことは未だに殆どのことを知らないままだ。
✱
彼女が起きている間に、僕の疑問を投げかけてみた。
「君って一体、どんな存在なの?」
「どんな存在……貴方の話相手?」
「嬉しいけどそういうことじゃない」
「んー…どんな存在なの?」
「……それを訊いてるんだけどな」
「きっと貴方の望む答えは渡せないわ」
結局何も解決しなかった。
「でも…私は別にどうだっていいわ」
「えー…」
こちらとしては結構本気で知りたい事なのだが。
「私は…自分が何だったのかとか何なのかなんてどうでもいいもの。私は貴方の話相手。それだけで充分だわ」
「そうだね」
真剣な瞳でハッキリと言われた。
正直彼女が何であるかなんてどうでもいい。
彼女は僕の話相手。それで充分だ。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ」
最後の最後までよろしく。
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彼女が起きている時は相変わらず勉強会を開いている。
段々と図書館で手に入れた知識も足りなくなってきている。
知識の残量と共に彼女との時間も減っている。
今度ばかりは事実として受け止めるしかない様に思えた。
「…どうしたの?暗い顔して」
「え……?」
呆れたような顔で僕を見る彼女。そういえば今は持ってきた絵本を読んでいたのだったか。
「ごめんごめん。えーと、どこまで読んだかな」
慌てて行を探すが、どこまで読んだのか分からなくなってしまった。それでも必死に記憶の糸を辿る。最早一分一秒も惜しいとでも言うかのような焦りがあった。
「そんな顔して絵本なんか読まれても戸惑うだけだわ。もういいわよ」
「いや、大丈夫。絶対見つけるから」
もういいなんて言わないで欲しかった。彼女と居られるならどんなものでも見つけるつもりだった。
嗚呼僕は思っている以上に彼女との時間を大事にしているらしい。一瞬でも一緒に居たいと、それだけで頭が一杯だった。
「だからぁ…もういいって。それよりほら、私、知りたい事があるのよ」
「え……?」
強く言われて探すのを止める。彼女は真っ直ぐ僕を見ていた。僕は驚きを隠せなかった。
そういえば彼女から、何かを知ろうとした事はあっただろうか。そんなことはなかったはずだ。
「だから、私に教えて?」
「うんうん。なにが知りたいの?」
今なら世界の真理だって語っちゃえるような気分だった。実際僕には騙ることしか出来ないけど。
「貴方のお悩み事なぁに?」
「……」
黙秘権を行使したかった。
✱
終わりとは呆気なく突然に訪れるものだ。始まりと同じように。
思えば彼女と出逢ったのは全くの偶然だった。偶々立ち寄った廃墟に彼女が居ただけだった。それだけだったはずだ。
しかしあの時僕はなぜ彼女に惹きつけられたのか。ソコマデ話相手が欲しかったのだろうか。何だか良く分からない運命でも感じたのだろうか。良く分からないことだらけだ。
でも、分からないなりにも、彼女が僕の中で大きな存在になっていることは分かった。だからこそ覚悟しなければならない、と心の冷たい部分が語りかける。
もうすぐそのときがくる。
頭の冷静な部分が語りかける。
なんでそんなこと考えるんだい?
僕は誰かに騙る。
心が痛いんだよ。
「…心ってなんだよ…?」
✱
最近、彼女が起きていても勉強会が行われない時がある。
彼女は起きながら寝ているようで、語りかけても反応がない時がある。そういう場合は黙って彼女の側に居るだけにした。
そんな時についつい考えるのは僕と彼女のこと。
このまま一緒に居られるはずがないとして、そうしたら僕はどうしたらいいのだろう?とか。
彼女は僕のことをどう思っているのか?とか。
まるで恋でもしているみたいに思えた。
そういえば僕には心があるのだろうか?
紛い物の器にも心があるのだろうか?
そんなことで悩んでいたりもした。
悩めるってことはイコール心があるって事でいいのかな?
彼女に問い掛けたけど、返事はなかった。
沈黙は肯定と取ろうと思う。
✱
「貴方は」
彼女は静かに呟いた。夕景をぼんやり眺めていた僕は、 んぁ?と情けない声で返した。
「貴方はなぁに?」
フフフと笑いながら彼女に問いかけられる。懐かしい響きだった。
「僕は……一体なんなんだろうか」
すっかり分からなくなってしまった。
僕は一体なんなんだ?
問いかけるように視線を彼女に向けた。
微笑みがコチラをみていた。
「貴方は旅人よ。今もね」
「旅人……?」
旅は終えたと思っているのだが…
求めていたモノは見つけたはずだから。
「貴方は今も何かを探しているわ」
「何を…?」
「自分を?」
「正解」
絶賛お悩み中である。
「じゃあ今度は自分を探して旅をしているのよ…貴方は」
そういったっきり彼女は黙り込んでしまった。気になって見ればどうやら眠っているようだった。
「……そうか僕は旅人か」
自分は旅人か。それならそれで良い。一つの答えだ。
また求めていたモノは見つかった。
何時も欲しいものは彼女が与えてくれている気がする。
次に僕が望むモノは、なんだろう?
それを探すのもまた旅だろう
✱
案外欲しいものはすぐ見つかるものだ。
僕は、彼女との時間が欲しい。もっと欲しい。と砂嵐を映すモニターを見て僕は思った。ガガガガガガガガガと酷いノイズを撒き散らすモニターに彼女は映らない。ノイズは悲鳴のようにも聞こえた。
遂にその時は来てしまった。結局僕は何もできなかった。ただ彼女に凭れかかって自分の孤独を埋めていただけだろう。最早自分が何をしたかったのかも分からない。
ただ、彼女に一言、ごめんなさいと言いたかった。
「ごめんなさい…何もできなかった」
「そこは……ありがとう、と言って欲しい、わ…」
驚きで顔を跳ね上げる。砂嵐を映していたはずのモニターには彼女が映っていた。何時の間にかノイズも消えている。
「治った、の……?」
僕の儚い希望は、首を横に振った彼女によって掻き乱され、霧散した。声が潰れる感覚がした。
「最後の時間が来たのよ」
そう言って彼女は笑った。最後の最後まで彼女は笑顔だ。
「なんで笑うんだい……?」
「嬉しいからよ。最後の最後に貴方と話せるのが」
「本当に最後なのかい……?」
「ええ。これで最後よ。後少しの時間だけ。呆気ないものでしょう」
「……」
本当に最後。覚悟したはずなのに、直面すると声が出なくなる。何も言えなくなる。彼女に言いたいことはたくさんあったはずなのに。黙り込んでしまいそうになる。
駄目だ。
「何も…おかしいところは無かったんじゃないのかい?」
とりあえず出した言葉は何処か彼女を責める響きを持っていた。でも……彼女は大丈夫と言った筈なのに。
「ええ。何もおかしいところは無いわ。ただ当たり前の事が起きているだけだもの」
「でも、今君は…」
「そうね。でもおかしなことはないわ。何も間違ってることなんてないもの」
「…つまり、どういうことなんだい?」
「簡単な事よ。私はただ寿命が来ただけよ」
「……何だって?」
寿命。彼女は確かにそう言った。でも彼女は、とても寿命を迎えるくらいに老いては見えない…どころか、まず彼女に老いというものがあるのかすら分からない。
ましてや寿命だなんて。
「私は機械だった」
疑問で顔を歪めた僕に彼女はそう言った。益々理解が追いつかない。
「私に寿命は無いわ」
「え……でも今君は」
「そう。寿命を迎えている。おかしいわよね、機械に寿命は無いのに」
「……」
「でも、私が機械じゃないとしたら。寿命を、迎えているのは不思議でもなんでもないわ」
「え?機械じゃない……?」
「そう。まぁ正確には機械じゃなくなった。だけどね」
そう言った彼女は僕を見て微笑んだ。何時もの暖かい笑顔だった。
その笑顔は……彼女が機械じゃない事を証明しているように見えた。
「私は心を手に入れた。ただそれだけのことよ」
「心……?」
「そう。心。造りものじゃなくてホンモノの心。貴方がずぅと求めているもの」
「……」
心。彼女はそういった。確かに僕が探していたモノだった。
しかし、手に入れるとは……?心とは手に入れるものなのか?
「私、楽しかったわ」
「え…?」
「貴方の事とのお話は楽しかったわ」
「う、うん」
返事をしながら思う。彼女は今なんの話をしているのだっけ?
「貴方と話していると世界が色づいていくようだった…そう思った辺りからよ。私に異変が起きたのは。心を持ったのは」
「…あ、じゃあ、それって―」
―君が苦しんでいたのは僕のせいなのかい?
その言葉は言えなかった。彼女の瞳が、言うなと語りかけていた。
「貴方は何も悪くないわ。それに私は苦しくなんてなかったもの」
「いや…でも」
「でもじゃないわ。正直、体は辛かったけれど……」
「じゃあ、やっぱり」
「違うわ。体は辛かったけれど、心は満たされていたのよ。今まで色のないような世界が彩られたのだもの。体の辛さなんて忘れられたわ」
「……」
彼女の言葉に言い返すことはなかった。色のない世界。それは今僕が感じているものそのものだったから。
それが彩られたら……どんなに綺麗なのだろう。
今の僕には想像もつかなかった。
☆
彼女との最後の会話が途切れてから暫く無言が広がっていた。何時間にも感じられたが、月は殆ど動いていないから、実際はそんなに経っていないのだろう。
「……ねぇ?」
「……どうしたの?」
沈黙を破ったのは彼女だった。
先程と比べて随分と弱い声だった。
「貴方にとって私はなぁに?」
「…………」
恐らくだが、これが最後の会話。彼女の最後の問。
そう思うと彼女に安安と答えるのが難しかった。
僕にとって彼女とは何なのか。何だったのか。
今までの彼女との時間を思い出していく。
浮かんでは消えていく時間と思い出達。
思っていたよりもそれらは長かった。
彼女は結局僕にとって何だったの?
過去の自分達に問いかけていく。
ただの話相手であったのかな?
それは多分違うと思うんだ。
だからって何なんだろう?
はっきりとした答えは?
彼女に何て渡したら?
また旅が始まった。
今度は何を探す?
彼女の存在を。
僕にとって。
彼女って?
答えは?
答え。
あ。
「時間切れ」
彼女はそう言って笑った。画面いっぱいにノイズが走っていく。僕の頭の中のような。
「貴方は今度はそれを探して旅をして…これからも歩いていってね」
その声も聞き取るのがやっとで、噛み砕く暇もない。
「そうして、たまに私を思い出してくれたらいいかな…」
何か言いたいのに、何も思いつかない。
ただ必死に彼女の言葉を拾うだけだ。
「貴方と会えて本当に良かったよ」
そう言って笑う彼女の顔がぼやけていく。
ノイズは止まらない……?
「僕も…僕も君に出会えて良かった。絶対に忘れたりはしない」
自然と口をついて言葉が出た。声は震えていた。
ノイズは彼女の体にまで到達している…あれ?彼女はあんな色だったかな…
「うん…それなら私は何も言うことは無いわ…」
そう言って笑う彼女の声も震えていた。彼女の目には涙。
不思議に揺れる虹彩は、不思議な光彩を湛えていた。
「綺麗だ……」
思わず口をついて心が漏れる。
あぁ、綺麗だ。彩られた彼女は、とても綺麗だった。
「え…最後の最後で…?」
キョトンとした彼女。しかし直ぐに顔が真っ赤になる。
その色すら綺麗に見える。こんな時になって僕は初めて彼女をちゃんと見た気がする。
「うん…綺麗だよ」
もう一度言ってみる。何か他に言うべきことがあったのかもしれないが、僕にはこれしか思いつかなかった。
「えと、その……ありがとう」
そう言って、えへへ、とハニカム彼女。
あぁそういえば…僕は彼女の笑顔が…
「見つかった…僕は君のことが―」
ザリザリザリザリザリザリザリザリザリザリ…
✱
虹色のノイズを映し出す画面に彼女は映らない。
じっと見詰めていれば浮かび上がる様な気がしたけど、徐々に画面がボヤけていく。僕は…泣いているのか?
鮮やかに彩られた彼女の記憶を辿っていく。涙が溢れるばかりで、何処にもたどり着けやしなかった。
胸の辺りが苦しくなる。これが心なのだろうか?
だとしたら彼女が言っていたことも分かった。確かに苦しいのに辛くはなかった。
「…嗚呼綺麗だ」
泣きながら見た月は、いつも見る月とは別物に見えた。
結局、僕にとって彼女とは何だったのか。見つけた答えが全てなのかは分からない。
最後の言葉も彼女に届いたのか分からない。ノイズが酷くて、僕も自分の言葉を聞き取れなかった。
でも、彼女のいった
「私も」
という言葉が全てな気がした。
思い出して涙が溢れた。
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僕はまだ旅を続けていく。
感想を頂けると幸いです