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帰宅

 足が寒かった。

 床は冷たかった。

 私は目を覚ました。

 空には星が光っていた。

 自分の置かれている状況がわかってくると、自分の体に、誰かのブレザーがかけられているのに気がついた。

 目をこらして名前を見ると、田中敬とあった。

 襟の部分が冷たく、涙で濡れていた。

 8年前に亡くなった母親の形見の腕時計を見ると8時だった。

 この時間ではスクールバスはもうない。

 急に不安になった。

 鍵がかかっているだろうから、教室に荷物を取りには行けない。

 どうしよう。

 家までは20キロはある。

 しかも一文無し。

 職員室に残っている先生に電話を借りようか?

 いや、そんなことしたらこの時間まで学校にいたことがばれる。

 それとも20キロの道のりを歩いて帰る?

 どちらにしろ、この時間に帰ったら父親に叱られるのは目に見えている。

 途方に暮れてうずくまっていると、田中のブレザーのポケットの中に、何か物があるのに気がついた。

 ポケットに手を入れてみると、革の財布だった。開けてみると、中にはペンで書かれたメモと千円札が入っていた。


 清水さんへ

 揺さぶってみても寝言を言ってばかりで起きないので放っておきました。

 財布の中の千円札で帰ってください。

 抱きしめてくれてありがとう、少し元気が出ました。

 あと、泣き顔を見せてごめんなさい。

 田中敬

 

 不思議な気分だった。

 普通、書く?こんなこと。

 泣き顔を見せてごめんなさい。なんて。思わず笑ってしまった。

 抱きしめてくれてありがとう、か。そう言ってもらえて、こっちこそ元気が出た。

 私はメモを畳んでポケットに戻し、家までの帰る方法を考え始めた。

 市営のバスで家の近くまで行って、そこから歩いて家に帰る。

 私は黒い本と田中のブレザーを持って、立ち上がって階段を降りていった。



 バスから降りると寒かったので、田中のブレザーを着た。着ることに抵抗はなかった。

 サイズはぴったりだった。

 涙はもう乾いていた。

 住宅街の中の私の家が見えてきた。

 ブレザーの内ポケットに入っている財布が歩くたびに、規則正しく揺れた。

 玄関のドアを開ける。

「ただいま」

 そう言って返ってきたのは父親の、おかえり、という声ではなかった。

「こんな遅い時間まで何してたんだ!」

 リビングに足を踏み入れた瞬間にそう言われた。

「ちょっとバスで居眠りしちゃって」

「嘘だな。父さん、今日、父母会の集まりがあって、学校に行ったんだ。そのとき、駐車場から見えたんだが、お前、男と一緒に非常階段にいなかったか?」

 え……。

 ばれた。担任よりもはるかに面倒な相手に。

「別に、あの人とは付き合っているわけでもなんでもないんだけど」

「そうじゃない。お前はまだ中学生なんだから……」

 そんなにうるさく言うんだったら、女子校にでも入れればよかったのに。

「私のことなんだからどうでもいいじゃん、

ほっといてよ」

 私はあなたの所有物ではないのです。

 私はそう心の中で反論した。口には出せなかった。

「とにかく、もっと早く帰ってきなさい」

 やだ!

 そう叫びたかった。

 幼い頃なら、躊躇わずにそうしていた。

 しかし私はもう中学生で、まだ中学生。

 叫びはしなかったけど、叫びたい衝動を完全に押さえ込めるほど大人ではない。

「……やだ」

 そう呟いたのがせめてもの反抗。

「いやでもなんでも、子供はこの時間には帰ってくるものなんだ」

 子供、という言葉が私の胸に突き刺さる。

 唇を噛む。血の味が口の中に広がる。


 私は大きな音を立てて自分の部屋のドアを閉めた。

 飲みかけの紅茶と、文庫本の山が置いてある机の引き出しを開ける。

 いつも通りだった。父親に叱られて、反論できずに自分の部屋に逃げ込み、手首を切る。

 カッターナイフの刃が蛍光灯の光を反射する。 

 今日もまた、血は重力に逆らわずに床へと落ちて、赤い水溜りを作った。

 頭がくらくらしてくる。

 血をティッシュでふいた。

 制服のまま、ベッドに寝転がる。

 涙がシーツを濡らす。

 首が絞められるかのように、苦しい。

 喉の奥から嗚咽がもれる。

 体の力が抜けていった。

 まぶたが重くなってくる。

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