車輪の下
四階の非常階段はひんやりと涼しかった。
田中は、念入りに周りを見回して重いドアを閉めると、階段に座って、本を読み始めた。
確かにここは読書には最適の場所だった。
涼しくて、適度に明るくて、静か。
非常階段の下は学校の駐車場のようだった。
「それ、どういう小説?」私は聞いた。
「ああ、これ?これはね、車輪の下っていう小説で、主人公のハンスは秀才で周りから期待されて神学校に入るんだけど、厳しい先生たちのせいで精神を患って、結局、故郷に帰って自殺みたいなかたちで死んでしまう。そんな話だよ」
なんだか私と似ている気がした。
私立の中高一貫校に入れられて、リストカットして……その先はまだわからないけど、
この小説と同じ結末になるような気がした。
「ふうん、私みたいだね。その主人公」
「僕も、自分みたいだと思った」
そう田中は言った。妙に悲しげな言い方だった。
「死にたいと思ったことってある?」私は聞いた。なぜ聞いたかのかは自分でもわからない。強いて言うとすれば、仲間がほしかったのかもしれない。
沈黙。
非常階段を吹く風の音だけが聞こえる。
スカートの布地を通して、階段の床の冷たさが伝わってくる。
手首の傷が疼く。
今、中学・高校時代を私立の女子校で過ごしたという担任の教師に目撃されたらどうなるだろう。と私は考えた。おそらく勘違いして私を田中から引き離すに違いない。
そう思われても仕方ないほど、私と田中は近くに座っていた。田中は気にしていないみたいだったけれど。
田中は閉じた本を見つめていた。
その表紙にはヨーロッパの教会のステンドグラスが描かれていた。十字架が中央に描かれ、そのまわりを人が囲んでいた。
風がゆっくりと吹き抜けていった。
「……あるよ」
聞き取れないくらい小さな、風にかき消されそうな声で田中は答えた。
顔を上げて田中を見ると、泣いていた。
体の奥からしぼりだすような泣き方だった。
小柄な体を震わせて、泣いていた。
涙が頬を、熱い溶岩のようにゆっくりとつたって行った。
なんで?とは聞けなかった。聞くのは残酷すぎるように思われた。
「変なこと聞いて、ごめん」
「うん……」
田中はハンカチで目を拭いた。
私はそのハンカチを持った手を忘れない。
その細い手首には私と同じ、あれがあった。
田中を抱きしめた。
田中は体を一瞬強張らせたが、拒みはしなかった。
言葉はもう要らなかった。
涙があふれてくる。
次から次へと、とめどなく。
田中も私の背中に手を回した。
このまま時が止まればいい。そう思った。
急に眠くなってきた。
目を開けているのが辛い。
昨夜、1時まで小説を読んでいたツケが今になってまわってきた。
私は、田中の腕に抱かれたまま、不意に眠りにおちてしまった。