非常階段
もうすぐ定期テストだった。胃が痛い。
テスト前になると、なぜか本を読みたくなる。教科書で重い鞄は教室に置いて、足が図書館へと向かう。
本たちが私を魔力で引っ張る。
今日も開けてしまった。図書館のドアを。
田中がドイツ文学の棚を眺めていた。
さて、今日は何を読もうか、と、英文学の棚を眺める。アガサ・クリスティ、アン・フォート、ウィリアム・シェイクスピア、ウィリアム・レヤン。
そうだ、これにしよう。
アン・フォートの、
「自殺願望」
真っ黒な表紙のこの本を持って、カウンターに行き、借りた。
図書館の隅にある時計を見る。
まだバスまで時間がある。
勉強用の椅子に座って、真っ黒な表紙をめくる。
目に飛び込んでくる、文字たち。
「この本を、これから死のうとする人々に捧ぐ」
ページをめくる。
『一つ言っておきましょう。自らの手で死ぬのは悪いことではありません。
何故、そして、どうやって死ぬかが重要なのです』
彼女から渡された便箋には、美しい文字でこう書かれていた。
彼女は私の命の恩人だった。
(普通の人の感覚では、だが)
私はロンドンの駅でホームから、列車に飛び込んだのだった。彼女はそれを救った。
周りの人たちには、私は誤って転落したように見えたらしく、線路に誤って転落した華奢な女子学生を列車から救った、大柄な、造船会社の社長婦人の話は美談となった。
そもそも、私が飛び降りるタイミングが早すぎたのだ。列車が来るぎりぎりに飛べば死ねただろう。確実に、一瞬で。
私を救った婦人は、この便箋を渡してどこかへ去っていってしまった。
この便箋の内容だと、彼女は私の自殺を知っていたということになる。
よく考えれてみれば、これはいつ書かれたのだろう……。うずくまっている私を、線路の上から突き飛ばして救ってから、これを書く暇など無かったはずなのだが。
背筋が寒くなってきた。
便箋を裏返すと、なにやら小さい文字があった。
『あなたがまだ死にたいのなら、ここに来てほしい。テムズ川が見える、青い屋根のカフェの地下室。
カフェのオーナーにこれを見せれば入れてくれるわ』
謎めいた文章だったが、私がコートを羽織ってアパートを出て、テムズ川へと向かったのは言うまでも無い。
「それ、面白い?」田中が私の向かい側に立っていた。
「面白いと思う?」そう言って私は題名を見せた。田中は苦笑した。
「ところで、数学ってどう?」私は聞いた。
「どうって?」
「できそうか、ってこと」
「まあ、数学はスフィンクスだからね」
「スフィンクス?」
「うん。数学は、腹黒い謎を抱えたスフィンクス。あるドイツの詩人が言ったんだ」
答えになっていない気もするけど、納得しておいた。
「今日、非常階段に来なよ。
読書にぴったりだから」
田中は言った。
非常階段、火事とかの時に使う階段。
ふぅん、面白そう。
バスに遅れるかもしれないけれど、私は田中についていった。