虚飾の卓上と逃亡者たち
1. 電子の円卓
現実の肉体も、重力も、空気すら存在しない空間。 そこは、高度に暗号化された量子ネットワーク上に構築された、純白の会議室だった。無限に広がる白い虚空の中央に、巨大な黒曜石の円卓が浮かんでいる。
「……定刻だ。始めようか」
疲労の色を隠せない中年男性――東国首相が、重い口を開いた。彼の背後には「日本国政府」の紋章がホログラムで投影されているが、その光はどこか頼りなく明滅している。 隣に座る外務大臣は、脂汗をハンカチで拭いながら、視線を泳がせていた。
彼らが対峙するのは、分断されたこの列島を支配する、あまりに強大な隣人たちだ。
「遅いですね、東の代表。旧式回線のラグですか?」
冷ややかな声と共に現れたのは、軍服風のスーツを着こなした若い女性だ。 天国首相、リンドウ。 20代後半という若さで、九州・沖縄エリアの行政と軍事を掌握する「鉄の女」。その鋭い眼光は、東国の首相を獲物のように見定めている。 そして、彼女の隣には、豪華な椅子に深々と腰掛けた青年がいた。
「…………」
天国天皇、ミコト。 脱走した皇太子ヤマトの兄である。透き通るような白い肌と、硝子細工のように繊細な容貌。彼は一言も発さず、ただ静謐な瞳で虚空を見つめていた。その姿は、生きている人間というよりは、美しく悲しい偶像のようだった。
「おやおや。相変わらず天国の方は気が早くていけませんな」
円卓の向かい側、京国の席には、生身の人間はいなかった。 あるのは、豪奢な**「御簾」**と、その前に座る全身が機械化された官僚――**太政大臣だ。御簾の奥からは気配だけが漂い、決してその姿を見せない。絶対君主である御門**は、音声のみでこの場に臨席していた。
東(関東)、天(九州)、京(関西)。 かつて一つの国だった三つの極が、虚構の円卓を囲み、火花を散らす。
2. 責任の所在
「単刀直入に申し上げます」
口火を切ったのは、天国のリンドウ首相だった。彼女はバーチャル空間上の資料を円卓に叩きつけた。
「我が国の首都『天都』および地下重要区画は、甚大なる被害を受けました。民間人の死傷者は四桁に上ります。……東国、そして京国。貴国らの軍事行動に対する明確な謝罪と、損害賠償を請求します」
「異なことを仰る」
京国の太政大臣が、無機質な合成音声で即答した。
「我が国の正規軍は動いておりませんよ? あれは特務部隊『四柱』の独断専行……いわゆる暴走です」
「暴走だと? 貴様の手駒だろう!」
東国首相が声を荒らげるが、太政大臣は涼しい顔で肩をすくめた。
「ええ。ですが、彼らは御門の崇高なる『雅』を理解できず、功名心に駆られて勝手な真似をしたのです。……我が国としても遺憾であり、彼らを国家反逆罪と認定しました。被害者という意味では、我々も同じですな」
トカゲの尻尾切り。 失敗した部下を即座に切り捨て、国の責任を回避する。京国の冷徹な「恐怖政治」の一端が垣間見えた。
「……詭弁ね」
リンドウが舌打ちをする。
「まあいいわ。京国の内部粛清には興味ありません。……問題は東国、貴方たちよ」
リンドウの矛先が、東国首相に向けられる。
「我が国に無断で工作員を送り込み、皇太子殿下を拉致し、聖剣『天叢雲』を強奪した罪……どう償うおつもり?」
「ら、拉致などしていない! 我々は不可侵条約に基づき、正規の手続きで輸送機を入港させただけだ!」
東国首相が必死に弁明する。
「そもそも、地下に武装カルト教団が巣食っていたのは、貴国の内政管理の問題でしょう! 入国したジンたちは、京国部隊とカルトの戦闘に巻き込まれ、自衛のために戦ったに過ぎない!」
「黙りなさい! 口答えするなら、今すぐ関東平野への食料輸出を止めますよ!?」
「うっ……」
食料自給率の低い東国にとって、農業大国である天国からの供給停止は死活問題だ。首相が言葉に詰まると、リンドウは勝ち誇ったように畳み掛けた。
「要求は一つ。……皇太子ヤマト殿下と、聖剣『天叢雲』の即時返還。これに応じない場合、我が国はあらゆる手段を行使します」
3. 逃亡、そして嘲笑
東国首相は、脂汗を拭いながら視線を落とした。 隣の外務大臣が、震える手で一枚の電子ペーパーを差し出す。そこには、先ほど届いたばかりの「最悪の報告」が記されていた。
「……リンドウ首相、および京国の閣下にお伝えしなければならないことがあります」
「何です? 降伏宣言ですか?」
「……遺憾ながら、護送中の輸送機から……京国の反逆者ハルアキとイズナが逃亡しました」
「はぁ?」
リンドウが眉をひそめる。だが、次の言葉が会議室を凍りつかせた。
「さらに……その混乱に乗じて、ヤマト皇太子も機外へ脱出。現在は【行方不明】です」
一瞬の静寂。 その直後、爆発的な怒号が円卓を揺らした。
「ふざけるなぁぁぁッ!!」
リンドウが椅子を蹴って立ち上がった。
「行方不明だと!? 輸送機の中で!? 貴様ら、殿下を隠したな!?」
「ち、違う! 本当に飛び降りたんだ! 我々の手の届かない場所へ……」
「おやおや、無能にも程がありますな」
京国の太政大臣が、嘲るようなノイズ音を漏らした。
「犯罪者を取り逃がし、あまつさえ他国の重要人物を紛失するとは。……これだから**『旧・日本政府』**の残党は困るのです」
「な……!」
「いつまで『日本』などという死んだ名前を名乗っているのです? その古臭いプライドが、この混乱の元凶なのではありませんか?」
御簾の奥から、クスクスという冷ややかな笑い声が漏れる。 東国首相は拳を握りしめ、唇を噛んだ。彼らが必死に守ろうとしている「日本」という枠組みは、他国にとってはもはや過去の遺物、あるいは嘲笑の対象でしかないのだ。
4. 皇帝の言葉
「……もう結構! 我慢の限界よ!」
リンドウの怒りは頂点に達していた。彼女の背後に、天国軍の全戦力を示すホログラムが展開される。
「殿下の安否が確認できない以上、東国との対話は不可能です。……『不可侵条約』を破棄します。我が国の環境制御兵器で、東国の空を永遠の嵐に変えてやりましょうか!?」
「ま、待ってくれ! それだけは……!」
東国首相が悲鳴を上げる。戦争になれば、疲弊した東国に勝ち目はない。 開戦のボタンが押されかけた、その時だった。
「……おやめなさい、リンドウ」
静かな、しかし凛と通る声が響いた。 それまで彫像のように動かなかった青年――天国天皇、ミコトが口を開いたのだ。
「へ、陛下……?」
「あの条約は、亡き父上……先代天皇が、これ以上民の血が流れないようにと願って結ばれたものです。こちらから破ることは、父上の御心に背くことになります」
ミコトはゆっくりと首を振り、悲しげな瞳をリンドウに向けた。
「私のために、貴女の手を汚さないでください」
その言葉の威力は絶大だった。 先ほどまで狂犬のように吠えていたリンドウの顔が、一瞬で朱に染まり、しおらしく俯いたのだ。
「……は、はい。ミコト様……いえ、陛下がそう仰るのであれば……」
彼女は咳払いをし、慌てて軍事ホログラムを消去した。 その様子を、京国の太政大臣が「やれやれ、愛ゆえの暴走ですか」と冷ややかに見つめている。
5. 結論:指名手配と失踪者
ミコトの仲裁により、最悪の全面戦争は回避された。 だが、事態が解決したわけではない。 冷え切った空気の中で、三国の合意事項が決定された。
「……よろしい。では、こういうことにしておきましょう」
京国の太政大臣が、決定事項を読み上げる。
「第一に、京国の離反者、【青龍】ハルアキおよび【朱雀】イズナ。彼らを**【国際指名手配犯】**に指定します。発見次第、生死を問わず処刑を許可する」
リンドウが鋭い視線で引き継ぐ。
「第二に、ヤマト皇太子。殿下はテロリストの混乱に巻き込まれ、**【行方不明】**となられた。……あくまで『保護』が目的ですが、東国が隠匿している疑いが晴れたわけではありません。我々も独自に捜索部隊を出します」
そして、東国首相が力なく頷く。
「……ジン、レイナを含む東国の関係者は、引き続き我々が拘束し、厳重に事情聴取を行う。……これで、異存はないな?」
表面上の合意。 だが、誰も本音を語ってはいない。 京国は裏切り者の抹殺を。天国は皇太子の奪還を。そして東国は、唯一の手札となってしまったジンたちを利用し、生き残る道を模索するだろう。
「会議は終了だ。……次は、戦場でお会いしないことを祈りますよ」
プツン。 通信が切断され、白い円卓が闇に溶けていく。 虚飾の会議は終わった。ここからは、それぞれの思惑が交錯する、仁義なき捜索戦の始まりだ。
第9章 虚飾の卓上と逃亡者たち(完)
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幕間:鉄の処女の檻
1. 神が降りた日
今でも鮮明に覚えている。 数年前、本土が紅蓮の炎に包まれ、日本という国が引き裂かれた、あの日。 私たち九州・沖縄エリアの民にとって、それは絶望の日ではなく、**「栄光の日」**だった。
『天皇陛下、および皇太子殿下が、我が国への疎開をご決断されました!』
ニュース速報が流れた瞬間、街中が歓喜に沸いた。 東京でもない、京都でもない。この南の地こそが、皇祖神の血を引く正統なる主君に選ばれたのだ。それは私たち「天国」こそが、真の日本であるという証明であり、何よりの誇りだった。
当時、私はまだ士官学校を出たばかりの、ただの小娘だった。 熱狂する群衆に揉まれながら、私は政府専用機のタラップを見上げていた。 そして、現れた彼を見た瞬間――私の世界は変わった。
「……あぁ……」
タラップを降りる、儚げな青年。 今の天皇陛下、ミコト様。 弟君であるヤマト殿下の後ろに隠れるように俯き、透き通るような白い肌と、長い睫毛を震わせていた。その瞳には、国の分断を嘆く深い悲しみが湛えられていた。
美しい、と思った。 男だとか、女だとか、皇族だとか、そんなことはどうでもよかった。 ただ、硝子細工のように繊細で、触れれば壊れてしまいそうなその存在が、無骨な軍人崩れの私の魂を鷲掴みにしたのだ。
(私が……守らなきゃ)
この人は、乱暴な風に吹かれるだけで折れてしまう。 誰かが、強固な壁となって、外敵から、政治の濁流から、世界の理不尽から、この美しい人を守らなくてはならない。 いつまでも、この地にいてほしい。この美しい「象徴」を、誰にも渡したくない。
その日、私の心に火が灯った。 それは愛国心という名の、もっと個人的で、昏い情熱だった。
2. 黄金の鳥籠
それからの私は、死に物狂いで階段を駆け上がった。 邪魔な政敵はスキャンダルで失脚させ、無能な上官は「事故」で排除した。 軍事力を増強し、環境制御兵器を配備し、この国を鉄壁の要塞へと作り変えた。 全ては、彼のための完璧な**「鳥籠」**を作るためだ。
そして私は、若くして首相の座についた。 ついに、御簾の向こうではなく、同じテーブルで彼と言葉を交わす権利を得たのだ。
「……リンドウ。あまり、無理をしてはいけませんよ」
初めて謁見した日、ミコト様はあの悲しげな瞳で、私の労をねぎらってくださった。 その声の、なんと甘美で優しいことか。 京国の太政大臣などは私を「鉄の女」「狂犬」と呼ぶ。部下たちも私を恐れ、顔色ばかりを窺っている。 だが、ミコト様だけは違う。 彼は私が血にまみれて作ったこの平和(檻)の中で、何も知らぬ無垢な花のように、私に微笑みかけてくれる。
ああ、なんて愛おしい。 政治的な実権など、彼には必要ない。泥をかぶり、血を流すのは私だけでいい。 彼はただ、豪華な椅子に座り、その美しい姿で私を癒やしてくれればいいのだ。
周囲の陰口は聞こえている。 『首相の愛国心は異常だ』『あれではまるで恋する乙女だ』『愛ゆえの暴走』……。 ふん、言わせておけばいい。凡人どもに、この尊い感情が理解できるものか。
3. 許されぬ夢
「……はぁ」
首脳会談を終えた私は、自室の執務室で一人、熱い頬を冷やしていた。 やってしまった。 東国の不手際に激昂し、思わず「戦争」を口にしてしまった。 あのまま開戦ボタンを押していれば、今頃関東平野は砂漠になっていただろう。だが、ミコト様が止めてくださった。
『私のために、貴女の手を汚さないでください』
あの言葉が、脳内で何度もリフレインする。 私のために。私のために……! ああ、なんてお優しい。やはり彼は、私が必要なのだ。私が守ってあげなければならないのだ。
私は机の引き出しから、小さなロケットペンダントを取り出した。中には、盗み撮りしたミコト様の写真が入っている。 それを胸に抱き、少女のようにときめきながら、同時に自分を戒める。
(いけない、いけないわリンドウ。落ち着きなさい)
彼は雲の上の存在。現人神の血を引く至高の君主。 対して私は、いかに首相とはいえ、ただの「臣下」。 この恋は、決して叶わない。口にしてはならないし、触れてもいけない。身分違いも甚だしい、許されざる大罪だ。
だからこそ、私は彼を閉じ込める。 政治という鎖で、保護という名目で、この「天国」という名の鳥籠に。 ここなら、彼は誰の目にも触れず、どこへも行かず、永遠に私だけのものだ。
「……ヤマト殿下。貴方だけは許しませんよ」
私は写真の中のミコト様に口づけし、昏い炎を瞳に宿した。
「ミコト様を置いて逃げ出しただけでなく、あの方の心を乱すなんて……。必ず連れ戻します。そして二度と、この鳥籠から出られないようにして差し上げますから」
鉄の女は、乙女の顔で微笑んだ。 その笑顔は、どんな兵器よりも深く、歪んだ愛に満ちていた。
幕間:鉄の処女の檻(完)




