双璧の皇子と見えざる檻
幕間:天の裂けた日
1. 炎上の帝都
夢を見る。 いつも決まって、あの日の夢だ。 耳をつんざくようなジェットエンジンの轟音と、眼下に広がる紅蓮の地獄。
「……あぁ……燃えている……」 「……日本が……泣いている……」
隣で震える声がした。 僕は窓の外から視線を外し、隣の席に座る人物――僕の兄を見た。 当時、まだ十代後半だった兄上。線が細く、深窓の令嬢のように透き通るような白い肌。その瞳は、世界の全ての悲しみを映したかのように揺れていた。
「見ないでください、兄上!」
僕は幼い手を伸ばし、兄の視界を遮ろうとした。 当時、僕はまだ十二歳か十三歳。無力な子供だった。
窓の外では、東京が燃えていた。 北の大国・ソーシア連邦の侵攻により、防衛線が崩壊した日。 同時に、地方の有力者たちが次々と「独立」を宣言し、この国がバラバラに引き裂かれた日。 かつて一つだった島国は、一夜にして暴力と裏切りが支配するパッチワークの戦場へと変わった。
「……ごめんなさい、ヤマト。……ごめんなさい……」
兄上は、僕の手を握りしめ、ただ謝り続けていた。 兄上に罪はない。僕たちの血筋には、政治的な権限などとうの昔になかった。ただの「象徴」。国民の統合を願うだけの、美しい人形。 だが、その象徴としての機能すら果たせず、国が割れるのを止められなかったことを、心優しい兄は悔いているのだ。
「逃げるのですね……。民を見捨てて、私たちだけが……」 「違います! これは『疎開』です! 兄上は……この国の『心』は、折れてはならないのです!」
僕は叫び、兄の冷たい手を両手で包み込んだ。 政府専用の脱出機は、黒煙を上げる東京タワーを眼下に見下ろし、南へと進路を取る。 僕は誓った。涙を流す兄の代わりに、僕だけは泣くまいと。 兄上がこの国の「心」ならば、僕はそれを守る「牙」になろう。いつか必ず、この分断された空を覆う雲を払い、再び一つの国へと繋ぐための、最強の「剣」になると。
2. 楽園への亡命
場面が変わる。 紅蓮の炎と黒煙の世界から、目が眩むような色彩の世界へ。
ザザァァァ……ッ。
美しい波の音。 タラップを降りた僕たちを迎えたのは、本土の焦げ付くような硝煙ではなく、南国特有の湿った、甘い花の香りだった。
「ようこそおいでくださいました。陛下、殿下」
滑走路には、白と緑の軍服を着た男たちが整列していた。 九州・沖縄エリアを統治する独立国家「天国」。 豊かな自然と、最新鋭の環境制御技術が融合した、地上最後の楽園。 ここには戦火も、飢餓も、悲鳴もない。ただ、穏やかな陽光と、どこまでも青い空があるだけだ。
「……綺麗……」
兄上が呟く。だが、その声に喜びの色はない。 出迎えの政府高官が、恭しく頭を下げた。その顔には、完璧な「営業用」の笑みが張り付いている。
「ご安心ください。我が国は中立地帯。北の野蛮な戦火がここに届くことはございません。お二人の身柄は、我々が責任を持って『保護』いたします」
保護。 その言葉の響きに、僕は反吐が出るような嫌悪感を覚えた。 彼らの目は、僕たちを「敬うべき主君」としては見ていない。 彼らにとって僕たちは、自分たちの正当性を主張するための**「政治的カード」であり、ガラスケースに入れて飾っておくための「希少なコレクション」**に過ぎないのだ。
(……ここは、楽園じゃない)
僕は南の空を見上げた。 あまりにも青く、あまりにも平和で、残酷なほどに美しい空。 ここは、死ぬまで出ることの許されない、巨大で煌びやかな**「鳥籠」**だ。
兄上は、この檻の中で、飼い殺しにされる運命を受け入れるだろう。 だが、僕は違う。 僕は、この偽りの平和に唾を吐き、いつかこの檻を食い破る。 そのためなら、地の底だろうと、悪魔の力だろうと、何だって利用してやる。
幼い日の僕は、南国の太陽を睨みつけ、握りしめた拳に爪を食い込ませていた。
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3. 揺れる翼の中で
「……ッ、はぁ……!」
ヤマトは弾かれたように目を開けた。 全身が汗で濡れている。心臓が早鐘を打っていた。 視界に映るのは、南国の青い空ではない。無機質なステルス輸送機の天井と、薄暗い照明だ。
「……夢、か……」
ヤマトは額の汗を拭い、身を起こした。 簡易ベッドの揺れが、現実の感覚を引き戻す。 隣には、一振りの剣が置かれている。 かつて白銀の輝きを放っていた聖剣『天叢雲』は、今はオリジンの光を失い、ただの沈黙した鉄塊となって転がっていた。
「……サヤ殿……」
脳裏に、あの地下での惨劇が蘇る。 自分を庇って死んだ聖女。そして、怒りに我を忘れて暴走した自分。 ヤマトは自身の掌を見つめた。そこにはまだ、サヤの血のぬくもりと、自らの手で殺めた兵士たちの命の感触が残っている気がした。
だが、不思議と涙は出なかった。 あの日の夢が、教えてくれたのかもしれない。 ただ嘆くだけの子供だった時間は、もう終わったのだと。
「…… まずは 」
ヤマトは鉄塊となった聖剣を手に取り、立ち上がった。 その瞳からは、迷いの色は消えていた。あるのは、王として背負うべき「罪」と「覚悟」だけだった。
幕間:天の裂けた日(完)
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第8章 双璧の皇子と見えざる檻
1. 鋼鉄の揺り籠
ゴォォォォォ……。
低いジェット音だけが響く、薄暗い機内。 俺たちが乗っているのは、特別徴刀局が派遣した最新鋭のステルス輸送機だ。以前乗っていた『黒鳥』と同型だが、決定的に違う点が一つある。
「……ケッ、つまらねぇな。ハンドルぐらい握らせろってんだ」
源蔵がシートベルトに固定されたまま、不満げに鼻を鳴らした。 コックピットに座っているのは、彼やタキではない。フルフェイスのヘルメットを被った、徴刀局の正規パイロットたちだ。彼らは一言も発さず、機械のような精密さで機体を東国へと飛ばしている。 俺たちは「英雄」としての帰還ではなく、あくまで「保護対象」あるいは「重要参考人」として護送されているのだ。
「仕方ないわよ。今の私たちは消耗しきってる。……大人しく運ばれていましょう」
隣でレイナが目を閉じて休息を取っている。彼女も満身創痍だ。 俺はふと、空席になったカーゴスペースに目を向けた。そこには本来、もう一人いるはずだった。
「……結局、あの爺さんは残ったのか」
『ワシはここが良い』
出発間際、千子ムラマサはそう言って搭乗を拒否した。
『東国の空はノイズが多すぎる。あんな場所では、鉄の声が聞こえんわ。……それに、ここのゴミ山は宝の山じゃ。まだまだ遊び足りん』
カルトの聖域だった場所は、今やムラマサの新たな工房となりつつある。サヤを失った信者たちも、この偏屈な刀匠を新たな精神的支柱として受け入れているようだった。 変人だが、あそこが彼にとっての「楽園」なのだろう。
2. 禁断の解析
「うひょー! 見て見てタキ! この回路、すごくない!?」
静まり返った機内で、ミナだけが元気だった。 彼女は機体後部の作業スペースで、鹵獲したハルアキのホログラム扇子と、イズナの自律ビット『管狐』を広げ、目を輝かせていた。
「おいミナ、あまり触るな。呪術的なプロテクトが掛かっているはずだ」 「大丈夫だって! 物理的に回路を遮断してるし……ほら、この扇子の基盤、生体認証じゃなくて『波長認証』を使ってる! ここをバイパスすれば……」
ミナの好奇心は、技術者としての理性を上回っていた。 彼女が扇子の核心部分にあるクリスタルに、解析用のプローブを接触させた、その瞬間だった。
キュイィィィン!!
「えっ?」
扇子が強烈な高周波を発し、緑色の光が爆発的に広がった。 それは単なる光ではない。京国の技術体系である「呪術信号」の共鳴だった。
バチバチバチッ!!
「きゃぁっ!?」
ミナが弾き飛ばされる。 同時に、機体後方の拘束シートでうなだれていた二人の「捕虜」が、カッと目を見開いた。
「……共鳴、確認」
【青龍】ハルアキが呟く。 ミナの解析行為が、意図せずして彼らの装備のセーフティを解除し、外部からのエネルギー供給路を開いてしまったのだ。
「あはっ! やるじゃん、ツインテール!」
【朱雀】イズナが狂気的な笑みを浮かべる。 彼女の背中のスラスターが緑色に発光し、対サイボーグ用の強力な電磁手錠が、高熱でドロリと溶解した。
「しまっ……! 総員、構えろ!!」
源蔵が叫び、パイルバンカーを構えようとする。だが、遅い。
3. 敗者の矜持
「させぬよ!!」
ハルアキが拘束を引きちぎり、立ち上がった。 彼の手には、ミナが落とした扇子が吸い込まれるように戻っている。
「術式展開! 『風雅・乱気流』!!」
ハルアキが扇子を一閃させると、機内の空気が渦を巻き、俺たちの体をシートに押し付けた。重力制御への干渉だ。
「くそっ、まだ戦う気か! お前らはもう負けたんだぞ!」
俺は『ゼロ号』の柄に手をかけ、気圧の壁に抗いながら叫んだ。 だが、ハルアキの目に、以前のような「生存への執着」や「功名心」はなかった。あるのは、透き通るような絶望と、悲壮な決意だけ。
「……分かっている。東国に連行されれば、我々は情報を搾り取られた挙句、廃棄される運命だ」
ハルアキが、イズナを引き寄せる。 イズナもまた、抵抗する俺たちを攻撃しようとはせず、ハルアキの背中にしがみついていた。
「ならば……せめて自ら幕を引くのが『雅』というもの」
ハルアキの視線が、後部ハッチのレバーに向けられる。
「待て! ここはお前らの領空じゃない! 外は海だぞ!」
レイナの静止も耳に入らない。ハルアキは、脳裏に浮かぶかつての部下たち――弁慶とヨイチの最期を思い描いているようだった。
「我々だけが生き恥を晒すわけにはいかんのだ……。死んでいった仲間たちのために、我らの誇りを守らせてもらう!」
ガコンッ!!
ハルアキが術式でレバーを操作した。 ロックが外れ、後部ハッチが強制開放される。
ゴォォォォォォォッ!!
猛烈な轟音と共に、機内の空気が吸い出された。 眼下には、遠州灘の荒れ狂う漆黒の海が広がっている。高度3,000メートル。落ちれば水面といえどコンクリートに叩きつけられるのと同じだ。
「あははは! バイバーイ! 東国のダサいネズミども!」
イズナが俺たちに中指を立てる。 そして二人は、まるで舞踏会へ向かうかのように手を取り合い、夜の虚空へと身を躍らせた。
「……!!」
俺たちは言葉を失った。 敵ながら、あまりに潔く、あまりに狂った最期だった。
4. 追う者
呆気にとられる俺たちの視界の端を、白い影がよぎった。
「……え?」
寝ていたはずのヤマトだった。 彼は幽霊のように揺らめきながら、暴風吹き荒れる開放ハッチへと歩み寄っていく。手には、輝きを失った『天叢雲』が握られている。
「おいヤマト! 危ないぞ! 下がってろ!」
俺が叫ぶが、ヤマトは止まらない。 彼はハッチの縁に立ち、ハルアキたちが消えた暗闇を見下ろした。その横顔は、憑き物が落ちたように穏やかで、しかし恐ろしいほどに冷徹だった。
「……彼らに、問わねばならないことがある」
ヤマトが呟く。
「京国の技術、そして彼らを突き動かした忠誠……。兄上を救い、国を繋ぐためには、その『力』が必要だ」
「は……? 何を言って……」
ヤマトが膝を曲げる。 跳ぶ気だ。正気じゃない。
「馬鹿野郎! 閉めるぞ!!」
源蔵が我に返り、コンソールに飛びついてハッチ閉鎖ボタンを叩き込んだ。 油圧シリンダーが唸り、ハッチが動き出す。 だが。
「……また会おう、ジン」
ヤマトは俺を一瞥し、微かに微笑んだ。 そして、閉まりかけたハッチの隙間へ向けて、躊躇なくその身を投げ出した。
「ヤマトォォォッ!?」
俺の手が空を切る。 ヤマトの体は夜闇に吸い込まれ、一瞬のうちに見えなくなった。
ガシャン、プシューッ……。
ハッチが完全に閉鎖され、機内に静寂が戻る。 残されたのは、驚愕に固まる俺たちと、赤く明滅する非常灯の光だけだった。
第8章 双璧の皇子と見えざる檻(完)




