亡命
第2章
「……警告する。抵抗は無意味だ。その刀を置いて投降せよ」
炎の揺らめきの中で、マットブラックの巨体が軋んだ音を立てる。機械合成された無機質な声が、破壊されたロビーに反響した。 俺は警官と田所を瓦礫の陰に蹴り飛ばすように押し込むと、灼熱の大太刀を構える巨漢と対峙した。
「悪いな。こいつは俺の体の一部みたいなもんでね。そう簡単に手放せやしない」
俺がそう答えると同時に、腰の古刀が喜びの声を上げた。
『……喰わせろ……! その熱を……全て……!!』
脳髄を揺さぶる飢餓感。目の前の敵が発する高熱は、こいつにとっては極上の御馳走らしい。鞘から溢れ出した黒い靄が、俺の右腕を漆黒のガントレットのように覆っていく。
「交渉決裂。……排除する」
ゴウッ!!
巨漢が踏み込んだ瞬間、床のコンクリートが爆ぜた。強化外骨格の出力に任せた、人間離れした突進。赤熱した大太刀が、赤い尾を引いて横薙ぎに迫る。 速い。あの巨体で、田所のネオ・カタナ以上の速度だ。
俺はとっさに刀を抜き放ち、その斬撃を受け止めるのではなく、軌道を逸らすように刃を滑らせた。
ギャリガガガガガッ!!
耳障りな金属音と共に、大量の火花が散る。 大太刀が俺の頭上を通過し、背後の太い柱をバターのように溶断した。切断面がドロリと赤く溶け落ち、自重を支えきれなくなった天井の一部が崩落する。
「チッ、派手にやってくれる……!」
舞い上がる粉塵の中、俺はバックステップで距離を取ろうとした。だが、敵の追撃は止まらない。
「ターゲット、回避行動を確認。追尾モードへ移行」
巨漢の背部スラスターが青白い光を噴き、強引に姿勢制御を行うと、返す刀で唐竹割りを放ってきた。逃げ場はない。俺は覚悟を決め、古刀を頭上に掲げて迎え撃つ。
「……喰らい尽くせ!」
ズンッ!!
重厚な大太刀と、錆びついた古刀が激突する。 普通なら、俺の腕ごと刀が粉砕されていてもおかしくない質量差。しかし、衝撃の瞬間に世界が歪んだ。
『……美味……! 極上だ……!!』
古刀が歓喜の悲鳴を上げる。 大太刀から発せられる数千度の熱エネルギーが、物理的な熱として俺に伝わる前に、黒い靄によって急速に吸い上げられていくのだ。 敵の刃が赤から鈍い鉛色へと変色し始める。
「な……熱源出力低下。エラー。原因不明」
敵の動きが一瞬、硬直した。システムが理解できない現象が起きている証拠だ。田所の時と同じ、エネルギーの消失。だが、今回は規模が違う。吸い込んだ熱が、俺の刀に新たな力を与えていた。
錆びついていたはずの刀身が、吸い取った熱で赤黒く脈動し、表面の錆がボロボロと剥がれ落ちていく。その下から現れたのは、鏡のように光を吸い込む、濡れたような黒い刃だった。
「ご馳走様。……お返しだ」
俺は敵が体勢を立て直す隙を与えず、踏み込んだ。 古の歩法。足音を消し、相手の認識の死角を突く一歩。
「……ッ!?」
巨漢が反応して大太刀を盾にするが、遅い。 黒い刃が閃く。それは物理的な切断というより、空間そのものを抉り取るような一撃だった。
ザンッ!!
音もなく、巨漢が握る大太刀の刀身が半ばから両断された。 切断面からプラズマと溶解した金属が飛び散り、強化外骨格の胸部装甲に深い裂傷を刻む。
「警告。装甲損壊率40%。戦闘継続困難……」
巨漢がよろめきながら後退し、膝をついた。断ち切られた大太刀の破片が、カランと虚しく床に転がる。 勝負ありだ。周囲はスプリンクラーの水と炎が混じり合い、白煙が視界を覆っていた。
俺は荒い息を吐きながら、まだ「もっと喰わせろ」と騒ぐ刀を強引に鞘へ納めた。これ以上解放すれば、俺自身の精神まで持っていかれかねない。
「……誰の差し金だ?」
俺は倒れ込んだ巨漢に見下ろすように問いかけた。 男のヘルメットの一部が砕け、中から血の流れる口元が見える。男は苦悶の表情を浮かべながら、掠れた声で呟いた。
「……『宮』国は……貴様のその力を……決して、諦めない……」
そう言い残すと、強化外骨格からプシューッという排気音が漏れ、男は意識を失った。
「宮国……?」
俺はその単語を反芻する。 数年前、ソーシア連邦の侵攻を機に独立を宣言した東北・北海道エリアの国家。なぜそんな遠方の国が、俺の持つこの薄汚い古刀を狙う?
遠くからサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。増援が来る。 俺は崩れ落ちた天井の下で気絶している田所と、腰を抜かしている警官を一瞥し、破壊された警察署の出口へと足を向けた。
事情聴取どころの話ではなくなった。 俺とこの呪われた刀の契約は、どうやら国境を越えたきな臭い争いにまで飛び火してしまったらしい。
混乱の極みにあった警察署を抜け出すのは、驚くほど簡単だった。 スプリンクラーが降り注ぎ、白煙が視界を遮る中、増援の警官たちは倒れた巨大な強化外骨格と、その中にいるパイロットの確保に躍起になっていたからだ。俺の存在など、彼らにとっては二の次だったのだろう。
俺は濡れた制服が肌に張り付く不快感を感じながら、夜の街を歩いた。 きらびやかなホログラム広告が踊り、ドローンが飛び交う大通りをあえて避け、街の「影」へと潜り込んでいく。
そこは、あの骨董店があった場所と同じ匂いがした。 ネオンの人工的な光が届かず、代わりに錆とカビ、そして澱んだ雨水の臭いが漂う路地裏。最新鋭のテクノロジーが支配するこの東国の首都において、忘れ去られたような一角だ。
ギシギシと悲鳴を上げる鉄階段を上り、築何十年かも分からない木造アパートのドアを開ける。鍵などあってないようなものだ。 俺の帰る場所。六畳一間の自室には、必要最低限の物しか置いていない。机と椅子、そして隅に置かれた衣装ケースのみ。生活感と呼ぶにはあまりに希薄で、まるでいつここを去ってもいいと言わんばかりの荒涼とした部屋だ。
「……ふぅ」
重たい息を吐きながら、俺は腰の古刀を解き、枕元に置いた。 あれだけ「喰わせろ」と騒いでいた刀も、あの巨漢から膨大な熱エネルギーを吸い尽くしたおかげか、今は満足げに沈黙している。その黒く鈍い輝きだけが、この部屋の中で唯一、確かな存在感を放っていた。
俺はそのまま、スプリングのきかない硬いベッドへと体を投げ出した。 全身が鉛のように重い。田所のネオ・カタナを破壊し、警察に連行され、正体不明の刺客と殺し合いを演じたのだ。疲労困憊だった。
遠くから、ウゥゥゥゥ……というパトカーのサイレンが途切れることなく聞こえてくる]。おそらく、あの警察署へ向かっている車両だろう。あれだけの騒ぎを起こしたのだ、明日のニュースは俺たちの話題で持ちきりになるに違いない。 「宮国」の狙い、あの少女レイナの言葉、そしてこの刀の正体。考えるべきことは山積みだ。
だが、思考はまとまらない。 薄い壁を隔てた隣室から、ドタバタという乱暴な物音と、男の怒鳴り声が聞こえてきた。さらに女の金切り声と、食器が割れるような乾いた音が続く。
「てめぇ! ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」 「あんたこそ、いつまで夢見てんのよ!」
日常茶飯事の光景だ。このアパートの住人は皆、何かに苛立ち、何かにおびえながら生きている。俺も、彼らも、この煌びやかなハイテク都市の輝きから弾き出された「残りカスの」ような存在だ。 だからこそ、この呪われた古刀は、俺のような持たざる者の手元にやってきたのかもしれない。
壁越しに響く怒号と、窓の外のサイレン。それらが不協和音となって、俺の意識を現実から引き剥がしていく。
「……うるさいな」
俺はぽつりとぼやき、枕に顔を埋めた。 騒音も、痛みも、不安も、今は全てをシャットダウンしたかった。泥のような眠気が、俺を深い闇へと引きずり込んでいく。
長い夜が、ようやく更けようとしていた。
泥のような眠りに落ちてから、どれくらい経っただろうか。
俺は夢を見ていた。 それは、あの路地裏の骨董店よりもっと古く、血生臭い場所の光景だったような気がする。あるいは、この錆びついた刀が辿ってきた数世紀にわたる殺戮の記憶だったのかもしれない。 だが、意識が浮上すると同時に、その映像は指の隙間から零れ落ちる砂のように消え失せてしまった。あとには、思い出せないという焦燥感と、背筋に残る奇妙な寒気だけが漂っていた。
『……起きろ……主よ……』
脳内に直接響く声。それは「飢え」ではなく、鋭い警告の響きを帯びていた。 俺は弾かれたように瞼を開けた。枕元の古刀に手を伸ばそうとするが、それよりも早く、ひやりとした金属の感触が俺の喉元に押し当てられた。
「動かないで。……その『呪い』を抜けば、このボロアパートごと切り刻むことになるわよ」
聞き覚えのある、凛とした少女の声。 俺は動きを止め、視線だけで声の主を探った。 開け放たれた窓枠に腰掛け、逆光の中でシルエットを浮かび上がらせている人影。セーラー服の上に羽織った陣羽織が、朝の風を受けてはためいている。
「神楽坂……レイナ、だったか」 「覚えていてくれて光栄ね。無愛想な刀使いさん」
彼女は猫のように音もなく窓から飛び降りると、突きつけた切っ先を微塵も揺らさずに俺を見下ろした。その瞳は、獲物を追い詰めた狩人のように爛々と輝いている。
「警察署での花火、特等席で見せてもらったわ。あの黒いパワードスーツ……あれは『宮』国の軍用モデルね。まさか、あんたみたいな学生があんなものを相手にするなんて」
彼女は知っているのか。あの襲撃者の正体を。そして、宮国が俺の刀を「回収対象」として狙っていることも。
「……何の用だ。警察に突き出すつもりなら、あの時やればよかっただろう」 「言ったでしょ? その刀の秘密、暴いてみせるって」
レイナはニヤリと不敵に笑うと、切っ先をスッと引いた。
「取引しましょう。あんた、あの『宮国』に狙われてるんでしょ? このままだと、次はもっと凶悪なのが来るわよ。……私が知っていること、教えてあげてもいいわ」
俺は半身を起こし、重いため息をついた。 ふと窓の外に目をやると、東の空が白み始め、ビルの隙間から薄い光が差し込んでいるのが見えた。 隣室の喧嘩も、パトカーのサイレンも、いつの間にか止んでいる。
最悪の夜はとうに明け、それ以上に厄介な一日が、もう始まっていた。
「取引……だと?」
俺は警戒を解かず、窓辺のレイナを見据えた。 東の空は完全に白み始めている。このままここに居座れば、間違いなく警察か、あるいは昨夜の「宮国」の追手が現れるだろう。
「ええ。あんたには二つの選択肢があるわ。一つはこのままここで『宮国』の軍隊に回収されて、実験動物として一生を終えるか」
レイナは芝居がかった仕草で指を一本立て、次に二本目を立てた。
「もう一つは、私と手を組んで高飛びするか。……行き先は南。九州・沖縄エリアを統治する独立国家、『天国』よ」
「天国……?」
俺はその名を反芻した。 数年前の日本分裂の際、九州と沖縄が独立を宣言した国家だ。首都圏を名乗るここ「東国」とは、不可侵条約を結び、比較的協力的な関係にあると聞く。だが、なぜそんな遠くへ?
「理由は、あんたのその『呪いの古刀』にあるわ」
レイナは俺の腰にある刀を顎でしゃくった。
「私の所属する『特別徴刀局』のデータベースで照合した結果、その刀と極めて類似した波長を持つ『オリジン』が、天国の管理区域内で発見されたという記録があったの」
「特別……なんだって?」 「通称『刀狩り』。あんたみたいな危険な刀を取り締まる、東国政府の裏の組織よ」
彼女は悪びれもせず、自身の正体をさらりと明かした。 警察とは違う、政府直属のエージェント。それが彼女の正体だったのか。どうりで、あの軍用強化外骨格を一目で見抜いたわけだ。
「私の任務は、あんたの刀を『徴収』することだった。でも、宮国が介入してきた以上、状況は変わったわ。奴らにその力を渡すくらいなら、あんたごと天国へ亡命させて、向こうの設備でその刀の『解呪』または『解析』を行う方がマシ……上層部はそう判断したの」
レイナは懐から端末を取り出し、空中にホログラムウィンドウを展開した。そこに表示されたのは、俺の顔写真と、詳細な個人データだった。
「それに、あんたにとっても悪い話じゃないはずよ。……孤独な学生生活、未払いの家賃、そして誰にも言えない『声』に怯える日々」
彼女はホログラムを指先で弾き、俺の目の前に飛ばした。 そこには、俺自身ですら忘れかけていた、戸籍上のフルネームが明記されていた。
「これがあんたの登録名。……違う?」
ホログラムの明かりが、俺の網膜にその文字を焼き付ける。
氏名:黒鉄 ジン(くろがね ジン) 年齢:17歳 所属:東都第三高等学校 2年
「……調べがついているなら、聞くまでもないだろう」
俺――黒鉄ジンは、観念したように息を吐き、古刀の柄から手を離した。 この刀を手にした日から、俺の日常はとっくに壊れていたのだ。今さら学校やアパートに未練などない。
「いいだろう。その取引、乗ってやる」 「交渉成立ね、ジン」
レイナは満足げに微笑むと、刀を鞘に納め、窓の外へと身を乗り出した。
「準備して。直行便の密輸ルートを使うわ。……『天国』への旅は、快適とは程遠いものになるでしょうけどね」
俺は枕元の古刀を掴み、立ち上がった。 黒鉄ジン。それが、これから始まる逃避行と戦いの日々における、俺の名だ。




