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長門リュウジの視線の先には新たな洞窟の入口が見えていた。
色欲ダンジョンでの日々。
そこでの経験がこの見知らぬ世界に突如送り込まれた長門リュウジという若者の大きな自信に繋がっていた。
レベルも8になり、よりスキルの使い方を極めたことで戦闘の効率が上昇。だんだんと金を稼げるようにもなってきている。
現時点の所持金は金貨5枚とちょっと。
まあこれは、運良く宝箱から手に入れることができた宝石が金貨3枚で売れたことも関係しているのだが。
といっても、日本円に換算すれば7万5000円から9万円ぐらいの安物の宝石だ。
初級ダンジョンの宝箱に入っている品はおおむねこの程度の価値しかなく、中級冒険者の中にはハズレと見做す者も居るほど。
それでもリュウジにとっては初めての臨時収入。
多少気が大きくなってもしかたない話だろう。
それゆえリュウジが新しい挑戦をしようと決断したのもそれほど不思議な話ではなかった。
洞窟の奥はほの暗く、まるでリュウジのことを誘っているかのよう……。
とはいえ、深い茂みが洞窟の入口を覆い隠し、安易な接近を阻んでいるような雰囲気もある。
そんな洞窟にゆっくり慎重に近付いていくリュウジ。
なにせリュウジにとっては未知の洞窟。それなのに色欲ダンジョンでの経験が、ものの役にも立たないときている。
が、今さらここで引き返すわけにもいかない。
今引き返すことは自分が負け犬だと認めることと同義であり、大袈裟に言えばこの世界で生き抜くためにはどうしても乗り越えなければならない試練だった。
いつかは越えなければいけない壁。
そんな壁ともいえる洞窟の入口に踏み入って自然と気持ちが昂ぶるリュウジ。
心臓がバクバクと波打ち、おのずと血が滾る。
まずはひと当てして様子見か?
いや、ここは勇猛果敢に攻め入るべきか?
そんな逡巡がリュウジの頭の中をかけ巡り、臆病にも次の行動に移ることをためらわせていた。
それでも意を決し、洞窟の奥深くまで侵入するリュウジ。
と、中は深くまで伸びている様子で、ジメジメとした壁肌の圧迫感にリュウジが顔をしかめる。
――これは死合いだ。
そんな決意を元に使い古された槍を相手へと深く突き入れる。
が、1合、1合、相手と打ち合うたびにリュウジは相手との実力差を肌で感じ取っていた。
それでも何とか平静さを装うことだけは出来ている。
が、相手の余裕そうな表情を見るたびにリュウジの中で焦りが生まれてくる。
新たな洞窟の攻略が簡単に行くと思っていたわけじゃない。が、それなりに自信はあったのだ。
ともすればこちらが敗北しそうな状況に、そんな自信は跡形もなくきれいさっぱりと崩れ去っていた。
圧倒的敗北。
油断など微塵もなかったはず。
慢心していたわけでもなかろう。
そこにあったのは圧倒的な経験や実力差のみ。
チャージスキルを使う暇さえなかった。
そこには、はあはあと荒い息を吐きながら、その場へとへたり込むリュウジの姿があった。
「くっ……。こんなはずじゃあ」
死合ってからものの数分しか経っていないはず。
あまりにも一方的な終幕にリュウジの顔には屈辱の色が浮かんでいたほど。
今は勃ち上がって反撃することすらままならない状態。
ご自慢の槍も折れてしまい使い物にならない有り様だ。
にこりと笑った相手の表情が、敗北を喫したリュウジのことを蔑んでいるようにも感じられた。
「どうする? もう一度頑張ってみる?」
相手から投げかけられた挑発的な言葉。
その言葉にリュウジが無言でかぶりを振る。
ドーピングポーションを使えば、もう一度どころか二度でも三度でも勃ち上がれるはずだ。
ミーシアの洞窟に再び挑戦することだって可能だったかも知れない。
が、あまりにも惨めな敗北のせいで、リュウジはその言葉に対して素直に頷くことが出来ずにいた。
「ごめん。今日は無理かも」
「そう? それじゃあまだたっぷり時間があるから、時間までイチャイチャしよっか」
「いや。今日はちょっと調子が悪いみたいなんで……」
「えええ。もしかしてミーシア、あまり良くなかった?」
「そんなこと全然ないって。ミーシアちゃんは最高だったけど、今日は冒険の疲れが残っているっていうか」
「うーん、そっかあ……。そういうときもあるよね。あまり気にしなくてもいいからね」
「ありがと、ミーシアちゃん。またお金を貯めてやってくるよ」
「本当? 嬉しいっ! リュウジさんって優しいし素敵だから、ミーシア好きになっちゃいそう。リュウジさんのこと好きになってもいい?」
「ああ。もちろんさ。こんな俺でよければいくらでも……」
リュウジだってミーシアの言葉を真に受けたわけじゃない。
こういうお店の女性だ。
しかも今日初めて客として来ているのだ。
リップサービスというか、商売女が良く口にする甘い囁きの類いだろうと。
かといって、そこで冷めた対応を取るつもりもない。
そもそも獣人であるミーシアのことをリュウジはとても気にいっていたし、これまでにない素晴らしい体験にミーシアにすっかりハマりそうになっていた。
「それじゃあまたお店に来てくれるよね? リュウジさんは特別なお客さんだってオーナーにもちゃんと言っておくから。ちゅっ」
「おっ、おう。す、すぐに来るよ」
「でも無理はしないでね。それに借金とかもしちゃあ駄目よ。ニンフの宴は高いからねえ。そうそう。実は気にいったお客様とはプライベートでデートすることもあるんだよ」
「へええ。そんなのがあるんだ」
「特別だよ? 誰とでもするってわけじゃないから。ミーシア、リュウジさんとならお泊りデートをしてもいいんだけどな。といっても、お店のルールですぐには無理なんだよね。ごめんね。何回か通ってもらわないとオーナーから怒られちゃうからさ」
「おう。それぐらいお安い御用さ」
それがミーシアの甘言だとしてもリュウジもそこまで悪い気はしなかった。
ミーシアはこの店のナンバー2。
いくら何でも初見の客全員にそんなことを言うわけがなく、少なくとも上客だと思われたのは間違いない。
いずれにせよ、今日はここまでだろう。
あっという間に敗北を喫してしまったバツの悪さみたいなものがリュウジの中にあったのだろう。
腕を絡ませたミーシアと一緒に部屋を出るリュウジ。
これ以上無様はさらせない。
そんな思いが心のどこかにあったのか、そそくさと逃げるようにニンフの宴を後にするリュウジの姿があった。
「ミーシア。時間よりずいぶんと早い気がするが、何かあったのか?」
と、そんなリュウジの後ろ姿を見送っていたミーシアに声をかける人物。それはニンフの宴のオーナーであるクラコフだった。
ニンフの宴を最高級の娼館と呼ばれるまでに作り上げた人物で、クラコフはジェネットの町で知らぬ者がいないほどのやり手。
「いいえ、オーナー。何でもありませんよ。お客様のほうに用事があったみたいで、途中でお帰りになられただけで」
「そうか。それなら良いが」
「それでオーナー。今のリュウジさんがまたご来店されたら、優先的に私に回してほしいんですが? 間違ってもレイナには付けないでくださいね」
「ん? まあ、それは構わないが、いったいどういうわけだ? ミーシアがそんなことを言い出すなんて珍しいだろ」
「今のお客様に一目惚れしたと言ったらどうします?」
「まさか。ミーシアはそんな玉じゃないだろう。というか、あの客って初級冒険者なんだろ? 金はそんなに持ってないはずだぞ。それに冒険者連中の噂によれば、魔物のドリュアス相手に腰を振っている変人らしいが」
「お客様がどんな性癖を持っていようが問題ありません。それにお応えするのが私たちの勤めですから。むしろ臭かったり、暴力的な性癖でないだけマシですよ」
「そりゃあそうだろうが……」
さすがは若いのにナンバー2を勝ち取っただけある。
裏でも客に対して嫌味なところが一切なく、今の話をリュウジが聞いていたら惚れ込んでしまったかも知れない。
が、真実は少しだけ残酷で下世話な話だった。
「うふふ。冗談ですよ。オーナーだって私のスキルがチン相学だってことを知っているでしょ? 何千本と見てきた中でも至極の一品でしたからね。間違いなく今後出世して、良いお客様になってくれるはずです」
「なるほど。そういうことだったのか。まあ、良いパトロンが増えるのは店のためにもなるしな」
「この話、レイナには絶対に内緒ですよ」
「わかった。わかった」
レイナとはこの店のナンバー1だ。
ニンフの宴。
この世界にある夜の店においても、女たちによる激しい戦いが繰り広げられていた。