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◇
帰りがけの馬車の中。
ブルーム侯爵との話し合いにより当面の問題が片付いたというのに、穂乃果の顔には少しだけ憂慮の色が滲んでいた。
「モーリーさん、あの方は大丈夫なのでしょうか?」
「ん? あの方ってのは?」
「クルーズ審問官です。あの方、とても苦しそうだったので……」
「何を言ってるのよ、穂乃果。あいつに教会でどんな対応をされたのか覚えてないの? あのあと捕まってひどい目に遭わされていたかも知れないのよ?」
「そうだけど……」
性格的な違いなのか。
イシュテオールの審判が下ったことを椎名はいい気味だとでも思っているみたいだが、穂乃果はどうやらクルーズ審問官の身を心配しているらしい。
確かにクルーズの身体には咎人の焼印が現れており、その苦しみようが尋常ではなかったが……。
「ホーリージャッジメントってのは攻撃魔法じゃない。聖なる祈りにより神の審判を仰ぐだけで、実際に判断するのはイシュテオールのほうなんだ。どの程度の罰を与えるのか、正直なところ俺にもさっぱりなのさ」
「そうなんですか……」
「勘違いするな。イシュテオールは基本的に公平な神。まったく罪のない人間を裁くことはないはず。クルーズ審問官に裁きが下ったということは、それだけあいつが業を背負っていた証拠だろう。結局は自業自得でしかないんだよ」
ヨグくんに気に入られている俺はその判断の基準から外れているが……。
なんてことは口に出さない。
形式的にイシュテオールは善神という体をとっているが、ヨグくんの気分次第で悪魔にもなり得る存在だ。結局のところヨグくんの操り人形に過ぎない。
とはいえ、ホーリージャッジメントが俺に効かなかったのが忖度のせいだったとしても、クルーズ審問官に罰を与えるどうかについては俺とは無関係の話だろう。
ヨグくんだってさすがに無実の人間に対してそこまではしないはずだ。
「そうなんだ……。いずれにせよ、イシュティール教国のことをあまり信用しないほうが良さそうね」
「まあ、その判断はお前たちに任せる。俺の価値観を押し付ける気はないんでな。今後神託があって、あちらから勇者にすり寄ってくることも考えられるぞ」
「なるほどね。でもさ、ブルーム侯爵との関係に影響があったんじゃないかって心配なんだけど? イシュティール教国だっけ? その国から苦情が来て揉め事になるぐらいなら、モーリーさんとの縁を切ったほうが良いって判断したら……」
椎名の顔まで気遣わしげに曇る。
むろんクルーズ審問官の敵意はどちらかといえばダンジョンマスターである俺に向けられていたはずで、椎名と穂乃果にはあまり関係がない話。
とはいえ、自分たちがその対立の原因を作ったと考えたのだろう。
その気になればイシュティール教国を1日で滅ぼすことも可能な俺にとって、この程度は些細な問題でしかないことをふたりが理解していないからだろうが。
「俺のことを心配してるのか?」
「そ、そりゃ心配ぐらいするわよ」
「なんだ椎名? 俺に惚れたのか? そういうことなら今夜にでも抱いてやるから、寝室に忍び込んで来てもいいぞ」
「ちっ、違うわよ。そういうことじゃなくって……。ほら、モーリーさんって私たちの保護者だからね」
「保護の見返りはあって然るべきなんだがな。まあいい。安心しろ。少なくともブルーム侯爵は俺を裏切らないんでな。侯爵が喉から手が出るほど欲しているものをこの俺が持っているかぎりはな」
「え? それって何? もしかしてお金?」
「いや。確かに金も渡してはいるが、それよりも貴重なものだ」
「貴重なもの?」
「ああ。この世のほぼすべての人間が欲しているものだと言ってもいい」
そんな俺の答えに首を傾げる椎名。
ただ穂乃果のほうはその答えに思いあたったらしい。
「もしかして健康とか若さ……でしょうか?」
「半分当たりだな。この世界で健康のほうは魔法で何とかなる部分が多い。が、寿命だけは魔法ではどうにもならないのさ」
そう言って俺は自分の懐から出すふりをしてインベントリから小さな小瓶を取り出す。
ふたりにインベントリのことを秘密にしているのは、この世界の人間はおろか勇者たちも持ち得ない特殊な能力だったからだ。
「それは?」
「ネクタルという酒だ。この酒は世界樹の幹から自然にこぼれ落ちた黄金の樹液で作られていてな」
「樹液酒っていうとパームワインみたいなものでしょうか?」
「パームワインがどういったものか俺は知らないので何とも言えないが、樹液酒ということなら多分近いんじゃないか?」
穂乃果がカマをかけてきたというわけではなさそうだが、念のために知らないふりをする。
この世界にもヤシの木ぐらいあっても不思議ではないが、パームワインなんてものは一切流通していないからだ。
といっても、俺の素性がバレたらバレたでそれは仕方がない。俺としてもなるべく余計なことを言わないというだけで、そこまで必死に隠しているわけでもないんだから。
「でもさ、ただの美味しいお酒ってだけじゃないんでしょ? ブルーム侯爵がものすごく欲しがっているぐらいなんだから」
「お前たちもブルーム侯爵に会ったよな。あの御仁は何歳ぐらいに見えた?」
「うーん。30後半……、いえ、40代前半くらいかなあ」
「面と向かって年齢を聞いたわけではないが、ブルーム侯爵はたしか60歳を越えているはずだぞ」
「嘘っ! とても60代には見えなかったわよ。もしかしてこの世界の人間ってみんな若く見えるの?」
「いや。この世界の人間の見た目年齢は、故郷の人間とほとんど変わらないってユージも言っていたな。お前たちの感覚とあまり違いがないはずだ」
「ユージさんが?」
「まあ、あくまで人族にかぎった話ではあるが。この世界には色んな種族が居るんでな」
「へええ。それならなんで?」
「このネクタル1本で5歳ほど若返る効果があるんだよ」
そんな俺の言葉にふたりが揃って目を丸くする。
穂乃果のほうは半分正解を言っていたにもかかわらず、本当にそんな効果があるとは考えていなかったのだろう。
若返りの秘薬ともなれば驚いて当然か。
その感覚は魔法が存在する世界であってもどうやら変わらないらしい。
「本当? それってすごくない?」
「ああ。この世界でも滅多に手に入らない貴重な酒だ。世界樹自体、マナ濃度が非常に濃い最難関ダンジョンの奥にしか生えないんだ」
ふたりにはそう説明したものの、実情はちょっとだけ異なる。
世界樹は自然に生えてくるものではなく、ヨグくんから膨大なLPと引き換えに世界樹の苗を購入し、ダンジョン内に生やすものだったからだ。
そのためダンジョンマスターでも限られた存在にしか入手できないはず。
が、冒険者をおびき寄せるための餌としての効果は絶大で、運の良い冒険者がダンジョン奥にある宝箱からたまたまネクタルを入手することにより、それを聞きつけた冒険者連中がこぞってやってくるようになるという寸法だった。
まあ、イニシャルコストがかかりすぎて、費用対効果が良いとはけっして言えない品だったが。
「ねええ、モーリーさあん」
「ねだっても無駄だぞ。どうしても欲しかったら自分たちの力で手に入れることだな。そう易々と渡していいものじゃない。そもそも年齢的な問題で、今のお前たちには効果がないはずだぞ」
「え? そうなの?」
「残念だったな。この酒はある程度年を取った人間じゃないと、まったく意味のない代物なんだよ。単に若返るというのではなく、老化した細胞を元の状態に戻すものだからな」
急に科を作って甘えた声を出してきた椎名に、俺は呆れ顔で返す。
エルセリア王国きっての権力者という理由から、入手経路を明かさないことを条件に、過去4回ほどブルーム侯爵にネクタルを贈っているのだが、それ以外には渡したことがない。
こっそり裏で手を組む相手として、エルセリア王国内ではブルーム侯爵が適任だと踏んだわけだった。
「穂乃果、今の話を聞いたわね。何としてでもネクタルを見つけるわよ」
「モーリーさん。それって保存が効くものなのでしょうか?」
「大丈夫だ。劣化はしないからな。が、そっちの世界でも効果があるかどうかまでは保証しないぞ。お前たち勇者には3年というタイムリミットがあるはずだ。よもや忘れたりしていないだろうな?」
「わ、わかっているわよ。そっかあ。仮に地球に持って帰れたとしても、効果がないって可能性もあるのかあ……」
おそらくそれも問題ないはず。
実はバカンス中にほかの魔法薬を地球人相手に試したことがあって、そのときに効果があることを実証済みだったからだ。
まあ、椎名と穂乃果のふたりがもし怯懦ダンジョンの深部まで潜れるようになったら、こっそり宝箱の中に隠しておいてやるぐらいはするつもりだ。
とはいえ、果たして3年の間にそこまでふたりがたどり着けるかどうか……。
「さあ、そろそろMEGAZ異世界店の前に到着するはずだぞ。明日も朝からずっと俗悪ダンジョンに籠もってレベル上げだからな。そのつもりでふたりとも覚悟していろよ」
「は、はい。よろしくお願いします」
「ふぁーい」
出発前はイシュティール教会にもふたりの面倒を見るという責務を担ってもらうつもりでいたのだが、どうやらそちらは諦めるしかなさそう。
まあ、あんな小物に舐められるぐらいなら椎名と穂乃果の面倒を見たほうがマシか。
すっかり薄暗くなってしまったエルシアード市街。
そんな中をガタゴトと小石を跳ね飛ばしながら俺たちの乗る馬車が、パチンコMEGAZ異世界店へ向かって進んでいた。
◆
エルセリア南西部にあるアドミラール伯爵領。
現在そこではある青年の噂で持ち切りになっていた。
その青年――金城勇曰く、自分はこの世界を救うために神から遣わされた勇者だとか……。
一応イシュティール教の教えにも勇者という概念自体はある。
が、それはあくまで伝承的な話だったし、冒険者になるにしてはいささか遅すぎるように思える年齢の青年が身の丈に合わない夢を見ているだけだと、最初は皆相手にすらしていなかった。
育った村や町で同世代の若者と比べて多少腕っぷしが立ったり、有能なスキルを与えられて勘違いをする少年というのはそれほど珍しくない。
この青年もおおかたそんなところだろうと……。
勇の口の聞き方はずいぶんと生意気だったし、周囲を見下したような態度に反感を覚える者も少なくなかった。
ただし、見たこともない奇妙な格好と、それなりに高級そうな装備のせいで、どこかの貴族の庶子ではないのかと勘ぐる者も居て、ほとんどの人間は関わり合いになることを避けていた様子。
が、冒険者の中には向こう見ずな荒くれ者も多い。
中級ダンジョンを攻略中の冒険者クラン〝獰猛な牙〟のリーダーであるドノバンもそのうちのひとりだった。
そのドノバンと勇が喧嘩沙汰になったのは冒険者ギルドに併設されている酒場でのこと。
最初に挑発したのはドノバンのほうだったが、勇も負けじとドノバンに言い返したことで、最終的には取っ組み合いの喧嘩にまで発展。
とはいえ、体格ではドノバンのほうが圧倒的に勝っていたし、ベテラン冒険者であるドノバンが新人なんかにやられるわけがない。
周りで囃し立てていた客たちの誰もが、勇がドノバンにボコボコにされてこの喧嘩騒ぎが収まるのだろうと予想していたほどだった。
が、実際にボコボコにされたのはドノバンのほうだ。
そればかりか途中から加勢に入った勇猛な牙のメンバーふたりもドノバンと一緒にやられる始末。
そのことが切っ掛けになり、冒険者ギルド内では勇者だという話は眉唾物にしろ、勇のことを只者ではないと見做すようになっていた。
といっても、圧倒的な強者だと認識されたわけじゃない。
訓練場で見せる剣技はなかなかのものだったが、それ以前に何らかのスキルで守られているのではないかと。
と、そんなことがあった数日後――、
「ほお。やつが勇者の名を騙る不届き者か?」
いつものように冒険者ギルドでドロップ品の換金を行おうとしていた勇の耳にそんな言葉が聞こえていた。
ようやく来たか……。
その言葉を口にした人物が、一見して城の兵士であることを確認した勇がニヤリと相好を崩す。
勇とて何もこれまで無意味に喧嘩を売ってきたわけではない。
レベルアップも必要だが、早めにこの世界の権力者を後ろ盾に付けることが重要だと考えていたからだ。
3ヶ月が過ぎれば、イシュテオールの加護は消えてしまう。
イシュティール教会かエルセリア王国の貴族。そのどちらでも良い。
自分の存在が早めに権力者の耳にも入るようにと、勇としては敢えて目立つような行動を取っていた。