家族にも婚約者にも捨てられた私が、隣国の皇太子に拾われた結果──次期王妃として舞い戻ることになった件について
「君との婚約は、ここで破棄とさせてもらうよ」
飾られた応接室の中で、ユリウス・フォン・ロイエル伯爵令息は冷たく言い放った。金髪碧眼のその顔は、どこか安堵しているように見える。彼の隣には、私の姉、クラリッサがいた。手を絡ませ、見せつけるように。
「彼女のほうが、僕には相応しい。君は……陰気で、誰からも好かれていない」
その言葉には、もう驚きもしなかった。
私はエルミナ・フォン・エーデルレーベ。エーデルレーベ侯爵家の次女として生まれながら、父と母に愛されたことはなかった。姉のクラリッサは、才色兼備で皆の誇り。私はその引き立て役、失敗作。
ネグレクト、暴言、暴行。日常茶飯事だった。
そして今日、ようやく“最後の縁”さえ断ち切られた。
「……わかりました。どうか、お幸せに」
私は微笑んだ。これ以上、関わる価値もない。
その夜、邸を抜け出し、すべてを捨てて馬を走らせた。どこか遠く、誰も私を知らない場所へ──。
***
「っ……は……っ……!」
雪の積もる森の中、意識が遠のいていく。食料も尽き、身体も冷え切っていた。
死ぬのかな、とぼんやり思ったとき。
「誰か! 誰か倒れているぞ!」
甲冑の音が響き、男の声が聞こえた。
私は、そこで意識を手放した。
***
「目が覚めたか。……安心しろ、ここはアルステリア王国の王城だ」
目を開けた先にいたのは、漆黒の軍服を纏った青年だった。鋭い金の瞳に、整った顔。威圧感と知性が同居したような、存在感のある男。
「私はレオニス・アルステリア。皇太子だ」
「……え……こ、う……たいし……?」
私は絶句した。知らず知らずのうちに、王国の心臓部に拾われていたらしい。
けれど、レオニスは私に優しかった。手厚い治療、贅沢すぎる部屋。侍女たちは皆、私を尊重し、名を呼んでくれた。
「……どうして、こんな私に……」
「君の瞳が、諦めていなかったからだ」
彼はそう言って、ふと笑った。
***
何度も求愛された。何度も断った。
「私はもう、誰かを信じるのが怖いのです」
「なら、信じなくてもいい。ただ、そばにいてくれればそれでいい」
その言葉が、少しだけ私を救ってくれた。
***
ある日、レオニスの部屋に呼ばれると、彼は一枚の書状を広げて見せた。
「君を傷つけた者たちに、報いを受けさせよう」
「え……?」
書状には、エーデルレーベ侯爵家の不正記録、クラリッサの盗用証拠、ユリウスの背任行為などが詳細に記されていた。
「僕の私兵が調べ上げた。すべて、君の代わりに正す」
彼の目は、炎のように燃えていた。
──その後、ロイエル伯爵家は爵位を剥奪され、クラリッサは学術会から追放、父は国家転覆の未遂で幽閉された。母は病に倒れ、屋敷も凍結された。
私は何もしていない。ただ、見届けただけ。
でも──少しだけ、胸の奥が軽くなった気がした。
***
「……これが、正式な婚約書だ」
レオニスが私の前に差し出したのは、煌びやかな文書。王印が押されたものだった。
「アルステリア王国、次期王妃として、私の隣に立ってほしい」
私は震えた。あまりにも大きな運命の転換に。
「私は……ふさわしくありません……」
「ふさわしくないなんて、誰が決めた? 私が決める。君が必要だ」
彼は、私を抱きしめた。
「王妃としてではなく、エルミナという一人の女性を、私は愛している」
私は、その胸に顔を埋めた。
──ありがとう、と心の中で何度も呟いた。
***
かつて私を見下した貴族たちが、今、頭を垂れて私を迎える。
「次期王妃エルミナ様、ようこそ王都へ!」
レオニスの隣で、私は微笑んだ。
愛されることを知らずに育った私が、今、世界でいちばんの愛を知った。
これは、“悪役令嬢”だった私が、幸せをつかんだ物語。
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「……これが、本当に私のドレス……?」
全身を鏡に映した瞬間、言葉を失った。
純白の絹に金糸で施された刺繍。胸元には王家の紋章があしらわれ、レースの裾には私の名「エルミナ」が古代語で織り込まれていた。
──これは、王妃になる者だけが許される婚礼衣装。
エルミナ・フォン・エーデルレーベは、もういない。
私は、アルステリア王国の皇太子妃。数日後には、正式に王家の一員となるのだ。
「……夢じゃ、ないのね」
「夢なら、僕はもう何度目か分からないほど君に求婚してるさ」
肩に触れた温かな手。その声の主に振り向くと、レオニスが優しく笑っていた。
皇太子としての気品と、ただ一人の伴侶を愛する男のまなざし。
その視線に、私は思わず頬を染めた。
***
結婚式は、アルステリア王国の大聖堂で執り行われることとなった。
王族、貴族、外交使節団……
そして招かれたのは、私の過去の関係者たち。
「かつて君を傷つけた人間たちを、すべて“下の席”に呼んでおいた」
レオニスは言った。
「君がどれほどの愛を受けるに値する存在か。彼らの目に焼き付けてやろう」
──あの日、私は確かに“捨てられた”。
だが、今度は私が“選ばれる”番だ。
***
聖堂の扉が開かれ、鐘が鳴り響く。
空には祝福の光が差し込み、聖歌が流れ出す。
私は王家の従者に導かれ、長いバージンロードを歩いた。
その先にいるのは、金の瞳の皇太子──私の未来そのもの。
参列者の視線が突き刺さる。
前列左手には、あのクラリッサと、拘束を解かれたばかりの父。そして、見る影もなく老けた元婚約者ユリウスが座っていた。
彼らの目は、信じられないものを見るように見開かれていた。
当然だ。
“あの失敗作”が、今や王妃になろうとしているのだから。
でも、私は目を伏せなかった。真正面から彼らを見返した。
背筋を伸ばし、王妃に相応しい威厳を持って。
***
「誓いの言葉を──」
神官の声に、私は顔を上げた。
「汝、エルミナ・フォン・エーデルレーベは、ここにレオニス・アルステリア殿下を夫とし、喜びも悲しみも共にすることを誓いますか」
「……はい。誓います」
私の声は、かつてないほど澄んでいた。
「汝、レオニス・アルステリア殿下は、ここにエルミナ嬢を妻とし、命を懸けて守ることを誓いますか」
「当然だ。彼女は、私の世界そのものだ」
レオニスが手を取り、そっとキスを落とす。
聖堂に響く拍手。鐘の音は、祝福の頂点を告げた。
──私は今、ようやく人生で初めて「愛されている」と確信できた。
***
披露宴の席で、彼は杯を掲げて宣言する。
「本日より、我が妃エルミナはアルステリア王国の正式な皇太子妃、そして将来の王妃である」
歓声が上がる中、私は視線を感じた。
クラリッサが震えながら、唇を噛みしめている。
ユリウスは膝に手を置いたまま、顔を上げられずにいる。
私は立ち上がり、彼らに一礼した。
「本日はご参列、誠に感謝いたします。……皆さまのおかげで、私はここまで来ることができました」
皮肉でも怒りでもなく、事実として。
──地獄を見たからこそ、今の私はあるのだと。
そして、私の隣には、すべてを受け入れてくれる“光”がいる。
それだけで、もう十分だった。
***
「……ねえ、レオニス」
式が終わり、ふたりきりになった寝室。
私は彼の胸に顔をうずめながら、そっと問う。
「本当に……私で良かったの?」
「良かったも何も、君じゃなきゃ意味がない」
そう言って、レオニスは額にキスを落とした。
「これからは、君の涙は俺が全部奪う。そして、笑顔だけを残す」
その言葉は、何よりも強い魔法だった。
***
かつて“悪役令嬢”と呼ばれた私が、
今や、王妃として生きている。
それは、誰かに認められなかった少女が、ようやく愛を見つけた物語。
──そしてこれは、私の新しい人生の始まりにすぎない。