010:取引と隠されしワールドの情報
パラパラと雨が降っている。
パシャパシャと水たまりを靴で弾きながら、俺は真っすぐ歩いていく。
時折、横の道路を車が走っていき、水を浴びないように警戒していた。
右は林になっており、道路を通り越して更に先に目を向ければ崖になっていた。
見晴らしはとても良く、崖の下には街が広がっている。
此処は仮想世界であり、今歩いている場所は街から少し離れた山の中腹だ。
あのハカセと言う女科学者が指定した店はすぐそこで。
俺は警戒心を持ちながら、“チェックを済ませて”店を目指していた。
「……」
妖しい女科学者ハカセとの出会い。
望んで出会った訳では無く。
彼女が一方的に俺へとコンタクトを取ってきたが。
その目的は俺自身を調べる為であり、下手をすれば解剖されていたかもしれない。
俺の身体能力は並みの人間の倍以上はあり。
あれくらいの拘束であれば簡単に引きちぎる事も出来る。
もしも、人間の状態を維持した状態であれば。
こうもあっさりとは逃げられなかった。
自らが機械であると認識し、その上で人間であると信じたからこそ今の体がある。
現実世界ではアンドロイドの枠組みであり、こちらでは機械と人間のハイブリットだ。
そう考えれば、確かにハカセが目指すべき目的に俺は近いのかもしれない。
彼女は人類の進化を目指しているようだが……あまり応援はしたくない。
マザーだってそんな考えはあった筈だ。
しかし、それを実行していないのはそれでは意味がないと分かっているからだろう。
例え、人類を進化させたところで待っているのは悲惨な未来だ。
肉体や魂の急激な変化は思考すらも更に上へと導く訳じゃない。
刺激を求めたり、果ては他者を支配するという欲が膨れ上がるかもしれないんだ。
身の丈にあった力で十分であり、それ以上を求めるのは危険だ。
……何の代償も無しに、大きな力を手に入れらる事も無いしな。
前世の俺はオーバードという古代兵器を手に入れたが。
その代償に俺は仮想世界でようやく手に入れた人の体を失ってしまった。
現実世界へと戻る体も無く、もう二度と誰とも話す事が出来ない事になって。
俺は求めていた世界を手に入れたのに、あのまま誰にも認識されずにただ長い時間を過ごすんだろうと諦めていた。
しかし、結果的には俺はゴウリキマルさんの愛に救われた。
ひどく抽象的な表現だが、あれは正に愛の力だった。
もう力は必要ない。
俺はただこの世界で愛する人や友達と過ごしていけたらそれでいい。
でも、少しでも彼女たちの力になれるのならこれほど嬉しい事は無い。
ワールド・メック・オーズは楽しい。
もしかしたら、まだ再会できていない友に出会えるかもしれない。
そう考えるだけで胸が躍るようで……着いたな。
考え事をしていれば、ハカセが指定した店についた。
どうやら、見かけはただの喫茶店のようであり。
木造の家からは小麦が焼ける良い匂いが漂ってきていた。
崖に出っ張るように建てられた建物。
作りはしっかりしているようであり、崩れる心配は無さそうだった。
入口方には窓は無いものの、街が見える方には全面ガラズ張りで。
見晴らしが良いのが売りの店なんだろうと思った。
此処からは店内の様子は見えない。
プライバシーしっかりとした特殊加工のガラスであり。
安心と言えば安心だが……どうかなぁ。
今日の俺の装いは何時ものパイロットスーツではない。
上下ともに黒いスーツに黒い革靴だ。
ホルスターの中には拳銃も入れてあり、もしも向こうが荒っぽい真似をしようものならこれを使うつもりだ。
事前に店の事について調べたから分かる。
その店は現世人のみが利用できる喫茶店であり、働いているスタッフもくつろいでいる奴らも現世人だ。
もしも、発砲して誰かに当たったとしても死ぬ事は無い。
前世の仮想世界のようにリアルな死を体験する奴はもういないんだ……俺以外はな。
俺の感覚は全てフルトレースされているが。
それは世間一般のフルトレースとは訳が違う。
本来であれば必ず規制されている筈の痛覚や死の感覚すらもリアルと同じで。
俺は攻撃全てに痛みを感じるし、死の冷たさも同じ感覚だ。
これを聞けば誰であれイカれていると思うだろう。
俺自身もそう思うが、こうでなければ本気になれないんだ。
勝つか死ぬかの二つだからこそ、燃えるんだろうな。
すごいバトルジャンキーのような自分に恐れおののきそうだった……はぁ。
「……行くか」
暫くの間、店から少し離れた場所で観察していたが。
怪しい素振りをする客も従業員もガラス越しには確認できなかった。
動き程度ならシルエット程度の動きでも予測は出来るからな。
周りには遮蔽物は無く、見晴らしのいい場所に立っている喫茶店だから。
スナイパーを配置している可能性もあったがそれの気配もしない。
狙撃ポイントも確認していたが誰もいなかった。
……まぁ見晴らしのいい場所とはいえ、此処も街の一部に変わりはないけどな。
現世人だけの街であれば、銃の所持も認められている。
発砲だってほとんどの場合は見逃されるだろう。
何せ、彼らはリアルな死も無ければ数分後にはけろっと生き返るのだから。
現世人である俺たちとこの世界の住人の命は平等ではない。
彼らはこの世界で根を張って生きているからこそ守らなければならない。
だからこそ、彼らがいる街であったり生活している場所では絶対に銃の所持は認められていないのだ。
……ただし、現世人の街であろうとも法がない訳じゃない。
多くの現世人を故意に殺めているのであれば。
そいつは指名手配されて、プレイヤーだけでなく警察組織も動き出す。
その警察組織もほとんどが現世人で構成された部隊で。
中でも現世人の重犯罪者を担当する“特殊現法隊”は強いらしい。
対人慣れしている上に、現実世界でも警察組織や軍部に属していた人間ばかりで。
そんな奴らに目を付けられたら最期であるからこそ、誰も目立つような真似はしない。
あくまでも、ワールド・メック・オーズなどのゲームだけでPVPが認められているだけだ。
ゲームから外れた舞台であれば、その土地の法に則らなければならない。
羽目を外すのはゲームだけであり、モラルを持てと言うのがゲーム運営者の言葉だったか……まぁ守らない奴もいるけどな。
プレイヤーキラーを名乗る殺人鬼のような何か。
指名手配されるのはそういう輩ばかりで。
現実世界で何か嫌な事があったんだろうなぁとは思うけども……はぁ。
まぁいい。今は関係ない。
兎に角だ。ハカセは危険であるが、アイツだって無暗矢鱈に危ない事はしないだろう。
ましてや、今回はワールド・メック・オーズについての話を聞くだけだ。
警戒のし過ぎならそれまでだが……。
俺は足を動かす。
そうして、雨の中を歩いていった。
ぱしゃぱしゃと路面の水が跳ねる。
車が通り過ぎたのを確認して、店の方まで歩いていった。
そうして、店の外にある傘立てに自分が持ってきた傘を入れる。
此処まで来るのにバイクで来ようかとも思ったが。
もしも、道路上にトラップが仕掛けられていたら堪らないと思った。
それに、狙撃ポイントなどの確認もしたかったので徒歩で来たが……よし。
扉の取っ手を掴み中に入る。
カラカラと扉を横にスライドさせて中に入れば、疎らだが客がいた。
窓際の席でコーヒーを飲みながら、ノートパソコンを操作する七三訳の男。
真ん中に近い席で楽しげに話をしている若い女性二名。
カウンターに座ってマスターらしき壮年の男と会話をする革ジャンの男……あっちか。
視線をぐるりと見渡せば、店の奥の方にある席に座っている女が見えた。
彼女はニコニコと笑いながら俺に視線を向けて手招きしている。
俺は警戒心を持ちながら、寄って来た店員に連れが先に来ている事を伝えてから彼女の方に向かう。
コツコツと静かに靴の音をさせて。
彼女が陣取っているテーブル席へとやってきた。
白い椅子にピカピカに磨かれたウッドテーブル。
メニュー表が立てかけられていて、店員を呼ぶベルがある。
此処からは店の全体が良く見えていて、互いの背中には間仕切りがあった。
座っていれば両隣のテーブル席は見えない。
今はまだ誰も座っていない。
が、後からこいつの仲間が来る可能性もある……特に問題は無い。
罠の気配もしない。
こいつからも殺気は感じなかった。
ひとまずは怪しまれないようにすぐに対面の席についた。
女は「何か飲むかい?」と聞いて来る。
「……ホットコーヒーを。何もいれずに」
「……おや? 君はブラック派かい? やめておきたまえ。砂糖とミルクを入れた方が」
「――何も警戒していないとでも?」
「……あぁ、そういうことか……いやいや、すまなかった。君の心を蔑ろにしていたね。よし、ならそれでいこう」
彼女はベルのボタンを押す。
すると、店員さんが店内の音を聞きつけて小走りでやって来た。
彼女はホットティーを注文し、俺はブラックコーヒーを頼む。
店員さんは俺たちのオーダーを聞いて一礼し去っていく……さて。
ここの店がこの女の支配を受けているかは定かじゃない。
もしも、彼らが協力者であればコーヒーに何かを混ぜる事も容易だろう。
例え何かを混ぜたところで俺の体は薬物耐性があるが。
念には念をいれておく。
ブラックのままであれば、何かを混入させればすぐに気づく。
無味無臭のものであれば、薬の効果自体も低いだろう。
俺は警戒心を持ったまま、彼女に何を聞かせてくれるのか尋ねた。
すると、彼女はくすりと笑い「何が知りたい?」と聞いて来る……それなら。
「……ワールド・メック・オーズにはフリー対戦やランク戦の他に……一つの世界を探索するモードがあると聞いた。事実か?」
「あぁあるよ。それらのワールド全てにはそれぞれコードが与えられている。Wー001から始まりWー035までが現在開放されているものだが……実は、これ以外にも別のワールドが存在する……興味あるかい?」
彼女は嬉しそうに語って来る。
まるで、こういう情報が欲しかったんだろうと言わんばかりだ。
欲しいと言えば欲しい。
聞いた話によれば、そのワールドではランカーになる為に必要なものが揃うらしい。
プレイヤースキルを補えるだけのものであり。
もしも、今の愛機が更に強化できるのであれば有って損は無いだろう。
こういうところは非常にゲームらしくて、単純にそのワールドなるものを探索してみたい気持ちもある……いや、ほんとどこれだな。
だって、楽しいだろう!
広大なマップを探索して、素材なんかを採取して。
そうして、より強い武器を手に入れたりするんだ。
ワールド自体にはいつか行ってみようと思っていたが……そうか隠しステージも“やっぱり”あったんだな。
噂程度には知っていた。
熟練のプレイヤーしか辿り着けない隠されたワールドが存在すると。
それをこの女が話した事で、やっぱり実在したんだと確信した。
俺が思い描いていたゲームそのものだ。
誰も知らない道へと行く事こそがゲームの醍醐味で……何が何でもその隠されたワールドの情報が欲しい!
普通のワールドに関しては誰でもいけるようだが。
その隠されたワールドなるものへと行く方法を俺は全く知らなかった。
検索してもそれらしきものは出てこなかったから、もしかしたらただの噂だったのかと思ったが。
ハカセは明らかに知っているようであり、俺は何としてでもその情報を手に入れたかった。
知り合いに探偵がいて、彼を頼ればそういう情報も手に入るかもしれない。
しかし、友達は忙しいほどに人気の探偵だ。
彼の手をこんな事の為だけに煩わせるような事はしたくない。
此処でこいつからその情報を得た方が早いだろうが……何かを要求するつもりだな。
「何が狙いだ……まさか、俺の体を?」
「ふふ、このやり取りは二度目だね……まぁ手っ取り早くそうして欲しいが。君はこの程度の情報で私に体を調べさせないのは知っている……だからこそ、今回は“小さな頼み事”に留めておこうかな」
「……小さな頼み事ねぇ……取り敢えず、言ってみろ。話はそれからだ」
「あぁそうだろうね……頼みと言うのはある勢力への妨害工作をして欲しいんだよ」
「妨害工作って……いや、待てよ! 俺は別に軍人でも」
「あぁ勘違いしないでくれ。別に現実世界の話じゃない。君の得意な“依頼”の分野の話だよ」
彼女は説明する。
その勢力というのは彼女の属する会社のライバル会社のようで。
最近になってワールドの一つを独占しようと目論んでいると知ったらしい。
もしも、ワールドの内の一つが独占されようものなら、ライバル会社が“息を吹き返す”事も可能になってしまうと……?
「ちょっと待ってくれ。何で、ワールドの一つの独占が、会社の存続に関わるんだ?」
「……あぁ、そういえば君はまだこの世界での金の動きを知らないんだったね……まぁ簡単に言えば、ワールドには豊富な資源が眠っているんだよ。勿論、それらは現実世界でも仮想世界でも影響はさほどないものだったが……唯一、プレイヤーの常識としてはメリウスの製造に関してだけは大きく関わって来ることだけは確かだった。それも、我々のプレイするワールド・メック・オーズのね」
彼女は説明を続ける。
ワールド・メック・オーズに使用するメリウスや武装の類は。
全てがワールドで採れる資源を使って製造されるらしい。
そういう決まりであり、仮想世界での資源は一切使えないようになっている。
彼らはワールドに潜って資源を集めて、それらをメカニックなどに渡してメリウスを作ってもらう。
そうすれば、初期費用を浮かせる事も出来る上に。
自らが提供する資源で作るから安心のようだ。
そういう事で、ワールドの独占を行ってしまえば、そこで採れる筈の資源もその会社が独占する事になってしまう。
「資源は本来、リアルマネーにはならないが。ワールド・メック・オーズをプレイするプレイヤーの数は既に百万を超えている。そんな彼らが限られたエリアで資源を奪いあえば、決まって弱肉強食の世界になってしまう。弱い者は搾取され、強い者はより強くなっていく……自然の摂理ではあるがねぇ」
「……つまり、奴らはそんな弱者の為に手に入れた資源を売りさばくと?」
「そう! プレイヤーたちは夢見ているんだ。自らも強い機体に乗り、何時の日かランカーになる事を。強い機体に乗るということは社会的ステータスにも繋がる。今や、ランカーというものはモデルであったりアイドルでもなっている。ゲーム会社の就職でも聞かれることがあるらしい。どんな機体に乗っているのか、とね」
「……何かゲームっていうよりもビジネスだな……まぁ間違ってはいないけど」
弱い人間が奪われるのは当たり前だ。
弱いから何も守れないのだ。
だからこそ、強くなりたいと思うんだろう。
俺自身もそうだったから気持ちはよく分かる。
ただ、そういう存在に目をつけるのは何時だって悪魔のような輩たちだ。
手っ取り早く強くなりたいのなら金を払えと迫る。
金さえ払えば望む機体に乗れるからだ。
メカニックに依頼して素材を集めさせるよりも、そっちの方がコスパが良いのか。
いや、もしかしたらメカニックにも商売するのだろうか。
素材を格安で入手します、とか言ってな……社会って恐ろしいなぁ。
ハカセの話を聞きながら、中々に雲行きが怪しくなっていると感じた。
当初は彼女から簡単なレクチャーでも受けるのかと思ったが。
ガッツリ重要な情報を提供しようとしていた。
そして、その情報を手に入れる為には彼女の言う依頼を受けなければならない。
妨害工作なんて前世で傭兵として受けたくらいだ。
それも、ゴースト・ラインという秘密組織が生み出す無人機の製造ラインを潰す目的で。
あの時も結構苦労したけど、今回も簡単に解決できそうな気がしない。
俺は彼女を見つめる。
彼女はずっと笑みを浮かべている……目には全く光が無いけどな。
正直、すごく怖いよこの人。
笑みというのは本来攻撃的な意味を持つと聞いたことがあるが。
彼女のそれはどちらかというと目の前に並ぶ食事を見る目つきで。
その笑みもこの料理はどんな味がするのか考えているような感じた……俺、食われる?
「……震えているね。何を怯えているんだい?」
「怯えては……いるな、うん……正直、俺の事を狙う奴はお前以外にもいたからな。怖いよ」
「ほぉ! 私以外にかぁ……ふ、ふふ。やはり、君は途轍もなく貴重な……あぁ、よ、涎が」
「ひぃ」
頬を紅潮させて涎が垂れそうなほどに破顔する女。
俺の中の警戒度が跳ね上がっている。
俺は一人で来たことを後悔しながら、此処にはいない恋人に救いを求めるしか出来なかった。