009:進化はすぐそこに
街から離れた海岸線が見える道を駆けていった。
彼女はその道中はずっと無言であり俺も黙っていた。
一体、何処へ連れて行くのかと暫く見守っていれば……目的地に到着した。
潮風が優しく吹き、海鳥が鳴いている。
コンクリートの地面であり、同じような見た目の大きな倉庫が並んでいる。
壁には番号が書かれており、視線を外せばコンテナ船が見えていた。
船が停泊しており、機械を使って荷物の積み下ろしなどをしていた。
……港まで来てどういうつもりなんだ?
時刻は既に昼を超えており、移動にそれなりの時間が掛かった。
俺が何時も使っている宿泊施設からは大きく離れていて。
こんなところで何をするつもりなのかと疑ってしまう。
ハカセと名乗った白衣の女性。
彼女は此処は自分が所有する倉庫であると教えてくれた。
そうして、そのままバイクをゆっくりと進めて一つの倉庫の前で止まる。
倉庫の上に設置されたセンサーが作動して、俺と彼女をスキャンした。
赤色のランプが青色に点灯すれば、ロックが解除されてシャッターが開き始めた。
シャッターが完全に開けば、彼女はバイクを進めて中へと入り。
シャッターは俺たちが中に入ったのを確認するとすぐに閉じられていった。
完全にシャッターが閉まれば、窓が無いからか何も見えなくなって――明かりが灯る。
倉庫内の明かりが点灯すれば、内部の様子が見えてきて……おぉ。
倉庫内の広さはそれなりだ。
メリウスが数機入りそうなほど広く。
倉庫内には無数の機械が置かれていた。
見た事も無いような機械たちであり。
見た事があるものと言えば精密機械などを作る為のロボットアームくらいか。
人を寝かせる為の台のようなものもあり、バイクから降りて近寄れば人型の機械が横たわっていた。
その他にも人が入れそうなポッドもあって、ぼこぼこと泡が出ている事から何かの液体で満たされていると分かる。
中には何かが入っており、近づいて目を凝らして見れば――“脳みそ”だった。
俺はぎょっとして一歩後ずさる。
すると、俺の様子に気づいたハカセが説明してきた。
「それは人から摘出した脳ではないよ。人工的に作ったもので、機械と何ら変わりないものだ」
「……何で液体に漬かってるんだ?」
「あぁそれは“生体パーツ”を使っているからね。ほんの五パーセントほどだが。人の細胞を組み込んである……生きてはいるが、感情は無いと思ってくれ」
「……」
ハカセの説明を聞いて、やっぱりそうなんだと確信した。
何処からどう見てもその道の人間で。
こういった機械を揃えている上に、何かを作り出そうとしているんだ。
……ハカセって名前と意味ありげな機械たち……科学者って事だよな。
俺がそんな事を考えていれば、ハカセが声を掛けて来た。
振り返れば、彼女はヘルメットを脱いで……へぇ。
ヘルメットの中からばさりと髪が流れ出る。
綺麗な黒髪は腰まで伸ばされていた。
顔を振り片手で髪を整えてから、彼女は微笑みながら俺を見る。
瞳は赤色であるものの、その中にある筈のハイライトは存在しない。
光が全く見えない濁った眼であり、美人でスタイルはいいものの不気味に感じた。
彼女は適当に座ってくれと言うが。
一体、何処に座ればいいと言うのか……お?
ガシャガシャと音がする方向を見れば。
昔ながらのデザインのロボットが二つの大きな目となるセンサーを黄色く発光させながら椅子を持って近寄って来る。
装甲や人工皮膚なども無い状態のただのロボットで。
それは俺の傍に椅子を置くとゆっくりと片手を椅子に向ける。
《お客様。どうぞ》
「あぁ、どうも」
人型のロボットに礼を伝える。
ご丁寧に椅子まで用意してくれたんだ。
好意は素直に受け取っておくのが良い。
俺はゆっくりと腰を下ろす。
すると、尻があたればひんやりとした。
見かけは金属製の椅子であり、座り心地は良くなさそうだが……へ?
椅子に座った瞬間にがしゃりと音が響いた。
見れば手足ががっつりと拘束されている。
椅子自体も床にアンカーのようなものを撃ち込んで固定されていた。
俺は少し抵抗をしてみたが拘束が解ける気配はない。
やっぱり罠だったかぁと思いながら顔を上げて――心臓が止まり掛けた。
目の前には満面の笑みを浮かべる美女が立っていた。
至近距離に顔を近づけながら、瞳孔の開いた目で俺を見つめている。
息が止まり、彼女の息遣いを聞いていた。
ハカセは静かに頷いてから顔を離す。
「健康状態に問題は無さそうだね。元気なのは良い事だ」
彼女は腕を組んで目を細めていた。
そんな彼女の言動と科学者であると言わんばかりの装い。
そして、特徴的なハカセというプレイヤーネームを考えて……そうか。
「……思い出したぞ。お前、俺にメッセージを送って来たよな……どういうつもりだ」
「ん? どういうつもりも何もメッセージに書いたとおりだよ。私は君に会いたかった。ただそれだけさ」
「嘘だな。それなら何で俺を拘束する……まさか、身代金を」
「ははは! 金には興味がない! 私が興味があるのはただ一つ――君自身だ!」
奴は指を指しながらハッキリと言う。
俺はその言葉の意味を考えてハッとした。
「体目当てだったのか?」
「……何か誤解を招きそうな言い方だが……まぁ似たようなものだね、うん」
「……クソ、出会い厨だとは思ったが。まさか、性的な方だとはな」
「ははは! この話はやめようか! 君と私の名誉に関わりそうだからね!」
ハカセは笑いながらロボットから何かを受け取る。
それは注射のようであり、中には薬液が入っている。
どうやら冗談を言い続ける暇はなさそうだ。
余裕はまだある。態々、危なそうな輩についてきたのも確かめる為だ。
罠だと確信しながらも、こいつにほいほいついてきてやったんだ……手に入れるだけの情報を手に入れてやる。
今すべきことは、兎にも角にもこの謎の女から情報を引き出す事だ。
俺は口を開き、平静を装いながら言葉を発した。
「ハカセ、何かを企んでいるようだが。それをする前に俺に説明をするのが礼儀じゃないのか?」
「ん? あぁ勿論するとも。双方の合意があってこそだからね……だが、その前に、だ……君、本当に人間かい?」
「いきなり何を聞くかと思えば、どう見ても人間じゃないか? それとも、俺が動物にでも見えるのか?」
「ははは、それは面白いジョークだ……だが、私の目を欺こうとも機械や君自身の体は嘘をつけない……君、私が酒場で放った催涙ガスの影響を受けていなかったねぇ。さて、どうしてだろうか? 私は念の為にと薬も用意していたんだが」
「……あぁ薬には耐性があったからかな? 昔、色々とあってな」
「ほぉ! それは興味がある。全感覚をフルトレースの状態で13G以上の負荷に耐え、高度一万を遥かに超える高さまで上昇しても尚意識を保ち! 剰え、全身の骨がバラバラになるほどの変則機動をしてなお後遺症すらない君の過去は是非知りたいな!」
奴は目をギンギンにさせながら鼻息を荒くしていた。
思っていたよりも俺の異常さに気が付いていたようだ。
俺はどうしたものかと考えながらもダメもとでこの器具を外すように促す。
すると、彼女はそれは出来ないと言ってくる。
「貴重なモルモ……友人に逃げられたくないのでねぇ」
「おい、お前今俺の事モルモットって言おうとしたな!?」
「ははは! 気のせいさ! それよりもお茶でも飲むかい? 今朝、届いたばかりの高級茶葉があるんだが」
「じゃ頂くよ」
「……君、私の想像以上に肝が据わってるね。うん、素敵だ!」
彼女はロボットに指示を飛ばす。
ロボットはがしゃがしゃと音を立てて走っていく。
俺はそんなロボットをチラリと見てからハカセに質問した。
「……で、何で俺を調べたいんだ? 言っておくけど、こんな事しても」
「――いや、意味はあるよ。君は特別だ“マサムネ君”……私が想像していた以上にね」
奴は三日月のように口を歪めて笑う。
俺の名前を知っていた。
だが、それは俺の名前としてではなく。
以前のプレイヤーネームがそれだったからだろう。
この表情も言葉もブラフだ。
かまをかけているのはバレバレであり。
明らかに俺から情報を引き出そうとしていた……まぁ普通の人間ではないってのは確信してるっぽいなぁ。
俺は小さく笑いながら、奴を褒める。
「……あぁそこまで知ってるのか。凄いねぇ……で、目的は?」
「……ふむ、やはり簡単には素性を明かさないか……まぁいいか!」
彼女は顎に手を添えて少し考えたが。
一人で勝手に納得してから、注射器を持ちながらゆっくりと俺の周りを歩き始めた。
「無論、ただ一つ……進化した魂の解析さ。そして、それによる進化した人類に相応しい肉体を生み出す。これが私の目的だ」
「……あぁ何かやばそうだなぁ。お前みたいなこと言ってたやつを知ってるけど、碌な最期じゃなかったぞ?」
「ほぉ! 私と同じ思想を持った人間がいたのか。それは是非、語り合いたかったな……ま、死んだのならどうでもいい」
ハカセは俺の周りを一周し。
ゆっくりと俺の対面に戻って、別のロボットが設置した椅子に優雅に座る。
「魂は存在する。そして、それが成長し進化する事で。人類は新たな肉体を得る事になる。長い歴史の中で、人類は環境に適応し、不要なものを排除し必要なものを身に着けていった。知恵を手に入れ、言語を習得し、コミュニティを形成できるまでになった。社会が生まれ、法律を生み出し、全ての人間の意志の下で指導者を決める……四足歩行で木の実を食べていた時代からは考えられないだろう?」
「……それなら、時間を掛けて行けば何れは進化するんじゃないのか? 何でそうまでして進化を早めたいんだ」
「それは簡単だ――知りたいからだよ。人類が次の進化で、どのような姿になり。どのような社会を築くのかを」
「……単純な知的好奇心ってやつか……まぁその方が分かりやすいな、うん」
「ふふ、否定では無く共感してくれるんだね。結構結構……さて、さてさて」
奴は顎に指を添えながら目を細めてジッと俺を見つめて来る。
そうして、その黒いタイツの下のすらっとした長い足を俺の前で組んでいた。
彼女の装いは科学者のような白衣の下に白いTシャツを着ている。
下は黒いスカートであり、“とても短い”のだ。
足は黒いタイツで肌の露出は無いものの、俺の目の前で足を組まれたら……見えそうだ。
「……」
興味は無い。全くない。
俺が世界で一番愛しているのはゴウリキマルさんであり。
彼女にしかそういった欲は沸かない。
砂粒ほども興味はないものの、恥じらいがあるのなら隠すべきだ。
いや、俺は別にいいけど。
もしも、此処に子供とか無知な青年がいたとすれば大問題に発展しかねないし――
「ふふ、なるほどなるほど……案外、こういう手が有効なのか」
「は? え、何。どういう事? 全く分からないけど――やめろ! あ、足を組みなおすな!」
俺は必死に顔を背ける。
顔が熱くなっていくのを感じながら、必死になって少しは恥を覚えるように言う。
彼女はくすくすと笑いながら、妖艶な笑みで俺を見つめる。
「もしも、君が私の研究に協力してくれるのなら……私でいいのなら、好きにしてもいいんだよ?」
「――っ!? ば、馬鹿野郎ぉ!! そ、そういうのはダメなんだ!! お前は仮にも女性で、そういう事は愛し合った男女でだな!?」
「はははは! 君は見かけによらずピュアだねぇ! 益々気に入ったよ……まぁ君はそういう事は望んでいないのは知っていたよ。だからこそ、別の提案をしたい……私の持てる全てを使って、君が望む姿にしてあげると言えばどうかね?」
「……」
ハカセは俺に提案をしてくる。
彼女はまだ俺がロボットであると知らない。
この世界では人間としての要素があるからこそ確証には至っていないんだ。
しかし、俺の目を見て言葉を交わした事で、俺が現状に不満を持っていると感じたのか。
今のままではダメだ。俺自身も人の体を得なければ、ゴウリキマルさんと心から通じ合える事は無いと……そうだな。
心の何処かでは、現状に満足していなかったのかもしれない。
どんなに心が人間のようであっても、俺は結局のところ機械でしかない。
肉の体は持っておらず、現実世界では本来でれば食べる事も眠る事も必要ない。
単純に人と同じような生活がしたいからそうしているだけなんだ。
……きっと、こいつはそういう人の隠す何かを見つけるのが上手いんだろうな。
悪い事ではない。
研究者であれば、未知を証明してこそだ。
だからこそ、こいつのそれは科学者としては必要な才能だと思える。
もしも現実世界での俺を調べられたら確実にバレる。
そんな状態でも、彼女は俺が人間では無いと確信しているのか。
だとすれば、彼女は本気で俺を人間にする方法も突き止められるのかもしれない……でも、それは違うんだよな。
多分だけど、彼女よりも先にマザーはその方法を知っている。
俺が彼女に聞けば、すぐに教えてくれるだろう。
しかし、俺は彼女にその方法を聞かなかった。
何故ならば、俺はそんな答えを求めていなかったからだ。
俺は笑う。
そうして、ハカセにその提案は受け入れられないと伝えた。
「俺の恋人は、今の俺が好きだと言ってくれた……だから、今の俺で満足しているんだ」
「……ふむ、そうか……つまり、君は人間では無いんだね?」
「はは、何とでも思えばいいさ……さて、俺はそろそろ帰ろうかな」
「ん? 帰らせる気は更々ないが――!!」
俺は手足に力を込めた。
すると、鋼鉄の拘束具から悲鳴が上がり――砕け散った。
パラパラとそれが床に散らばる。
俺は手首を摩りながら立ち上がった。
見れば、彼女は目を大きく開いて驚いてた……何で嬉しそうなんだ?
《お茶です》
「あ、どうも……美味いな」
ロボットから渡された湯飲みを受け取る。
そうして、注がれていたお茶を飲めばとても温かく渋みも程よかった。
少しだけ冷えていた体が温まっていく。
それを感じながら、俺は茶の礼を伝えてから帰ろうとした。
すると、彼女は俺に待つように言ってくる。
「……何時も使っているホテルは止めておいた方がいい……此処であれば誰にも気づかれないよ」
彼女は指を動かして座標を送って来た……へぇ。
今まで行った事がないエリアだった。
それも、こんなさびれた山々に囲まれたような場所に“現世人”が宿泊できる場所があるなんてな。
「もしも、拠点が欲しいのであれば私に連絡してくれ。こう見えても、隠れ潜むのは得意なんだ」
彼女はそう言いながら俺に対してフレンド申請を送って来た。
此処で断るのは簡単だが。
彼女は俺の本体の名前を知っていた。
もしかしたら、リアルの事についてもバレているかもしれない。
此処で野放しにする方が危険であり、俺はフレンド申請を受け入れた。
彼女は嬉しそうに笑ってから、俺の方に向き直る。
「これから友人として接しよう……友情の証としてこのバイクは君にあげよう。免許は持っているんだろう?」
「あぁ持ってるけど……いいのか?」
「はは、構わないよ。普段はあまり乗らないからね……これからはそれで移動した方がいい。ファストトラベルは便利だが、人脈のある情報屋に掛かればファストトラベルを追跡する事も出来てしまうからね」
「……あぁ、知り合いにいるって事か……分かった。そうするよ」
俺は彼女に礼を言いながら、投げ渡されたキーを受け取る。
そうして、バイクへと近寄って跨ってみた。
しっくりくる乗り心地であり、やはり良いバイクであった。
「あぁそれと、君はまだまだワールド・メック・オーズについて知らないだろう? もしも、時間があるのであれば明日、私と会ってくれないか? 私としても君とはもっと話がしたいんだが」
「……また、俺を騙したりしないよな?」
「はは、それはその時の私の――あぁ分かった分かった! 何もしないから、帰ろうとしないでくれ!」
キーをバイクにさしてエンジンをつける。
すると、ハカセは慌てたよ様子で待ったをかけて来た。
俺はヘルメット越しに訝しむような視線を彼女に送る。
彼女はこほりと咳ばらいをしてから「損はさせないよ」と言ってきた……まぁいいか。
態々接触してきて、ハッキリと目的も言ってきたんだ。
全く警戒しない訳でも無いが、完全な犯罪者という感じもしない。
どうしようもない奴からは独特の臭いがするから分かるんだ。
ひとまずは話だけでも聞いておけば、このゲームについての理解度も増えるだろう。
「……分かった。なら、明日はどうだ? 午前中なら空いてる」
「おぉ、早速だね。分かった。なら、明日の九時にこの場所で会おう!」
彼女はまたしても座標を送って来る。
そこは俺が宿泊するエリアからそれなりに近かった。
此処なら、恐らく二十分くらいで行けるだろう。
俺はそれでいいと伝えて今度こそ帰ると伝えた。
彼女はもう俺を止めてくる様子は無い。
手をひらひらとさせながら「良い夢を」と言ってくる……胡散臭いなぁ。
俺は無言でバイクをのハンドルを握る。
倉庫のシャッターは勝手に開いていって。
俺はそこを通って外に出て、座標への案内を開始しながらバイクを走らせて言った。
何故か、体が少しだけ熱い気もするが……アイツ、茶になんか盛ったのか?