無口な幼馴染とお泊まりすることになったけど、やたらとグイグイくる気がする。
似たような小説があったら、すみません。
「ねぇ……」
長きに渡って続いてきた部室の沈黙を破ったのは、凛とした鈴のような声音だった。
──なんだろう?
箸を止め、視界をわずかに上へと傾ければ、そこに映り込む一人の──美を体現したかのような少女。
白雪のような肌に、サファイアに輝く大きな瞳。幼さを残す柔らかい顔立ち。そしてうなじ近くで一房にまとめられた流れる銀色の髪が光の輪を作っている。
その容貌はまさに美しい人形のよう。
ただ、その少女は──僕の幼馴染である梢は、何処か困ったような仕草を見せていた。
「どうしたの?」
静まり返った部屋に、今度は僕の声が響く。
すると、それに応えるかのように彼女は一瞬だけ顔を上げ──それからすぐに戻して、ゆっくりと口を動かした。
「一緒に泊まろう?」と。
「……えっ?」
頭が真っ白になったとは、まさにこういうことを指すのだろうか。
幼馴染の──普段は滅多に開かぬ小さな口から出た七文字の言葉。
音にすれば、九つだろうか。
その短い言葉は、僕を困惑の世界に導くのに充分であった。
「ごめん。もう一度言ってくれるかな?」
「一緒に泊まろう?」
「……」
泊まる? 梢と? いつ……どこで?
錯乱した疑問の山。 お泊まりとは非常に魅力的な提案であるが、いかんせん急過ぎる。
他の用事と被るかもしれない。
「えっと……」
追求しようと口を開けば、モゾモゾと何処か伺う様子を見せる幼馴染。
指先をクルクルと動かしたり、長い前髪の隙間からこちらを覗いたりしている。
まさに挙動不審と言えよう。 プログラムがおかしくなったアンドロイドみたい。
ただ、そんな彼女の様子を見て、僕の中に占めていた複雑な疑問がスッと消えていくのが分かった。
「もっと詳しく知りたいな」
あの梢の事だ。 心の中では断れたらどうしよう、なんて思っているのだろう。
「どんなお泊まりなのか知りたいな」
まったく、僕が梢の提案を断る訳がないじゃないか。
幼馴染の女の子と一緒に泊まる。それ以上の優先事項が何処にあるだろうか。
大事な試験だってすっぽかす自信はある。
ただ、もっと具体的な内容を知りたい。
まずは「どこで泊まるの?」と場所の質問。
「……私の家」
暫しの沈黙が続いた後に返ってくる答え。
そのあまりにも簡潔な答えに苦笑いを浮かべつつ、僕は更に続けた。
「じゃあ、お泊まりするのはいつ?」
今度はすかさずに「週末」と返ってくる。
「つまり、今週の土日に梢の家でお泊まりしようってことだね?」
「……うん」
少し間を開け、コクリと頷く幼馴染。
ただ、彼女の視線は未だフローリングの床を見つめたまま。
まるで指導室で面接をしているみたいだった。
僕が先生なら、梢が生徒。
僕がシャツだけなのに対し、梢が薄茶色のカーディガンを着ているのも、その想像を加速させる一因となっている。
「……」
これ以上は脱線してしまうかもしれない。
ずれた路線を軌道修正するように、僕はあることを尋ねた。
「おばさん達は?」と。
「出張」
「ああ……いつものね」
「うん。 いつもの」
彼女は続ける。
「お母さんも『ごめんなさい』と『よろしく』だって」
「なるほど」と、聞くだけで大方を察してしまう。
梢とは物心ついた時からの友人である。
家が隣同士ということもあって、家族ぐるみの付き合いをしていた。
その為、両親の不在──俗に言う鍵っ子であった彼女の家庭事情は理解しうるところであった。
「それで……いつまで出張なの?」
「月曜だって」
短い答えに小さな声。
またかと思いつつも、いつも通りの返答に安心してしまう。
幼馴染の梢は、昔から物静かな女の子で滅多に人と会話することがなかった。
話す相手と言えば、梢の家族か僕、あとは僕の家族くらいだろう。
一言で言うならコミュ障。
少し柔らかい言い方をするなら口下手だろうか。
要は、人付き合いが大の苦手なのである。
その為、彼女の次の言葉が出たのも長い沈黙の後であった。
「えっと……一緒に泊まってくれる?」
チラリと、「ダメかな?」なんて言わんばかりの視線を向ける幼馴染。
飼い主を求める哀れな子犬のような視線。
これを見て、動揺しない訳がない。
華麗な容貌を持つ彼女なら、なおさらのこと。
ただ、梢は──十年以来の幼馴染は、あまりにも無表情であった。
顔立ちが整っているのに、その顔は無そのもの。
そのいつまで経っても変わらない特徴に、自然と口元が緩んでいた。
「どうしたの?」
ポカンと小さな口を開けつつ、キョトンと首を傾げる梢。
無論、その顔に変化はない。 いつも通りの可愛い顔まま。
しかし、これの顔立ちがとてもかわいい。
彼女の容貌を人形のようと称したが、動かず話をしなければその姿は本物の人形だろう。
「いや……なんでもないよ。 それとお泊まりの件だけど、母さんに連絡しても良い?」
「お義母さんに?」
「お泊まりグッズとか……いろいろと必要でしょう?」
「じゃあ……」
顔を上げる梢。
前髪に隠れたブルーの瞳がくっきりと見える。
「お邪魔させてもらうよ」
「うん」
パァと明るくなったような梢。
相変わらずの無表情であるが、伊達に十年以上も幼馴染をやっていない。
心の中では夏のビーチの如く、暖かく輝いているであろう。
「そういう訳で、電話するから」
「静かにする」
「ありがとう」
ゴソゴソとスマホを取り出す。
仮にも異性の家に泊まるんだ。 親に連絡くらいはしておかないと。
ただ──これが非常に面倒くさい。
それも、思わず「はぁ」と重いため息が漏れてしまうくらい。
あの母さんのことだ。絶対に変なジョークを混ぜることだろう。
はっきり言ってやりたくない。
だからと言って、帰宅してからいきなり泊まると言っても困るだけだろう。
二度目のため息が出たのは、その直後のことだった。
「大丈夫?」
「大丈夫そうに見える?」
「普段通りに見える」
「……だと嬉しいよ」
ホーム画面から電話アプリを起動。
一番上にある『母』と書かれた連絡先を選択し、電話のマークを押す。
トゥルルとコール音が数回聞こえたと思えば、その数秒後には聞き慣れた声が聴こえてきた。
『あら、どうしたの? こんな時間に電話をするなんて?』
「いや、伝えておきたいことが一つあって」
『へぇ、何かしら?』
面白そうな笑みを浮かべる母さんの顔が思い浮かぶ。
少しいやな予感。
「えっと、今晩だけど──」
『もしかして、梢ちゃんの家に泊まるのね?』
「……」
二の句を継げないとは、まさにこのことか。
見透かされた──まるで身体の芯から冷たくなっていくような感覚。
「なんで知ってるの?」
まだ何も言っていないのにどうして?
僕の心を占められる 二割の疑問と三割の驚き、そして残り半分の恐怖。
控えめに言って、不気味だった。
『……知りたい?』
「……」
返答に困る質問である。実にやりにくい。
液晶の向こう側から聞こえる声が母さんじゃなければ、即座に終了ボタンを押していただろう。
逆に、相手が母さんであることを恨んでしまいそうだ。
『美恵子から連絡があったのよ。 もしかしたら子ども達でお泊まり会をするかもってね』
美恵子とは梢のお母さんのこと。
僕の母とは大学以来の友人だとか。
僕自身、幼い頃に髪や爪を切ってもらった記憶がある。
「じゃあ、梢の家に泊まるけど……良いね?」
『オッケーよ。 むしろ、断っていたら無理やり行かせようかと思っていたくらい』
「……」
これは、どう反応するのが正解なんだろうか。
人生で最も長く関わっていた相手であるが、今だにその対応に困惑していた。
恐るべし母と言うべきか。 子は親に勝てないことを痛感させられる。
まあ、良い。こんなやり取りも、ささっと終わらせよう。
水筒のお茶を一口。
既に溜まりかけた疲れを胃に流して、会話を続ける。
「それで荷物のことだけど──」
『お泊まりグッズを用意すれば良いのね?』
やっぱり妖怪なんじゃないだろうか。
自分の中で母親=妖怪説の立証が高まっていく。
「うん。 よろぴく、って言いたいところだけど……」
『任せなさい。 ちゃーんと用意してあげるわ』
「……」
怪しい。 非常に怪しい。
妖怪は気まぐれと言われているが、その伝承は正しいかもしれない。
さりげなく、『ちゃんと』のところを伸ばしていたけど、一体何をするつもりだろう?
『じゃあ、また後でね?』
「うん。 あと言っておくけど、下着とパジャマだけで良いからね?」
念には念を。
相手はあの母さんだ。 油断はできない。
『はいはい』
「本当にそれだけで良いからね?」
『わかってるわよ』
通話を切る前に聞こえてきた怪しげな笑い声。
たった数分の通話のはずなのに随分と精神力を消費した気がする。
まるで宇宙人と交信したみたいだった。
……癒しが欲しい。 精神的の疲れを労ってくれる心温まる癒しが。ああ、すぐ近くにいるじゃないか。
スマホをポケットに入れたと同時に、僕の視線は目の前にいた一人の少女へと向けられていた。
「梢」
「なに?」
──膝枕して?
そんな願望が喉元まで迫り上がっては止まる。 いや、待てよと。
もしここで、膝枕をして貰えば、間違いなく午後の授業には出られなくなる。 僕自身はそれでも構わないが、彼女の成績にまで影響が及んでしまうかもしれない。故にグッと堪える。
「どうしたの?」
細めた蒼い瞳を向けている幼馴染。
ミニトマトを白い箸で掴んだままこっちを見るご様子。 とてもかわいい。
だが、何かしらの返事をしなくては。
呼んでそのままというのは気が引ける。
「呼んでみただけ」
どうやらお気に召さなかったらしい。
僕の返事を聞くや否や、眉を顰めた梢は「ふーん」とそっぽを向いてしまった。
その姿は猫じゃらしに目もくれない猫のよう。
かわいい。
「梢?」
「……ふん」
返事がない。ただの おにんぎょうの ようだ。
冗談はさておき、時間も時間な為、幼馴染の事を観察しながらもさっさと昼食を済ませてしまう。
授業十分前のチャイムが鳴ったのは丁度その頃。
お弁当を食べ終えたと同時の絶妙なタイミングであった。
「そろそろ戻らないとね」
「……」
ずっと沈黙を保っていたままの幼馴染。
何も言わないで別れるのも気が引けるので、「今晩はお楽しみだね?」なんて事を冗談混じりで告げてみる。
「……うん」
──私の方こそ楽しみだよ。
横を向きながらもボソッと呟く梢。
無表情ながらも何処か恥ずかしそうな仕草を見せる幼馴染はやっぱり可愛かった。
***
キーンコーンカーンコーン。
あれからしばらくの時が過ぎ、本日最後のチャイムが鳴り響く。
長かった授業が終わり、放課後という自由時間がやってきた。
最早、ここにいる用はない。 颯爽と帰宅準備を行なう僕。
自分の名前を呼ぶ声が聴こえてきたのは、そんな時だった。
「早いね」
「うん」
梢とはずっと同じクラスだから、解放される時間も同じはずなのに──彼女はもう帰る準備を終えていた。
流石、優等生と言ったところか。
しばらくは待たせると思うので「ちょい待ち」と声を掛けておく。
一方、彼女も方も分かっていたのか「ゆっくりで良いよ」ペコリと机の上に腰掛けていた。
時刻はもう夕暮れ。
ふと視界を上げれば、そこに映るオレンジ色の光に包まれる彼女の姿。
その姿は可憐で神秘的で、少し儚くも見えた。
「お待たせ」
あれからしばらくして帰る支度が整う。
週末と言うこともあり、やや時間がかかってしまった。
「じゃあ、いこっ」
「そうだね。 早く帰ろう」
鞄を持ち、教室をあとに。
並んで校門まで続く道をまっすぐ進んでいると、何処かから運動部員の激しい喝声が聞こえてくる。
野太いテノールの大合唱。 それは僕たちの下校を見送るようにも聞こえた。
「今日の数学、難しかったよね?」
「そう? すぐに理解できたけど……分からなかったの?」
「あたぼうよ。 あんなの数字を見るだけで嫌気が差しちゃう」
「……また古い言葉使ってる」
何気ない授業の会話をしながら見慣れた道を歩む。
梢の性格上、学校ではあまり話すことがないから、こうした登下校の時間はが彼女と会話出来る数少ない時間の一つだった。
しばらく進んでいると、駅前のターミナルに出る。
「人、多いね」
「だね。混雑してる」
彼女の言う通り、駅前のビルには多くの人の姿があった。
買い物にきた主婦から放課後の遊び集まっている学生まで。
アキバのホコ天のような光景がそこにあった。
「少子化、加速すれば良いのに」
「……」
梢さん。
あじゃぱーとでも言えば良いのだろうか、人混みが苦手な彼女らしい発言だった。
「どこかでお茶でもする?」
気を取り直すように提案すれば、考える素振りを見せる梢。
しばらくその動作のまま固まった後、再起動したかのように彼女はゆっくりと首を横に振った。
「ダメ」と。
「人混みを避けれるよ?」
「きっと混んでる……」
「ああ……だろうね」
この時間だし、確かに混んでるか。
そんなやりとりをしながら、なるべく人を避けるように道の端っこを進んでいく。
袖に何かに引っかかったような感覚がしたのは、駅のターミナルを抜ける直前のことだった。
ふと袖の方を向けば、そこには味気ない返事で、何かを訴えるような視線を送る幼馴染。
「どうしたの?」
「……付き合って」
言葉だけを切り取れば、それは恋愛の告白のように聞こえるだろう。
ただ相手はあの梢。 コミュ障の梢である。
故に僕は知っていた。
この場合の「付き合って」は恋愛の意味ではなく、何かを一緒に行なって欲しいと言う意味だ。
まあ、それはそれで嬉しいけどね。
「どこに行きたいの?」
さりげなく訊ねてみれば、返ってきたのは「んっ」と解読不能な一単語。
「ん?」と訊けば、「んっ」と返ってくる。
おおよそ人の会話ではない。
ただ幸いなことにも、梢は返事と共にある方向を指を差していたので、彼女の言いたいことを理解することができた。
その方向──幼馴染の傷一つない白い指先にあるのは、大きな業務スーパー。
どうやら、買い物に付き合って欲しいようだ。
「何を買うの?」と人らしい会話を再開する。
「食材」
「夕ご飯の?」
「……うん」
まるで幼い子どもと接しているみたいだ。
一つずつ質問をしていき、相手の言いたいことを理解していく。
果物の皮を剥いていくみたいで、ちょっと大変。
しかし、梢語の通訳者とは僕のこと。 もう慣れてしまった。
「分かった」
承諾すれば、次に聞こえてくるのは「んっ」と言う言葉と──こっちに向かって手を伸ばす梢。
いつものアレをやって欲しいのだろう。
仕方ないな。
「待ってね」と、差し出された白い手を優しく握る。
いわゆる手繋ぎ。 元々は遊園地などで迷わないように始めたこの慣習だけど、今では何処でも手を繋ぐようになっていた。
「行こうか?」
「うん」と答える梢の反応はどこか嬉しそう。
しかし、そんな彼女に僕は悲報を告げないといけない。
「スーパー、混んでるかもよ?」
言った途端、ギュッと強くなる彼女の左手。
ちょっと痛い。
「……離さないで」
「離さないよ」
かわいいな、と心の中で笑みを浮かべつつ、彼女の歩幅に合わせる。
スーパーへと進路を向ける僕たちの背中を暖かい夕焼けが照らしていた。
***
買い物を終え、梢の家に帰宅。
いつもはゲームなどでよく立ち寄っていたが、こんな夜遅くにお邪魔するのは随分と久しぶりだった。 しかも彼女のご両親がいない状況で、だ
「ただいま」と玄関に上がれば、廊下の隅っこの方には見慣れた黒のリュックが立て掛けられてあった。
マイリュック。 どうやら母さんは頼んだことはやってくれたらしい。
問題はこの中身なのだが。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
とりあえず、リュックを回収。
中は……一人の時に確認すれば良いだろう。 今確認する必要はない。
リュックを学校の鞄と共に隅の方に置き、手洗いを済ませ、リビングに向かう。
「ご飯はもう作っちゃうの?」
そんな質問をしたのは、リビングで少しリラックスした後のこと。
ただ、彼女からは「もう食べる?」と逆に質問を返されてしまった。
「ん……お腹は空いたかな」
時刻は既に十九時を迎えている。
僕の身体も新たなる食糧の供給を促す頃であった。
「じゃあ、作る」
ソファーから立ち上がり、台所へ向かう梢。
「手伝おうか?」と声を掛けるが、彼女は首を横に振って答えた。
「いい」と。
「でも……」
「座って待ってて」
その言葉を最後にリビングから去る梢。
何かを取りに行ったのだろうか。
十二畳の部屋に僕だけがポツンと取り残された。
「……」
チクタクと不自然までに大きく伝わる時計の針の音。
久しぶりの二人きりの花金に、ある懐かしさと未知への興味が湧いていたが、やがて退屈という感情が僕を支配する。
「座って待ってて」とは言われたものの、流石に何もしない訳にはいかない。
そういう訳で、梢がいない間にエコバッグに入っていた食材を冷蔵庫に詰め込むことにした。
それから包丁やら鍋やらを用意すれば、あっという間に料理の舞台に。
梢が戻ってきたのは、丁度その時。
制服の上からフリルのエプロンを羽織っていた。
新品なのか、彼女と同じように汚れ一つない真白な色。
幼馴染のエプロン姿を見るのはこれが初めてではないが、いつもと違うタイプなだけに新鮮さがあった。
「待っててって言ったのに」
ちょっとだけ怒っていたようなムスッと頬を膨らませる梢。
だけどそれも一瞬。
すぐに元通りになったと思えば、小さな声で告げた。
「でも、ありがとう」と。
「どういたしまして」
台所の座を譲り、リビングへ戻る僕。
ただ、彼女一人に料理させるのも気が引けるので、なるべく近くにいる事に。
その結果、キッチンを挟むように対面することになった。
「リクエスト、ある?」と梢。
作るメニューは未定のようだ。
ただ、僕としては彼女が作るものならなんでも良かったので「任せるよ」と答えるが──それではダメらしい。
「食べたいの、言って」
珍しく強めの口調で言い切る幼馴染。
どうも、僕が食べたいものしか作らないつもりらしい。
「そうだね……」
困ったな。
何でも良いとは言っているけど、和食やイタ飯のような料理を挙げる訳にはいかないし……ここは適当に思いついた料理を挙げていくか。
「ハンバーグとか?」
「ハンバーグ?」
復唱しながら首を傾げる梢。
これは不味かったか? 咄嗟に「無理なら別のにするよ?」と後付けするが、彼女の目はキラリと光っていた。
「ハンバーグにする」
「あっ、うん」
いつもは大人しい梢だけど、年に数回ほど覚悟を決めたような時が訪れることがある。
どうやら、今日はその日に当たるらしい。
「じゃあ、作るから待ってて」
「……よろぴく」
ソファーに戻り、スマホゲームを起動させる。
ログボを受け取ったりデイリークエストを達成したりとしばらくプレイをしていると、台所の方から聞こえてくるグツグツと何かを煮る音。
──今は何を作っているんだろう。
ゲームを中断し、台所へと向かう。
当然、そこでは梢が料理をしている訳であるが、彼女の料理場面を見るだけもなかなか来るものがあった。
野菜を半円にカットしたり、お玉をかき混ぜたり、小さな味見皿を口にしたりと。
一つ一つの行動が艶やかさを感じさせる。
彼女の幼い姿も相絡まって、まるで若妻のよう。
「もうちょっと待って」
──あと少しで完成するから。
僕の視線に存在に気がついたのか、作業の手を止めないまま、口を開いた幼馴染。
鍋の何かには鮮やかな茶色の味噌汁がたっぷりと入っていた。
「ケガには気をつけてよ?」
「もう子どもじゃない」
「そうだったね」
宣告通り、料理が完成したのはそれからまもない頃。
食卓の上には、気合いの入った豪華な料理がずらりと並んであった。
短時間の間に全て作ったのだろうか。
幼馴染の料理スキルの高さに、目がゴムのように飛んでいきそうだった。
「じゃあ、食べよ」
「うん。 もうお腹ペコペコだ」
「それは大変」
「いただきます」と手を合わせる。
それにしても二人っきりの晩御飯なんていつぶりだろうか。
昼は毎日一緒だけど、夜の場合は母さんを交えての食事だったから、随分と久しぶりのような気がした。
「味はどう?」と梢。
「パーペキだね」と答えるが、当の本人はキョトンと首を傾げていた。
──伝わらないか。
愛用の言葉が今や亡き言語になった事を残念に思いながら「美味しいよ」と補足する。
「最初からそう言って」
「ごめん」
「ふんっ」
そんな他愛もない会話を挟みながらも食事は進んでいく。
やっぱり、食事は美味いのが一番だ。
五臓六腑に染み渡る。
そう言う点では、梢の手料理は最高であった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
食後。 豪勢な料理を作ってもらった以上、流石に何もしない訳にはいかないので、渋る幼馴染をなんとか説得して、食器の片付けを行う。
「この後はどうする?」と問いかけたのは、そんな作業の途中のことであった。
「この後?」
「うん」
現時刻は二十時。
就寝時間までそれなりに時間はあるとはいえ、せっかくの2人っきりのお泊まりだ。
予定を立てておかないと時間がもったいない。
「決めてないけど……」
蛇口をギュッと閉め、皿を拭いていく幼馴染。
将来は家庭的なお嫁さんになるんだろうか。
一枚一枚丁寧に拭き上げていく様子を見て、そんな事を思ったり。
「じゃあ、ゲームでもする?」
「ゲーム? 良いよ」
あっさり決まってしまった。
僕たちの話し合いが終わるのを決定を待っていたかのように、鳴り渡るお湯炊きのメロディ。
「とりあえず、風呂に入ろうか」
「うん」
***
「出たよ」
意思表示とも挨拶とも言えるソプラノの声が響く。
スマホから視線を外せば、そこには十数分ぶりに再会した少女の姿があった。
クリーム色のワンピース風パジャマにバスタオルを肩に掛けた幼馴染。
風呂上がり直後なのだろう。 白い肌はほんのり火照っており、下ろされたロングヘアの銀髪はしっとりと水気を含んでいた。
「もう入る?」
「いや、しばらくしたら入るよ」
今更ではあるが、風呂上がりの少女とはなかなか刺激が強いような気がする。
修学旅行くらいしか見ることの出来ないレアな姿。
未だ幼い顔立ちの梢ではあるが、どこか艶やかさも垣間見せていた。
「髪、乾かさないの?」
「水も滴る少女でしょう?」
「……はい?」
表面上ではいつも通りの対応をしているつもりであるが、その内心では荒れに荒れていた。
冷たい何かに掴まれたような感覚。治らぬ鼓動。
正直にいえば、かなりドキッと来ていた。
もし彼女が見知った幼馴染じゃなければ、かなりまずかったかもしれない。
そもそも少女の風呂上がり姿なんて、修学旅行でしか見れないほどかなりのレアな場面。
これが見知らぬ美少女だったら──。
「どうしたの?」
「えっ? ああ……」
梢の言葉で現実に戻される。
何を考えているんだ、と。
邪念を振り払うように首を横に振り、僕は言葉を続けた。
「ちょっと難しいこと考えごとを……」
思わず漏れてしまう乾いた笑い。
なんだその答えは。 誤魔化しにも何にもなっていない、と。
「難しいこと?」
「うん」
「そう……」
ただ、彼女も彼女であった。
どう見てもおかしい言い訳なのに、これっぽっちも疑っている様子ではない。
良かったと言えば良かったのだが、ちょっと複雑だった。
「がんばってね」と短く激励を掛けてくれる梢。
ちょっと心が痛い。
ただ、その痛んだ心が激しく動き出したのはその直後のこと。
水滴を拭き取りながら、そのまま目の前までやってきた梢は、僕の隣──それも体が密接するくらいの距離に腰掛けた。
「梢?」
「どうしたの?」
「いや……」
「なんでもない」とは言えなかった。
隣の少女から伝わってくる湯上がりの程よい熱気。
輝く銀色の髪から漂うシャンプーのいい香り。
これは……。
早鐘を撞く心臓。
いくら慣れ親しんだ幼馴染とは言え、ここまで密着させるとかなり意識してしまう。 しかも風呂上がりの姿と来た。
果たして、誰がこんな状況で平常にいられるだろうか?
止まることを知らない鼓動。徐々に上がっていく熱。。
ある友人が、素数を数えば何とでもなるとか言っていたが、今の僕にそんな事をしている余裕などは無い。
凛とした声で愛称で呼ばれたのはそんな時だった。
「大丈夫?」と言う心配の声に乗って耳に伝わる。
「何か、あったの?」
どこか心配そうな視線を向けていた幼馴染。
彼女としてはただ単に声を掛けただけだろう。
しかし、僕としては火に油を注ぐようなものだった。
「……」
燃え上がる感情。
理性と口に表せない何かが、激しく対立している。
数分に渡って続いた決闘は、理性の勝利で幕を閉じることになるが、それは薄氷の勝利と言っても過言ではなかった。
もし、彼女にあるものがあったなら──いや、考えるのは辞めよう。
「いや……髪を下ろした姿は久しぶりに見るから」
別れ別れに思いついた単語を繋げ、なんとか言葉にする。
だけど、それはあまりにも異性に慣れていないような初心な答えだった。
「見たいの?」
グイッと距離を近づける梢。
まだ乾かぬ銀の髪が僕の手に触れる。
──なら、普段から下すけど……。
手先で研ぐように髪を触る少女。
ゴクリと固唾を飲み込んだのは誰だろうか。
言葉が出ない。
時間にして数秒の出来事が、今では流れる星のように長く感じた。
「いや……」
──大丈夫だよ。
ようやく口から出たのは不承の言葉だった。
「……どうして?」
首を傾げる幼馴染。
キョトンとするその顔立ちはまるで小動物のようで、とても愛おしくて──だから、夕方の時と同じようについつい口が開いてしまった。
「かわいいから」と。
あっと思った瞬間、時既に遅し。
「今のは──」と断りを入れようと顔を上げれば、そこには「そう」と小さく呟く幼馴染の姿があった。
白雪の頬にいくつもの紅の線が浮かび上がった幼馴染の姿が。
「梢?」
「なんでも……ない」
間が空いた返答。
本当になんでもないのか、疑問に残るけど、僕が言えたことではない。
僕だって大丈夫ではないのだから。
気まずい雰囲気が漂う。
どうしようかと打開策を考えるが、何も思い浮かばない。
救いの一手が現れたのはその矢先のこと、
唐突に聞き慣れたクラシックの音楽が聞こえてきた。 風呂の追い炊きを知らせるベルである。
そして「これだ」と思った時には、僕の身体は勝手に行動を始めていた。
「風呂……入ってくるよ」
「……うん」
何事も無かったように振る舞う。
だけど、この行動は誰がどう見ても敵前逃亡であることは間違いなかった。
***
風呂から出た僕は、洗い場の換気と歯磨きを済ませ、リビング──ではなく、梢の自室に向かっていた。
「あっ、きた」
あんな空気になった後にも関わらず、彼女は約束を覚えていたらしい。
部屋の小さなテレビの前には見慣れたゲームのカセット類があった。
それもゲーム箱ごとだ。
「結構持ってきたね」
「オールでやるつもりだから」
「……冗談だよね?」
普段から最低限のことしか言わない梢だから、判別が難しい。
流石にジョークだと思いたいけど……。
「じゃあ、やろ?」
「待って。 オールはしないよ?」
「それは冗談」と渡された愛用のコントローラーを受け取り、早速一作目をプレイ開始。
このゲームは対戦ありの格闘ゲームである。
「……赤でいく」
「なら、僕は青か」
それからはひたすらにゲームをしていた。
取り憑く邪念を払うようにモニターに集中する。
RPGからボードゲームまで。
二人で対戦したり、協力したりと、散々とゲームに夢中になる。
ただ、ゲームのやり過ぎは時間感覚を大いに狂わしてしまうもの。
ふと時計を見てみれば、その時刻は既に日付を超えていた。
「そろそろ寝ようか」
対戦が終わり、リザルト画面に移行したところで、中断の声を掛ける。
本当はもっと遊びたいが、別に今日で終わりと言うわけではない。 明日もある。
そう言い聞かせて欲を押し殺す。
「待って」と反論の声が上がったのは、そんな時だった。
梢だ。 彼女はゲームの前に「オールをする」なんて事を言っていたけど、まさか本当にするつもりじゃないよね?
「どうしたの?」と。
「最後に……もう一戦しよ?」
聞こえてきたのは続投の声だった。
いや、気持ちは分かる。 出来るなら、僕ももっとやりたい。
だけど──。
「もう寝ないと。 梢も眠いでしょう?」
「眠くない」
「……」
本当か?
ゲームが終わるたびに僕の肩に寄りかかっていたけど。
実に怪しいが、それでも「いやっ」と、幼馴染は首を横に振る。
それにしても珍しかった。
いつもはすぐに僕の言うことを聴くのに、今日はその限りではない。
「お願い」と、子犬のような瞳を向ける幼馴染。
「梢……」
おそらく、このままだと平行線を辿ることになるだろう。
もう辞めたい僕とまだゲームをしたい梢。どちらが折れるしかない。
なら仕方ないか、と僕は承諾する。無論「だけど、これでおしまいだよ?」と条件を付けて。
「ありがとう」
──ちょっと待ってね。
ゴソゴソとゲームの準備を行う幼馴染。
その際、何かブツブツと呟いているようだが、ここからは聞き取ることはできなかった。
「じゃあ始めよ」
テレビが光り、見慣れたゲーム会社のタイトルが映される。
「それと……」
「ん?」
「私、負けないから」
「僕こそ負けないよ」
お互いの意気込みを語り合い、ゲームが始まる。
この闘い、先に一撃を入れた方の有利。
しかし、迂闊に動けば、カウンターを入れられて形成は逆転する。
さあどう動く?
気合い十分、集中をしてコントローラーを動かす。
動く戦局。
ただ、決着はあっという間に着いてしまう。
「私の勝ち、だね」
「……そうだね」
画面に映る『lose』の文字。
対戦結果は僕の敗北という形で終わってしまった。
眠い。 疲れた。 梢が可愛い。
いろいろな要因があったとはいえ、僕自身、このゲームはかなりの上手。
故に敗北のショックは大きかった。
「勝った……へへっ、勝っちゃった」
小さく──だけど、明らかに嬉しそうな仕草な幼馴染。
こうした珍しくはしゃいでいる場面を見ることが出来たのなら、負けたのも悪くはないか。
「さあ、なんでも命じると良い」
このゲームはいわゆる賭けだ。
勝者が敗者に何かを命令する。
さて、梢は僕に一体何を要求するのか。変なことじゃなければ良いが。
「月曜まで一緒に泊まってくれるよね?」
「うん……うん?」
えっと、いきなりどうしたんだろう。
月曜まで泊まりって。確かにそのつもりだけど……今になって、どうして?
浮かび上がる謎が解決しないまま、次の瞬間、彼女の丸い顔が大きく映り込む。
ズイッと近づける梢。ちょっと怖かったのは内緒だ。 それにしても……。
「……」
近い。
目の前──それもお互いの鼓動が聞こえるくらいまでの僅かな距離にいる僕ら。
少しでも動けば、相手の肌に触れ合ってしまうかもしれない。
ただ、改めて彼女の顔立ちが綺麗に整っていることを実感する。
シャープな輪郭。 引き込まれそうなブルーの瞳。
風呂上がりなのか、若干赤く染まったピンクの頬は少し色気あるように見えた。
「……」
静寂が部屋を包む。
ゴクッと固唾を飲み込んだのは誰だろうか。
「こず──」
“え”とは言えなかった。
代わりに聞こえたのは、チュッと水っぽい音。
暖かい何かで口が塞がられる。
──キス、された?
バクった脳がようやく理解に追いつく。 それから遅れてやってくる実感。
「梢?」
ゆっくりと離れていく幼馴染の顔。
彼女の唇からは白い糸の綺麗な橋が掛かっていた。
「好き。 恋人になって……これが命令」
「えっ……」
なんと言ったのだろうか。
状況が、追いつかない。
そして僕にはそれを理解する時間もないらしい。
「返事は……いらないわ」
甘い彼女の言葉。 再び重なる二つの唇。
その勢いに押し倒されてしまう。
ドサっと、倒れ込む先にあるのは彼女のベット。
痛みはないが、心臓に悪い。
「ねぇ、さっき言ったこと覚えてる?」
「……言ったこと?」
「今夜は寝かせないから」
小さく頬を緩ます梢。
久しぶりに見た幼馴染の──これ以上にない嬉しそうな微笑みだった。
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