まさか…。聖女ですか…。
ここはオウリット領の南東に位置するスフェン村。
萌葱色の草原が広がる豊かな大地。
朝露に濡れた草が暁光に照らされ、風に揺られて畝る様子はまるで輝く海の波のよう、はるか彼方まで続いています。
私、佐伯若葉はこの地にオリヴィアとして生を授かりました。生前に読んだ多くの小説で取り扱われていた異世界転生というものです。
「ここが私のア◯ザースカイ‼︎緑艶めくオウリット領スフェン村‼︎」
思わず、両手を空に向かって広げ、叫びたい衝動に駆られてしまいます。
あれから、私は深い沼の底へ沈んで逝くとでもいうのでしょうか。そのような感覚に侵され、抗うことも許されずに、行く着く先まで全てを任せ漂いました。
やがて、眩いほどの光に包まれ、再び、辺り一面の真っ黒闇へと堕ちました。暗闇の中、恐怖を感じなかったのは、一定のリズムで聞こえていく鼓動。今思えば、母親の心音と私の胎動だったのでしょう。柔らかなその音は私から不安を取り除き、安らぎを与えてくれたのです。
そして、私へ語りかける優しい言葉。
馴染みのない言語だったのですが、何となく言葉の意味はわかりました。
「愛しているよ」
「早く出てきてね」
クスクスと男女の笑い声が響きます。
「動いたんじゃない?」
「会えるのが楽しみね」
くすぐったくて甘いときを、私は幸せに包まれて過ごしました。
まだ、ここでゆっくりとしていたかったのですが…。
ある時、突然。何かに圧迫されて、溺れかけたように呼吸ができなくなり、長い時間を悶え苦しんでいると、すっと、ひと息をつけたので、思わず大声で泣いてしまいました。
母親の胎内から産み落とされたのです。
「元気な女の子ね」
女性が言葉と吐息を漏らしたとき、柔らかな肌(多分、膨よかな腕)に包まれながら私は無事に産まれることができて良かったと安堵しました。
と、同時に…。
んっ、目は瞑ったまま、開けることはできない状況で、何で自分が赤ちゃんだって認識しているの?
いやいや、普通は赤ちゃんが自分は赤ちゃんよねって、分かんないはず…。
えっと…。私…。
確か…誰かに刺されたような…。
ぞっとするような暗い視線。真っ赤に染まったしなやかなで細い指。端正な顔の女性。口角のあがった紅い唇。
頬を伝う冷たい雫…。腕の温もり…。
冷たい暗闇に堕ちていく私…。
自分が前世の記憶を持っていることに愕然としました。驚きを言葉に表すことはできず、ただ泣きじゃくることしかできない現状。
可動域の狭い手足をバタバタと動かしながら喚いてみても、可愛らしい赤子の泣き声を発するだけです。
うっ、うっ、生まれ変わってしまった。
あの時に死んだってことよね。
どうしよう?潤ちゃん‼︎大丈夫かな?あの子、ああ見えて寂しがり屋なのに…。
どうしよう…。
一人残してしまった…。
弟を想うと大粒の涙を流して号泣したいのに…。赤ちゃんって泣いても泣いてもほとんど涙がでないのです。
「あらあら、どうしたの?」
「怖い夢でも見てるんだろうか?」
やっぱり、前世では聞き覚えのない言葉で語らっている今世の両親らしき二人です。
そうだ‼︎大きくなったら会いに行こう。どんなに頑張っても今は無理だけど…。
拳を握りしめたまま、自分では掌も開けない私が、母親の腕の中で足掻いても探しだせるはずもなく…。
もし、途方もなく時間が過ぎていたとしても、戸籍を調べれば痕跡はあるはず。
何としてでも、弟の存在を確かめたかったのです。両親に託されたたった一人の家族でしたから…。
けど、時が経過するにつれ、それは果たせぬ夢だと気づきました。
オリヴィアって名前をつけられたときに分かりそうなものよね。
あと、パパもママも耳慣れない言葉で話していたんだから…。
まだ、異国に転生したなら、船で海を渡り、或いは、飛行機で空を越え、電車や車に乗って、故郷へ辿り着くことができたでしょう。
暗闇の中、光を放ち舞う蝶だとか…。
背中に羽のあるトカゲだとか…。
頭に立派なツノを生やした馬だとか…。
etc…。
窓から外の様子を眺めただけで違和感満載。
住居のある村の近辺の草原には前世で見たこともないが生き物が多数棲息しています。小説で得た知識も発揮して、この世界は私の知っている地球ではないと、すぐに理解できました。
ああ、異世界に転生してしまった。
潤ちゃん、ごめんね。もう二度と会えないや。
「オリヴィア、どうしたの?鏡を見て固まっちゃって…」
ママが鏡の前で硬直している私の様子を面白そうに観察をしています。
誰っ?この子…。嘘よね…。
首を横へ傾げると鏡の中の赤ちゃんも同じ仕草で顔を傾けます。
「この…。すっ、かわぁね」
私は成長する過程でこの世界の言葉を少しずつ覚えていきました。
私はママへ
「この子、凄く可愛いね」
と伝えたかったのです。
ママは私の謎めいた言葉を時間もかけず解読できたようでした。目を細めて頷いています。
「うふふっ、その愛らしい美人さんは私の娘なのですよ。オリヴィア」
鏡に映ったその姿は…。
高貴な輝き宿す紫水晶のような透き通った瞳、睫毛ってこんなにふさふさで長いものだったでしょうか。きめ細やかですべすべしている柔肌は幼子だからなのからですか、唇もふっくらとして弾力がありそう…。
まだ肩ぐらいしか伸びてないけど、淡い本当に淡い青味かかった柔らかな銀髪は揺れるたびにキラキラと眩いです。
何?この幼児。将来、絶対無敵の美少女で間違いないでしょ?
尊い…。
さすが異世界…。あり得ない目と髪の色。
思わず、両手を組んで拝んでしまいそうです。鏡を覗けばいつでも会えるのですね。
何だろう?自分の顔感しないわぁー!
うーん、この顔立ち。どこかで見たような…。いや、読んだような…。
「何だ?そりゃ、ママに似ているのだから当たり前だろ?」
ママの背後からニコニコと見守っていたパパも私の話したカタコト言葉を理解したようです。
「パパのイケメンぶりも、きっと受け継いでいるわよ」
もう、考え事してるのに…。
お互い褒め合いですか?仲の良い夫婦で子供としては嬉しい限りですけどね。
両親は確かに疑いようもなく美男美女です。
ただ、不思議なことに二人とも金髪で、私の髪色は誰から遺伝したんでしょう。因みに瞳の色はパパは濃いめの蒼色、ママは薄紫です。
私の顔立ちは母親よりかな?ママは楚々としていて少女のように若々しい可憐な女性です。パパがゾッコンなのも無理はありません。
あっでも、前世の両親も容姿端麗だったんですよ。私がある意味、異端児でして…。
けど、目はね。目だけは父に似てました。私も弟も目は父親似で、良く言えば、切れ長。悪く言えば、細目。いやぁ、細目が悪いわけではないんです。鼻口とバランスが良ければ美しいと思いますし…。でも、女子に生まれたからには子猫のような丸みを帯びた大きな瞳に憧れませんか?現世は子猫のような可愛らしい瞳ですけどね。
やっぱり、私ではないみたい…。慣れません。
鏡から目を逸らしてしまいました。
はっ!愛らしい子猫のような菫色の粒らな瞳…。緩やかな銀髪に毛先が淡青色…。オリヴィア…。
まさか…。
まさか…。
まさか…。
殺される当日に購入した書籍は続編ですが…。
「貴方を奇跡の光で包んじゃうぞ。聖女奮闘記」の聖女オリヴィアじゃねぇ…。
ウヒョォォォォォ…。




