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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

無慈悲なる神の恩寵

ループ能力で魔王を倒した幼馴染が10年ぶりに『元の世界』に帰還しましたが、今更「お前を一人きりにしない」と言われても色んな意味でもう遅いのでは?

「エリーナ、長い間待たせたな。もうお前を一人きりにはしない」


 幼馴染のジャスティンにそう言われて、私は「はぁ……」と返す。

 時と場所と相手さえ別ならばキュンと来る告白かもしれない。


 しかし、ジャスティンと会うのは10年ぶりだ。

 子どもの頃に将来を誓い合った仲と言うわけでもない。


 ここはごく平凡な田舎の村。魔王が討伐されて数年が経過した。魔物の襲撃にも怯えることのない日々の中で変化に乏しく、けれど穏やかな暮らしを過ごしていた。


 幼なじみで同い年のジャスティンは家が近いこともあって、昔はよく遊んだ仲だ。

 とてもやんちゃな子だった。

 同世代の他の子ども、大人しい性格のラルゴなどはだいぶ振り回されていた記憶がある。

 

 しかし……。

 彼は長らく行方知れずとなっていた人間だった。


 約10年ほど前、魔物の群れに襲われ村には多くの死傷者が出た。

 その際にジャスティンも行方不明となった。


 魔物に食い散らかされ、まともな遺体が見つからなかった村人も多かった。

 恐らく被害者の中に彼も居たのだろうという話を聞いた。


 死んでいたと思われた少年が生きており、立派な青年として戻ってきたことは喜ばしいことだ。

 けれど、それを素直に喜ぶにはどうも彼の様子がおかしい。


「ジャスティン。あなた今までどこに行っていたの?」


「あぁ、話せば長くなるんだが……俺は10年前に一度死んで、時を遡ったんだ」


 私は首を傾げた。何を言っているのかわからない。


 彼の話を聞くと、時の女神クロノシスの恩寵を受けた、ということだった。


 10年前、この村を襲った魔物の襲撃でジャスティンは命を落とした。

 しかし気が付くと、およそ1カ月前に戻っていたらしい。


 最初は悪い夢でも見ていたのかと思ったが、それから自分の記憶通りの日々が過ぎ、魔物の襲撃が訪れた。彼は必死に戦ったらしいが、剣の心得もなく特別な能力もない10代半ばの村人だ。


 再び命を落とし、気が付くとまた1カ月前に戻っていた。


 ジャスティンは魔物の襲撃を周囲に警告し、対策を講じて避難を促すなどしたが誰も話を取り合ってくれず、わずかに柵などを増築する程度の対応しかとられなかったと言う。


 傭兵を雇おうにもお金はなく、国に訴えて騎士団の助けを得るにも曖昧な話ではどうにもならない。彼は奮起してまず我流で剣の修行をはじめ、身近な人たちを守れるような筋道を立てた。

 

 魔物の襲撃までの約1カ月。

 ありとあらゆる方法を模索し、一人犠牲を出さずに魔物を撃退できるまで死んでは時間を遡り続けた。途中から数えなくなったが、およそ数十回以上は死んだということだ。


 そして魔物の被害を無事防いだジャスティンだったが、ある夜、夢の中で時の女神クロノシスに出会ったと言う。女神は彼に魔物が湧きだした元凶である魔王を倒してほしいと告げ、そのために死しては時間を繰り返す『時渡り』の恩寵を授けたということだった。


 彼は王都へと向かい、『勇者』となるべく様々な試練を受けたらしい。

 騎士団に入隊したり、ギルドに所属して様々な依頼や討伐を受けるなどして実力をつけていった。

 ときには命を落とすこともあったが、そのたびに時を遡ってはやり直しを繰り返した。


 気が狂いそうになる日々だったが、少しずつ実力が付いて以前ではできなかったことがこなせるようになっていった。経験を重ね仲間を増やし、正しい道筋を探して幾度も死を重ね、長い旅の果てにどうにか魔王を討伐することが出来たそうだ。


「少し確認したいんだけど」


「なんだ、俺のエリーナ」


 貴方のではないけれど。


「確かに魔王は討伐されたけれど……それは聖女アルメリア様の力じゃなかったかしら?」

 

 ジャスティンは束の間、無言になる。


「あぁ、『この世界』ではそういうことになっているようだな。だが、俺が経験した世界では……うん、アルメリアは俺の仲間の一人だった。勇者パーティの一員という奴だな」


 聖女に勇者が同行したという話なんて聞いたことがない。

 もちろん魔王討伐の詳細なんて私のような村人にはあずかり知らぬところではある。

 それよりも、今の自分にとって大事なのは一つだけだ。


「ところで、どうして私が『貴方の物』なのかしら。ここまでの話を聞いても、私が貴方の物になるという理由は一つもないと思うのだけれど」


「だから、俺が君を助けたからだよ」


「助けられてないわ。10年前の話なら、貴方は何もしてないでしょ」


「時間を遡って助けたじゃないか」


「それは……貴方の話を信じるとして、助けたのは別の私ということになるのじゃないかしら?」


「エリーナはエリーナだよ、他の誰でもない」


「そうね、そうかもしれないわね。なんにせよ、貴方が無事で良かったわ。ご家族も心配しているでしょうし、そろそろ家に戻ったらどうかしら」


「話はまだ終わってないよ、結婚しよう」

 

 話が通じない。ジャスティンってこんな人間だっただろうか。


 現在の彼はさすがに子どもの頃とは大きく外見が変わっていた。

 昔の面影は残っているし、彼の父親と雰囲気が良く似ている。


 衣服は少しくたびれているが立派なものを着ているし、肉体も鍛えた人間特有の頑強さのようなものを感じ取れる。幼いやんちゃ坊主がいっぱしの戦士になった、そんな印象だ。


 記憶の中にある活発な少年がそのまま大きくなったと言われればそのように見える。

 けれどその目に宿るうっすらとした狂気のような光に肌寒い物を感じた。


 彼の言動や口調、語る内容もそうだが、それよりも深いところで拭いきれない不安を感じる。

 胸の奥底が騒ぐような、この落ち着かない気持ちは何だろう。 


「無理よ。だって私は」


「君はあんなに感謝してくれたじゃないか。俺のおかげでみんな助かったって!」

 

 急に大声を出してきた。

 その様子に威圧感があり、私は言葉を呑み込んだ。

 じんわりと、背中に汗を感じる。

 情緒不安定というか、明らかに正気ではないところがある。

 

 ここは魔物による虐殺が起こった村だ。

 家族を失い病んだ人間や、妄想じみた世界に逃げ込んだ人間の姿を何度も見ている。


 あまり刺激してはいけない。

 乱れる呼吸を落ち着かさせて、とりあえず対話を試みる。

 話を聞いてあげれば、彼も落ち着くかもしれない。


「どうして貴方は『ここ』に戻ってきたの? 話を聞く限り別の世界に行っていたのよね」


「『時渡り』を重ねて魔王が倒されて……倒した後、気づいたんだ。俺は、確かに世界を救った。だが、よく考えると俺が救ったのはあくまでも『その時点』における世界の話だ。元の世界、本来の故郷を救ったわけではないということに、だ」

 

 確かにその通りだ。彼に救われたのも『私』ではない。


 10年前の事件では結局村に甚大な被害がもたらされ、遅まきながら到着した騎士団によって魔物たちは討伐された。その際に村人たちが受けた深い心と身体の傷は今も完全に癒えてはいない。


 ジャスティンの両親は幸い軽傷で済んでいたが、息子の死に対する嘆きは酷かった。

 私の家族は一人残らず死んでいる。あれ以来、心の一部がどこか麻痺しているような気がした。


「それでこの世界に戻ってきたら、もう魔王は倒されていたということね」


「まぁ……そういうことになる」


「貴方は別の世界を救った。それはそれで素晴らしいことだとは思うわ。でも、今の私と『貴方が助けた』私は別の人間よね。だから貴方に何か感謝するところはないわよ?」


 子どもに教え諭すように辛抱強く語り掛ける。


「きみは両親を失い、孤独の中で生きている。共に寄り添い伴侶として生きる男は必要だろう」


「あの、だから私はね」


「寂しい思いをさせて済まなかった。これからはもうきみを一人っきりにはしない。一緒に生きよう」


 ジャスティンは椅子に座る私の前にひざまずき、手のひらに乗せた青い宝石の輝く指輪を見せてくる。


 時と場合と相手が違えば非常にときめく場面かもしれない。

 もちろん私にとっては困惑するだけだ。


「それは他の相手に言った方が良いと思うわよ。魔王を倒す旅の中で魅力的な方との出会いもあったんじゃないかしら」


「確かに、いろんな女と会った。僧侶のマリーや魔法使いのエリザ、戦士のメルに盗賊のジョアンナ、王国の姫であるイシュメリア姫、聖女アルメリア。繰り返す人生の中で彼女たちと愛を交わすこともあった。だけどその誰よりもきみのことが愛しい。すべてが終わってから自分の本当の気持ちに気づいたんだ。全てのきっかけになったのはこの村で起きた魔物の襲撃だった。俺は幾度も幾度も死んでは蘇り、試行錯誤を繰り返して困難に立ち向かった。それもすべてはきみの笑顔を守るためだったことに気づいたんだ」


 気づかなくていい。

 話を聞く限り特に相手に困っていたようでもないし、わざわざ田舎臭い幼馴染のことなんて忘れたままで良かったと思う。


 ジャスティンはこんな思い込みの激しい性格だっただろうか。

 

 過去の記憶を振り返る。

 昔から調子がいいと言うか、威勢の良いところはあったかもしれない、そういえば。


「俺は勇者になる!」とよくごっこ遊びをしていては、ラルゴを魔物役にしてよくやっつけていた。


 同い年だけれど、どこか子どもっぽくて弟のような少年だった。


 それに、そうだ。魔物の襲撃があった日にも、この子は。


 一瞬何かを思い出しそうになったが、別の思考にかき消される。


「ねぇ、そういえば……貴方が助けた私はどうしたの?」


 彼の顔から急に色が消えた。

 奇妙な沈黙と、まぶたの震え。

 どこか焦点の合わない目を私に向けてくる。


「この世界のきみが、俺の本当のエリーナだ」


 絞り出すような声で、言う。


「どうして? 世界を救ったのなら、そのまま居ても良かったんじゃないかしら。今更この世界に戻ってきても、勇者としての功績もなく、倒すべき魔王も居なければ救うべき幼馴染も居ないのよ。故郷に帰りたい、ということならわかるわ。でも、貴方と共に生きる相手は私でなくても良いでしょう。だって10年間一度も会うことがなかったのよ。もう少しはっきりと言うわ、私は」


「俺が好きになったのはきみだ。まがい物の、別のきみなんていらない。彼女は、あの偽のエリーナは……。気づいたんだよ。俺は女神に騙されていたんだってことに」


「騙されていた?」


「そうだ。女神にとって必要なのは『たった一つの正解』でしかなく、無数の『失敗』した世界のことは一切顧みない。廃棄された世界、失われた可能性、本来の出発点がどうなろうとも神にとっては些末なことだった。ただ神の望んだ美しい世界さえ一つあればそれでよかったんだよ。俺はそのことにようやく気づいて、女神の力を放棄することを望んだ、そしてこの世界に戻ってきたんだよ」


「なにか尋常でないことがあったことはわかったわ。でも、それとこれとは別。私は貴方の気持ちに応えることはできない。だって今の私には」


「きみは俺にとっての救いで、生きがいで、未来なんだ。やり直したい、きみと共に生きる人生を。俺は、未来を奪われた。時間を犠牲にして、苦痛を、数えきれない労苦を味わい、それで、助けた世界は全部『偽物』だったなんて、納得できない。俺は騙されていた」

 

 ジャスティンの耳に私の言葉は入っていない様子だった。

 延々と恨み言のような呪いの言葉を吐き続け、他のことは頭の中に入らないらしい。

 しばらくの間、黙って彼を見ていた。


 ジャスティンの話には、何も証拠がない。

 ただ妄想を語っているだけという可能性の方が高いだろう。


 10年前の魔物の襲撃でどういう経緯かで生き残り、あまり良い人生を送ったわけではないことは察せられる。


 妄想にしては具体的で、それでいて詳細はぼんやりとしている。

 一部分だけを作り込んだ虚言に特有の、どこかチグハグな印象を受けた。

 混乱しているというか、どこか錯乱しているような、痛ましさがある。


 私は彼の想いを受け入れることはできない。

 哀れみや同情なんてこの場においては何の意味もなさないだろう。

 彼に必要なのは多分、『本当の事』だ。

 

 一息に言ってしまえば良いだけのことだが、どこか不安定な彼がどんな様子を見せるかがわからない。

 このままごまかすように話を合わせ、家族が戻ってくるのを待って、助けを求めてもいい。

 どうすればいいかわからず、沈黙が場を支配する。


 しばらく表情を失くしたジャスティンを見ていた。

 浮ついた言葉を口にしている割に、その表情が妙に引っかかる。

 何かに怯えているような、怖がっているような気がした。

 一体何をそんなに、恐れているのか。


 この表情、どこかで見たことがある。

 ジャスティンに関する思い出を記憶の奧からたぐり寄せる。


 転んで泣いた顔、蜘蛛を見て飛び上がったときの驚き顔、子どもたちを促して遊びに誘う元気な顔、親から怒られて失敗したときの顔、不安と恐れ、何かに怯えて今にも泣きだしそうな顔。

 

 この世で最も恐ろしい光景を見たような顔。

  

 記憶のふたが開く。

 

 10年前、魔物の襲撃。

 あのときジャスティンを最後に見たのは「どこ」だっただろう。


 彼は、ひどく狼狽し、醜く顔を歪め、何かに怯えていた。


 私は彼と一緒に居て、そして……。


 頭痛のような記憶の噴出に、私は額に手を当てて目を瞑った。


 思い出した。

 込み上げてくる吐き気をこらえ、呼吸を整える。

 落ち着いて、もうあの魔物は死んだ。

 いまはもう「あのとき」ではない。


 鈍く痛む足をさすり、言葉を絞り出す。

 それは私にとって、過去の痛みを思い出す行為そのものだ。

 彼にとっても、恐らく凶器となる。

 でも、目をそらしてはいけない。


「ねぇ、ジャスティン。この傷を見て」


 私は、スカートを上げて昔の傷跡を見せた。

 両足全体に広がる醜いアザのような痕跡。あの恐ろしい魔物から受けた爪痕だった。


「これ、は」


 反応があった。


「ここだけじゃないのよ。背中にも、胸の辺りにも傷跡があるわ。それに、ここにも」


 私は髪で隠していた頬の傷を見せる。

 今思い返しても恐ろしい、幾度も切り裂かれる痛みと熱。

 既に通り過ぎた苦痛とは言え、今でも真夜中にうなれることもある。

 

「貴方は、自分が何をしたのか覚えている?」


 そこに感情はない。

 無我夢中で、生きるか死ぬかという極限状態だった。


 あのとき何が起ころうとも、何をしようとも、強く責めることは出来ない。

 恨む気持ちもないし、むしろそんな立場になったことに同情すら感じる。

 忘れたままなら、それでもいい。

 だけど受け入れる勇気があるなら、直視すべきだ。

 過去の記憶を。


「……俺は、何もしていない、何も」


 10年前、私は彼と共に居た。

 将来何をするとか、最近家畜が襲われたとか、そんな会話をしていた。

 魔王の存在や、うっすらとした脅威の影。


 田舎の村は王都や魔物の発生地からは遠く、子どもにとっては現実味の薄い話だった。

 ジャスティンはなにか威勢の良いことを言って、私はそれをぼんやりと聞いていた。


 「それ」が訪れるの突然で、あまりに唐突だった。

 家が近所でもあったし、それは多分ただの偶然で不幸な状況があっただけだ。


 私とジャスティンは魔物に襲われた。


「助けて、と私は貴方に向かって叫んだわ。手を伸ばして、逃げる貴方に追いすがって」


「俺は、俺は」


 面影の中にある元気で快活だった少年。

 だけど少し臆病で、子どもらしい子どもだった。




「私を突き飛ばしたわね、ジャスティン」




「うっ、あっ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 両手で頭を抱え、ジャスティンは床に頭をぶつける。

 弾みで指輪を落とし、床に金属音が小さく響いた。

 まるで土下座のような格好で私の前に身体を縮めている。

 彼は私を見ようとしない。

 直視できるはずがない。かって見捨てた相手の顔なんて。


 どういう理由で『私を好き』だという発想にたどり着いたかはわからない。 


 あるいは昔から想いを寄せられていただけかもしれない。 

 今思えばそう感じさせる場面もあった気がする。


 だけど、私たちはもう大人になった。

 甘い子どもの記憶に浸る日々はとうに過ぎている。

 同時に、彼を強く責めるだけの恨みも、資格もない。

 取り乱した彼を見て、急速に熱が冷める。


「いいのよ、ジャスティン。貴方はあのとき子どもだったんだから」


 何の力も心の準備もない10代半ばの子どもだ。


 混乱した状況で恐ろしい魔物を前にして、泣き叫びながら、逃げ惑うことしかできない。

 私は目の前の少年に追いすがり、必死に手を伸ばして助けを求めた。

 彼にとって、それがどれだけ恐ろしい光景かも考える余裕すらなく。


 ジャスティンは大声を上げて泣きじゃくり、私は立つことも難儀する不自由な足で、そのまま椅子に腰かけたまま「大丈夫よ、大丈夫だから」と彼に言葉をかけ続けるしかなかった。


 しばらくして、出かけていた夫のラルゴと息子のセナが帰ってきた。


 泣き叫び、小さく頭を抱えて縮こまった男性を前にしてだいぶ面食らったようだが、ジャスティンが落ち着くのを待って、ラルゴが彼を生家へと送り届けることになった。


「ジャスティンの様子はどうだった?」


「あぁ、かなり憔悴しきっていた様子だったが、受け答えはできていたし、ご両親に任せて大丈夫だと思う」


 夫のラルゴは顔にかつて魔物と戦った際の傷跡が残る、精悍な顔つきの男性だ。

 10年前、魔物に襲われていた私を助けてくれたのがラルゴだった。


 普段の穏やかな様子からは考えられないほどに大きな声を上げながら、農具を手に必死に魔物を追い払う姿は今も脳裏に焼き付いている。


 ラルゴは大人しい性格で暴力などには縁のない少年だったが、同世代の他の男の子より成長が早く、体力があったことが生死を分けた。


 かろうじて魔物を追い払うことができたラルゴは、傷だらけの私に駆け寄ってきた。

 魔物は私を即座に殺すのではなく、弱い小動物をいたぶるように切り裂いていた。

 だからこそ、と言うべきか、かろうじて死に至るような深手ではなかった。

 

 朦朧とした意識の中で、彼に背負われてその場を離れた。

 他の逃げ延びた村人たちと合流し、何とか屋内に籠城をした。

 数日間にも及ぶ辛い期間を経て、騎士団がやってきた。

 村の外に逃げた者が居たことが幸いし、奇跡的に村は救われた。

 家族を失い、生きる気力を失くしていた私を励まし、傍で支え続けてくれたのも彼だった。


 他に頼れる存在もなく、私はラルゴに守られて生き延びたと言える。

 そのまま彼に依存するように想いを寄せ、彼も私の気持ちを受け入れてくれた。

 私は弱い。一人きりでは生きていくことはとてもできない。

 ラルゴに甘えることで私は生きている。 

 その点において、私にすがったジャスティンを責める気持ちは特にない。


 彼の言動に困惑はしたが、恨みや見捨てられたという気持ちなどは刹那的なものだった。

 様々な苦痛やより深い悲しみによってとっくの昔に塗りつぶされており、今の今まで思い出すことはなかった。

 

「お母さんとお父さんの友だち、すごく泣いてたね」


 息子のセナは、幼い頃のラルゴによく似た顔立ちをしており、父親譲りの優しく穏やかな性格だ。


「何か辛いことがあったのよ。きっと」

 

 魔王が討伐されてからまだ数年だ。ジャスティンがどうやって生きてきたかはわからないが、それ相応の苦労や心を病むだけの出来事を重ねてきたのだろう。

 家族と話している内に、彼の話はやはり妄想の一種だったのだろうと感じた。


 魔物の襲撃から必死に逃れ、村に戻ることなく生きてきたというのなら、彼には彼なりの罪の意識や心の傷などを抱えてきたはずだ。


 私だってそれは同じこと。

 家族が居るからこうしてなんでもない顔をして過ごすことはできるが、それでも時折失った両親や友人たちのことを思い、仄暗い気持ちに陥ることはある。


「早く落ち着くといいな。ただ……いや、何でもない」


 ラルゴは言葉を濁し、その場ではそれ以上の話はしなかった。

 セナが眠った後、どこか考え込むような夫の様子を見て、声をかける。


「どうしたの?」


「いや、ジャスティンのことなんだが……」


 浮かない顔のラルゴ。死んだはずの幼馴染が生きて戻ってきたこと。

 妄想か現実か定かではない話を自分の妻に語り号泣したこと。


 息子の前では言いづらかったこともあるだろう。

 私は自分の考えを整理することも兼ねて、ジャスティンの語った『時渡り』について話した。

 ラルゴは時折質問を挟みながらも、話を聞き、更に思い悩むような表情をした。


「その話は、どこまで本当なんだろうな」


「どうしたの?」


「俺は、10年前魔物たちに荒らされた人たちの遺体を埋葬した。あの頃のきみには話さなかったが、見つかった遺体の一部にジャスティンのものもあったんだ」


「えっ?」


 ジャスティンの胸元には特徴的なアザがあり、ほぼ間違いなく彼と思われる遺体があったらしい。当時私は怪我や両親の死によってふさぎ込んでいたので、あえて話すことでもないと詳しい話を伏せたのだと言う。ラルゴはジャスティンを実家に送り届ける道すがら、彼のアザをそれとなく確認したらしい。


「それじゃあ、彼は誰なの」


「ジャスティンなのは間違いないだろう。ご両親も息子だと認めていたし、俺たちもアイツのことはよく知っている」


 確かに、成長していても彼本人だとすぐにわかった。

 顔立ちや表情などに記憶と一致する部分が多く、別人だとは思いもしなかった。

 ラルゴの記憶違いでなければ、死んだジャスティンが戻ってきたことになる。

 時の女神の恩寵。

 過去に戻り未来を変えて魔王を倒した。


 けれど、あくまでもジャスティンが変えた未来は『最初の世界』とは別のもの。

 周囲の人間や世界そのものが変わったわけではなく、別の時間を歩んだだけ。


 それは彼本人からしてみれば決して悪いことではなかったかもしれないが、私たちの目線から見れば彼はこの世界で何もしていない。ただ姿を消して戻ってきただけ。


 変化としてはそれだけの違いだ。魔王は聖女が倒し、世界は平和が戻った。


 ジャスティンの存在がなくても、世界は救われたのだ。

 それなら彼は、何の為に繰り返し死んでは生き返り、様々な未来を模索したのだろう。

 

 女神に騙された。

 彼がその結論にたどり着くまで何があったのかはわからない。

 ただ、このことが真実なら時の女神は一体何がしたかっただろうか。


 答えも出ず、真実もわからないまま、どこかモヤモヤとした気持ちのまま眠りに着く。


 その夜、夢を見た。

 光る鳥を追いかけていくと、懐かしい光景が目に入る。


 幼い頃のラルゴ、そして自分の姿。

 生きている両親。もう会えない、記憶すらおぼろげな友達や近所の人たち。

 魔物たちの襲撃によって壊れ、かって住んでいた家。


 時間はゆるやかに流れていき、ある日突然世界は真っ赤に染まる。

 あちこちで響く絶叫、阿鼻叫喚。

 必死に逃げ惑う子どもたち。 

 襲い掛かる大きな影、恐ろしい牙と爪。

 目をそむけたくなるような地獄がそこにはあった。


 そして、「助けて」を叫び顔を恐怖でゆがんだ少女の顔。

 恐ろしくなって、反射的に手を突き出した。

 ほんのわずかに、生き延びたと感じた。

 彼女が食われている間は、自分は殺されない。


 そんな恐ろしい考えに一瞬支配され、同時にとんでもないことをしたと思い、引き返そうとした。

 けれど、大きな影に呑み込まれ、凄まじい悲鳴が全身を満たす。

 その叫びは、自分の喉の奥から噴きだしたことに遅まきながら気づく。


 気が付くとそこは何も変わりのない穏やかな村の様子。

 少女の姿もそこにはあった。

 彼女は何ら屈託なく接してくれて、あぁ悪い夢を見ていたのだと思う。

 けれど、記憶にある通りに時間は進み、魔物は現われる。


 以前に比べればまだ、立ち向かう気力があった。

 恐怖に染まりながらも無我夢中で魔物を追い払おうとする。

 けれどたちまち深手を負い、ボロボロになって逃げ伸びる。

 以前は見捨てた少女の姿を探す。


 彼女は居た。 

 ラルゴに背負われて、避難していく様子が見えた。

 ひどく救われた気持ちになると同時に、あれは自分の役目だったと悔しさを覚えた。

 その後、彼らと合流して一緒に逃げようとしたが、魔物に追いつかれ引き裂かれる。

 半死半生の中、ラルゴが彼女を必死にかばう姿が見えた。

 なぜ、そこにいるのは自分じゃないんだ。


 再び何事もない平和な村に戻る。

 時間が巻き戻っているのだと、確信に近い物を感じた。

 今度は失敗しない。

 魔物から彼女を守るのだと息巻いて行動する。

 結果はあまり芳しいとは言えず、また魔物に殺された。

 今度は上手くやる、今度は。


 繰り返し、繰り返し時間を遡ってはやり直す。

 村の防御を強化し、傭兵を雇えないかを考え、騎士団を呼びに行く。


 様々な手段や方法を探し求めて、中でも自らが魔物を打ち倒せる方法にこだわった。

 腕っぷしの強い村人に戦い方を教わり、身体を鍛え、武器になりそうな物を用意する。

 魔物を追い払えるくらいの実力を付けた。

 今度は守れる、間違いなく守れる、ラルゴではなく自分が助けるのだ。


 数十回の繰り返しを経て、どうにか死者が出ない形で魔物の襲撃をやり過ごすという『成功』を収めた。彼女も守ることができ、ラルゴに後れを取ることはなかった。


「ありがとう、ジャスティンのおかげよ」


 その言葉を聞き、何か許された気持ちになった。

 大仕事を終えたのち、これからのことを考える。

 魔物はまた現われるかもしれない。

 自分が死ねばまた元の時間に戻るのだろうか?

 

 考えながら眠りに就くと、夢の中に女性が現われた。


「私は時をつかさどる者、クロノシス。幾度も死を乗り越えて一つに道にたどり着いた勇者よ、貴方はこれから魔王を倒し、世界を救う旅に出なければなりません」


 女神を名乗る彼女の言葉に従い、旅に出ることにした。

 実力をつけて、いつか村に戻ると彼女に伝えて村を離れた。

 その頃にはもうラルゴに対する対抗心も失せていた。


 自分は選ばれた人間だ。

 崇高な使命のある勇者なのだと自覚を持って、戦いに出る。

 王都へとたどり着いてからは様々な仕事を受けては実力をつけていく。


 ときには命を落とし、やり直しになることもあったが、かっての村に戻るわけではなく、物事の節目に蘇るようになっていた。いつしか、気になる異性や仲間も出来て、共に旅をする中で心を重ね愛を交わすこともあった。


 村に残した幼馴染のことはその都度気にかかったが、目の前の彼女たちから囁かれる愛の言葉に答えないこともまた不誠実ではないかと考え、恋を重ねた。

 戦いの中で窮地になって死亡すると、彼女らと交わした愛の記憶も消える。


 自分との思い出を忘れた彼女たちを見て、あぁ、これは本当の運命の恋ではないのだと感じた。

 同じ相手と同じやり取りを繰り返し愛を重ねる、しかし想いや感情は擦り切れるもので、やがて付いていけなくなる。


 異なる時間の中で別の相手と流されるまま関係を重ねては、また死んでなかったことになり、だんだんと正気を保つことが難しくなる。


 複数の相手と付き合って修羅場となったこともあるし、誰とも付き合わずに旅をすることが最も効率が良いことに気づく。自分の目的は魔王を倒すことだ。


 幼い欲望に振り回された自分を恥じ、仲間との恋は振り切ることにした。

 そしてやがて、運命の聖女アルメリアと出会う。


 神に選ばれたという凄まじい力を持つ女性だった。

 神託を受けて旅に出たということで、自分と近しい物を感じ、彼女とは腹を割ったやりとりもした。


 アルメリアを導いた神はクロノシスとは別の存在のようで、彼女が授かった恩寵は『不死』だった。死んでは蘇り、欠損した部位すらも回復し元に戻る。


 自分の恩寵と似ていると話したが、時間を越えて状況を変えることのできる『時渡り』の方が優れているのではないかと彼女に言われた。


「でも、貴方が今死んだら、ここにいる私はどうなるんだろう」

 

 不死の彼女と共に行動する中で、ある疑問を抱くようになる。


 自分はやり直しをしているが、そのとき残された世界はどうなっているのだろう。

 幻のように消滅するのか、それとも。


 やり直した世界とそうでない世界、どちらも続いているのだとしたら、自分が死んだ後も世界は続いているのではないか。


 もしそうなら、魔王が倒されない世界も存在する?

 そんな疑念はアルメリアを見ていて払拭された。

 たとえ死しても蘇り、何度となく立ち上がる不滅の聖女。


 彼女にとっての世界は連続性があり、一度交わした思い出を失うことはない。

 不死ゆえの苦痛や悲しみは当然あれど、彼女は諦めることはしない、できない。


 自分がやり直しで避けられる出来事にも彼女はぶつかっていく。


「その力は、できるだけ使わないでほしい。だって貴方ともしも会えなくなったらさびしいでしょ」

 

 彼女と出会ってから、『時渡り』を使うことはなかった。

 その必要性もないほどに、聖女は強かった。

 神聖魔法を使う彼女は肉体を強化する呪文で自ら敵の前に躍り出る。

 戦士も顔負けの、壮絶な戦いっぷりを見せた。


 あまりの強さに、絶句するしかない。

 彼女は決して敵に仲間を傷つけさせることを許さなかった。

 自分はいくらでも蘇るけど、みんなはそうじゃないから、と。

 

 聖女は刹那的で、儚い物を慈しんだ。

 薄い硝子のコップを、小さな野に咲く花を。

 一瞬だけの美しさを見せ、脆くも散っていく。

 そうして失われたものを目にしては、呟いた。

 

「失ったものは二度と戻らないから美しいんだよね」


 困難にぶち当たるたびに見せる彼女の強さと美しさに魅了され、同時に恐れを抱いた。


 自分にとって死は『やり直し』の通過点に過ぎない。


 大きな失敗をした際には自ら命を絶ったこともある。


 解決できない困難は避け、計算しながら物事を進め、恋も友情の信頼もときには夢幻のように自分の死体と共に世界に置き去りにしていく。 


 そしていつしか、『最初の世界』について思い出す。

 あのとき見捨てた彼女は、エリーナはどうなったんだろう。

 死んでしまったか、それともあるいは。

 やり直しの中で怪我を負った彼女をラルゴが助ける光景を幾度か見た。

 状況次第では十分生き残っている可能性もあった。


 あぁ、もしもあのとき、死ななかったら。

 彼女を救うことができただろうか。

 繰り返しを重ね、体感的に流れた年月は既に数十年を超える。

 記憶は擦り切れ想いも欠けおち、向上心が失われていく。

 世界を救う、自分の力で。

 無数の屍と共に取り残した世界を踏み越えて?

 自分が救うべき世界とは何だ。

 この世界は何十個目になる。

 唯一の道を見つけても、それは本当の『真実の世界』なのだろうか。


 悩みつつも、魔王討伐にたゆまぬ研鑽を重ね使命を胸に抱いて戦う仲間の存在があったればこそ、前に進むことができる。


 特にアルメリアの屈することのない精神力はいつしか恋愛感情を越えた焦がれを抱くようになる。

 彼女を助け、勇者として崇高な使命を果たすことはきっと尊いことだ。

 矛盾だらけの自分の生き方を見て見ぬふりをしながらも前に向かって進んでいく。


 しかし、心が大きく折れたのはまた、彼女の存在があったからだ。

 ついに到達した魔王との戦い。

 仲間たちは倒れ、自身も利き腕を負傷し、この世界はもう駄目だと諦めそうになる。


 いっそ自ら命を絶ち、魔王との戦いの記憶を引き継いで先に行くべきかと、自分にできる役目を果たそうと考えていたとき。

 聖女は諦めなかった。


 何度も何度も倒れ、死に瀕しては蘇り魔王に食らいついていく。

 最後にはもはや、彼女一人が戦い続けていた。


 服はボロ布のようになり、髪は血で乱れ、それでも輝くような聖なる力をまとって魔王を絶命させる。まるで輝ける太陽の化身のような美しさだった。


 魔王は討伐された。聖女の力によって。

 自分の存在は、『時渡り』は魔王討伐の旅において役には立ったかもしれない。


 だけどそれはあくまでも『情報』をもたらし、ときに道を示しただけだ。

 勇者としての矜持と誇りを持ち続けていたのは聖女アルメリアと出会うまでのこと。


 彼女の恩寵と強さと輝きを前に、自らの辿ってきた道の空虚さが突き刺さる。

 自分は、世界を救うために本当に必要だったのか?

 いや、あるいは自分なんて居なくても彼女は魔王を討伐していた。


 場合によってはただ彼女の足枷にすらなっていたかもしれない。

 無数の世界の屍、世界の数だけ存在する人々。

 頭がおかしくなる。

 心が壊れてしまう、吐き気がする。

 魔王討伐の後、逃げ帰るように故郷へと戻った。


 勇者としての誉れも自尊心もなく、ただ懐かしい場所に帰りたかった。 

 そこには彼女がいる。

 自分がかって犠牲にして、守り通した彼女だ。

 エリーナを救った事実は固定されたまま、これまでの繰り返しの日々を続けた。

 彼女が変わらず存在してくれることは、俺にとっての救いだった。


 だけど……。

 エリーナは、ラルゴと結ばれていた。

 10年もの歳月が流れていたのだ。

 結婚の約束を交わしたわけでも、頻繁に村に戻っていたわけでもない。


 目の前の流れゆく時間に忙殺され、夢中になり、いつしか大切なことをこぼれ落としていき、自分が本当に欲しかったもの、護りたかったものが何なのかわからなくなる。


「ありがとう、ジャスティンのおかげだよ」


 子どもを抱きながら、ほころぶような笑顔を向ける彼女。

 だけど、彼女は俺のエリーナじゃ、ない。


 まただ、またラルゴに奪い取られた。


 自分よりも弱いくせに、魔物を倒す力もないくせに、旅立つ活力もなく勇者としての恩寵もなく、死と繰り返しに耐える強さもないくせに、どうしてお前はいつも彼女を奪っていく。


 俺の居場所を取っていくのだ。

 あぁ、違う。

 ここは俺の居場所ではない。


 村に戻った夜、夢を見た。

 女神の顔を見て、絶叫する。


「この世界はなんだ、俺は本当に魔王を倒す旅に出る必要があったのか!? 聖女だけで、魔王は倒すことが出来た、時間はいくらかかろうとも、俺が居なくとも魔王は滅ぼされていたんじゃないのか?」


 半ば錯乱しかけながら、女神に詰め寄った。

 その剣幕に一切動じることなく、女神は透明な笑みを浮かべる。


「たった一つの道を見出した勇者よ。貴方は間違いなく正しい世界へとたどり着きました。魔王は倒され、愛すべき存在を守り通した世界。唯一の誇るべき美しい世界を手に入れることが出来たのです」


「違う、これは俺の求めた世界じゃない。おかしいだろ、魔王は俺が居なくとも倒せた。エリーナは確かに守られたが、俺の隣に愛する彼女は居ない、愛を交わした女たちも俺との記憶を失くして、やり直すたびに何もかも忘れていく、あの世界は、あれからどうなった。消えてなくなったとでも言うのか」


「世界は消えることはありません、世界はいくつもいくつも存在し続ていきます。けれど、貴方にとっての世界は間違いなく『ここ』ではないですか? 失敗を避け、問題を避け、間違いを正しながらつかみ取った『美しい唯一の世界』は」


 女神は何の悪意も敵意もなく、まるで無垢な赤子のような笑みを浮かべる。

 なんだこれは、コイツは、人間の心をまるで理解していない。

 そうだ、彼女は神という別の種族だ。


 あまりにも高みから世界を見渡す女神にとって、人間のこだわりや感情、世界の違いなど誤差のようなものに過ぎないのかもしれない。

 その言葉をまともに受け取ってはいけなかったのだ。


 女神を問い詰め、これからの世界や自分の望みについて伝える。

 会話のようで会話にならないその不毛なやりとりに心が折れそうになりながらも、かろうじて『最初の世界』の存在へとたどり着く。


 そこに戻る術は。

 本当の故郷へ帰る方法を聞きだす。

 目的を果たし『唯一の正解』を見つけたはずの人間がそれを捨て去ることを理解できないように、首をかしげていた。


「美しく完成された世界を、何故拒もうと言うのですか?」


「黙れ。俺を騙しやがって、こんな、こんな知らないところに来るつもりはなかったんだよ!!」


 思いつく限りの言葉で女神を罵り憎悪をぶつける。


 クロノシスはまるで気にした様子もなく、風がそよいでいるだけのような顔をして全ての罵倒を聞き流した。


 魔王は聖女が居れば討伐される。自分が旅に出る必要はなかった。

 けれど女神の観測にとって、『物語』がどう転ぶかを眺めるために『魔王討伐の旅路』が必要だった。つまりこれは、女神の恩寵とは、神にとっての娯楽。


 人間が物語を読むように女神は人間の運命に手を出してその行く末を眺める。

 つまり、これは『魔王討伐に挑んだ者』というタイトルの物語に過ぎない。

 

 騙された、時間を無駄にした。旅に出なくて良かったのだ。

 世界は放っておいてもどうにかなっていた。

 それこそ聖女を導いた神の采配とやらで!


「ただ、『元の世界』で、既に貴方は死んでいますよ」


 関係ない。今の俺は生きている。

 お前のおかげで生き返った? あぁ確かにそうだよ、その通りかもしれない。

 だけど、空虚な旅路を、繰り返しの日々で楽しませてやっただけで十分元は取れただろう?

 帰せ、帰してくれ、俺にとっての本当の世界を。


 エリーナを、彼女を取り戻すんだ。

 そして、今度こそ本当にやり直したい。

 だって俺は、俺は、こんなにも頑張ったんだ。

 そうだ、このために今まで戦ってきた。

 あの日のことを、なかったことにするために。

 

 彼女を裏切ったこの苦痛を取り除けるなら。


「わかりました。貴方の望むままに最後の『時渡り』を授けましょう」


 そして、時を渡って、自らの故郷である本来の世界に戻ってきた。

 それはやり直しではなく、別世界で過ごした時間を重ねたうえで、だった。

 女神の恩寵を失い、二度とやり直すことのできない只人になり、そして私の元へと帰ってきた。

 現在のエリーナと再会し、そして彼は全く的外れな言葉を並べ立てる。

 家族を失い孤独な日々を送るたった一人の可哀想なエリーナ。

 

 本当に救うべきは、守るべきだったのはこの傷ついた彼女だったのだ。

 そして、あの日のことを……どうか許してほしい。




 私は夜明け前に目を覚まし、自分がひどく長い夢を見ていたことに気づく。

 夢の中の自分はジャスティンになり、死んでは繰り返す日々の旅路を追体験した。

 彼の思考や感情まで真に迫った、不可思議な夢だ。

 ただの夢と言うのは随分と生々しい。

 別の誰かの目で自分を見るというのも奇妙な感覚だった。

 

 寝る前にジャスティンの話が真実かどうかを考えていたから、こんな夢を見たのだろうか。

 それとも、あるいは時の女神が私の疑問に答える形でそうした記憶を覗かせてくれたのだろうか。

 もしこの夢が本当だとすると、どうなるだろう。

 ぼやけた頭で考える。


 ジャスティンにとって唯一の正解とは一体何だったんだろう。


 私を見捨てた過去を消し、誇らしい勇者としての旅を経験した。

 けれどそれも聖女の力を前にして何の意味もなかったことに気づく。


 時の女神は面白半分に恩寵を与え、ただ彼の行く末を眺めた。

 神にしかわからぬ理屈、誰かの考えた『完成された世界』。

 自分にとっては居場所のない世界。


 真実はそんな、空虚なものだったと言うのだろうか。

 だとしたら、彼の長い旅は何だったんだろう。

 

 ジャスティンは私のことがどこまで好きだったんだろう。

 好意を持っていてくれたことは嘘ではないと思う。

 だけど色んな意味でもう遅い。遅かった。

 

 私は愛する人には側に居てほしい。

 望むとしたらそれだけで、だからラルゴを愛したのだ。

 たとえ魔物から救ってくれなくても、別の世界の私もまた彼を選んだ。

 そのことにひどくホッとした。


 何も失わなかった、無邪気な笑顔を見せる私。

 両親や知人友人を亡くすことなく、何事もなく魔王討伐を迎えて平穏無事に過ごす世界。

 それは確かに美しく素晴らしい世界だと思う。

 

 だけど、たとえ私が『時渡り』を貰ったとしても、やはりジャスティン同様にどこかで空虚な気持ちに至るのではないかと感じる。


 無数の失敗や間違いを切り捨て、屍の山を築きながら突き進んだ『唯一の正解』。

 そんなものは、きっと都合の良い甘い夢。


 同じ顔をして同じ声をしていても、やっぱり別の世界のエリーナを自分とは思えない。

 私はあんな風には笑わない、笑えない。

 過ごしてきた日々も、味わった悲しみも喜びも違えば、きっと人間は変わる。


 ジャスティンの思った通り、それは唯一の正解にはなり得ない。


 彼も既にこの世界では一度人生を終えている。

 そう考えれば生き返ることが出来て良かった、とは言えるかもしれない。


 けれど同時に彼がこの世界に来る直前に居た『魔王討伐後の世界』においてはジャスティンの存在は消えてしまったということになる。


 彼の両親が健在だったなら、息子と二度と会うことはできなくなったと言える。

 それ以外も、ひょっとしたら彼のことを想ってくれた人だって居たかもしれない。

 二つに一つを選び、結局彼は一つの世界を切り捨てた。


 たとえこの世界が出発点だったとしても、やったことはこれまでに無数の繰り返しを重ねたことと、一体どこが違うのだろう。


 ジャスティンは私とやり取りをしている間もどこか混乱していて、矛盾した言動や情緒不安定さを見せていた。私に愛を伝えるという行動でかろうじて理性を保っているような印象だった。


 今後落ち着いたとしても、この世界に帰還したことも後悔するかもしれない。

 そう思うと、彼がとても気の毒になった。

 

 私が彼の立場だったら。


 失ったものはあまたあり、取り戻せるなら取り戻したい。

 だけどそれと同じくらい、今ここにある幸せも失いたくはない。

 たとえ綺麗な世界じゃなくても、私は生きている。


 与えられ守られてつかみ取った世界。

 生老病死、時の女神の恩寵なき人間にとって滅びは避けられない決まり事だ。

 決して不変ではなく、いつかは失うことが約束された幸福。

 もしそれを奪われたら?

 だからこそ私はジャスティンの身に起きたことを悲しく思う。

 

「勇者になる。お前を守ってやる」


 幼い頃のその場だけの勢いの言葉。

 思い返せば、彼は決して悪辣な子どもではなかったと思う。

 夢の内容を信じるなら、彼が別の世界の私やラルゴを傷つけようとした様子はなかった。


 10年前の一件にしても、混乱した状況で起こった出来事だ。

 彼にとっては癒えぬ傷跡として残った、辛い過去でもある。

 たった一言で崩れ落ちてしまうほどに。


 ジャスティンは、あの日のことをただやり直したかっただけではないだろうか。

 その気持ちは私にもわかる。

 あの日、私は両親の死に際に立ち会うことはできなかった。

 もし一緒に居たら、事前にすべてがわかっていれば、何らかの対策は取れたのに。

 

 父に母に、できるなら孫の顔を見せてあげたい。

 失われた未来。取り戻せない過去。

 いましかない現実。 


 時間を巻き戻したいわけではない。

 それでも両親や親しい人の死だけを回避した結果だけ得られるなら。

 私は多くの矛盾を呑み込んでもそれを受け入れるかもしれない。


 だけど、時の女神にだってそんな都合の良い奇跡は起こせない。

 神の恩寵を得ても、得られるのは歪んだ現実だけ。

 それなら結局、向き合うしかない。

 この残酷で醜い世界の現実と。


「失ったものは二度と戻らないから美しい」


 直接会ったこともない聖女の言葉が、胸の中に響いた。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

幼馴染の過去の冒険については(https://ncode.syosetu.com/n0998hc/)で書かれています。


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[一言] おそらか百回以上、傷ついて死んでも、数十年(勇者視点)に渡って化け物と戦い続けて世界を救う一員になった勇者の末路がこれか。ただの邪神じゃねーか。
[良い点] 虚無的で何一つ手の中に残らなかった男の悲しい話でした 思考実験的な作りをしていて、登場人物が少し論理的過ぎると言うか、そこまで考え込まんでもいいやろとは思う、もうちょっとバカになって幸せに…
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